夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く 作:匿名TS美少女
ネットの海に『最終章』という言葉を放流してから、俺の世界は一変した。
これまでのような「上手い新人」への称賛じゃない。
もっと重く、熱く、そして飢えた獣のような視線が、モニターの向こうから突き刺さってくる。
俺はクリップスタジオのキャンバスに向かっていた。
第161話。
タイトルは『分岐点』。
ここだ。
ここが、かつての東條樹と、今のNemoが袂を分かつ場所だ。
本来のプロットでは、ここでヒロインの一人である魔導士セレンが死ぬはずだった。
主人公アークを庇い、敵の将軍と相打ちになって消滅する。
その絶望を糧にして、アークは覚醒する。
そういう、「喪失による成長」を描く予定だった。
「……古いな」
俺はペンを回しながら、自嘲気味に笑った。
前世の俺は、何をそんなに急いでいたんだろう。
誰かが死ななきゃ強くなれないなんて、そんな悲しい理屈で物語を縛っていた。
でも、今の俺は違う。
如月雪の身体で、ミカという友達と笑い合い、美味い飯を食い、生きていくことの泥臭さを知った。
死んで花実が咲くものか。
生きて、這いつくばって、それでも明日を迎えるほうが、ずっと尊くて難しいんだ。
「変えるぞ」
俺はネームのレイヤーを非表示にし、新しいラフを描き始めた。
セレンは死なない。
アークは彼女を庇わないし、彼女もアークを庇わない。
二人で背中合わせに立って、震える足で踏ん張って、生き残る道を探す。
『死ぬな! 生きて帰って、飯を食うぞ!』
アークに叫ばせる。
それは、東條樹が言えなかった言葉であり、如月雪が聞きたかった言葉だ。
俺のペン先から、熱が伝播していく。
線が走る。
迷いはない。
これが俺の描きたかった『アークエンド』の真の姿だ。
作業は深夜に及んだ。
生存戦略ルールその一、『徹夜厳禁』が頭をよぎるが、この熱量を中断することはできなかった。
その代わり、一時間に一度は必ず休憩を入れ、水分と糖分を補給する。
身体を壊さないための、ギリギリの攻防戦だ。
午前三時。
俺はペンを置いた。
完成した原稿データ。全二十八ページ。
二次創作の枠を完全に逸脱した、プロの仕事だ。
「……ふぅ」
大きく息を吐き、肩を回す。
心地よい疲労感。
以前のような、命を削り取られたような枯渇感はない。
むしろ、身体の奥底からエネルギーが湧いてくるようだ。
俺はブラウザを開き、Creatiaの投稿画面へドラッグ&ドロップした。
キャプションには一言だけ。
『もう、誰も失わせない』
投稿ボタンをクリック。
その瞬間、俺は東條樹の呪縛から解き放たれ、Nemoという新しい作家として生まれ変わった気がした。
反応は、劇薬だった。
数分もしないうちに、SNSのタイムラインが爆発した。
『読んだ。……嘘だろ』
『セレンが、生きてる』
『あの場面、原作ファンなら絶対死ぬと思ってたのに』
『ご都合主義? 違う、これは必然だ』
『アークのあのセリフで涙腺崩壊した』
賛否両論あるのは覚悟の上だった。
「東條先生なら殺していた」「ヌルい展開だ」という批判も当然ある。
だが、それ以上に多かったのは、「救われた」という声だった。
『ありがとう。生かしてくれてありがとう』
『この続きが見られるなんて、夢みたいだ』
『これが正史でいい。いや、これが正史だ』
俺はモニターの前で、静かに涙を流した。
俺が変えたかったのは、キャラクターの運命だけじゃない。
それを読む、読者たちの心の色も変えたかったんだ。
絶望のグレーから、希望のゴールドへ。
ふと、通知欄に見慣れたアイコンが表示された。
真田さんだ。
今回はDMではない。オープンなリプライだった。
『Sanada:
あいつなら、ここで殺していました。
でも、もしあいつがあの後も生きて、歳を取って、もっと丸くなっていたら。
きっと、こういう未来を選んだのかもしれません。
……悔しいですが、今のあいつより、Nemoさんの方が一枚上手です』
「一枚上手、か」
俺は鼻をすすった。
違うよ、真田さん。
これはあんたが待っていてくれたから描けたんだ。
あんたが「共犯者」として背中を押してくれたから、俺は過去の自分を殺すことができた。
俺はリプライを送る代わりに、新しいキャンバスを開いた。
第162話。
物語は加速する。
誰も死なない最終決戦へ向けて。
窓の外では、空が白み始めていた。
新しい朝だ。
俺の、そしてアークたちの、新しい旅が始まる。
俺は伸びをして、冷蔵庫から冷たい炭酸水を一本取り出した。
プシュッという小気味よい音が、勝利のファンファーレのように部屋に響いた。