教習車の前で、角刈りが、唯と佐々木を呼んだ。
隣には、小柄で頭のてっぺんでお団子を結う女の人がいる。
「今日一緒に乗るもん同士、挨拶しとこか」
唯と佐々木に続いて、お団子の人が会釈する。
「鈴木です」
「鈴木です、ちゃうやろ。ちゃんと全部言うとけ」
「え~」
角刈りに睨まれて、鈴木さんがくねらせた体を止めた。
「私ぃ、教習所に三年通っててぇ」
三年!?
衝撃に、思わず佐々木を顔を見合わせる。
「教習所って、卒業までに期限があったハズじゃ?」
「そーなのぉ。もういくら払ったか覚えてない~」
眩しくて真っ直ぐ見られない。一度落ちるだけでお札が羽ばたいていく幻を見る私とは正反対だ。
「それはまた、どうしてなんです?」
佐々木の言葉に、鈴木さんはえへへと笑って他所を向いた。角刈りがお団子をわしづかみにすると、情けない声を出して前を向いた。
「今日は高速教習や、命を預ける相手にちゃんと説明せんかい」
「え~。みきわめ通してくんないしぃ、怒られるのが嫌だから来なかったら、期限切れちゃって~。親には怒られてまた通うの繰り返しぃ」
恥ずかしそうに体をくねらせる鈴木さんを見て、角刈りが頭を掻いた。
「あの~」
佐々木が遠慮がちに、手を上げた。
「念のためお聞きしますが、高速教習に行ってもよいと大久保先生はお考えでしょうか」
角刈りが、片方の眉を上げた。
「わしがついとる。生きて帰るで」
おかしくないだろうか。
ついおととい、私が怖いと言ってきたその教官が連れてきた生徒の方がもっと怖い。
となると、今回の高速教習は、三年目にして高速教習にたどり着いた鈴木さん、角刈りが恐れる私になる。とばっちりを受けてるのは――。
隣を見上げると、佐々木も私へと振り向いたところだった。
「なんか、凄いメンバーになったね」
「マイナスにマイナスをかけたらプラスになるしね」
うん? 誰がマイナス枠?
私と鈴木さん――なら、たしかにプラスになる。
でも、角刈りがマイナスなら、またマイナスになるわけで。
どう考えても、佐々木はプラスだ。
「それって、プラスになるって話?」
「もちろんだよ」
佐々木は感じよくにっこり笑った。
佐々木らしくないな――。
誰のことも悪く言わないのに、マイナス扱いしていることに気づいていないらしい。
よく見たら、表情が硬い気がする。
あぁ。佐々木も、怖いんだ。
佐々木を真似て、口角を上げてみる。角刈りと目が合った。なぜか、向こうも少し引きつっている。
「ほ、ほな、最初は鈴木さんからや」
角刈りの言葉に、三人で教習車に乗り込む。唯はシートベルトをいつもよりも入念に体に沿わせた。
カチリ、と音がした。
今日ほど、この音を頼もしく思ったことはない。
Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ Ꮺ
「合流やで、加速加速!」
高速道路への斜めのスロープを上ったところで、角刈りが大声を出した。
「えぇ~、無理ぃ」
「無理ちゃう! 踏めぇ!」
角刈りの言葉に、エンジンが唸った。身体がシートに押し付けられる。ウィンカーの音がした瞬間、ギャンっとタイヤがうなり、車体が右レーンにスライドした。
「急すぎるわ!」
「だって、踏めってぇ」
思わず両腕をぎゅっと抱え、身体を丸める。隣を見ると佐々木も体を強張らせて、青白い顔をしている。
「よし、よしよし」
角刈りチラッとバックミラーを見て、目が合った。
「わし、平日にしか高速の講習はせぇへんことにしてんねん。なんでかわかるか?」
一瞬、沈黙が訪れた。鈴木さんが「え~」と反応したところで、命の危機に唯がいきおいよく手を上げた。
「高速道路を使う人が少ないから!」
「正解や。一車線しかないからな。教習車で詰まったら、後ろが地獄やろ」
「なるほどですね」
どうでもいいから、鈴木さんを運転に集中させてあげて欲しい。
祈るような思いで、シートベルトを握る。
「ほな、なんで鈴木さんを一番にしたかわかるか?」
唯の願い虚しく、角刈りの質問に鈴木さんは「わからな~い」と返事した。
こうなると、角刈りが何がなんでも鈴木さんを交えて話がしたいように感じる。
唯は諦めて、いつでもダンゴムシのポーズができるように身構える。
「最初のコースが一番真っ直ぐやねん」
「つまんな~い」
「眠くならんように話かけたっとるやろ」
「え~、もっとおもしろい話ないです?」
「ないわ。どんだけお前と喋っとると思ってるねん。こないだかて」
二人にしかわからないような話が始まり、唯は佐々木をもう一度見た。ロボットのようなカクカクした動きで、佐々木の首が唯へと回る。
そして、ふっと後ろを見た佐々木の目が大きくなった。
次の瞬間、顔が前へ戻る。
「後ろ、列になってますよ」
え?
