夭折した天才漫画家だけど、転生したらTS美少女だったから勝手に続き描く   作:匿名TS美少女

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8話

 インターホンが鳴ったのは、配信を切り、冷や汗を拭きながら水を飲んでいたときだった。

 

『ピンポーン』

 

 無機質な電子音が、静まり返った部屋に爆音のごとく響き渡る。

 俺はビクッとして、持っていたペットボトルを握り潰してしまった。

 水が少し飛び散る。

 

「……誰だ?」

 

 時計を見る。平日の午後四時過ぎ。

 宅配便なら宅配ボックスに入れていくはずだし、新聞勧誘にしてはオートロックを突破してくるのが早すぎる。

 まさか、真田さんか? 

 いや、いくらあの人が敏腕編集者でも、スパチャを送ってから数十分で住所を特定して突撃してくるなんて、物理的にありえない。そこまでいくとホラーだ。

 

 俺は忍び足でモニターの前に行き、スイッチを入れた。

 映っていたのは、予想外の人物だった。

 

「ユキー! いるんでしょー? 開けてよー」

 

 カメラに向かってピースサインをしているのは、金髪に派手なメイクのギャルだった。

 制服のスカートは短く、耳にはジャラジャラとピアスがついている。

 誰だこれ。

 如月雪の記憶がない俺には、完全に未知との遭遇だ。

 

 居留守を使うべきか。

 だが、彼女は諦める様子がない。

 

「LINE既読つかないし、心配して来てやったんだからさー」

 

 LINE。そういえばスマホの通知は全て無視していた。

 彼女が雪の友人だとしたら、あまり無下にすると「中で倒れてるんじゃないか」と警察を呼ばれるリスクがある。自殺未遂の前科がある身体なのだから、なおさらだ。

 

 俺は覚悟を決めた。

 深呼吸をし、喉の調子を整える。

 俺は今、十五歳の不登校美少女だ。おっさんじゃない。

 

「……はい」

 

 恐る恐る解錠ボタンを押し、玄関のドアを少しだけ開けた。

 チェーンロックはかけたままにしておく。

 

「うわ、やっと出た! 生きてんじゃん!」

 

 隙間から覗き込んできた彼女は、俺の顔を見るなり破顔した。

 底抜けに明るい。

 どうやら、敵意はないらしい。

 

「ミカ……ちゃん?」

 

 俺は賭けに出た。

 昨晩、雪のスマホに残っていた履歴の中で、一番頻繁に連絡を取り合っていた相手の名前が「ミカ」だったからだ。

 彼女は「ちゃん付けとかキモいんだけどw」と笑った。当たりだったらしい。

 

「チェーン外してよ。コンビニで新作のスイーツ買ってきたからさ」

 

 強引だ。

 だが、不思議と嫌な感じはしない。

 俺は観念してチェーンを外し、彼女を部屋に招き入れた。

 

 ミカはドカドカとリビングに入り込むと、慣れた手つきでソファに座り込んだ。

 この部屋に来るのは初めてじゃないらしい。

 

「へえ、部屋片付けたんだ。偉いじゃん」

 

 彼女は周囲を見渡し、少し驚いたように言った。

 以前の雪の部屋は、もっと荒れていたのだろうか。

 俺が散乱していた薬の瓶を片付け、換気をし、最低限の掃除をしたからだろう。

 

「……まあね。ちょっと気分転換に」

「ふーん。顔色もいいし。ちゃんと飯食ってる?」

「食べてるよ。スープとか」

「スープて。もっとガッツリ肉食えよ、肉」

 

 ミカはコンビニの袋からシュークリームを取り出し、俺に放り投げた。

 ナイスキャッチ。反射神経は悪くない。

 

「で、どうなの? 学校は」

「……まだ、無理かな」

「だよねー。まあ、あたしも最近サボり気味だけどさ」

 

 ミカはあっけらかんと言った。

 彼女の話を聞いていると、どうやら雪とは中学からの付き合いらしい。

 クラスで浮いていた雪に、なぜかカースト上位のギャルであるミカが構い始め、奇妙な友情が芽生えたのだとか。

 雪にとって、彼女は唯一の「外の世界との繋がり」だったのかもしれない。

 

「あ、これ」

 

 シュークリームを頬張りながら、ミカがPCデスクの方を指差した。

 画面には、さっきまで配信で描いていた『アークエンド』の絵が表示されたままだ。

 しまった。隠すのを忘れていた。

 

「また描いてんの? 好きだねー」

「えっ、あ、うん……」

「ユキの絵、うまいもんね。あたしにはよく分かんないけどさ、熱量は伝わるっていうか」

 

 ミカは立ち上がり、画面を覗き込んだ。

 俺は心臓が止まりそうになる。

 バレるか? 中身が入れ替わってるって。

 

「これ、アークじゃん。やっぱかっけーな」

「……知ってるの?」

「知ってるよ! あんたが布教してきたんじゃん。全巻貸してくれたし」

 

