相原唯は免許が取りたい   作:藍色 紺

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第16話 全部危ない、危険ディスカッション

「でもさ。相原さんのする教官の話、おもしろいよね」

 

 危険ディスカッションのために、佐々木と並んで同じ車へと向かう。

 土曜日の午前だというのに、もうボンネットで目玉焼きが焼けそうな暑さだ。

 

「おもしろい?」

 

「だって、『轢いてしまえ』って言われて、ひっかけって思ったんでしょ?」

 

「ひっかけでしょ。ほんと、あの眼鏡、会話の中にちょいちょい混ぜてくるから油断ならないよね」

 

 思い出しても腑に落ちず、非難がましい声になってしまう。

 佐々木の目が丸くなった。

 

「混ぜるって何?」

 

「え。ツッコミ入れろとか言ってくるでしょ?」

 

 佐々木が口に手をあてて吹き出した。

 

「ない! そんなの一度もない」

 

 そんなばかな……。

 

 佐々木が身体を折り曲げてまで笑うから、唯は思わず立ち止まった。

 

「まさか、ツッコミが足りないから、みきわめ落ちたのも――」

 

「んなわけないでしょ」

 

 目の端にたまった涙を指でぬぐって、佐々木が歩き出す。

 

「小動物が飛び出してきても、避けるなって、教官らしいって俺は思うけど」

 

「いやいや、おかしいでしょ。救える命があるんだから」

 

 免許の試験では、カッとなる人が減点になるような問題が出るって聞いたことがある。まさに危険人物炙り出しとしか思えない。

 

「だよね。救える命を優先だから、でしょ」

 

「どういうこと」

 

 お目当ての教習車を探し当て、周りを見渡した。

 まだ三人目の生徒は来ていない。

 

「急ハンドルとか急ブレーキで、もっと大きな事故を起こすより、って意味」

 

「あ……」

 

 そういうことか。

 

 モラルより先に、安全。

 正しいかどうかじゃなくて、まず被害を広げない。

 

 教習所は、学校とは優先順位が違って、まだ慣れない。

 

 

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 赤信号が近づいて来るのに、七海(ななみ)はブレーキを踏まない。

 唯なら、もう踏んでいる位置だ。

 

 えぇぇ!?

 

 手を握りしめ、思わず眼鏡を見る。眼鏡は唯から七海に運転が変わってから、ずっとアシストグリップを掴んで、前を見ている。

 

 ガクンッ、と身体が前に投げ出された。

 

「ひゃっ」

 

 シートベルトが胸に食い込む。

 

「ブレーキは、もっと優しくな」

 

「おっかしいなー。いつもより効き悪くないですか」

 

 ハンドルを握る七海が、真剣な顔で言い返す。

 

「いつもは二人、今日は四人。乗せてる重さが違うと挙動も違う」

 

「なるほどですねー」

 

「っていうか、ポンピングブレーキしてね」

 

 明るく返事をしながら、七海がやっと右折のウィンカーを出した。

 

 え? 今ごろ?

 

 後部座席で、唯は佐々木と顔を見合わせた。

 

 ウィンカーって交差点の三十メートル手前のはずだけど……。まぁ、知らない人が乗ってると緊張するよね。

 

 運転手役だったときの自分の言動が思い出せず、唯は録画中のレコーダーを恨めしく見た。この後のディスカッションで見直さなければならない。

 

 信号が青になり、今度は急にシートに身体が押し付けられる。

 

「危なっ!」

 

 交差点に進入しようとしていた教習車が、突然止まった。

 

「あれ? あれ? なんでエンスト?」

 

 七海が慌ててエンジンをかけ直す。

 

「わしが踏んだんじゃ。前からバイク来てたやろ」

 

「なるー」

 

 私より危なっかしいのに、どうして七海は平気なんだろう。

 

 交差点を無事に切り抜けたのを確認して、唯は佐々木のTシャツの裾を引っ張った。

 

「目、瞑ってていいと思う?」

 

「ダメ、だと思うよ」

 

 小声に小声が帰って来る。

 

 あぁ、やっぱり――。

 人によって運転ってこんなに違うんだ。

 

 危険ディスカッションは、生徒三人が交代で運転し、後からお互いの運転の危険だったところを話し合うことで、運転を客観視する講習だ。

 受付のお姉さんからは、組みやすいから合宿中でよかったわねと教えてもらった。

 

 本当によかったのかな。

 

 思わず心の中で、眼鏡を応援してしまう。

 

 最後の佐々木の運転は、拍子抜けするほど穏やかだった。

 七海のような思い切りすぎることもなく、私みたいに慎重すぎることもない。

 

 こういうのを、ちょうどいいって言うんだろうな。

 

 眼鏡もアシストグリップから手を離し、左腕をさすっている。

 

「さぁ、帰ったらすぐにディスカッションな」

 

 七海の運転をどう伝えればいいんだろう?

