やはりゴリラ・・・ゴリラは全てを解決する。
一進一退の攻防が続く。
互いに手の内を明かし、読み合い、それでも決定打が入らない。
東堂がバックステップと同時に、ポケットから数個の石を取り出し、周囲の木々へ向かって投げた。ただの牽制か?
――いや、違う。あの石、微量だが呪力が籠もっている!
パン!
乾いた柏手が鳴る。
来る。入れ替えだ!
僕は瞬時に石の位置と東堂の位置を計算し、背後からの攻撃を警戒して体を捻る。
だが――世界は反転しなかった。
東堂は目の前にいた。そのまま、無防備に背を向けた僕を蹴り飛ばした。
背中に重い衝撃。吹き飛びながら体勢を立て直す。
入れ替わっていない? 不発? いや、違う。
東堂がニヤリと笑う。
「手を叩いたからといって、術式が発動するとは限らない!」
……なるほど。ブラフか!
拍手という動作そのものをフェイントに使ったのか。
もう対応は不可能だ。思考の迷路に引きずり込まれる。勘が当たるしか道はない。
なら、直感そのものを強化する。
「重ねて――『
拡張術式を発動。
牛の体に人の顔を持つ、予言の妖怪。その能力は「未来視」に近い直感の付与。
数秒先の確定した未来ではない。だが、相手の筋肉の収縮、視線、呪力の揺らぎから、最適な回避ルートを脳に焼き付ける。
東堂が踏み込んでくる。
(来る。右の突き、フェイント、本命は左の掌底)
『件』の予測が脳裏を走る。
僕は予測に従い、半身になって右の突きを紙一重で逸らす。
そのまま、東堂の左腕――掌底を放とうとしていたその腕を狙う。
拡張術式は併用できない。『件』を維持したまま、純粋な呪力強化と体術だけで叩き折る。
踏み込みの勢いを肘に乗せ、カウンター気味にぶち当てる。
硬い何かが砕ける感触。東堂の左前腕が不自然に折れ曲がった。
距離を取る。
「……これで、もう手は叩けないでしょ?」
左手はプラプラと垂れ下がっている。拍手は不可能だ。術式は封じた。
「そうかな?」
東堂は痛痒を感じさせない笑みを浮かべ――あろうことか、折れた左手を右手で強引に叩き合わせた。
パン!
正気か!?
視界が反転する。
位置取りを間違えた。さっき投げた石の近くだ!
無防備な脇腹に、東堂の渾身の回し蹴りが突き刺さる。
肋骨が数本いく音がした。
こいつ、痛覚がないのか!?
衝撃で林を抜け、開けた場所に出た。
岩場が点在する河原のような場所だ。障害物が減り、視界が開ける。
だが、それは相手にとっても好都合だったらしい。
東堂のギアが上がった。
折れた左腕を庇うことなく、蹴り主体の猛攻に切り替えてくる。
多彩だ。リズムが読めない。こちらから攻めあぐねる。
(左は死んでいる。右のパンチと蹴りを警戒しろ)
思考を巡らせた瞬間、東堂が右足で地面を強く踏み抜いた。
土煙が舞い上がり、視界を塞ぐ。
「目眩ましか!」
視覚に頼るな。『件』の力で気配を感じ取れ。
正面!
土煙を裂いて、右のストレートが来る。
(なら、受けてカウンターを!)
僕は腕のガードを上げ、迎撃の体勢を取る。
だが、拳が止まった。
フェイント!?
その刹那、死角から伸びてきたのは――折れているはずの左拳。
激痛を無視し、呪力強化だけで無理やり稼働させた死に体の左腕が、僕のガードを強引にこじ開ける。
「しまっ……!」
ガードが開いた。
そこへ、タメを作った右の拳が、吸い込まれるように迫る。
回避は間に合わない。呪力で受ける――!
その時。
東堂葵に、黒い火花が微笑んだ。
空間が歪む。
時間が引き延ばされる。
打撃との衝突の瞬間、誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した際に生じる空間の歪み。
――黒閃
音よりも早く、衝撃が体を突き抜けた。
自分の体が弾け飛ぶのが他人事のように見える。
木を一本、二本、三本……何本貫いただろうか。
背中が岩盤に激突し、ようやく止まった。
「が、はっ……」
口から大量の血が溢れる。
何を喰らった?
胸を見る。
――ない。
制服ごと、胸部がごっそりと抉り取られていた。
肋骨は砕け散り、その奥にあるはずの心臓が露出し、半分以上が弾け飛んで欠損している。
致命傷なんて生易しいものじゃない。即死だ。
治さないと、死ぬ。数秒で意識が消える。
『帳』は、僕の意識の混濁と共に解除されたようだ。
『
ならば、自分でやるしかない。
思い出せ。家入さんに治療された時の感覚。
そして、『天之逆毎』が、天狗を消滅させた時の力の奔流を。
「負のエネルギー」である呪力。
それを掛け合わせることで生まれる「正のエネルギー」。
マイナス×マイナス=プラス。
理屈は分かる。頭で回すとも聞いた。
だが、出来ない。指先が冷たくなっていく。
(だめだ……死が、寄ってきている)
これで3回目か。
孤児院の夜。特級呪霊の山。そして、今回。
意識が薄れていく。視界が暗くなる。
だが、その暗闇の中で、死の輪郭だけが鮮明に浮かび上がる。
いい加減に掴め。
呪力の核心を。
頭で考えるな。体でダメなら、魂で感じろ。
僕の術式は『百鬼夜行』。魂を触媒に、異形を使役する術。
彼らは僕だ。僕は彼らだ。
天之逆毎の「反転」の感覚は、既に僕の魂に刻まれているはずだ。
――あ。
これか?
