夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く   作:匿名TS美少女

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17話

 カーテンの隙間から漏れる朝陽が、ダイニングテーブルの上に置かれた通帳を照らしていた。

 

『キサラギ コウサン』。

 

 毎月二十五日に振り込まれる、百万円という大金。

 それは、如月雪という少女の命を繋ぐ生命維持装置であり、同時に彼女をこの広いマンションに縛り付ける鎖でもあった。

 

「……汚い金だ」

 

 俺はマグカップを片手に、その数字を見下ろして呟いた。

 前世の俺は、原稿料と印税で食っていた。

 自分の腕一本で稼いだ金だ。徹夜と腰痛と引き換えに得た、誇りある対価だ。

 だが、この金は違う。

「邪魔者は静かにしていてくれ」という、親からの手切れ金だ。

 雪が自殺未遂をしたあの日から、この金は彼女の首を絞め続けていたんじゃないか。

 

「いらないな、これ」

 

 俺はぽつりと漏らした。

 Nemoとしての活動が軌道に乗ってきた今、俺には別の収入源ができつつある。

 配信のスーパーチャット、Creatiaの支援プラン。

 まだ振り込まれてはいないが、計算上では来月から十分自立できる額になるはずだ。

 何より、俺には「東條樹」としての経験がある。

 いざとなれば、ネーム構成の仕事でも、イラストの仕事でも、いくらでも食い扶持は稼げる自信があった。

 

 俺はスマホを取り出し、連絡先リストにあった『顧問弁護士・佐山』という名前に発信した。

 コール音は三回で止まった。

 

『はい、佐山です。如月様、何かトラブルでも?』

 

 事務的で、感情の欠落した声。

 俺は深呼吸をして、雪の声帯を震わせた。

 

「いえ、トラブルではありません。お話があります。

 今日、こちらに来ていただけませんか」

 

『……分かりました。午後に伺います』

 

 それだけ言って、電話は切れた。

 用件すら聞かない。

 彼にとって俺は、クライアントの「処理すべき案件」の一つに過ぎないのだろう。

 

 午後二時。

 インターホンが鳴り、グレーのスーツを着た中年の男が現れた。

 佐山弁護士だ。

 リビングのソファに座るなり、彼は鞄から書類を取り出した。

 

「今月の生活費の確認と、領収書のサインをお願いします」

 

 機械的な作業。

 俺は書類を受け取らず、テーブルの上に置かれた通帳を、彼の方へ滑らせた。

 

「これ、お返しします」

 

 佐山の手が止まった。

 彼は眉一つ動かさず、眼鏡の奥から俺を見た。

 

「……どういう意味でしょう」

 

「もう、お金はいりません。

 このマンションの家賃も、来月からは自分で払います。

 それが無理なら、出て行きます」

 

 俺は、練習しておいた台詞を淀みなく告げた。

 佐山は初めて、感情の色を見せた。

 呆れと、困惑だ。

 

「如月様。あなたはまだ未成年です。

 ご両親の保護下にある以上、そのような勝手な真似は──」

 

「保護?」

 

 俺は鼻で笑ってしまった。

 十五歳の少女の口から出た嘲笑に、佐山が口ごもる。

 

「一年間、一度も顔を見せず、電話一本よこさないのが保護ですか? 

 これは飼育です。

 私はペットじゃない。人間です」

 

 強い言葉だったかもしれない。

 でも、これは俺の言葉じゃない。

 日記に残されていた、雪の叫びだ。

 俺は彼女の代弁者として、この大人に突きつけなければならない。

 

「……ご両親には、どう説明すれば」

 

「『娘は元気でやっています』と。それだけで十分でしょう。

 どうせ、彼らは私の生死になんて興味がない」

 

 佐山はしばらく沈黙していたが、やがて通帳を鞄にしまった。

 彼は優秀な弁護士なのだろう。

 クライアント(両親)にとって一番面倒なのは、娘が騒ぎを起こすことだと理解している。

 ならば、金を受け取らず静かに暮らすと言う娘の提案は、悪い話ではない。

 

「……分かりました。ご両親には私から伝えておきます。

 ただし、未成年の契約には限界があります。

 マンションの名義変更などは、後日改めて手続きを」

 

「構いません。

 とにかく、今日から私は『如月雪』として生きます。

 誰かの所有物じゃなく」

 

 佐山は立ち上がり、一礼して去っていった。

 重たい玄関ドアが閉まる音が、いつもより軽く聞こえた。

 

「ふぅ……」

 

 俺はソファに深く沈み込んだ。

 緊張した。

 大人の男相手に啖呵を切るなんて、東條樹時代でも編集長相手くらいしかやったことがない。

 でも、勝った。

 俺は、雪を買い戻したんだ。

 

 その時、再びインターホンが鳴った。

 佐山が忘れ物でもしたのか? 