 ミカは懐かしそうに目を細めた。

 そして、少しだけ声を落とした。

 

「……あんたさ、東條先生が死んだとき、マジでやばかったもんね」

 

 俺の背筋に、冷たいものが走った。

 

「一週間くらい学校来なくなって、家行っても出てこないし。あの時はマジで、後追いでもすんのかと思った」

「……そんなに、好きだったんだ」

「好きとかいうレベルじゃなかったでしょ。信者? いや、もっと重い感じ。先生の漫画だけが生きがい、みたいな」

 

 ミカの言葉が、俺の胸に突き刺さる。

 如月雪は、俺のファンだった。

 それも、ただのファンじゃない。

 親にネグレクトされ、学校にも居場所がなかった彼女にとって、『アークエンド』という物語だけが、唯一呼吸できる場所だったのだ。

 

 俺が死んだ日。

 彼女の世界もまた、終わってしまったのかもしれない。

 

「でも、よかった」

 

 ミカは俺の方を向き、ニッと笑った。

 

「また描けるようになったんだね。先生は死んじゃったけど、ユキの中でアークは生きてるってことでしょ?」

 

 その言葉に、俺は何も言い返せなかった。

 涙腺が緩みそうになるのを必死で堪える。

 違うんだ、ミカちゃん。

 俺がその「先生」なんだ。

 君の友達の身体を乗っ取って、のうのうと絵を描いている幽霊なんだよ。

 

 ミカが帰ったあと、俺はベッドの下を漁った。

 彼女の話に出てきた「あのノート」を探すために。

 雪がいつも何かを書き込んでいたという、黒い表紙の日記帳。

 

 見つけた。

 鍵付きのハードカバーだが、鍵はヘアピン一本で簡単に開いた。

 プライバシーの侵害だとは分かっている。

 だが、俺は知らなければならない。

 この身体の持ち主が、何を思い、なぜ死を選ぼうとしたのかを。

 

 ページをめくる。

 そこには、几帳面な文字で、日々の鬱屈が綴られていた。

 

『3月10日。今日もお母さんは帰ってこない。テーブルに一万円札だけ置いてあった。私はATMじゃない』

『5月2日。学校で靴が隠された。どうでもいい。早く帰ってアークエンドの最新刊が読みたい』

『8月15日。コミケに行きたいけど勇気がない。東條先生にファンレターを書いた。読んでくれるかな』

 

 読んでいた。

 俺は記憶の糸を手繰り寄せる。

 たしかに、綺麗な字で書かれた熱烈なファンレターを何度か受け取った覚えがある。

 差出人の名前までは覚えていなかったが、あの便箋の柄は、この日記帳の表紙と同じだ。

 

 そして、ページが進むにつれ、文字は乱れていく。

 

『2月15日。嘘だと言って』

『先生が死んだ。ニュースでやってる。心不全だって』

『なんで? アークはまだ旅の途中なのに』

『暗い。世界が急に暗くなった』

 

 そこから先は、空白の日々が続いていた。

 そして、最後の日付。

 俺が目覚める前日のページ。

 

『もう疲れました。

 誰も私を見ていない。誰も私を必要としていない。

 アークエンドの続きがない世界に、生きていたくない。

 先生のところに行きたい』

 

 日記帳を閉じた俺の手は、震えていた。

 吐き気がした。

 俺は、殺したんだ。

 俺が不摂生で勝手に死んだせいで、この少女の心は壊れてしまった。

 彼女の絶望は、俺が作ったものだ。

 

「……馬鹿野郎」

 

 俺は日記帳を抱きしめ、うずくまった。

 謝って済む問題じゃない。

 俺は加害者だ。

 なのに、被害者の身体を借りて、二度目の人生を謳歌しようとしていたなんて。

 

 視界が滲む。

 涙が頬を伝い、日記の表紙に落ちた。

 如月雪。

 君は今、どこにいる? 

 まだこの身体の奥底で、深い眠りについているのか? 

 それとも、もう本当に消えてしまったのか? 

 

 もし、君がまだそこにいるなら。

 あるいは、俺の意識がこの身体にある限り。

 

「描くよ」

 

 俺は涙を拭い、顔を上げた。

 ただの自己満足じゃない。承認欲求のためでもない。

 君のために描く。

 君が見たかった『アークエンド』の続きを、俺が責任を持って最後まで描く。

 

「見ててくれ、雪」

 

 俺はPCの前に戻った。

 真田さんからのプレッシャーも、アンチの罵倒も、特定班の恐怖も、もうどうでもいい。

 俺には、描かなければならない理由ができた。

 

 この身体を生かすために。

 そして、彼女の魂を救うために。

 

 モニターの光に照らされた俺の顔は、きっと前世のどの瞬間よりも、漫画家らしい顔をしていたはずだ。

 俺はペンを握り直し、次のページのネームに取り掛かった。

 夜はまだ、長い。

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