夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く   作:匿名TS美少女

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11話

 カーテンの隙間から、無遠慮な朝陽が差し込んでいた。

 俺は呻き声を上げて、重い瞼をこじ開けた。

 

「……あー、身体痛っ」

 

 喉から出たのは、可愛らしい少女の声ではなく、完全に中年サラリーマンの寝起きのような掠れた音だった。

 身体中の関節が悲鳴を上げている。

 首が回らない。腰が鉛のように重い。指先は微かに痺れている。

 当然だ。昨日はほぼ二十四時間、ノンストップで『第159話』を描き続けていたのだから。

 

 俺はエルゴヒューマンの背もたれから身体を引き剥がし、ふらつく足取りで立ち上がった。

 その瞬間、視界が砂嵐のようにザラついた。

 立ちくらみだ。

 世界がグルリと回転し、俺は受け身を取る余裕もなく、カーペットの上に崩れ落ちた。

 

「……っぐ」

 

 鈍い音がして、肩を打った。

 痛い。

 でも、それ以上に怖かった。

 心臓が早鐘を打っている。ドクン、ドクン、と嫌なリズムで。

 

(……これだ)

 

 脳裏に蘇るのは、一年前の記憶。

 仕事場の机に突っ伏したまま、二度と目覚めることのなかったあの感覚。

 胸を締め付けられるような痛みと、後悔。

『まだ死ねない』と思いながら、意識がブラックアウトしていく恐怖。

 

 俺は震える手で自分の胸元を掴んだ。

 薄いパジャマ越しに、肋骨の感触と、その奥で必死に動いている心臓の鼓動が伝わってくる。

 生きている。まだ、止まっていない。

 

「……ふざけんなよ、俺」

 

 俺は天井を睨みつけながら、自分自身に悪態をついた。

 何をやってるんだ。

 この身体は、如月雪のものだ。

 自殺未遂をして、睡眠薬で内臓を痛めつけていた、ただでさえ虚弱な十五歳の少女の身体だ。

 それを、前世と同じペースで酷使してどうする。

 また殺す気か。今度は、自分だけでなく、彼女の未来まで道連れにして。

 

「……飯、食わなきゃ」

 

 俺は這うようにしてキッチンへ向かった。

 空腹感が吐き気になって襲ってくる。低血糖だ。

 冷蔵庫を開ける。中身は相変わらず貧相だ。

 ゼリー飲料を一つ掴み、キャップをねじ切って喉に流し込む。

 冷たい液体が食道を通り、胃に落ちていく感覚。

 数分後、ようやく視界のノイズが晴れてきた。

 

 ソファに座り込み、深く息を吐く。

 これじゃ駄目だ。

 いくら『アークエンド』の続きを描きたいからって、命を削ってちゃ本末転倒だ。

 読者は「続き」を待っているかもしれないが、「作者の死」なんて二度と見たくないはずだ。

 何より、俺自身がもう死にたくない。

 

「ルールを決めよう」

 

 俺はスマホを取り出し、メモアプリを開いた。

 タイトルは『生存戦略』。

 大袈裟だが、今の俺にはそれくらいの覚悟が必要だった。

 

『その一、徹夜は厳禁。日付が変わる前に寝る』

『その二、一日三食、必ず固形物を食べる』

『その三、一時間に一度は休憩し、ストレッチをする』

『その四、週に一度は外の空気を吸う(ベランダでも可)』

 

 書き出してみると、小学生の夏休みの目標みたいだ。

 だが、これを守れなかったから、東條樹は死んだのだ。

 俺は画面を見つめ、指でトントンと叩いた。

 

「金はあるんだ。使おう」

 

 通帳には、まだ手付かずの百万円単位の金がある。

 俺はAmazonと楽天、そして高級スーパーのデリバリーサイトを次々と開いた。

 

 まずは食料だ。

 カップ麺やスナック菓子は論外。

 完全栄養食のパン、無添加の野菜スープ、サラダチキン、高級フルーツの盛り合わせ。

 調理の手間がいらず、栄養価が高いものを片っ端からカートに放り込む。

 一食二千円? 安いもんだ。命の値段に比べれば。

 

 次に、健康グッズ。

 ブルーライトカットの眼鏡。手首の負担を軽減するリストレスト。

 足のむくみを取る着圧ソックス。

 それから、部屋の中で運動できるヨガマットと、フォームローラー。

 ついでに、最高級の空気清浄機もポチった。

 

「……よし」

 

 決済ボタンを押す。

 合計金額は十万円を超えていたが、迷いはなかった。

 これは浪費じゃない。投資だ。

 最高のパフォーマンスを発揮するための、必要経費だ。

 

 ピンポーン。

 インターホンが鳴った。

 俺はビクッとして身構えたが、モニターを確認すると、ネットスーパーの配達員だった。

 昨日の今日だ。警戒は怠れない。

 俺は帽子を目深に被り、マスクをして、チェーン越しに対応した。

 

 届いたのは、大量の水と食料。

 重い。

 玄関からキッチンまで運ぶだけで息が切れる。

 情けない。

 アークは大剣を振り回してドラゴンと戦っているのに、作者は二リットルのペットボトルに負けそうだ。

 

「……いただきます」

 

