相原唯は免許が取りたい   作:藍色 紺

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第19話 高速講習事前、俺はおまえが怖い

「じゃ、ここまで。次は実際に高速やからな」

 

 角刈りの言葉に、生徒たちが一斉に立ち上がる。

 唯も立ち上がって、椅子を片付けながら、開いたままの教則本に目を落とす。

 

 高速道路での合流の仕方、車間距離、トンネルでの注意点。

 

 教科書をなぞるだけなら、そんなに難しくない。

 問題は、その先だ。

 

 明後日の月曜日には、実際に高速道路を走る。

 構内の二十キロが、路上の四十キロになったときでさえ、周りが見えなかった。

 百キロなんて、もう風になるしかない。

 免許を取っても、高速道路は使わない。そう決めた。

 

 教則本を閉じた。

 

「相原」

 

 嫌な予感に、リュックを開こうとした手が止まる。

 

 顔を上げると、ホワイトボードの前で角刈りが腕を組んでいた。

 思わず、隣にいたはずの佐々木を探した。

 

 佐々木の腕を見て、唯は、小さく息をついた。

 

 よかった。

 一対一じゃない。

 

「はい」

 

 角刈りが三白眼でじっと唯を見ている。

 

「視力はいくつや」

 

 高速教習だから? なんで私にだけ聞くの?

 

 唯は、角刈りの細い目をじっと見ながら、応える。

 

「両目共二・〇です」

 

「お前、浪人生とちゃうかったか?」

 

 返事に詰まった。

 そういう話、ここでするかな!?

 

 思わず、教室内を見渡した。

 今、教室に残っているのが佐々木だけでよかった。

 

 それにしても――。

 

 角刈りは諦めるつもりはないのか、唯の返事を待っている。

 

 なるほど、教習車で実家に帰っちゃえる人ってことだよね。

 

「浪人と視力と、何か関わりがありますか?」

 

 なるべく苛立ちを押えたつもりだが、漏れ出てしまったのなら仕方がない。

 失礼なことをしかけてきたのは、角刈りだ。

 

「勉強頑張る人は、目が悪いやろ」

 

「偏見、ですよ」

 

 目を細めて、頬を意識して上げる。

 心に宿った黒い炎が、笑顔になって角刈りへと飛んでいく。

 

「いいや。真実やろ」

 

 炎は、デリカシーのなさの前に後片もなく消された。

 

 私なら、反論しない。

 それが、何の躊躇いもなしにできるってことは、自覚がないタイプだろう。

 こうなったら、私も笑顔だけで押収するわけにはいかない。

 

「先生は、視力いくつなんですか?」

 

 私から質問が来るとは思わなかったのだろう、角刈りは小さな目をしばたたかせた。

 

「りょ、両目共二・〇や」

 

「お揃いですね」

 

「え?」

 

「一緒ですね。私と」

 

 フフフと笑ってあげる。

 皆までは言うまい。

 私が勉強してなさそうだと言うのなら、角刈り、お前もや!

 

 角刈りが、わずかに身を引いた。

 黙り込み、ホワイトボードに書いた文字を消した。

 

 失礼なことを言ってきたわりに、あっさり終わったな。

 こういう人って、しつこいイメージがあるけど……。

 

 まぁ、あっちが黙っている内にさっさと帰ろう。

 

 手早くリュックのチャックを開ける。なのに、角刈りは、唯に黒のマーカーを突き付けてきた。

 

「ほれ、ここに名前書いてみ」

 

 右手で、ホワイトボードを軽く叩く。

 

 聞こえよがしな溜息をつく寸前、隣で待っていた佐々木が横からマーカーを取ってくれた。

 

「僕が先に書こうっと」

 

 ゆるパーマをふわふわさせながら、佐々木がホワイトボードに名前を書く。

 

「どうですか?」

 

 佐々木に反応はなく、角刈りは腕組みを崩さない。

 仕方なく、唯は佐々木と離れたところに相原唯と、書いた。

 角刈りが唸る。

 

 何? 字が綺麗とか、くせ字とか、言いたいわけ?

 

 佐々木の字は、のびやかでお手本のようなのに、唯の字は角ばっている。

 

「字はな、性格が出るやろ」

 

 角刈りが、唯の名前を指でなぞる。

 

「おかしいな。普通は右上がりやねん」

 

「私も、右上がり、ですよね?」

 

 じゃあ、何。私を普通だと思ってないってこと?

