相原唯は免許が取りたい   作:藍色 紺

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第5話 無線教習、S字で死にかける

「よろしくお願いしまーす」

 

 佐藤マートから直接、中島教習所に来て、入り口にある配車機にカードを読ませる。

 レシート状の配車券を取ったとき、唯を呼ぶ声がした。

 受付のおばちゃんが、カウンターの中から手招きしている。唯は教習開始時間を気にしながら、カウンターに近寄った。

 

「今日、王子あてといたから」

 

 まるで卵の特売情報のようなテンションの高さだ。

 

「王子?」

 

 教習所に王子なんている? どういうこと?

 

 唯が事情を理解する前に、おばちゃんは頬を紅潮させて肩をバシバシ叩いた。視界が揺れる。

 

「当たりよぉ!」

 

「はぁ、ありがとうございます」

 

 何はともあれ、いいことなのだろう。呼び止めるほどに。

 

 教習車を探しながら、唯は頭を回転させる。

 

 王子。

 学校でいう王子は、誰もが認めるカッコよさだった。

 じゃあ、教習所なら?

 

 考えられるのは、爽やかさだ。

 これまで当たってきた眼鏡の教官は、爽やかではない。

 単純にイケメンなのかもね。

 それなら、ちょっと当たりかもしれない。

 おばちゃんの反応も納得だ。

 

 おばちゃんも女子――、だな。

 

 身近に感じられて、思わず笑ってしまう。

 

「相原さん?」

 

 柔らかな声に、思わず少し姿勢を正す。

 振り返ると、そこにいたのは色の白い、三十代半ば頃の男性だった。

 剃り残した顎髭が青く目立つ。

 あ、さほど王子じゃないな。

 

 勝手に上げられていたハードルが、下がる。

 

 失礼なこと考えちゃった。

 そもそも教習所でイケメンとか関係ないし。怖くなければ、それでいいし。

 

「今日は無線教習です」

 

「無線?」

 

 頭の中で、小学校の友達の家が浮かんだ。

 リビングにアマチュア無線の機械があって、おじさんが無線に向かって話すのを、おやつを食べながら、よく見た。

 

「誰と話してるの?」

 

「知らない人だよ」

 

 知らない人とは口をきいてはいけません。と教えてくれる大人が、知らない人と話している。そのギャップに口が開いた。

 

「この機械が無線だよ。免許を取れば誰でも話せる。唯ちゃんも免許取ってみない?」

 

 あのとき、唯は無心に頭を振って拒否した。

 

 そうか、あの無線免許が今日やってきたわけだ。

 家の人が使ってなかったから知らなかっただけで、きっと無線は受験みたいに、人生で避けて通れないイベントなのだ。

 でなければ、いきなり免許必須の無線を使いながら運転しろとは言われないはずだ。

 

「あの……。私、無線の使い方とか知らないんです!」

 

 勇気を出して打ち明ける。仮にも王子と呼ばれる教官なのだから、怒り出すことはないだろうと思った。それでも怖くて「すみません」と続けた。

 

「あぁ、相原さんはいつも通り運転してくれればいいから」

 

「はい?」

 

 王子は助手席側の窓から、中を指さした。

 

「あの機械、あれがついてるってだけで、相原さんが何をしなくても平気」

 

 今度は、振り返って、茜色に染まる空を仰ぎ見た。

 

「あの無線棟に、私がいて、相原さんの運転を見ます。あそこから指示を出すので、その通りに運転してください。それが無線講習です」

 

 まだ説明を飲み込めていないのに、王子は「では、いつも通り乗車して、無線からの指示を待ってください」と、いなくなってしまった。

 

 教習車の横で、唯はポツンと立ち尽くした。

 

「え?」

 

 え。一人?

 助手席に教官がいて、危なかったらそっち側のブレーキを踏んでくれるのではないの?

 S字もクランクも、教官が言うタイミングでハンドルを切っただけだ。あとは罠にひっかからないようにしただけ。

 なのに、一人?

 

 無線棟を見上げる。夕暮れの空にカラスの群れが飛んでいく。

 

 無線講習が、一人なの?

 知らなかった――。

 

「相原さーん? 車に乗ってください」

 

 車内から、無線のかすれ声が響いた。

 唯は飛び上がって、急いで乗車する。

 

「では、外コースを一周してください」

 

 跳ね上がった心臓をどうにか抑えながら、エンジンをかける。

 そろそろと車を動かして、いつも通り、コースに出る前に一時停止。

 誰もいない外コースを流す。

 

 あ、いけそう。

 

 広いコースに一人きり。誰にぶつけることもない。

 助手席に教官もいない。

 今まで、どれほど緊張しながら運転していたのかがわかった。

 

「ふんふふ~ん♪ 無線、むっせ~ん♪」

 

 小さく歌う、気持ちがいい。

 

「ピッ! ザーザー 相原さん」

 

「はっ、はひ!」

 

 運転しながら、飛びあがった。危ない!

