相原唯は免許が取りたい   作:藍色 紺

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第3話 はじめての技能教習、曲がれません

 白い車がズラリと並ぶ場所に出て、唯は56番を探す。

 今日は初めての技能教習だ。

 唯は握りこんだレシート状の紙をもう一度確かめた。

 教習所に来るなり、ロビーにある機械にIDカードをかざし、発行した配車券には、やはり56番とある。

 

 合ってるはず。

 

 教習が始まる5分前には、車で待っていることになってる。

 何てことはない、学校やバイトと同じだ。

 同じはずなのに、なぜか鼓動が早い。何度も出て来たドアを見て、周りを確認してしまう。

 ロビーに数人いたはずなのに、同じように教習する人は誰もいない。

 

 せめて、誰か一緒の人がいたらいいのに。

 

 配車された車の横で待つことになっているが、どうにも落ち着かない。

 西日が白い車に反射して、まぶしく、汗が頬をつたう。

 

 横というからには、車の側面であることに間違いはないはずだ。でも、前のドア付近もあれば、車の頭でも、後ろでも横といえるだろう。

 

 どこが正解なんだろう。

 もし、違うところに立っていたら――。

 

 唯の脳内で、頬に傷を持つ角刈りの教官が、白目の多い目で唯を睨む。

 

「これのどこが車の隣だぁ?」

 

 教官が、ボンネットを叩く。

 

「やり直し! 補習だ!」

 

 チャリ~ンと、五千円分の硬貨が落下する音がする。

 

「相原さん?」

 

 声に頭を上げると、眼鏡の少し眠たそうな教官が立っていた。

 

「は、はひ!」

 

 噛んだ。

 

「56号車、相原さん。今日が初めての技能教習だね。よろしく。教官の―」

 

 よかった。立ち位置はあってたみたい。

 教えてくれた名前が、脳内で消えた。

 

「では、まず、乗車前の確認からしましょう。車の前後を回って、障害物や小さな子供がいないか確認しましょう」

 

 教官の後について回る。

 

「はい。いいですね。では、車に乗りましょう」

 

 迷わず助手席側のドアを開けようとして、咳払いされる。

 

「運転するんでしょ。相原さんはあっち」

 

 顔を真っ赤にしながら、運転席に収まった。

 

「あぁ、暑い。早いとこエアコンまでいくよ」

 

 シートベルトをし、サイドミラーとバックミラーの角度を合わせる。

 

 へぇ、こんな風に見えるんだ。

 運転席から見える景色は、いつもの助手席とは違った。

 

「じゃあ、ペダルね。絶対覚えて欲しいのが、真ん中。これは何かわかる?」

「ブレーキです」

 

 学科と教則本で予習復習してある。これなら答えられる。

 

「正解。迷ったら踏むのは、それ。困ったら踏むのもそれ、とにかく、迷ったら踏む。はい、右足で踏んでみて」

 

 右足に力を込める。とにかく踏む。

 

「いいですよー。では次、左がクラッチ、右がアクセル。踏んでみて」

 

 教官の声かけでクラッチ、アクセルと踏む。

 

「優秀~。じゃあ、シフトいこうか。まずニュートラル」

 

 教官が言うようにシフトをぐっと入れる。案外簡単だ。

 

「じゃあ、エンジンかけようか。そろそろ熱中症になりそうや」

 

 乗り込むときに外気を取り込んだけれど、確かに車内は危険なほどに暑い。

 

「サイドブレーキOK、それで……ニュートラルになってて」

 

 声を出して確認しながら、一つずつ復習していく。

 

「クラッチ、ブレーキ、キーを回して」

 

 言われた通り、鍵を回すとエンジンがかかった。

 

「警告灯を確認」

 

 言いながら教官は、エアコンの風量を最大にした。ぬるい風が吹きつける。冷たい風が出る前に、教官は「じゃあ、進んでみよう。一速に入れて、クラッチをゆっくり離しながら、ゆっくりアクセルを踏んでみて」と言った。

 

 言われるがままに、左手でシフトレバーを操作する。左足でクラッチをゆっくり離しながら――。

 

「あの、私、足が二本しかないんですけど」

 

「奇遇やな、わしもや」

 

 ニコリともしない教官が「それで?」と続ける。

 

「ブレーキ踏みながら、アクセルは踏めません」

 

「キャンノットやないで、いつだってアイキャン」

 

 うぅん? 言われたことの意味を考える。

 

「あぁ、キャナットかぁ。あはは」

 

「発音下手とか言うな。ほらやってみぃ」

 

