夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く 作:匿名TS美少女
あの一通のDMが、喉に刺さった小骨のように取れなかった。
『あなたの画力で、アークエンドの続きが見たい』。
俺は昼過ぎに目を覚まし、ベッドの中でスマホを睨みつけていた。
無視すればいい。
理性では分かっている。俺はもう東條樹じゃない。如月雪として、平穏に生きると決めたはずだ。
だが、指先は勝手に検索窓へ『アークエンド 考察 最終回』と打ち込んでいた。
画面に並ぶのは、ファンの熱量と、それと同じくらいの絶望だ。
特に目についたのは、フォロワー数万人の考察系インフルエンサーが投稿した長文のnoteだった。タイトルは『東條樹が描こうとした本当の結末──アークは世界を滅ぼして死ぬ』。
「……は?」
思わず声が出た。
記事を読み進めるほど、こめかみの血管がピキピキと音を立てる。
『物語の構造上、主人公アークの死は不可避』
『ヒロインを見殺しにすることで完成する悲劇の美学』
『遺されたネームには、救いのないラストが描かれていたという噂も……』
「違う……っ!」
俺は布団を蹴飛ばして起き上がった。
ふざけるな。誰だその噂を流したのは。
俺の頭の中にあったラストは、そんな陳腐な鬱エンドじゃない。
アークは傷だらけになっても、最後にはヒロインの手を取って、泥だらけの顔で笑うんだ。
「生きててよかった」って、そう言わせるために、俺は二十七巻も積み重ねてきたんだぞ。
悔しかった。
死人に口なしとは言うけれど、勝手に殺されて、勝手に物語まで歪められるなんて。
このままじゃ、『アークエンド』は「未完の悲劇」として、間違った解釈のまま歴史に固定されてしまう。
「……訂正してやる」
衝動は、雷のように脳天を貫いた。
公式として名乗ることはできない。東條樹として反論することもできない。
だが、「一人のファン」としてなら?
「こういう結末もあり得たんじゃないか」という、ifの二次創作として提示するだけなら?
「そうだ。これは二次創作だ。ただのファンアートだ」
自分に言い訳をする。
俺はリビングへ走り、PCの前に座った。
寝癖も直さず、パジャマのままだ。
配信ソフトを立ち上げる。タイトルは『お絵かき練習』。タグにこっそりと『#アークエンド』を入れた。
「Nemo」として描く。
誰でもない、ただの絵描きとして。
配信開始ボタンを押す。
平日の午後三時。同接は一桁からのスタートだ。
俺は迷わず、キャンバスに線を引き始めた。
描くのは、主人公のアーク。
魔王軍との最終決戦直前、ボロボロになりながらも剣を構える姿だ。
資料なんていらない。
身長百七十八センチ。体重七十キロ。右頬の傷は三年前の戦いでついたもの。鎧の意匠、マントのほつれ具合。
全てが俺の細胞に刻まれている。
カカカカッ、とショートカットキーを叩く音が小気味よく響く。
ペン先が走る。
速い。
昨日の狼の絵よりも、数段速い。
なにせ、十年以上描き続けてきた「相棒」なのだ。
『ん? アークエンド?』
『うっわ、懐かしい』
『この人、昨日の狼の人か?』
コメントが少しずつ流れ始める。
俺は反応しない。画面の中のアークと対話することに集中していた。
久しぶりだな、アーク。
悪かったな、あんなところで放置して。
寒かったろ。痛かったろ。
今、動かしてやるからな。
線画が出来上がる頃には、視聴者数が三桁を超えていた。
ざわつきが大きくなる。
『え、うまくね?』
『ちょ、待って。このアーク、解像度高すぎない?』
『公式の原画集見て描いてるのかな』
『いや、このポーズ見たことないぞ』
俺は塗りの工程に入った。
ここが勝負だ。
東條樹の塗りは、厚塗りとアニメ塗りのハイブリッドだ。
光と影のコントラストを強くして、キャラクターの「意志」を強調する。
