夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く 作:匿名TS美少女
大手出版社、集英談社の第二編集部。
午後四時のオフィスは、電話のベルとキーボードを叩く音、そしてどこかのブースで行われている打ち合わせの怒声で満たされていた。
「……違う。全然違う」
デスクの山積みの原稿を前に、真田は深いため息をついた。
タバコの吸い殻が溢れかけた灰皿。冷めきったブラックコーヒー。
三十代半ばにして白髪が混じり始めた髪を乱暴にかきむしる。
目の前にあるのは、新人賞の応募原稿だ。画力はある。構成も悪くない。
だが、何かが決定的に欠けている。
「魂がねえんだよ、魂が」
ボヤきながら、原稿を放り投げる。
あの日──一年前の二月十五日以来、真田の中で漫画を見る「目」は死んでいた。
担当作家であり、友人であり、最大のライバルでもあった東條樹。
彼の描く線には、命が宿っていた。
紙の上なのに、キャラが呼吸し、汗をかき、こちらを見据えてくるような圧倒的な実存感。
あれを知ってしまった後では、どんな天才新人の絵も、ただのインクの染みにしか見えなかった。
「真田さん、ちょっといいですか」
声をかけてきたのは、入社二年目の若手編集、井口だった。
手にはタブレットを持っている。またSNSで見つけた「バズり絵師」の売り込みだろうか。
真田は気怠げに視線を向けた。
「なんだ。また『ポスト東條樹』の発掘か? 言っとくけど、画風が似てるだけのコピー作家なら門前払いだぞ」
「いえ、それが……ちょっと、見ていただきたくて」
井口の声が上ずっている。
珍しい。普段は冷めた態度の現代っ子が、興奮で鼻息を荒くしている。
真田は眉をひそめ、差し出されたタブレットを受け取った。
「これです。今、Xでトレンド入りしてる『Nemo』って絵師なんですけど」
画面に映っていたのは、一枚のイラストだった。
荒野に立つ騎士。泥と血にまみれながら、不敵に笑う男。
『アークエンド』の主人公、アーク。
「……は?」
真田の思考が、一瞬で真っ白になった。
心臓がドクリと大きく跳ね、肋骨を内側から叩く。
持っていたタバコが指から滑り落ち、デスクの上に灰を撒き散らした。
「なんだ、これ」
声が震えた。
似ている、とかいう次元ではなかった。
構図の重心の取り方。マントが風を孕むそのシワの描き方。
そして何より、瞳だ。
絶望の淵に立たされながらも、決して折れない意志を宿した、あの瞳。
「嘘だろ……」
真田はタブレットをひったくるように引き寄せ、画面をピンチアウトして拡大した。
プロの編集者としての目が、無意識に「粗」を探そうとする。
模写なら、必ずどこかに線の迷いが出る。
AIなら、細部の整合性が取れない。
他人の手癖なら、線の入り抜きに違和感が残るはずだ。
だが、無い。
どこまで拡大しても、線が死んでいない。
むしろ、拡大すればするほど、その線が持つ情報量に圧倒される。
迷いなく引かれた一本の主線。その強弱だけで、鎧の重さと金属の冷たさを表現している。
背景の雲間から射す光の演出。これは「東條樹」が好んで使っていた手法だ。
だが、以前よりもさらに透明感が増し、神々しさすら帯びている。
「これ、いつ投稿された?」
「一時間前です。もう十万いいね超えてます」
「……誰だ。このNemoってのは」
真田の声は、地を這うように低かった。
脳の奥が熱い。まるで火箸を突っ込まれたように、理性が焼け焦げていく感覚。
あり得ない。
東條樹は死んだ。俺が確認した。冷たくなった彼の手を握った。
骨は拾ったし、墓にも入れた。
だとしたら、これはなんだ?
亡霊か?
それとも、俺たちが知らないだけで、彼には双子の兄弟でもいたのか?
いや、才能は遺伝だけじゃない。人生経験と、削り出した魂の形が線になるんだ。
これは、東條樹の人生を生きた人間にしか描けない絵だ。
「動画……アーカイブはあるのか」
「あ、はい。昨日の深夜と、今日の昼間に配信してたみたいで」
真田は自分のデスクのPCにかじりついた。
仕事なんて放り出した。
検索窓に『Nemo』と打ち込む。
配信サイトのアーカイブ動画が表示される。
再生ボタンを押す。
画面の中には、真っ白なキャンバス。
そこへ、カーソルが動く。
迷いがない。
ショートカットキーを叩くリズム。ツールの切り替え速度。
ブラシサイズを調整する、その一瞬の手癖。
「あっ……」
真田の喉から、短い悲鳴のような息が漏れた。
見覚えがありすぎる。
打ち合わせ中、手持ち無沙汰になるとタブレットの端に丸を描く癖。
考え込む時に、カーソルを高速で円運動させる癖。
そして、線を引く瞬間の、あの一呼吸の間。
「先生……?」
涙腺が熱くなる。
画面の向こうに、あいつがいる。
薄暗い部屋で、猫背になって、モニターの光に照らされながらペンを走らせているあいつの背中が見える。
そんなはずはないのに。
オカルトなんて信じないのに。
この絵は、死んだはずの男が「今の技術」で描いた、最新の原稿だ。
「真田さん? 大丈夫ですか、顔色が……」
「黙ってろ」
井口を遮り、真田は動画を食い入るように見つめ続けた。
脳が焼かれる。
歓喜と恐怖、そして強烈な嫉妬がないまぜになった感情が、胸の中で爆発していた。
生きていてほしいと願う心と、死者を冒涜されたと怒る心が殴り合っている。
だが、編集者としての本能が、結論を叫んでいた。
『こいつを捕まえろ』
もし、万が一。
何らかの奇跡、あるいはトリックで、東條樹の魂を受け継ぐ者が現れたのだとしたら。
『アークエンド』を完結させられるのは、世界でこいつしかいない。
「……井口」
「は、はい」
「今すぐ、このNemoってやつの情報を洗え。IPアドレス、使用機材、配信の時間帯、背景の映り込み、全部だ」
「え、でも、そこまでやるのは……」
「やれッ!!」
編集部中に響き渡る怒声。
周囲の編集者たちが驚いて手を止める。
だが、真田は構わなかった。
震える手でタバコを箱から取り出し、二回も逆にくわえそうになりながら、ようやく火をつける。
紫煙の向こうで、モニターの中のアークが笑っている。
『まだ終わってないぜ』と、俺を挑発している。
「……上等だ」
真田はニヤリと笑った。その笑顔は、どこか狂気を孕んでいた。
目から涙が流れているのに、口元は裂けるほど歪んでいる。
「偽物なら地獄の底まで追い詰めて化けの皮を剥いでやる。だが……もし本物なら」
首根っこ捕まえてでも、机に縛り付けてでも、描かせてやる。
あの続きを。
俺が見たくて見たくてたまらなかった、あの物語の結末を。
「……見つけたぞ、先生」
真田の脳は、完全に焼かれていた。
退屈な日常は終わりだ。
ここから先は、幽霊狩りか、あるいは神探しだ。
男はマウスを握りしめ、獲物を狙う狩人の目で、画面の中の「Nemo」を睨みつけた。