夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く   作:匿名TS美少女

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12話

 健康的な生活というのは、素晴らしいものだ。

 ぐっすり八時間睡眠をとった翌朝、俺の身体は羽が生えたように軽かった。

 関節の痛みもない。視界もクリアだ。

 高級食材を使ったスムージーを飲み干し、俺はリビングで大きく伸びをした。

 

「よし。今日も描くか」

 

 心身ともに充実している。

 これなら、昨日休んだ分を取り戻して余りあるクオリティが出せるはずだ。

 俺は意気揚々とPCの電源を入れ、いつものルーティンとしてXを開いた。

 

 そして、地獄を見た。

 

 タイムラインのトップに、見知らぬアカウントの引用リツイートが表示されていた。

 普段ならスルーする一般人の投稿だ。

 だが、そのアカウント名を見た瞬間、俺の指は氷のように冷たくなった。

 

『東條 静江』

 

 俺の、母親の名前だった。

 アイコンは、実家で飼っていた柴犬の写真。

 フォロワー数は少ないが、プロフィール欄には『息子の思い出を少しずつ』と書かれている。

 俺が死んでから始めたアカウントなのだろう。

 彼女が引用していたのは、俺が昨日投稿した『アークエンド 第159話』の最後のページ、アークが微笑むシーンだった。

 

『この絵……。

 あの子が、樹が描いた絵に、とても似ています。

 特に目の描き方。あの子が昔、私の似顔絵を描いてくれた時と同じ目をしていて。

 なんだか、あの子が帰ってきてくれたような気がして、涙が止まりません。

 Nemoさん、素敵な絵をありがとうございます』

 

 心臓を、素手で握り潰されたような衝撃だった。

 息ができない。

 視界が揺れる。

 

 母さん。

 泣かせたのか。俺が。

 死んだはずの息子の幻影を見せて、期待させて、心を掻き乱してしまったのか。

 

 リプライ欄には、ファンからの温かい言葉と、それ以上に鋭い言葉が並んでいた。

 

『お母様……心中お察しします』

『Nemoさん、これ見たらどう思うんだろう』

『遺族を悲しませるような二次創作は控えるべきでは?』

『これは残酷すぎる。ただの模倣犯が、母親に希望を持たせてしまった』

 

「……あ、あぁ」

 

 俺は口元を手で覆った。

 浅はかだった。

 自分の正体を隠して、「Nemo」という別人格で描けば、誰にも迷惑はかからないと思っていた。

 真田さんや編集部は、プロだからいい。彼らは仕事だ。

 でも、家族は違う。

 俺の死をまだ受け止めきれていない、生身の人間だ。

 

 俺のやっていることは、死者の仮面を被って踊るような、醜悪なパフォーマスなんじゃないか? 

「続きが読みたい」というエゴのために、一番大切にしなければならない人たちを傷つけている。

 

「……やめよう」

 

 俺は震える声で呟いた。

 もう、描けない。

 これ以上描けば、母さんはもっと俺の幻影を見るだろう。

「もしかして樹なの?」と期待させて、結局は「別人でした」という絶望を突きつけることになる。

 それは、二度殺すのと同じだ。

 

 俺はブラウザのタブを開き、Creatiaの管理画面にアクセスした。

 

『アカウント設定』。

『退会手続き』。

 

 画面には、警告文が表示される。

『退会すると、投稿した作品データ、フォロワー、コメントなどの全てのデータが完全に削除されます。復元はできません。よろしいですか?』

 

 マウスカーソルが、『退会する』の赤いボタンの上で止まる。

 指が震える。

 これを押せば、Nemoは消える。

『アークエンド』の続きも、永遠に闇の中だ。

 でも、それでいい。

 これ以上、罪を重ねるよりはずっといい。

 

「ごめん、アーク。ごめん、雪」

 

 俺は目を閉じた。

 人差し指に力を込める。

 カチリ、とクリックする音が、俺の二度目の人生の終わりを告げるはずだった。

 

 その時だ。

 PCのスピーカーから、ポーンという通知音が鳴った。

 DMだ。

 また真田さんか? それともアンチか? 

 どちらにせよ、もう関係ない。

 無視してボタンを押そうとした。

 

 だが、通知音は止まらなかった。

 ポーン、ポーン、ポポポポポ……。

 連打される音。

 何事かと思って、俺は薄目で画面の右下を見た。

 

 そこには、DMのプレビューが表示されていた。

 差出人は、一人じゃない。

 無数の、名もなきアカウントたちだ。

 

『Nemoさん、ありがとう。手術、頑張れそうです』

『学校に行けなくて死にたいと思ってたけど、昨日の漫画を読んで、明日だけ生きてみようと思いました』

『アークが笑ってくれてよかった。本当に、救われました』

『夫を亡くして塞ぎ込んでいたけれど、あなたの絵を見て、久しぶりに色が戻った気がします』

 

 手が止まった。

 スクロールしても、スクロールしても、感謝の言葉が溢れてくる。

「上手い」とか「すごい」じゃない。

「救われた」「生きたい」「ありがとう」。

 切実な、命の叫びのようなメッセージたち。

 

 その中の一つに、目が吸い寄せられた。

 

『私は15歳の不登校です。

 東條先生が死んでから、毎日泣いていました。

 でも、Nemoさんの絵を見て、先生が天国で描いているんだって思えました。

 先生の代わりなんて言いません。

 あなたは、私のヒーローです』

 

 如月雪。

 この身体の持ち主と同じ境遇の少女からの言葉。

 日記に残された『先生の漫画だけが居場所だった』という雪の遺言と、完全に重なった。

 

 俺は椅子から転げ落ちるようにして、床に座り込んだ。

 涙が溢れて止まらなかった。

 母さんを傷つけた。それは事実だ。

 でも、俺の絵が、今まさに死の淵にいる誰かを繋ぎ止めているのも、事実なんだ。

 

 ここで消えるのは簡単だ。

 アカウントを消して、PCを捨てて、ただの如月雪として生きれば、誰も傷つかないかもしれない。

 でも、それは「救えたはずの命」を見捨てることにならないか? 

 雪のように、物語を糧にして生きている子供たちから、最後の希望を奪うことにならないか? 

 

「……くそっ、ずるいよ」

 

 俺は袖で涙を拭った。

 こんな言葉を見せられたら、辞められるわけがない。

 俺は漫画家だ。

 読者に「生きろ」と言ったなら、その責任を取らなきゃいけない。

 たとえそれが、母親を悲しませる修羅の道だとしても。

 

 俺は震える手でマウスを握り直し、『キャンセル』のボタンをクリックした。

 退会画面が消え、いつものマイページに戻る。

 そこには、俺が描いたアークが、泥だらけで笑っていた。

 

「母さん、ごめん」

 

 俺は心の中で、実家の方角に向かって頭を下げた。

 親不孝な息子を許してくれ。

 俺はまだ、そっちには行けない。

 偽物と呼ばれても、亡霊と罵られても、描かなきゃいけないものがあるんだ。

 

 俺はDMの画面を開き、あの一通一通に目を通した。

 返信はできない。

 でも、その全ての想いを、次の原稿に込めることはできる。

 

 PCに向かう俺の背中は、もう迷っていなかった。

 第160話。

 タイトルは『継承』にしよう。

 誰かの意志を受け継ぎ、前に進む者たちの物語。

 

 キーボードを叩く音が、部屋に力強く響き始めた。

 外野の雑音はもう聞こえない。

 俺はNemo。

 誰でもない者として、誰かのために物語を紡ぐ、ただの創作者だ。

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