これだ。
欠けた心臓が、呪力ではない光で脈打った。
脳内で火花が散る。
負の感情が、負の呪力が、螺旋を描いて衝突し、真っ白な光へと変換される。
暖かい。消滅したはずの肉が、骨が、血管が、時間を巻き戻すように再生していく。
視点を変えてよかった。
感じる。百鬼がした体験、その根源。
笑いが込み上げてくる。
全能感。脳が焼き切れるような高揚。
ああ、僕の領域の意味も、ようやく分かった気がする。
早く呪力を回せ。時間がない。
僕はふらりと立ち上がった。
大穴が空いていた胸は、既に完治している。
「……
土煙の向こうで、東堂が目を見開いていた。
僕の全身から立ち昇る、圧倒的な呪力の奔流に気づいたのだろう。
「そうだよ、葵。……いや、
自然と、その呼び名が口をついて出た。
遠くから、悍ましいほどの呪力を感じる。里香ちゃんだな。金次たちがいるから、そっちは心配ない。
今は、目の前の彼に感謝を。
「反転術式……確かにこれは、感覚でしか伝わらないな! ありがとう! 親友の黒閃がなかったら会得できなかった!」
脳内麻薬がドバドバ出ているのが分かる。
世界が輝いて見える。
東堂が、狂暴な笑みを浮かべた。
「ハッ! 楽しそうだな、
「ああ! ラウンド2だ!」
僕は両手で印を結ぶ。
形は『弁財天』の手印。
金次、借りるよ。
「僕の領域の印はね、丸を作れればいいんだ。こういう風に指で作ってもね」
僕は東堂に見せつけるように、指で輪を作る。
「でも、条件は『
僕は自分の腹部に指を突き立て、グリリと穴を開けた。
鮮血が溢れるが、痛みは快感に変わる。
穴は空いたまま。風が通り抜ける。
「反転術式を会得するまでは、これは死と同義だったから使えなかった。……でも、もういいよね」
傷口は、開いた瞬間に反転術式で塞がろうとするが、そこに呪力を流し込んで維持する。
完璧だ。
空が欠けそこから今までで一番、深く、濃い闇が広がる。
「領域展か――」
「はい! 終了ぉぉぉぉ!!!」
場違いに明るい五条先生の声が響き渡った。
途端に、張り詰めていた糸が切れる。
高揚感が引いていき、どっと疲れが押し寄せてきた。
気が抜けるなぁ……。
「……里香ちゃんが、全部祓っちゃった?」
「ん、そのようだな」
東堂が構えを解き、遠くの空を見る。
そこには、異様な威圧感が消え、平穏な空気が戻っていた。
「勝負は個人戦でつけよう、ブラザー」
「そうだね。……とりあえず戻ろうか」
里香ちゃんは乙骨君の呼びかけにより、大人しく戻ったらしい。
本来なら2日目に行われるはずの個人戦だが、「里香ちゃんが出ると危ないから」という理由で中止になった。
それを聞いた瞬間、東堂は膝から崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
燃え尽きてるようだ。面白い。
東京高専に戻ろうと荷物を持ち、移動していると、復活した東堂が追いかけてきた。
折れた左腕は吊っているが、その目は死んでいない。
「来年だ。……来年こそは、決着をつけよう」
熱い視線に、僕は苦笑しながら頷いた。
「分かった。じゃあね、葵」
背を向けて歩き出す。
領域の方は、後で五条先生に見てもらおう。時間作ってくれるかな?
死にかけたことで、反転術式という大きな武器を手に入れた。
まだまだ強くなれる。
これからも研鑽を重ねていこう。
夕焼けに染まる空を見上げながら、僕は心地よい疲労感と共に高専への帰路についた。
本当は東堂にも反転習得させたろかなって思ったけどやめた。
領域のお披露目はもうちょい先ですね。
印はなんだかんだ言って穴があればいいので、指で丸を作っても穴判定になっています。
轟鬼自身の解釈なのでね。
新しく出た百鬼
・件
人面牛身の妖怪。災厄を予言すると伝えられる。
能力:直感の最適化
数秒先の確定した未来が見えるわけではない。
相手の筋肉の収縮、視線、呪力の揺らぎなどの膨大な情報を瞬時に解析し、脳に「最適な回避ルート」や「攻撃の軌道」を焼き付ける能力。
反射神経の限界を超えた回避を可能にするが、脳への負担が大きい。
・白狐
白い毛並みを持つ狐の妖怪。
能力:反転術式による治癒
他者を治癒できる「正のエネルギー」をアウトプットできる希少な回復役。
制約:
通常、百鬼の能力は「拡張術式」で術者自身に宿すことができるが、この白狐の「反転術式」だけは拡張術式での使用が不可能だった。
轟鬼は今回の死闘を経て自力で反転術式を習得したため、拡張術式での他者へのアウトプットが可能になった。