 

 眉が吊り上がるのを、頬を上げるので誤魔化す。

 

「あかんわ。安心材料が何もない」

 

 その言い方だと、私が不安にさせてるみたいじゃない?

 

 角刈りが、降参だとでも言うように組んだ手をほどき、頭を抱える。

 

「俺はな、こう見えてもその筋のもんに恐れられてるんや」

 

 でしょうね。とは言わないでおく。

 

「でもな」

 

 角刈りが真顔になる。

 

「俺はおまえが怖いわ」

 

 ……え?

 

 唯は、反応に困って、ただ角刈りを見返した。

 

 私は喜べばいいの? それとも怒るところ?

 今まで、怖いなんて言われたことがない。

 

「どういうことです?」

 

「おまえ、補助ブレーキ踏ませたことないねんて?」

 

 今のところ一度もないから、頷くしかない。

 たぶん、だけど、皆の話を聞く限り、比較的安全運転のはずだ。

 眼鏡と雑談も欠かさないし、悪い生徒ではないだろう。

 

「高速教習は俺がすることになってるねん」

 

 角刈りは、俯いて、教材を手で集めた。

 私の高速教習を指導するのが怖いって、そう言ってるんだろうか。

 

 なんで?

 思い切りのいい七海の高速教習の方が怖い気がするけど。

 

「高速は『右右右』とかないで。曲がるとこないねん」

 

「知ってますよ!」

 

「そうか? 『左折すると決めてた』とか言うて、逆走すなよ」

 

「――、誰に聞いたんです?」

 

「俺にツッコミはいらんで」

 

「しませんって!」

 

 吠えるように返事して、肩で息をする。角刈りは、細い目で唯をじっと見た。

 

「その日は、母ちゃんに会ってから高速教習するわ……」

 

 かーくーがーりーーー。

 

 心の中で、低い声で呼ぶ。

 

 眼鏡との講習内容が、ほぼ筒抜けなのは間違いない。

 おかしいのは、それで勝手に怖がられていることだ。

 

 一つずつは、他愛のない話のはずなのに、どうも私の信頼は失墜している。

 

 その筋の方でさえ怖がる角刈りが、恐れるほどに。

 

「あ、高速教習は僕も一緒だと思うので、よろしくお願いします」

 

 角刈りは、顔を上げて、初めて佐々木がそこにいることに気が付いたようだった。

 

「佐々木はえぇねん」

 

「私はよくないってこと!?」

 

 吼えるように聞いた唯を残して、角刈りは逃げるように教室を出て行った。

 

「なんか大変だったね」

 

「もう! なんだったの!?」

 

 もう一度叫んで、肩で息をする。

 

「一回しか教わったことないのに、失礼なやつ!」

 

「え、一回だけ?」

 

「そうだよ。坂道発進だけ」

 

 片付けそびれていた教則本をリュックに入れて、勢いをつけて背後へと回した。

 

「僕、だいたいの先生とまんべんなく教わってるよ」

 

 勢いを止めるのを忘れたリュックが、机に当たった。

 

「眼鏡ばっかなのは、私だけ?」

 

「楽しそうだよね」

 

「楽しいよ。でも、筒抜けって知ってたらあんなに話さなかったのに。無線なのかな」

 

 そういえば、無線講習のとき、どこもボタンを押さなくても、教習車の声は全部王子に聞かれていた。

 あの装置を使えば、聞き放題なんじゃないかな?

 

 佐々木があいまいに微笑んだ。

 

「そこはまぁ、僕らが教官の話をするのと一緒でしょ」

 

 反論できず、黙ってリュックに腕を通す。

 

「じゃあ、眼鏡は角刈りにめっちゃ私のこと話してるってことか」

 

 背負ったリュックを動かしてから、歩き出す。

 

「たぶん皆、相原さんのこと、気にしてるんだよ」

 

 皆?

 

 佐々木の顔を見て、受付のおばちゃんを思い出した。

 

「なんで」

 

「さぁ?」

 

 階段を下りて、受付の向こうの教官室を見た。

 窓越しに、眼鏡が角刈りと話しているのが見える。

 

 たぶん、私の話だ。

 怖かったって、言ってるのかな。

 

 失礼な話である。

 

 

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