 モニターを見ると、そこには派手な金髪が映っていた。

 

「ユキー! 来たよー!」

 

 ミカだ。

 俺は苦笑しながらロックを解除した。

 

「うっわ、なんか空気重くない? 喪中?」

 

 部屋に入ってくるなり、ミカは鼻をひくつかせた。

 彼女の野生の勘は鋭い。

 さっきまで弁護士という名の死神がいたことを察知したらしい。

 

「ううん。ちょっと、大掃除が終わったところ」

「掃除? 部屋、変わってないけど」

「心の掃除。……親からの仕送り、断ったんだ」

 

 俺がさらりと言うと、ミカは持っていたコンビニ袋を取り落とした。

 中からスナック菓子とコーラが転がり出る。

 

「はあ!? マジで!? 

 あんた、これからどうすんの? 霞でも食って生きる気?」

 

「働いてるよ。ネットで」

「え、まさかパパ活とかじゃないよね?」

「違うわ! 絵だよ、絵!」

 

 俺は笑いながら否定した。

 ミカは「あー、そっか。あのNemoってやつ?」と納得したように頷いた。

 彼女には、俺がNemoであることを薄々勘付かれている気がする。

 でも、深く追求しないのが彼女の優しさだ。

 

「まあ、ユキが決めたならいっか! 

 あの親の金で食う飯より、自分で稼いだ金で食うじゃがりこの方が美味いっしょ!」

 

「……うん。そうだな」

 

 ミカは転がった菓子を拾い上げ、袋を開けた。

 プシュッ、とコーラの炭酸が弾ける音。

 俺たちは並んで座り、ジャンクフードを貪った。

 弁護士とのヒリヒリした会話の後には、この安っぽい味が最高に染みた。

 

「ねえ、ユキ」

 

 ポテトチップスを齧りながら、ミカが言った。

 

「あんた、最近変わったよね」

「そうかな」

「うん。前はさ、なんか透けて消えちゃいそうだったけど。

 今はちゃんと、そこにいるって感じがする」

 

 俺はコーラの缶を握りしめた。

 そこにいる。

 それは、俺が一番欲しかった言葉かもしれない。

 東條樹という幽霊ではなく、如月雪という人間として、ここに存在していると認められた気がした。

 

「ミカちゃんのおかげだよ」

「は? キモッ。何急にデレてんの」

 

 ミカは照れ隠しに俺の肩をバシッと叩いた。

 痛い。

 でも、その痛みさえも生々しくて嬉しかった。

 

 夜、ミカが帰った後、俺は再びPCの前に座った。

 Creatiaの管理画面を開く。

 支援者数は、昨日の『最終章』投稿以来、爆発的に増えていた。

 金額にして、サラリーマンの月収を軽く超えている。

 

「稼げるな」

 

 俺は呟いた。

 これは、親の金じゃない。

 俺の絵に価値を感じてくれた人たちが、対価として支払ってくれた金だ。

 これで家賃を払い、光熱費を払い、そして美味い飯を食う。

 当たり前のことだが、今の俺にはそれが誇らしかった。

 

 俺はキャンバスを開いた。

 第163話。

 アークたちが、自らの足で荒野を歩き出すシーン。

 そこには、今日の俺の心情が色濃く反映されるだろう。

 

 誰かに守られるのではなく、自分の意志で道を選ぶこと。

 その厳しさと、自由の味。

 

「行くぞ、雪」

 

 俺は心の中の少女に語りかける。

 もう、誰も君を縛るものはいない。

 この手で稼ぎ、この足で歩く。

 それが、俺たちが選んだ「生存戦略」だ。

 

 ペン先が走る。

 モニターの中のアークが、不敵に笑った。

 その顔は、昼間に弁護士を見返した時の俺の顔に、少し似ていたかもしれない。

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