夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く   作:匿名TS美少女

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13話

 パソコンの画面に映し出された『退会キャンセル』の文字を見つめたまま、俺は深いため息をついた。

 一度は捨てようとしたNemoという名前。

 でも、それを繋ぎ止めたのは、顔も名前も知らない読者たちの言葉だった。

 

「……勝手なもんだよな」

 

 俺は自嘲気味に呟く。

 自分が死んだときは「描けなかった」という後悔でいっぱいだったのに、いざ他人の身体で生き返ったら、今度は「描くこと」で誰かを救おうとしている。

 偽善かもしれない。

 ただの自己満足かもしれない。

 それでも、あのDMの中にあった『生きてみようと思いました』という一言が、俺の足を縫い止めて離さなかった。

 

 ふと、視線がデスクの脇にある本棚に向いた。

 そこには、俺が転生してくる前から置いてあった、数冊のスケッチブックがある。

 如月雪が使っていたものだ。

 俺は吸い寄せられるようにその一冊を手に取り、ページをめくった。

 

 そこには、拙いながらも懸命に引かれた線があった。

 模写だ。

 それも、俺の漫画『アークエンド』のキャラクターたち。

 アーク、ヒロインのエリス、ライバルのゼノン。

 デッサンは狂っているし、パースもおかしい。

 プロの目から見れば、正直に言って「下手」の部類に入る。

 

 だが、ページをめくるごとに、線の迷いが少しずつ減っていくのが分かった。

 何度も消しゴムをかけて、紙が毛羽立っている。

 日付が書き込まれているページもあった。

 それは、俺が死ぬ一ヶ月前の日付だった。

 

『もっと上手くなりたい』

『先生みたいに、誰かの心を動かせる絵が描きたい』

 

 ページの隅に、小さな文字でそう書き込まれている。

 胸が詰まった。

 この子は、ただのファンじゃなかったんだ。

 憧れていたんだ。

 消費する側ではなく、創造する側になることを。

 

 俺は視線をデスク上の高級機材に戻した。

 最新のPC、プロ仕様の液晶タブレット、高価な左手デバイス。

 総額で五十万は下らないセットだ。

 親からの手切れ金があったとはいえ、十五歳の少女がこれを揃えるには、相当な覚悟が必要だったはずだ。

 

 彼女は本気だった。

 ここから世界へ飛び立とうとしていた。

 だけど、その翼を広げる前に、心が折れてしまった。

 俺の死という絶望と、孤独という重圧に押し潰されて。

 

「……馬鹿だな、俺は」

 

 俺はスケッチブックを閉じて、愛おしそうに撫でた。

 気づくのが遅すぎる。

 俺がこの身体に入ったのは、偶然なんかじゃないのかもしれない。

 神様なんて信じちゃいないが、もし運命というものがあるなら、これはきっと「引継ぎ」だ。

 

 彼女が諦めた夢。

 彼女が手放してしまった未来。

 それを、俺の技術で完成させる。

 

「雪。聞こえてるか?」

 

 俺は誰もいない部屋に向かって話しかけた。

 返事はない。

 ただ、静寂があるだけだ。

 でも、不思議と孤独感はなかった。

 この身体の奥底、心臓の鼓動のすぐ隣に、彼女が小さく丸まって眠っているような気配を感じる。

 

「お前の身体、最高だぞ。若いし、目はいいし、感性も鋭い」

 

 俺はモニターに向き直り、ペンを握った。

 この手は、如月雪の手だ。

 でも、動かすのは東條樹の魂だ。

 二人で一人。

 最強のタッグじゃないか。

 

「Nemoは、俺だけの名前じゃない。お前との共同ペンネームだ」

 

 そう決めた瞬間、身体の中を熱いものが駆け巡った。

 迷いは消えた。

 罪悪感も、恐怖も、全てを燃料にくべてやる。

 

 俺はクリップスタジオのキャンバスを新規作成した。

 第160話。タイトルは『継承』。

 昨日思いついたタイトルだが、今の俺にはこれ以上ないほどしっくりくる。

 

 アークの意志を受け継ぐ少年騎士の物語。

 才能がないと嘆きながら、それでも憧れの背中を追って剣を振るう、凡人の物語。

 それは、かつての如月雪であり、そして一度死んで生まれ変わった俺自身の姿でもあった。

 

 カリ、カリ、とペンが走る。

 線が踊る。

 昨日までの絵とは、何かが違う。

 技術的なキレはそのままに、どこか柔らかい、祈るような優しさが混じっている。

 これが、雪の感性なのかもしれない。

 

 俺はずっと、完璧な絵を目指していた。

 読者を圧倒し、ねじ伏せるような強い絵を。

 でも、今の俺が描きたいのは、寄り添う絵だ。

『死にたい』と泣いている誰かの隣に座って、『まあ、明日まで生きてみようぜ』と肩を叩くような、そんな絵。

 

「見てろよ、母さん」

 

 心の中で呟く。

 俺はもう、東條樹としては生きられない。

 母さんに「ただいま」と言って抱きつくことはできない。

 それは親不孝かもしれない。

 でも、俺がこの身体で描き続けることで、巡り巡って母さんの心を救えるかもしれない。

 あのアカウントで『あの子が帰ってきた気がする』と言ってくれたように。

 

 俺はNemoとして、世界一の「親不孝な孝行息子」になってやる。

 

 作業に没頭していると、スマホが短く震えた。

 ミカからのLINEだ。

 

『ねー、今度の日曜、暇? カラオケ行こーぜ』

 

 遊びの誘いだ。

 以前の俺なら「忙しいから」と即断っていただろう。

 締め切り前の漫画家に日曜なんて存在しないからだ。

 

 だが、俺は手を止めて、少し考えた。

 生存戦略その四。『週に一度は外の空気を吸う』。

 それに、今の俺は「如月雪」としての人生も生きなきゃいけない。

 友達と遊び、馬鹿話をして、JKらしい時間を過ごすこと。

 それもまた、彼女への供養であり、この身体への礼儀だ。

 

『いいよ。久しぶりに歌いたい気分』

 

 そう返信して、スタンプを送る。

 すぐに『やった! 神!』と返ってきた。

 ふっと笑みが溢れる。

 こういう日常の些細なやり取りが、今の俺にはたまらなく愛おしい。

 

 俺は再びペンを握り直した。

 さあ、仕事だ。

 次の原稿は、今までで一番熱い展開になる。

 読者の度肝を抜き、アンチを黙らせ、そして雪が夢見た「最高の物語」を形にするんだ。

 

 モニターの光に照らされた俺の顔は、きっといい表情をしているはずだ。

 少なくとも、死ぬ前の疲れ切った俺よりは、ずっと生気に満ちている。

 俺たちは、まだ始まったばかりだ。

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