相原唯は免許が取りたい   作:藍色 紺

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第17話 緊急救命、迷ってもやる

 教室に入った瞬間、唯は足を止めた。

 

 椅子のないフロアに、上半身だけのマネキンが二体置いてあり、その隣で地べたに座る男の膝の上に、女が座っていた。

 

 この部屋、だよね。

 始まるまで外にいよう。

 

 トイレに行くふりをして、回れ右をする。

 突如目の前に現れた壁にぶつかった。

 

「大丈夫?」

 

 鼻を擦りながら見上げると佐々木だった。

 佐々木も顔を真っ赤にして、目を泳がせている。

 

「ないわ」

 

「ないね」

 

「何が?」

 

 唯と佐々木の間に入ってきた七海が、視線の先を確認する。

 

「あぁ、合宿カップルだよ」

 

「合宿カップル……」

 

「短いアバンチュールをお楽しみ中。セミみたいなもん」

 

 七海はカップルを気にせずに、もう片方のマネキンの隣に近づいた。

 

「わー、リアルぅ」

 

 パックリ開いた口に指を突っ込む。

 

「食われるぞ」

 

 佐々木の言葉に、七海が笑う。それで、唯はようやく二人に近づいた。

 

 どうやら、今日はこの五人で緊急救命講習を受けねばならないらしい。

 

 カップルの内、女の方が唯と七海をチラっと見た。

 

「まぁ君。人工呼吸、ペアになれるかなぁ」

 

 まぁ君は、鼻の下を伸ばして何か返事をしたらしい。唯は、心の耳に栓をしたから聞こえない。七海がおえっと舌を出し、佐々木は、カップルに背を向け、唯と七海と一緒にマネキンを囲むように座った。

 

「お、揃っとるなー」

 

 眼鏡は入ってくると、カップルを見てから、唯たち三人を見た。

 

「男女で分かれよかー」

 

 七海が、手を叩いて笑い、佐々木が顔をしかめて立ち上がる。

 カップルは最後まで離れがたそうにしていたが、眼鏡に急かされて、女の子が佐々木とトレードになった。

 女の子は、唯と七海に一瞥もくれず、まぁ君を見ている。

 

 眼鏡が咳払いをする。

 

「今日は救命講習や。事故に出くわさない方がえぇけど、万一のとき、救急車が到着するまでのわずかな時間が、生死を分けることがある。できることは大きく三つ、いわゆる心臓マッサージ、そしてAEDと人工呼吸やな」

 

 眼鏡がスライドを動かすと、救急車が到着するまでの平均時間と、心停止時間からの生存率が出て来た。

 

 リアル、だな。

 

 事故に出くわしたとき、一一九に電話するのはできる気がする。

 でも、十分たらずの間の行動で、誰かの命や予後が大きく変わるとなれば、怖い。

 

 そんな責任、持てない。

 

 教科書に載っていることをテストするのとは、全然重みが違う。

 自分の将来を、自分で責任を持つのは理解できる。

 でも、他人の将来だなんて――。

 

 戸惑う内に、眼鏡が心臓マッサージの手本を示した。唯以外の全員が、もしもしカメよと歌う。眼鏡は二分間やってから、手を離した。額に汗をかいている。

 

「ほな、やってみ」

 

 七海が一番に乗り出し、次にカップルの女の子に譲った。二人で声をかけあって一分ずつやる。

 

「じゃ、次ね」

 

 唯は、胸の真ん中で両手を重ねた。マネキンのゴムの皮膚の奥に金属の固さを感じる。

 

「歌うよ~」

 

 七海の声に合わせて、押してみる。が、金属はへこまない。

 

「もっと強く」

 

 眼鏡の言葉に、力を入れようとして、戸惑った。

 

 空を見つめるマネキンは、口をあんぐりと空けている。そこに生はない。

 

 怖い。

 

「体重を両手に乗せて、ほれ、イッチニ!」

 

 言われるとおりにやるけれど、びくともしない。

 

「相原、それじゃ救えへん」

 

 急に寒くなった気がした。

 

 救えない――。

 

 原因はわかっている。

 心臓マッサージをやって、失敗するのが怖い。

 

 さっき眼鏡は、心臓マッサージで肋骨が折れることもあると言っていた。

 と、いうことは――。

 折れた肋骨が、胸に刺さったりしないだろうか。

 固くて冷たい金属を感じるように、ヒトの肋骨が折れて、ずぶりと刺さる感触を想像して、身震いする。

 

「迷ってる間に、死んじゃうよ」

 

 七海を見た。

 救急車が来るまで十分しかない。その時間さえ惜しい。

 

 でも、もし、私が最後の一撃を与えてしまったら――。

 

「もし、まぁ君がこうなったら」

 

 カップルの女の子が、つけまつげをしばたたかせる。

 

「あたしは、生きて戻ってきてくれるなら何でもする」

 

 まっすぐな言葉に、唯は目を大きくした。

 失敗するかもしれないとか、間違えるかもしれないとか。そんなことより先に、「助けたい」がある。

 

 表情のないマネキンの頬を、カップルの女の子が指で撫でる。

 

「ねぇ。まぁ君」

 

 甘い声色に、マネキンが生きているのかと思った。

 

「誰がマネキンだ! 誰が!」

 

 向こうの班から、まぁ君の大声が聞こえた。教室がどっと沸く。

 笑うと、強張っていた肩が楽になった。

 

 もう一度、マネキンの胸に両手を当てる。

 

 やってみないと、始まんない!

 

 全力で体重を、両手にかける。金属が音を立てて沈んだ。

 

「できてるよ!」

 

 七海に、続いてカップルの女の子がもしもしカメよと歌い始める。

 そのリズムに合わせて、また体重をかける。

 

 ガチャン! ガチャン!

 

 実際に人間が相手で、できるかはわからない。

 でも、マネキン相手なら、押せるようになった。

 

 

 

 

 息を切らしながら、唯はマネキンから離れた。

 

「なんか手首痛い」

 

 手首は熱を持ち、脈に合わせてズキズキと痛む。

 汗で前髪が額に張り付き、ひどい見た目になっているはずだ。

 

 それでも、迷っていたときよりは、少しだけましな自分になれた気がする。

 

「だよねー。これ、救急車が来るまで三人なら三ターンか四ターンしなくちゃだよ」

 

「マジ無理」

 

「このマネキン、まぁ君じゃなかったの?」

 

 七海の言葉に、カップルの女の子が笑う。

 

「まぁ君なら、最初に人工呼吸かな」

 

「うわぁ、生々しい~」

 

「はい、そこ。男子チームは真面目にやってるんやから」

 

 眼鏡の言葉に、三人は一斉に口をつぐんだ。男子二人が、数を数えている声と金属音が教室に響く。

 

「百三! 百四!」

 

「うわ、あっちは二分交代なんだ」

 

「タフだね」

 

 唯は、まだ痛い手首を撫でた。

 

 本当に心臓マッサージが必要になったとき、迷わずできるかな。

 

 カップルの女の子とまた話始める七海を見て、唯は、まぁ、いいかと思えた。

 

 七海なら、きっと何でもやってみる。

 私はそんなことできない。

 でも、私は七海にはなれない。だったら、せめて。

 

 掌を開き、力を込めて握り直す。

 

 迷ってもいいや。

 迷っても、やろう。

 

 

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