夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く   作:匿名TS美少女

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6話

 朝、目が覚めると、スマホが文鎮になっていた。

 比喩ではなく、バッテリーが完全に放電しきって沈黙していたのだ。

 充電ケーブルを差し込み、数分待って再起動すると、今度は通知の嵐でフリーズしかけた。

 

「……うわぁ」

 

 如月雪の可憐な唇から、おっさんのような呻き声が漏れる。

 Xの通知欄が「99+」でカンストしている。

 恐る恐るトレンドを確認すると、日本のトレンド1位に『#Nemo』、2位に『#アークエンドの続き』、3位に『東條樹』が並んでいた。

 

「やっちまった……」

 

 俺はベッドの上で頭を抱えた。

 昨日のテンションはおかしかった。

 久しぶりに絵を描けた喜びと、自分の作品が誤解されていることへの憤りで、ドーパミンがドバドバ出ていたに違いない。

『二次創作』という免罪符があれば許されると思っていたが、そのクオリティが許容範囲をぶっちぎってしまったらしい。

 

 投稿したイラスト『希望』の「いいね」数は、一晩で二十万を超えていた。

 リプライ欄をスクロールする指が震える。

 

『神絵師爆誕』

『これ公式じゃないの?』

『泣いた。アークはまだ笑えるんだ』

『生きる希望が湧きました』

 

 称賛の嵐。

 正直に言えば、めちゃくちゃ気持ちよかった。

 死後一年、誰にも届かなかった俺の声が、こうして世界に響いている。

 承認欲求という名の麻薬が、脳髄を痺れさせる。

 俺はまだ、終わっちゃいない。東條樹の魂はここにある。

 

 だが、甘美な時間のあとには、必ず副作用がやってくる。

 リプライ欄をさらに下にスクロールしていくと、空気が変わった。

 

『死人商法乙』

『東條先生の画風パクって承認欲求満たすなよ』

『AIに学習させたんだろ? 線の処理が不自然』

『未完だから美しいのに、勝手な解釈で汚さないでほしい』

 

 アンチの出現だ。

 俺の胃がキリキリと痛んだ。

「パクリ」「冒涜」「偽物」。

 投げつけられる言葉の一つ一つが、鋭利な刃物となって刺さる。

 特に「東條樹への敬意がない」という批判は、皮肉すぎて笑うしかなかった。

 俺が俺に敬意を払えって? こっちは必死に生きてるだけなんだが。

 

「……でも、逆に好都合か」

 

 俺はふと、冷静になった。

 アンチがいるということは、「Nemo=東條樹本人」という可能性が否定されているということだ。

「よくできた偽物」「高精度のAI」「リスペクト過剰なファン」。

 世間がそう思ってくれているなら、正体がバレることはない。

 俺は「謎の天才新人絵師」というポジションで、のらりくらりとやっていけばいい。

 

 そう楽観視して、俺は匿名掲示板の「Nemo特定スレ」を開いた。

 そして、顔面蒼白になった。

 

 そこには、俺の予想を遥かに超える「解析」が行われていたからだ。

 

『配信アーカイブの音声解析したわ。キーボードの打鍵音からして、Realforceの静音モデル』

『左手デバイスはTourBoxだな。カチカチ音が特徴的』

『ペンの運び方、ストロークの速度、これ完全にプロの挙動だぞ』

『東條先生のアシスタント説が濃厚じゃね?』

 

 特定班の執念が凄まじい。

 使用機材までバレている。

 だが、一番怖かったのは、ある一つの書き込みだった。

 

『ID:Edit_Pro >> こいつの線の入り抜き、東條樹の原画と比較してみた。

 迷い線の角度、ハッチングのピッチ、全部一致する。

 特に、キャラの視線を誘導するための構図の重心。

 これは「真似」でできるレベルじゃない。

 本人の手癖そのものだ』

 

 背筋が凍った。

 専門的すぎる。

 ただの絵描きオタクの分析じゃない。編集者か、同業者か、あるいは研究者か。

「Edit_Pro」というIDの主は、俺の絵を丸裸にしていた。

 まるで、俺の指紋を採取して照合しているかのように。

 

「……誰だ、これ」

 

 俺は無意識に自分の左手を握りしめた。

 隠せない。

 指紋を変えることができないように、十年かけて染み付いた「作家としての手癖」は、そう簡単には消せないのだ。

 

 さらにスレッドには、不穏な空気が漂い始めていた。

 

『Nemoの配信時間、平日の昼間だよな』

『ニートか?』

『いや、不登校の学生か、金持ちの道楽か』

『背景の映り込み解析班、仕事しろ』

『昨日の宅配便の音、高級マンション特有の重いドア音だったぞ』

 

 やばい。

 如月雪としての生活が脅かされる。

 もし住所が特定されたら、この安息の地は失われる。

 マスコミが押し寄せ、雪の両親にも迷惑がかかり、最悪の場合、俺という存在のイレギュラーさが露見する。

 

「……対策しなきゃ」

 

 俺はPCに向かい、OBSの設定を徹底的に見直した。

 ノイズキャンセリングを最強にする。

 環境音が入らないように、マイクの感度を下げる。

 部屋のカーテンをガムテープで目張りして、外の光や景色が一切映り込まないようにする。

 

「これなら……」

 

 そこまでして、なぜ描くのをやめないのか。

 恐怖はある。リスクもある。

 それでも、モニターの中の『アーク』が、俺を見つめているからだ。

「続きは?」と問いかけてくるからだ。

 

 俺は唇を噛んだ。

 アンチの言葉も、特定班の影も怖い。

 だけど、それ以上に怖いのは、このまま「描かない」選択をして、二度目の人生も「誰にもなれずに」終えることだ。

 

 ピロン、と通知音が鳴る。

 DMだ。

 反射的に身構える。

 差出人は知らないアカウント。アイコンはない。

 

『初めまして。突然のご連絡失礼いたします。

 集英談社、編集部の真田と申します。

 あなたの絵について、重要なお話があります』

 

 心臓が、口から飛び出しそうになった。

 真田さん。

 やっぱり、あんたか。

 さっきの掲示板の書き込み、まさかあんたじゃないよな? 

 

 『重要なお話』。

 

 それは勧誘か、それとも「東條樹の権利侵害」に対する警告か。

 あるいは──「お前は誰だ」という尋問か。

 

 俺の手は震えていた。

 返信ボタンを押すべきか、ブロックすべきか。

 画面の向こうに、かつての戦友であり、今は俺を追い詰める狩人となった男の顔が浮かぶ。

 その目はきっと、獲物を狙う鷹のように鋭く、そして飢えているはずだ。

 

「……今は、無理だ」

 

 俺はそっとブラウザを閉じた。

 逃げたと言われてもいい。

 今の俺は、ただの十五歳の少女だ。

 百戦錬磨の敏腕編集者と対峙できる精神状態じゃない。

 

 俺は膝を抱えて、薄暗い部屋の中で息を殺した。

 世界中が俺を探している。

「Nemo」という正体不明の幽霊を。

 その恐怖と、奇妙な高揚感が、俺の身体を熱くしていた。

 

「描くよ。……描いてやるさ」

 

 震える声で呟く。

 見つかるのが先か、描き切るのが先か。

 これは俺と世界との、鬼ごっこだ。

 そして鬼は、俺が一番よく知っている、あいつだ。

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