相原唯は免許が取りたい   作:藍色 紺

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第21話 卒業検定、止まれ

 いよいよ卒業検定だ。

 一番大きな教室に入って、いつもと違う雰囲気に立ち止まった。

 

 佐々木に七海、他の合宿生。騒がしいはずなのに、今日は皆黙っている。

 

「相原、席はそこ」

 

 眼鏡の言葉に、佐々木と七海の間に座る。

 

「雰囲気なんか違うね」

 

「教官が袖捲りしてないしね」

 

 七海の言葉に確かめてみると、今日はネクタイをしてるし、Yシャツのボタンも一番上まで止まっている。

 

 わざと仰々しくしてる、のかな?

 だとしたら、その企みは成功だろう。

 

 佐々木は、膝の上に手を揃えたまま、微動だにしないし、七海でさえ、最初の一言以外のお喋りはせずに、教則本を開いている。

 そんな二人の間で、唯は小さく肩を回した。

 

 緊張しすぎる方が、よくない。

 

 自分が緊張に弱い自覚があるからこそ、今日は周りに流されずに、マイペースにやるつもりだ。

 

 高速だって乗れたし、自主経路だって何とかなった。

 卒検だとしても、やることは同じのはずだ。

 ちゃんと見て、ちゃんと確認して、いつも通り走ればいい。

 

「今日は卒業検定ですから、いつもみたいにアドバイスはありません」

 

 眼鏡の声で、説明が始まった。

 いつもの関西弁でもなく、厳しい表情でみんなを見渡す。

 

「減点方式で採点します。大きいミスは、その場で検定中止となりますので、ご注意ください」

 王子の説明が続き、教室の空気がぴんと張る。

 その中で、唯は少しだけ安心した。

 

 減点方式なら、全部できなくてもいいってことになる。

 多少ミスしても、大丈夫って思おう。

 私なら、一発中止みたいな危険運転はしないはずだ。

 

「特に注意して欲しいのは、この白線や」

 

 角刈りの言葉で、スクリーンに、見慣れた写真が映る。

 

 あ、知ってる。

 路上に出てから何度も通った道だ。

 

「白線、見えるか?」

 

 光に照らされるのもお構いなしに、角刈りがスライドの一部を指さした。

 

 あそこか。

 たしかに、ちょっと見えにくい。

 

「ここで停車して、検定終了や」

 

 はいはい。

 最後にそこへ止めればいいんだよね。

 第三コースに当たれば、問題なし、だな。

 どのコースよりも多く通っている。交通量も多くない。

 

「白線をまたぐ前に、必ず一時停止すること。消えかけていますが、白線はあります」

 

 その言い方に、唯は少しだけ首を傾げた。

 停める場所なんだから、そりゃ停まるでしょ。

 

「一時停止違反は減点二十点。つまり――」

 

 その先は、もう聞いていなかった。

 不合格、ってことだろう。

 でも、そんなところで落ちる人、いるのかな。

 

 視線を横にやると、佐々木も七海も真剣な顔でスクリーンを見ている。

 

 みんな、緊張しすぎ。

 大丈夫。

 こういうときこそ、力を抜かないと。

 

 卒検の後、免許センターで本番の試験があるっていうし、教習所としては、ここで厳しくしておかないと、本番で落ちてしまう人がいるのだろう。

 高校の評価にある進学率みたいなものが、教習所にもあるのかもしれない。

 

「それから――」

 

 眼鏡の声は聞こえているのに、言葉は頭に入ってこない。

 

 代わりに、自分に言い聞かせる。

 

 大丈夫。いける。いける。

 流れを、意識すれば高速だって乗れた。

 流れと、余裕が大事なはずだ。

 

 大きく息を吸って、ゆっくり吐く。

 

 試験って、いつもそう。問題を難しくしているのは、自分の緊張。

 だから今日は、余計なことは考えない。

 

 

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 すごくいいんじゃない?

 

 くじ引きであたったコースは、第三コース。

 慣れた道を、佐々木と七海、眼鏡を乗せて走るだけ。

 

 キープレフトもできてるし、速度もいい、歩行者もほとんどいないし、自転車はいない。

 

 眼鏡でさえいつものお喋りをせず、検定表にペンを走らせる音だけが聞こえる。

 シャッと、〇を書いているのが分かる音を聞くたびに、かすかに残っていた不安が消える。

 ×の音は一度もない。

 後ろに乗ってる二人の緊張がうつることもない。

 

 いける。

 今度こそ、本当に。

 

 道路が広くなり、停車位置が見えた。

 方向指示器を出して、丁寧なポンピングブレーキで、速度を落とす。

 

 白線をまたぎ、指定された場所へ車を寄せる。

 停車位置にぴたりと車体が収まった。

 

 やったぁ!