だが、今回は少しだけ変える。
今の俺、如月雪の感性を混ぜる。
もっと繊細に。もっと透明感を。
「悲劇」ではなく「希望」を感じさせる光の入れ方を。
ゾーンに入った。
周りの音が消える。空腹も、喉の渇きも感じない。
ただ、モニターの中の世界だけが鮮明に浮かび上がる。
アークの瞳に、ハイライトを入れる。
決意の光。生への執着。
『……鳥肌立った』
『なんだこれ』
『泣きそう』
『東條先生が生きてるみたいだ』
そのコメントが目に入っても、もう手は止まらなかった。
むしろ、加速する。
そうだ、俺は生きている。
肉体は変わっても、魂はここにある。
俺が描けば、それが本物だ。たとえ世界が偽物と呼ぼうとも、この線だけは嘘をつかない。
二時間が経過した。
完成した一枚絵。
荒野に立つアークが、振り返ってこちらを見ている。
その表情は、疲労困憊しているが、口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
背景には、雲間から射す一筋の光。
「まだ終わらない」というメッセージを、絵全体で叫んでいた。
「……よし」
小さく呟いて、ペンを置く。
肩で息をする。心臓が早鐘を打っている。
やりきった。
今の俺に出せる全力だ。
コメント欄を見る。
流れる速度が異常だった。
『神降臨』
『これマジで誰? プロ?』
『東條先生の未公開ラフじゃないの?』
『違う、塗りが新しい。でも魂は同じだ』
『スパチャ投げさせろ』
『続きが見たい。このアークの続きが』
同接数は、いつの間にか五千人を超えていた。
告知なしの平日昼間としては、異常事態だ。
俺は震える手で『Thank you』と書き込み、配信を切った。
静寂が戻る。
だが、ネットの向こう側の熱狂は、ここからが本番だった。
俺は完成したイラストを保存し、Pixiv的な投稿サイト『Creatia』にアップロードした。
タイトルは『希望』。
キャプションには一言だけ。
『彼はまだ、諦めていないと思います』
投稿ボタンを押す。
その瞬間、俺は「禁断の果実」を世界にばら撒いてしまったのだと自覚した。
数分後。
スマホの通知がバグったように震え始めた。
Xのトレンドに『#Nemo』『#アークエンド』『#東條樹』の文字が並ぶ。
拡散の勢いは、山火事のように広がっていく。
「……やばい」
俺は椅子に深く沈み込んだ。
これは、「ただのファンアート」では済まされない。
あまりにも完成度が高すぎた。
そして何より、ファンの「こうあって欲しかった」という願望を、完璧に形にしてしまった。
『この絵を描いたNemoって何者?』
『東條先生のゴーストライター説』
『AIにしては筆致が人間くさすぎる』
『泣いた。これが俺たちの見たかったアークだ』
称賛と、困惑と、疑念。
その渦の中心に、俺はいる。
正体を隠したまま、元・天才漫画家が自分の作品の二次創作をする。
それは、世界に対する最大の欺瞞であり、同時に最大のファンサービスでもあった。
ふと、モニターの端に新しい通知が表示された。
出版社のアカウントだ。
いや、違う。これは……。
『集英談社 編集部 真田』
見覚えのある名前に、俺の心臓が止まりかけた。
真田さん。
俺の担当編集。
葬式の時、一番泣いてくれた男。
彼が、俺の絵を見つけたのか。
「……見つかっちゃったかな」
俺は膝を抱えた。
怖い。けれど、心のどこかで歓喜している自分がいた。
届いたんだ。
俺の絵が、一番見てほしかった人に。
だが、それは同時に「Nemo」という存在が、平穏な生活を脅かす爆弾になったことを意味していた。
俺はまだ知らない。
この一枚の絵が、どれだけの人の人生を狂わせ、そして救うことになるのかを。
高級マンションの一室で、十五歳の少女の姿をした俺は、ただ呆然とバズり続ける画面を見つめていた。