 率直に言えば、怒られる、だろうな。

 

 教習車から降り、大きな伸びをしている七海を見て、唯は小さく溜息をついた。

 

 

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 ドライブレコーダーの動画が、モニターに映されるのを三人で見ている。

 眼鏡は、早送りしながら要所要所で再生ボタンに変える。

 

「この状況、何が危険?」

 

 モニターには、七海の右折からのエンストが映されている。

 

 まぁ、この場面になるよね。

 おかげで、唯の運転にはそんなに時間がかけられなかったが、唯は背中に冷や汗をかいているままだ。

 自分の運転を見返してみれば、ツッコミどころばかりだった。ツッコミを入れている場合ではない。

 

 言われるの嫌だろうな。

 

 唯は、七海を盗み見た。

 七海は、熱心に動画を見ている。唯の番のときも、臆せずにあれこれと教えてくれた。

 

 言ってもいいのかな。

 

「相原さん、どうや?」

 

 眼鏡に当てられた。

 

 ウィンカー? バイク? 右に寄ってないこと? それとも――。

 何を言えば、ディスカッションが盛り上がるかな。

 

「じゃ、次」

 

 眼鏡が佐々木を見る。

 

「後ろの車かな」

 

「なんで?」

 

「ウィンカーが直前になったから、追突されるかもだし、後ろの車が予測できずに、詰まって渋滞になるかも」

 

「あー。なるほど」

 

 内容にも話し方にも納得していると、七海が大きく挙手する。

 

「全部だよ。ぜーんぶ危ない」

 

 当てられるよりも前に、七海が発言する。

 

 え?

 

 唖然と七海を見るが、七海は楽しそうだし、眼鏡も何も言わない。

 

 そんな乱暴な。それをディスカッションするのが目的なんじゃないのかな。

 全部でいいなら、話し合いにならない。

 

「まぁ、そうやけども」

 

 眼鏡が困ったように頬をかいた。

 

 ほらね。どれか一つに絞るのが正解なんだよ。

 

「うっかりウィンカーを出さずに、こうなってしまうこと、あらへん?」

 

 あぁ、と三人が気まずく頷く。

 

「そうなったとき、どうすれば切り抜けられと思う?」

 

「遅くなっても、まずはウィンカーを出す。それで、青になったら、少し前に寄ってあげたら、後続車が抜けるかもしれない」

 

「でも、抜くときにバイクが来たら――」

 

「それは、後続車の問題。今回は、自分がどうすればベストかって話だから」

 

「えー。でも、対向車線のバイクを驚かせるでしょ」

 

「そこは、前に出る速さでしょ。ゆっくりならさ」

 

「唯ちゃんは? 唯ちゃんなら止まれた?」

 

 七海がこっちを見て、唯はおずおずと佐々木と七海の間に入る。

 

 後から動画で見れば、止まるべきだったと思う。

 でも、あの場に自分がいたら。

 

「……わからない」

 

 口にして、自分で少し驚いた。

 正解は止まるだとわかっているのに、気持ちが先に立った。

 

「私なら、迷って……。迷って何をしでかすかわからないや。アクセル踏んだかも」

 

 七海が「でしょー!」と嬉しそうに笑った。

 

 眼鏡はモニターへと視線をずらした。対向車線を指さして、動画を再生する。

 

「ここ、対向車線の車もバイクも、待ってくれてる。だから、大事にはならへんかったわけや」

 

 眼鏡の言うとおり、教習車が完全に止まった後、しばらくして対向車線は流れ始めている。

 

「今、君らは教習車ってわかる車に乗ってる。でも、免許を取って路上に出たら、相手には初心者マークでしかわからへん。それも一年経ったら剥すやろ。相手にだけ安全を求めたらあかん」

 

「怒られちゃったね」

 

 七海がこっちを見て、小さく舌を出した。唯も肩をすくめてみる。

 

「その場その場で、どうしたらいいか違うよなぁ」

 

 佐々木が、モニターを見ながら言う。

 

「だから、経験値を上げるんや」

 

 眼鏡が、珍しく真面目な声を出した。

 

「正解を覚えるんやない。危険を予測して、その場で選ぶ」

 

 眼鏡が唯を見た。

 

 選ぶ。

 

 胸の奥にある湖の底で、何かがぽこぽこと芽吹いた。その衝動で静かだった湖面が揺れる。僅かな揺れに、泳いでいた鴨が動きを止め、辺りを窺った。

 

「運転中の出来事は、全部運転手の責任や」

 

 眼鏡の視線が佐々木へと上がる。

 

「怖いな」

 

 佐々木の言葉に、眼鏡が頷いた。

 

「ほなから、教えたやろ。迷ったら――」

 

「ブレーキ!」

 

 三人の声が揃い、顔を見合わせて笑った。

 

「それにしても、七海はどんだけ補助ブレーキ踏ませんねん。ワースト一位をひた走ってるで」

 

「卒業までには、直しますぅ」

 

 卒業――。

 

 二段階もあと少しなんだ。

 

「そんな君らに朗報や。次は緊急救命講習やで」

 

 事故を起こさないように運転する。でも、万一のときのことも練習するんだ。

 

 小さく頷いた唯と佐々木を、七海が振り返る。

 

「また一緒だったらいいね!」

 

 

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