 

「全部聞こえてます」

 

 いやぁぁ!!

 

 運転中でなければ、どこかに隠れたい。心臓が再びバクバク音を立て、顔が熱い。

 

「車線変更後、左折しましょう」

 

 もぉぉ! なんで最初に言ってくれないの!?

 気持ちを抑えるのに苦労しながら、左折する。

 

 見覚えのあるポールだらけのコースに、暑かった顔が、一気に凍り付いた。

 嫌な予感がする。

 内側にはS字とクランクがある。

 

 まさか、合格したばっかのS字、一人でやるの?

 

「そのままS字に入りましょう」

 

 嘘やー!

 冗談って言ってよ!

 

 せめて隣に眼鏡の教官がいれば、泣き言を言えた。

 でも、今は一人。

 無線の相手は、初対面の王子である。

 

 心の準備が整っていないとは言えない。

 

「では、どうぞ」

 

 拒否の言葉を飲み込んで、覚悟を決める。

 

 いけるいける!

 ママが何度も失敗したって言ってたけど、私は一発で合格したもん。

 

 眼鏡の言葉を思い出す。

 大きめに入って、面舵いっぱい。

 

 てってててててと、ハンドルをめいっぱい回す。

 乾いた喉が上下した。

 

 先を見るんだよね。

 

「上手ですよ。そのまま」

 

 あ、そう。やっぱり、上手?

 

 半クラでつないで、曲がろうとした途端、車が揺れた。

 

 !?

 声にならない声が出た。

 

「まだ大丈夫ですよ」

 

 無線に励まされて、前進する。

 ガコンっ!

 

 車体が大きく揺れた。

 唯の頭に、一段高くなったアスファルトの車道、その下にある芝生が浮かんだ。

 青々とした芝生は、山の雑草に見える。

 

「まだ一輪ですから、そのまま進めば――」

 

「やだぁ! 落ちちゃう!!」

 

 祖母の家は山の上にあった。唯は祖母の家に行くのが嫌だった。一車線しかない山道に、左側は蓋のない側溝、右側は崖。

 

「落ちたら、どうなるの?」

 

 半べそになりながら、パパに聞いたものだ。

 

「真っ逆さまだ」

 

 笑うパパの声が、S字を運転する唯の頭に聞こえる。

 

「バッグして立て直しましょうか。できそうですか?」

 

「崖に落ちちゃう!!」

 

 真っ逆さまだ。

 冗談ではない。

 たまに見る、土手を落ちた車が脳内でフラッシュバックする。

 

 ブレーキと半クラを、力いっぱい踏む。懸命にハンドルにしがみつく。

 そういえば、ブレーキって焼ききれるって習った。

 もう、ダメ。ブレーキが焼ききれたら、落ちて死ぬんだ!

 

「待ってろ!」

 

 何か聞こえたけれど、もう無線に答える余力もない。

 ブレーキが切れるまでに、生き残る方法を思いつかなければ。

 

 車体が、ぐらりと傾いた。

 目をギュッとつむる。

 

 ガチャっ

 蒸し暑い空気が車内に入る。

 

「お待たせ」

 

 助手席に王子が乗り込んできた。

 

「二人で死ぬんですかぁ!?」

 

「助けにきた。ほら、ギアをバッグに入れて」

 

 嗚咽を上げながら、シフトレバーをガコンと入れる。

 生きるか死ぬかというときでさえ、教官の言う通りにしてしまう自分が憎い。

 

「よし、上がるよ。アクセルつないで」

 

「駄目! 何かしたら落ちます!」

 

「大丈夫だから。私の言うことを信じて」

 

「えぇぇ……」

 

 妙に力のある言葉を信じてみたくなる。どうせブレーキが焼ききれたら死ぬんだから、イチかバチか、やってみよう。

 

 鼻水を啜りながら、アクセルを踏む。

 落ちかけていた車体が、ぐんっと上がり始めた。

 

「その調子、上がろう」

 

「はい!」

 

 今度は疑わなかった。勇気を持って、もう少しだけアクセルを踏む。

 車は、何事もなかったかのように、元のコースに戻った。

 

「はい、復帰。少し右に切ってみて」

 

 王子の言う通りに動かす。

 

「もう大丈夫だね。戻るよ」

 

 無線棟に戻る王子の背中を、S字のど真ん中から見送る。

 

 凄っ、かっこいい。

 

 一人、車中で手を叩く。

 

「王子だ。王子だぁ!」

 

「ザーザー、聞こえてますよ」

 

 マジ王子。見上げた無線棟が夕日に光っていた。

 

 

 

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