 教官が手の平を足に見立てて、架空のクラッチ操作をしてくれる。

 唯はどうにか真似をしてみた。

 車体が揺れる。散歩に行くときの犬のリードのように前へ前へと出ようとする。

 

「できただろ。ほらアイキャン、ウィーキャン、アクセルを少し踏んで、ゆっくり前に出るで」

 

 のろのろと車は動き始めた。

 

「アクセルもう少し踏んで」

 

 教官が隣からハンドルを動かしてくれる。アクセルを踏むと車が唸った。

 

「メーター見て、回転数三千くらいで、二速につなぐ」

 

 教えてくれる通りにクラッチを踏み込み。シフトレバーをガコンっと二速に入れる。クラッチを離しながら、アクセルを踏む。

 

 一瞬、前に出る。

 車が死んだ。

 

「はい、やり直し。サイドブレーキ、ニュートラル」

 

「ブレーキ、クラッチを踏んで」

 

 教官の後を追ってエンジンをかける。

 

「一速~、二速~」

 

 のんびり声に合わせて、今度は慎重にクラッチを離しながら、アクセルを踏んだ。

 

「できたぁ!」

 

「はい、おめでとう。じゃあ、曲がろう」

 

「は?」

 

 凄く嬉しかったのは一瞬。

 曲がれる自信は全くない。

 

 今まで技能系の科目でいい思いをしたことがなかった。体育も技術も音楽も家庭科も、何もかも技能がつくのは、必死になってもBしかついたことがない。たぶんそれだってお情けのBで、実際のところはCに近かったと思う。

 

「“は”、ちゃうわ」

 

「もう少し真っ直ぐ走っていたいな~って」

 

「人生真っ直ぐ走れるわけちゃうで、紆余曲折あんねん。曲がれんでどーすんの。はい、右へ~」

 

 さっきまでの軽い調子で言われると、つい身体が反応して、右へハンドルを回してしまう。

 あれ? 曲がらない。

 ママの真似をして、もう少しハンドルを回してみる。

 それでも回らない。

 

「これ、何度くらい回せばいいですか?」

 

「何度だろうな」

 

「えぇ!?」

 

 ハンドルを持つ手に力が籠る。手から妙に汗をかいて、滑る。

 

 角度なら分度器で慣れているのに、質問を質問で返してくるとは。

 車は、みるみる内にコースの曲がり角まで来た。

 

「何度なんですぅ!?」

 

「まわしたいだけまわしてみたら」

 

「サインコサイン!!」

 

 やけくそで、ぐるぐる回すと、車が急に曲がった。想像以上の激しさで。

 

「うわぁぁぁ!」

 

 パニックの上のパニック。まさかパニックにも段階があるとは思わなかった。

 

「ブレーキ踏んで」

 

「ぶっブレーキどこ!?」

 

 慌ててブレーキを踏むと、車は前のめりに急停車した。

 シートベルトが唯の身体を支える。

 目をぎゅっとつむる。

 

「そんなにぐるんぐるん回さなくても、曲がるわ。面舵いっぱ~いか」

 

 助手席の窓についているグリップを掴んで、教官が笑う。

 怒鳴られると思っていた唯は、目を薄っすら開けた。

 

「ほら、エンストした。落ち着いて、エンジンかけ直して」

 

 言われてみると、エンジンは止まっている。

 あわあわと、クラッチとブレーキを踏み、車のキーを回す。車が生き返った。

 

「もっとのんきに運転してみな。そんなに回さなくても曲がるから」

 

 曲がらなかったから聞いたのに……。理不尽。

 唇が尖らないように、引き締める。

 教官の言う通り、逆方向に向いたままで、車を動かす。

 

「右へ~」

 

 加減がわからず、最初と最後の三分の一くらいの気持ちで回す。

 

「曲がりました!」

 

「曲がるようにできてるから。左へ~」

 

 今度は、コーナーまで来たら、慌てずに曲がれた。

 

「そんでな。迷ったらブレーキを踏め。困ってもブレーキ、とにかく、迷ったら」

 

「ブレーキですね!」

 

「そゆこと」

 

 ぐるっと半周コースを回ったところで、技能教習は終わった。

 停車、駐車方法を教えてもらって、教官がクリップボードに何やら書きつけた。

 

 エンストしまくったし、曲がれなかったし、不合格かな――。

 

「はい、合格。今日は学科受けて終わりね」

 

 やったぁ!

 大きくお辞儀をして、スキップしながら階段を上がる。

 

 久しぶりの合格。

 迷ったら踏め、困っても踏め、とにかく止まれば事故らない。

 

 覚えた!

 

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