振り返ると、車が三台詰まっている。一番後ろのトラックはイライラしているのか、車体を左右に振っている。
「あちゃあ、まだあかんかったか。ほら、八十くらいまでは出しや」
「言われた通り六十だったのに」
「しゃーないやろ。わしらだけの道ちゃうねん」
エンジンが唸り、唯は今度こそ衝撃に備えた。想像通り、急加速が来て、後続車がやっとバラける。
「なるほど、高速の下限速度五十を超えて走る計画だったんですね」
「そうやで、わしかて死にたかないでな」
佐々木の言葉に角刈りがサイドミラーを確かめる。
「車間距離、空いたやろ。今のが高速の車間距離や」
等間隔に見える後続車に、唯は頷いた。
これが、高速の“流れ”なんだ。
自分だけの速さで走るんじゃなくて、周りに合わせて進んでいく。
その後、サービスエリアで佐々木が運転手になった。一度高速を降りて、今度は唯が運転手になる。
「あぁぁ。上るところからだ」
トホホとハンドルを握る。頭に響くのは、さっきの角刈りの声。
まるで鞭を持って追いたてられるように、運転したくはない。
あれでは、急ブレーキ実習だ。
「じゃあ、高速に乗りますね」
スマートインターチェンジで、ETCカードが喋るのを聞きながら、唯はゆっくりとアクセルを踏んだ。
お手本はさっきの佐々木。
言われる前に、加速すればいい。
普段ならありえない域までアクセルを踏み、合流するレーン後方を見る。
後続車は遠い。
「合流します!」
ウィンカーの音に合わせて、ゆっくりハンドルを切る。
右の車線に、車体がするりと滑り込んだ。
……入れた。
目的だった八十キロまで加速して、アクセルを緩める。
前と後ろの車との距離が一定を保っていることを確認して、唯は息をついた。
景色が一定だからか、路上に出たときほどは怖くない。
後ろから、佐々木が小さく笑ったのが聞こえた。
「何よぉ」
笑うと、佐々木がシートにもたれかかった気配がした。
「相原さん、最初の頃と全然違うね」
「そぉ?」
「ちゃんと、自分で決めてる」
その言葉に返事をする前に、角刈りがぼそっと言った。
「ほんまに補助ブレーキ踏まんで済みそうやな」
角刈りの声に、唯は小さく笑った。
私が怖いなんて、そんなのあるわけない。
窓の向こうを、見慣れない標識が流れていく。
隣県までの七十キロとあった。
「高速って、こういうことなんだ」
「どういうこと?」
後ろで鈴木さんと話していた佐々木が、身を乗り出した気配がした。
「思ったより、遠くまで行けそう」
口にしてから、自分で驚いた。
ついこの前まで、教習所まで来るだけで精一杯だったのに。
「そうだね」
佐々木が前を向いたまま笑う。
「神戸とか大阪も、すぐだよ」
神戸大阪?
その言葉を頭の中で転がしてみる。
多くの同級生が進学し、そのまま帰ってこない都会。
今まで、遠いと思ってた。
でも今日は、不思議とそうは思わない。
行こうと思えば、行ける。
自分で選んで、アクセルを踏めばいい。
「凄いね。なんか世界変わったかも」
「凄いよね」
三人で免許が取れたら、どこに行きたいか話し始めると、角刈りがあくびをした。
「言うとくけど、神戸大阪には車で行かん方がええで」
「どうしてです?」
「田舎で免許を取るお前らには、地獄や」
意味が分からず、三人揃って黙る。きっと後ろの二人は顔を見合わせているだろう。
「お前らは渋滞を経験したことないやろ。それに、車停めるとこないねんで」
こてこての関西弁を喋るからにして、角刈りは都会から来た人なんだろう。
「あと、駐車場を借りるのも高い」
「駐車場を……借りる? お金を出して?」
家族の人数分、車がある。唯たちにとって車は、自転車みたいに家の周りへ停めておくものだ。周りに迷惑にならなければいい。
「そうや。場所によったら家賃くらいするで」
「えー!?」
大合唱に、角刈りの頬が緩む。
帰りは、四人で都会に出た田舎者あるあるを聞きながら帰った。
高速を降りても、世界は少し広がったままだった。