朝、八時。
案外人乗ってるな。
通勤ラッシュの車に挟まれたバスに乗るとき、唯は先に乗っている人の数にひるんだくらいだ。
バイト用のバスは、ほぼ唯の貸し切りだ。
みんな、どこに行くの?
同じくらいの若者もいれば、親や祖父母くらいの年齢の人までがバスに乗っている。スーツの人はほとんどいないから仕事ではない。
その誰もが押し黙り、厳しい表情をして乗っている。
どこに行くかというより、どこに連れて行かれるのかって感じだね。
心の中で、ドナドナが流れ始めた。
それにしたって、免許センターって遠い。
免許を作りに行くのに、車がないと不便なところにあるなんて、不思議な感じだ。
今日は学科試験を受けて、免許交付をしてもらう。
たったそれだけのはずなのに、なぜこんな朝早くに行かねばならぬのか。
佐藤マートの店長は、快く一日の休みをくれた。けれど、唯としては午後からでも出勤したかった。
急ブレーキにふんばりながら、唯はバスの外を見た。
「免許ゼミ 不合格の場合は全額返金!」「一発合格の裏校はここ!」派手な文字の塾が軒を連ねている。
どういうこと?
バスが動き、次の塾が見える。
「免許教室 免許一発合格 朝五時~」
一発ってやつだ!
教習所には通わずに、学科と技能の試験を免許センターで受けることができる。そんな噂を聞いたことがある。
教習所でさえ、あんなに大変だったのに、一体どうやって?
私なら、教習所なしには合格はありえない。
羨望の目で看板を見てしまう。
もし、一発で合格できるなら教習所にかかった費用はいらないってことだ。
それを不合格なら返金と言える塾が凄い。
有名予備校より合格率高そう。
これまでの学校では経験のない雰囲気に、居心地悪く、免許センターへの車内アナウンスに、すぐさま降車ボタンを押した。
免許センターに着くと、乗客のほとんどが下りた。
え? あのバスに乗ってた人って、免許センターに行くの?
誰も話一つせずに、さっさと灰色の建物へと歩き出す。
唯は、アーケードにぶら下がった案内図に目を凝らした。「更新手続き」「指定校卒」「学科試験」の文字があり、バスから降りたほとんどの人が、「更新手続き」の列に並んだ。
あ、本当に免許センターに行く人だった。
こんな田舎に、これほどの人が平日に集まる場所があることに戸惑いながら、唯も「学科試験」の列に並ぶ。
前にいる人が、他所の教習所の封筒を持っていて、小さく息をついた。
初めて行く場所に、知っている人がいない感覚には、まだ慣れていない。
ここらじゃ、小学校から中学校だけでなく、高校もエスカレーターの感覚で知っている人が多い。
大学受験で、初めてアウェーを知るのだ。
困ったら助けてくれる人はいない。しっかりしなくちゃ。
八時半になり、列が動き出した。
前の人について建物に入ると、前の人たちは自販機のような物で何か小さい物を買っている。
「試験手数料として 千二百円、交付手数料として二千三百円の証書をご購入ください」無機質なゴシック体を見て、唯は慌てて財布の中を確認した。
高い! ってか、証書って何?
慌てて職員を探すが、どこにもいない。誰にも質問できないまま、唯の順番になった。
全員買ってるし、合ってるんだよね?
もし間違ってたら、クーリングオフってできるの?
青ざめながら、それでもお金を投入した。ボタンを押して出て来たのは、切手みたいな薄っぺらい紙。
こんな物が二千円もする? 誰かに騙されてるんじゃなくて?
二度見したとき、後ろの人に咳払いされた。飛び上がるように列から離れる。
後方には、まだ長い列ができていた。
あってる、ハズ。
唯を追い抜いた咳払いの人を追いかけて、作業台で、買ったばかりの証書を書類に張る。
作業台に書かれている七番窓口への流れに沿い、見知らぬ建物を歩き出した。
なんか、変なの。
大変な訓練を終えて卒業し、実力は証明されている。なのに、免許センターは無機質で、おめでとう感がない。
おめでとう、を期待してる? なんで?
子供っぽい自分の感覚に戸惑いながら、唯は自分に聞いた。
あ、私、入学式と比べてるんだ。
桜サク、あの感じ。
寒さがほころび、暖かさにおそるおそる動き出す。不安と期待がないまぜになった中、おめでとうと繰り返されるから、前に進んでいいと自信が持てた。
七番窓口で書類とスマホの予約画面を見せ、今度は視力検査の列に並ぶ。
あ、これ、アレだ。
考えずに感覚で動ける工夫に、唯は知らず知らずのうちに口をヘの字に曲げてしまう。
今、私はパン工場のパンなんだ。
ベルトコンベヤーに乗せられた感覚で、機械的に視力検査を受ける。
右、左、下、わかりません。
「はい、逆にしてください」に返事をしなくても、進む。
自分の番号がある机に座って、今度はそろって学科試験。
一定の数が揃うまで待機して、揃ったらオーブンで焼かれるみたいに、「始め」の掛け声に、机に向かう。
試験監督の声に従って、スマホの電源を落とし、机に向かう。
学科試験が始まると、なぜか肩の力が抜けて手を動かせた。それで、緊張していたのだとわかる。
試験は嫌なはずなのに、十二年間テストを受けるを続け、免許センターでは一番馴染みのある行為なのだと気づいて、密かに笑ってしまう。
試験は教習所でした効果測定と大きな変更はなかった。結果が出るまでの間に、指示通りの場所で、指示通りに登録カードを発行した。
ここは、こういう場所なんだ。
誰かと無理に仲良くしなくてもいい。
ただ他人が目的のために集まっただけ。
電光掲示板に自分の番号があるのを確かめて、唯は小さく頷いた。
ベルトコンベヤー的に写真撮影が終わり、交通安全協会からの話を聞きながら、免許ができあがるのを待った。
おめでとうございますの一言もなく、係の人から、免許を見せられる。
「住所、お名前、生年月日にお間違えないでしょうか」
待って。これ誰?
ツヤツヤの免許の名前は、確かに唯のはずなのに、写真が違う。
「え、あぁ。はい」
怪訝そうに唯を見て、免許の説明をしてくれるが、まったく耳に入らない。
私、だよね?
免許の写真は、想像の自分よりもブスだった。
目を細め、顔色は悪く、疲れたようにやつれている。おまけに無理に出させられたおでこは、前髪が奇妙に割れて、ニキビが見える。
髪型も服も今日の唯と同じだ。
無意識って怖っ。
唯は、心の自画像レベルを三レベルほど落とした。
普段のスマホには、こんな写真は一枚もない。
嬉しいはずの免許を、二度と見たくなくなり、唯は財布の奥にぐいぐい押し込んだ。念入りに財布を閉じる。
もし万一、身分証明を見せろって言われたら――。マイナンバーカードにしよう。
帰りも流れに沿ってバスに乗った。
もう免許を持っているのに、バスなんだよね。
なんか不思議。
免許を取るとか、成人するとか、誕生日が来るとか。
特別だと思っていたことが、迎えてみれば、何てことはないただ普通の一日だ。
でも、もう運転できる。
車さえあれば。
車、どうしようかな。