夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く   作:匿名TS美少女

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5話

 大手出版社、集英談社の第二編集部。

 午後四時のオフィスは、電話のベルとキーボードを叩く音、そしてどこかのブースで行われている打ち合わせの怒声で満たされていた。

 

「……違う。全然違う」

 

 デスクの山積みの原稿を前に、真田は深いため息をついた。

 タバコの吸い殻が溢れかけた灰皿。冷めきったブラックコーヒー。

 三十代半ばにして白髪が混じり始めた髪を乱暴にかきむしる。

 目の前にあるのは、新人賞の応募原稿だ。画力はある。構成も悪くない。

 だが、何かが決定的に欠けている。

 

「魂がねえんだよ、魂が」

 

 ボヤきながら、原稿を放り投げる。

 あの日──一年前の二月十五日以来、真田の中で漫画を見る「目」は死んでいた。

 担当作家であり、友人であり、最大のライバルでもあった東條樹。

 彼の描く線には、命が宿っていた。

 紙の上なのに、キャラが呼吸し、汗をかき、こちらを見据えてくるような圧倒的な実存感。

 あれを知ってしまった後では、どんな天才新人の絵も、ただのインクの染みにしか見えなかった。

 

「真田さん、ちょっといいですか」

 

 声をかけてきたのは、入社二年目の若手編集、井口だった。

 手にはタブレットを持っている。またSNSで見つけた「バズり絵師」の売り込みだろうか。

 真田は気怠げに視線を向けた。

 

「なんだ。また『ポスト東條樹』の発掘か? 言っとくけど、画風が似てるだけのコピー作家なら門前払いだぞ」

「いえ、それが……ちょっと、見ていただきたくて」

 

 井口の声が上ずっている。

 珍しい。普段は冷めた態度の現代っ子が、興奮で鼻息を荒くしている。

 真田は眉をひそめ、差し出されたタブレットを受け取った。

 

「これです。今、Xでトレンド入りしてる『Nemo』って絵師なんですけど」

 

 画面に映っていたのは、一枚のイラストだった。

 荒野に立つ騎士。泥と血にまみれながら、不敵に笑う男。

『アークエンド』の主人公、アーク。

 

「……は?」

 

 真田の思考が、一瞬で真っ白になった。

 心臓がドクリと大きく跳ね、肋骨を内側から叩く。

 持っていたタバコが指から滑り落ち、デスクの上に灰を撒き散らした。

 

「なんだ、これ」

 

 声が震えた。

 似ている、とかいう次元ではなかった。

 構図の重心の取り方。マントが風を孕むそのシワの描き方。

 そして何より、瞳だ。

 絶望の淵に立たされながらも、決して折れない意志を宿した、あの瞳。

 

「嘘だろ……」

 

 真田はタブレットをひったくるように引き寄せ、画面をピンチアウトして拡大した。

 プロの編集者としての目が、無意識に「粗」を探そうとする。

 模写なら、必ずどこかに線の迷いが出る。

 AIなら、細部の整合性が取れない。

 他人の手癖なら、線の入り抜きに違和感が残るはずだ。

 

 だが、無い。

 どこまで拡大しても、線が死んでいない。

 むしろ、拡大すればするほど、その線が持つ情報量に圧倒される。

 迷いなく引かれた一本の主線。その強弱だけで、鎧の重さと金属の冷たさを表現している。

 背景の雲間から射す光の演出。これは「東條樹」が好んで使っていた手法だ。

 だが、以前よりもさらに透明感が増し、神々しさすら帯びている。

 

「これ、いつ投稿された?」

「一時間前です。もう十万いいね超えてます」

「……誰だ。このNemoってのは」

 

 真田の声は、地を這うように低かった。

 脳の奥が熱い。まるで火箸を突っ込まれたように、理性が焼け焦げていく感覚。

 あり得ない。

 東條樹は死んだ。俺が確認した。冷たくなった彼の手を握った。

 骨は拾ったし、墓にも入れた。

 だとしたら、これはなんだ? 