 

 嬉しくて、眼鏡を振り向いた。

 眼鏡が息を吸う。

 

「一時停止違反、不合格です」

 

 サイドブレーキを引こうとしていた腕が固まった。

 

「え?」

 

「今の、検定前にスライドで見せたやろ」

 

 眼鏡が硬い表情のまま、溜息をつく。後ろの二人も後を追った。

 

「何が?」

 

「白線が消えかけるけど、あるから、必ず一時停止してからまたげって言うたやろ」

 

 記憶の中の、角刈りの短い指が指したスライド、王子の声に、目の前の眼鏡の厳しい視線が重なる。

 

「そんなん、私知ってるしって顔してたやろ。正解を知ってても、意識せなできへん。わかるか」

 

 唯は声も出ず、ただ一度頷くことしかできなかった。

 

 竜巻のように、高速講習からの自分の気持ちが胸をかき乱す。

 

 補助ブレーキ踏まれたことない。

 何度も走ったことある。

 第三コースなら余裕だと思った。

 卒検なんて、緊張しなければ大丈夫だと思った。

 

「運転手交代や、次、佐々木」

 

 外に出て、佐々木と場所を代わる。

 佐々木は、私を見た。

 強張った頬に、佐々木は正しく緊張できてるとわかる。

 

 普段ゆるくしてても、ちゃんとしなきゃいけないときはできる。なのに、私は――。

 

 何か言いかけた佐々木に返事もできず、後部席に座る。

 それから、七海の検定もあったはずだけど、何も覚えてない。

 

 

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 暗い部屋で、灯りもつけずにベッドに横になった。

 あれから、バイトに行って、店長とゲンさんにやらかした話を報告した。

 

「え、卒検って途中で終わることあるの?」

 

 店長の素直な驚きに、笑うしかなかった。

 

「まぁ、次受かればええやん」

 

 ゲンさんはそう言ったけれど、そういう話じゃない。

 

 蛙の大合唱に、唯のうめき声が混ざる。

 

 佐々木と七海、心配してるだろうな。

 

 誰とも顔を合わせずに走って佐藤マートに逃げた。

 

 二人に会うのは、検定翌日の卒業式で最後になるはずだった。

 だから、三人でラーメンに行く約束をしたのだ。

 

「そんなん、私知ってるしって顔してたやろ。正解を知ってても、意識せなできへん」

 

「思ったよ! 知ってる道だったもん!」

 

 白線が消えてるなんて、スライドで何度だって教えてもらった。

 白線をまたぐときは一時停止。

 S字でもクランクでも罠やでって、眼鏡に言われ続けたことだった。

 

 なのに!

 

 正解を知ってるだけじゃ、できない――。

 

 正解が知りたかった。

 こうしたら合ってる。間違わない。怒られない。

 

 ずっと〇だったのに、最後のたった一回で中止だなんて――。

 不合格でもない。

 中止だ。

 

 全否定されてるみたいで、苦しい。

 これまであんなに努力してきた。

 朝から夕方までバイトしてからの、教習所。

 土日は教習所と夏期講習。

 

「もうヤダ。もう無理」

 

 高速講習までに三年かかった鈴木さんの気持ちがわかる。

 こんな恥ずかしくて、悔しいのに、また教習所に行くなんて無理。

 

 どんな顔して、眼鏡に会えばいい?

 

 眼鏡の起こった顔を思い出すだけで、嗚咽を上げそうになる。

 

 いつも冗談しか言わないくせに。なんであんな怒るの?

 

 私のせいだってわかってる。

 でも、嫌だった。

 

 正解がいい。正しいのがいい。

 間違えたくなんてない。

 

「自分で選ぶのが、正解だから」

 

 いつだかの佐々木の言葉を思い出して、タオルケットを蹴った。

 

「自分で選んだのが間違いだったもん!」

 

 緊張しぃだから、緊張しないように装ったのに。

 

「全部アドバイスだろ。否定じゃないよ。だって、ここ教習所だし、そういうとこでしょ」

 

 両足で、仮想佐々木を蹴る。

 夏休みに、教習所に通うことに溜息をついたママにも、応援してくれなかったパパにも腹が立つ。

 

 絶対、免許取ってやる。

 それで、大学にも受かってやる!

 

 起き上がって、丸まったタオルケットを抱きしめる。

 

 ここまでは褒められてた。

 大筋は合ってるはずだ。

 いつもの私らしくいれば――。

 

 緊張しなさすぎもダメ、冷静にその場にあった判断をすること。

 慎重に、私の正解を探しさえすれば――。

 

 暗闇の中、スマホが光った。

 通知が目に入る。佐々木だった。

 

「相原の次の卒検、明日の午後に予約入れた」

 

 心配してくれている受付のおばちゃんと佐々木の顔が浮かんだ。

 

 さっきまで蹴っていた顔だ。

 卒検まで、唯は一度も予約を入れないままで来ている。

 

「本当、迷惑かけっぱなし――」

 

 返事に迷っていると、新しい通知がポップアップした。

 

「明日の午前中、卒業式の後、大阪に帰る」

 

 まただ。

 また、私だけ、受からなかった。

 

 七海も、佐々木も、教習所を出ていく。

 私だけ、元に戻る。

 また、私だけ、田舎に残る。

 

 スマホの灯りに照らされて、唯の目から涙が頬をつたい、枕に落ちた。

 

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