「今日は、縦列駐車です」
よし、キタ!
膝の上で、ガッツポーズしてしまう。
王子がこちらを見た。
「どうしました?」
「予習してきました!」
教習所に通うようになってから、ひそかにピンクラメのスケジュール帳に一段階でやることのリストを書いている。
どんな順でするのかは、教習所によって違うらしく、今まで役に立たなかったが、ここにきてようやく予想が当たった。
終わったリストを線で消すという小さな努力が功を奏したと言っていい。
「――、そうですか。では外コースに出てください」
何だろう、今の間は。
予習しちゃダメだったとか? そんなことあるだろうか。
学びの場所なんだから、そんなこと、ないよね。
「動画では、ポールが窓に来たら、ハンドルを左いっぱいに切るって言ってました」
脳内シミュレーションはばっちりだ。
電車の中でも練習したし、バイト中もこっそり練習した。
唯の脳内で、後部座席の窓とポールが焼き付いている。
王子はただ淡々と、縦列駐車の場所への指示だけを出した。
王子に眼鏡、それに角刈り。教習所の先生って個性的だよね。
でも、最初に思ってたような鬼教官は角刈りだけみたい。
今日が王子でよかった。眼鏡だと話が弾みすぎちゃうんだよね。
第一段階の技能は、縦列駐車で終わりだし、運転に集中してストレート合格したい。
「はい、ここで縦列駐車します」
「やらせてください!」
半ば食い気味に、提案する。
「……どうぞ」
ほら、ここでどうぞって言ってくれるのが王子だ。
唯は、教習車を前進させ、滅多と入れたことのないRにシフトレバーを入れる。
車体がぐんっと後方に動いた。まるで「唯ちゃん、準備OK!」と言ってくれているみたいだ。
脳内猛練習が火を吹くよ!
ゆっくり下がっていき、後ろの窓にポールを探す。
「あれ? 窓が……」
「どうしました?」
「いえ……」
動画の教習車は後部座席の窓は1つだった。でも、中島教習所の車には、窓が2つある。
考えろ。考えるのよ唯!
動画の窓と同じ窓はどっち!?
2つある窓の内、後ろの方は三角で小さい。もう片方は台形で大きい。
う~ん、動画の窓は、両方が合体したみたいな形だったから……。
脳内が無数の動画の断片で埋まる。
どれが正解の動画なのかわからない。
でも、やらせてくださいって言ったのは私だもん。
やっぱりできませんなんて言えない。
妙に滑るハンドルを、握り直した。
あんなに練習したんだもん。やることは同じなんだから、感覚で!
いける!
えいやっと、覚悟を決めてハンドルを切り、後退すると、驚くほど車体が曲がった。
あ、お尻がポールにぶつかっちゃう!
慌てて、ハンドルを戻すと、今度は左前が違うポールにぶつかりかけている。
「違う――」
ハンドルをさらに右に切り、アクセルをつなぐ。
「はい、そこまで」
王子の声がかかったときには、教習車のお尻も左頭もポールにぶつかっていた。
「立て直しましょう。真っ直ぐ前に出して」
元の位置に車を戻して、唯はハンドルに顔をつっぷした。
「……、どう、しました?」
遠慮がちな王子の言葉に、顔がますます真っ赤になる。
眼鏡なら「予習してきたんちゃうんか、ちゃうちゃうちゃうんとちゃう」とかいい加減な話で笑わせてくれたはずだ。
「――、今日は、もう、辞めておきますか?」
勢いよく唯は顔を上げた。
「やります!」
受付のおばちゃんから、そろそろ合宿生が来ると聞いた。来る前に取り終わるはずだったのが、遅くなったのは、唯が土日に教習所に来ていないからだ。
おばちゃんの申し訳なさそうな、それでいて、土日も来なさいと言えない微妙な顔を思い出す。
これ以上遅れるわけにはいかない。
「ごめんなさい。動画じゃダメでした。ちゃんとしたのを教えてください」
頭を下げる。今度は謝罪の意味で。
王子が微笑んだ。
「相原さんの予習した動画と、この車、何が違ってました?」
「窓の数です。動画のには三角の窓はなくて――」
「この車だと、三角の窓にポールがかかったらハンドルを切るのが正解です。一緒にやってみましょう」
王子の声かけの通りに、車を運転すると、車は大人しく縦に駐車できた。
「魔法!?」
一瞬でできた。
「いいえ、内輪差と外輪差の違いを利用しただけです。もう一度やってみましょう」
車を戻して、今度はアドバイスなしでやってみる。
「できた! 凄い凄い! 先生すごい!」
外は濛々とした熱気の中、唯のテンションはそれより跳ね上がる。
唯は手を叩いた。
「ハンドルをどっちに切るのが先か迷わなかったのは、予習のおかげですね」
「えへ」
「相原さんは、焦ると内かけハンドルをする癖があるみたいなので、そこは直しましょう」
「内かけハンドル?」
聞いたことのない言葉に、テンションが降下し始める。
王子が、ハンドルを内側から逆手に握った。
「え、私そんな握り方しました?」
「無意識なのでしょうね。だから、意識的に直す」
そんな、まさか。
試しに内側を握ってみた。握りにくい。
こんなのしたかな。
でも、王子がしたと言うのだからしたのだろう。
無意識って怖い。
「他に注意点ってあります?」
「他、ですか」
王子は少し考えて、助手席から運転席に右腕を回した。
王子の身体がぐっと近づいて、体温が伝わる。知らない距離感にたじろいでしまう。
「こういう風にバックする人いますけど、あれもダメです」
「わぁ、ドラマならときめいちゃうやつです」
王子は、すぐに元の姿勢に戻った。
ワイシャツに皺一つなく、ときめきを残せる。動画で予習したからって暴走する私を嫌な顔せずに教えてくれる。
「やっぱり王――」
「じゃあ、ハンドルの握り方を意識して、もう一度やってみましょう」
「待ってください」
王子がこちらを見た。
「今日、私はいろんなことを学びました」
「はい」
「動画と実際は違うこと。それに、無意識は意識的に直せること」
「なによりです」
「あと一つ足りないんです!」
唯が人差し指を突き付ける。
「今のままだと、教習車でしか縦列できません。私ができるようになりたいのは、どの車でもできる縦列駐車の方法です」
「なるほど」
「それ、教えてください」
「いいですよ。じゃあ、外に出ましょうか」
「え?」
陽炎が立つアスファルトに出ると、王子は縦列駐車の仕組みから教えてくれた。無駄のない説明はわかりやすい。
これが正解ってやつだ。
ただ――。
「暑いんだわ!」
唯が叫ぶと、王子が笑った。
正直、先生がいないとできる気はしない。