 俺は届いたばかりの高級ローストビーフサラダを開け、手を合わせた。

 野菜のシャキシャキした食感。肉の旨味。ドレッシングの酸味。

 美味い。

 コンビニ弁当とは次元が違う。

 食べているだけで、細胞が喜んでいるのが分かる。

 

 食事を終え、ハーブティーを淹れてソファに戻る。

 スマホの通知を見る。

 昨夜投稿した『第159話』の反響は、まだ止まっていなかった。

 いいね数は五十万を超え、引用リツイートでは考察合戦が始まっている。

 

『ここ、アークの表情が最高すぎる』

『伏線回収えぐい』

『Nemo先生、ちゃんと寝てますか? 更新速度おかしくない?』

 

 心配してくれるコメントが目に入り、俺は苦笑した。

 バレてるな。

 読者は敏感だ。作品のテンションから、作者の精神状態を読み取ってしまう。

 

 ふと、LINEのアイコンに通知バッジがついているのに気づいた。

 ミカだ。

 

『ユキー! 生きてるー?』

『ネットでNemoの正体特定とか騒がれてるけど、大丈夫そ?』

『なんかあったらすぐ連絡してね。ダッシュで行くから』

 

 ギャル特有の軽い文面だが、行間から滲み出る優しさに泣きそうになる。

 俺はカップを置き、返信を打った。

 

『大丈夫だよ。ちょっと疲れたから、今日はゆっくりしてる』

『ありがとう、ミカちゃん』

 

 送信してすぐに既読がついた。

 

『おけまる! 無理すんなし! 今度またスイーツ持っていくわ』

『スタンプ(変な顔のウサギ)』

 

 孤独じゃない。

 ネットの向こうの何百万人のファンも大事だが、リアルで心配してくれる友人が一人いるだけで、こんなにも心が軽くなるなんて。

 前世の俺には、こういう繋がりが希薄だった。

 編集者の真田さんはいたけれど、あれはあくまで仕事のパートナーだ。

 利害関係のない、ただの友達。

 如月雪が遺してくれた、数少ない宝物だ。

 

「……さて」

 

 俺はPCデスクに向かった。

 椅子に座る。

 いつもの癖で、電源ボタンに手が伸びる。

 描きたい。

 続きの構想はある。指が疼く。

 

 だが。

 俺はその手を止めた。

 視線の先には、さっき自分で書いた『生存戦略』のメモがある。

『その一、徹夜は厳禁』

 今はまだ昼間だが、今の俺の体力で連投すれば、また夜まで没頭してしまうだろう。

 

「今日は、休みだ」

 

 俺は自分に言い聞かせるように呟き、手を引っ込めた。

 描かない勇気。

 休むことも仕事のうち。

 頭では分かっていても、実践するのは難しい。

 まるで麻薬を断つような禁断症状がある。

「描かなきゃ忘れられる」「描かなきゃ腕が鈍る」。

 そんな強迫観念が俺を襲う。

 

 でも、俺はPCの代わりに、届いたばかりのヨガマットを床に敷いた。

 YouTubeで『初心者向け ストレッチ』の動画を検索する。

 画面の中のインストラクターが、爽やかな笑顔でポーズをとっている。

 

「……いてててて!」

 

 真似して前屈をした瞬間、裏腿に激痛が走った。

 硬い。身体がガチガチだ。

 十五歳とは思えない柔軟性のなさ。

 これじゃあ、血流も悪くなるし、肩こりも治らないわけだ。

 

 俺は情けない声を上げながら、それでもゆっくりと筋肉を伸ばしていった。

 痛いけれど、気持ちいい。

 滞っていた血液が、身体中を巡り始める感覚。

 

 三十分ほどストレッチをして、シャワーを浴びた。

 鏡を見る。

 少しだけ、顔色が良くなった気がする。

 目の下のクマも薄くなっている。

 やっぱり、健康は全ての資本だ。

 

 風呂上がりに、ベランダに出た。

 外の空気は冷たいが、心地よかった。

 眼下に広がる東京の街。

 そこには、俺の絵を見てくれている人たちがいて、俺を探している人たちがいて、そして俺の知らない日常を生きている人たちがいる。

 

「……生き直すんだ」

 

 俺は手すりを握りしめた。

 ただ漫画を描くだけのマシーンじゃない。

 如月雪として、人間として、ちゃんと生活をして、その上で描く。

 それが、二度目の人生を与えられた俺の責任だ。

 

「真田さん。俺は逃げないよ」

 

 風に乗せて呟く。

「ただし、俺のペースでな」

 

 俺は部屋に戻り、PCには触れず、代わりに読みかけの本を手に取った。

 インプットの時間も必要だ。

 今日はもう描かない。

 明日、万全の体調で、最高の線を引くために。

 

 俺は、東條樹の呪縛を一つ、解いた気がした。

「命を削って描く」なんて、格好悪い美学はもう捨てよう。

 これからは、「命を燃やして描く」んだ。

 燃え尽きるためじゃなく、もっと明るく、遠くまで照らすために。

 

 俺はソファにごろんと寝転がり、ページをめくった。

 静かな午後。

 平穏で、退屈で、幸福な時間が流れていた。

 嵐の前の静けさだと知っていても、今の俺にはこの休息が必要だった。

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