 

 亡霊か? 

 それとも、俺たちが知らないだけで、彼には双子の兄弟でもいたのか? 

 いや、才能は遺伝だけじゃない。人生経験と、削り出した魂の形が線になるんだ。

 これは、東條樹の人生を生きた人間にしか描けない絵だ。

 

「動画……アーカイブはあるのか」

「あ、はい。昨日の深夜と、今日の昼間に配信してたみたいで」

 

 真田は自分のデスクのPCにかじりついた。

 仕事なんて放り出した。

 検索窓に『Nemo』と打ち込む。

 配信サイトのアーカイブ動画が表示される。

 再生ボタンを押す。

 

 画面の中には、真っ白なキャンバス。

 そこへ、カーソルが動く。

 迷いがない。

 ショートカットキーを叩くリズム。ツールの切り替え速度。

 ブラシサイズを調整する、その一瞬の手癖。

 

「あっ……」

 

 真田の喉から、短い悲鳴のような息が漏れた。

 見覚えがありすぎる。

 打ち合わせ中、手持ち無沙汰になるとタブレットの端に丸を描く癖。

 考え込む時に、カーソルを高速で円運動させる癖。

 そして、線を引く瞬間の、あの一呼吸の間。

 

「先生……?」

 

 涙腺が熱くなる。

 画面の向こうに、あいつがいる。

 薄暗い部屋で、猫背になって、モニターの光に照らされながらペンを走らせているあいつの背中が見える。

 そんなはずはないのに。

 オカルトなんて信じないのに。

 

 この絵は、死んだはずの男が「今の技術」で描いた、最新の原稿だ。

 

「真田さん? 大丈夫ですか、顔色が……」

「黙ってろ」

 

 井口を遮り、真田は動画を食い入るように見つめ続けた。

 脳が焼かれる。

 歓喜と恐怖、そして強烈な嫉妬がないまぜになった感情が、胸の中で爆発していた。

 生きていてほしいと願う心と、死者を冒涜されたと怒る心が殴り合っている。

 だが、編集者としての本能が、結論を叫んでいた。

 

『こいつを捕まえろ』

 

 もし、万が一。

 何らかの奇跡、あるいはトリックで、東條樹の魂を受け継ぐ者が現れたのだとしたら。

『アークエンド』を完結させられるのは、世界でこいつしかいない。

 

「……井口」

「は、はい」

「今すぐ、このNemoってやつの情報を洗え。IPアドレス、使用機材、配信の時間帯、背景の映り込み、全部だ」

「え、でも、そこまでやるのは……」

「やれッ!!」

 

 編集部中に響き渡る怒声。

 周囲の編集者たちが驚いて手を止める。

 だが、真田は構わなかった。

 震える手でタバコを箱から取り出し、二回も逆にくわえそうになりながら、ようやく火をつける。

 

 紫煙の向こうで、モニターの中のアークが笑っている。

『まだ終わってないぜ』と、俺を挑発している。

 

「……上等だ」

 

 真田はニヤリと笑った。その笑顔は、どこか狂気を孕んでいた。

 目から涙が流れているのに、口元は裂けるほど歪んでいる。

 

「偽物なら地獄の底まで追い詰めて化けの皮を剥いでやる。だが……もし本物なら」

 

 首根っこ捕まえてでも、机に縛り付けてでも、描かせてやる。

 あの続きを。

 俺が見たくて見たくてたまらなかった、あの物語の結末を。

 

「……見つけたぞ、先生」

 

 真田の脳は、完全に焼かれていた。

 退屈な日常は終わりだ。

 ここから先は、幽霊狩りか、あるいは神探しだ。

 男はマウスを握りしめ、獲物を狙う狩人の目で、画面の中の「Nemo」を睨みつけた。

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