7月。
僕は任務で青森県・
これから夏本番。気温の上昇と共に、呪霊が蛆の如く湧き出す季節だ。
日が完全に落ちた寺の周囲は、異界のような静けさに包まれていた。
灰色の地面がどこまでも続き、草木はほとんど生えていない。風が吹くたびに、白い砂と小石が乾いた音を立てて転がっていく。
鼻を刺すのは、ツンとした硫黄の匂い。
ところどころ黄色く焼けた地面の裂け目から、白い蒸気が不気味に立ち上っている。
岩が乱雑に積み重なった「賽の河原」。その隙間に、無数の風車が刺さっていた。
赤、青、黄色。
カラカラ、カラカラと、乾いた音を立てて風車が回り続けている。
その先には、鉛色の水をたたえた
波一つない水面は、暗い夜空を鏡のように映し出していた。
まさに、この世とあの世の境目。
その中心に、古びた山門と堂宇を構える菩提寺だけが、黒い影となって佇んでいた。
「……また東北か。そのうち北海道まで飛ばされそうだな」
独り言が風に流される。
それにしても、霊場にしては静かすぎる。
ここは日本三大霊場の一つ。もっと有象無象の呪霊がひしめいていてもおかしくないはずだ。
しばらく歩くと、一体の呪霊を見つけた。
だが、その呪霊はさらに小さな呪霊を貪り食っていた。
「……なるほど。蠱毒か」
限られた閉鎖空間で、呪霊同士が共食いをし、強い個体だけが生き残っている状態。
気配を探る。
1級相当が4体……いや、5体か。それぞれがバラバラの縄張りを持ち、均衡を保っている。
もしこれらが一つに統合されていたら、特級案件になっていたかもしれない。
呪霊同士の均衡をあえて崩す必要はない。各個撃破といこう。
「お出で――『
現れたのは、絶世の美女の姿をした妖怪。
長い黒髪に雪のような白い肌。十二単のような豪奢な装束をまとい、九つの尾を優雅に揺らしている。
彼女の能力は「広範囲の呪力吸収と放出」。極の番には劣るが、その分小回りが利く。
さらに重ねる。
「『玉藻前』紡いで『
拡張術式を付与。
『呪狐』の特性である「呪力増幅」を乗せることで、吸収した呪力の出力倍加が可能になる。
「お出で――『大百足』」
地面が隆起し、黒光りする甲殻を持った巨大な百足が現れる。
無数の脚がカサカサと動き、赤い複眼が獲物を探す。その牙には強力な神経毒が含まれている。
「『大百足』紡いで『
さらに拡張術式。
『沼御前』の能力は「地面の泥化」。
彼女のおかげで、大百足は地面を水の中のように泳ぐことができる。
大百足は大きすぎるから、地面に潜っているくらいでちょうどいい。それでも存在感は凄まじいが。
「慎重に行こう」
僕が前線を張り、玉藻前は後方火力支援。大百足は地中からの奇襲兼護衛。
最初の1体は、僕が普通に祓った。これくらいは準備運動だ。
2体目の元へ向かうと、既に大百足が咀嚼していた。
「……君さ、結構距離あったと思うけど。え? 余裕で届く? ……そっか」
地中移動の速度が予想以上だったらしい。頼もしい限りだ。
次のポイントへ向かおうとした時、気配が動いた。
残りの3つの気配が急速に近づき一つに融合した。
「共食いして、特級手前まで成長したか」
向こうからやってくる。
現れたのは、中空に浮遊する巨大な球体状の呪霊。表面には無数の口があり、ブツブツと何かを呟いている。
球体の一部が変形し、砲口のように開いた。
高密度の呪力が集束していく。呪力砲だ。
なら、こちらも。
玉藻前が周囲の瘴気を吸い上げ、扇の先に光を灯す。
「重ねて――『神狐』」
拡張術式を切り替える。
『神狐』の特性は「呪力の清浄化」。
玉藻前に貯めさせた膨大な負の呪力を、疑似的な「正のエネルギー」へと変換する。
発射は同時。
だが、拮抗などしなかった。
神聖な白い光が、呪霊の放ったどす黒い呪力波を飲み込み、そのまま本体へと直撃した。
断末魔すらなく、呪霊が光の中に消滅する。
「……よし、終わり」
百鬼を戻す。
任務完了だ。帰りに駅で南部せんべいとリンゴでも買って帰ろう。
……そういえば、五条先生も海外出張だと言っていたな。憂太に会いに行ったのだろうか。
ふと、胸騒ぎがした。
妙だ。
虎杖悠仁は「宿儺の器」だ。上層部が目の敵にしている爆弾。
五条先生という抑止力がいない今、僕のような「五条派」の実力者を、わざわざ東京から遠ざけるような任務配置。
――隔離か?
あの腐った老人たちが、この隙に何もしないはずがない。
帰りの飛行機の中、僕は祈るような気持ちで窓の外を見ていた。
予感が外れてくれればいい。
ただの考えすぎであってくれ。
だが、現実は残酷だった。
高専に戻った僕を待っていたのは、最悪の報告書。
『英集少年院にて特級案件発生』
『高専1年生3名を派遣』
『内1名、虎杖悠仁死亡』
目の前が真っ赤に染まるような感覚。
はめられた。
してやられた。
特級案件に1年を派遣? ありえない。明らかに死なせるための采配だ。
僕が東京にいれば、間違いなく僕が担当していた案件だ。それを防ぐために、あえて遠方へ飛ばしたのか。
ドロリとしたどす黒い呪力が、体から溢れ出す。
上層部への殺意で視界が歪む。
……いや、落ち着け。
今、一番辛いのは生き残った1年生たちだ。僕が感情的になってどうする。
深呼吸をして、荒ぶる呪力を抑え込む。
グラウンドが騒がしい。
目を向けると、2年生と、1年生が集まっていた。
見慣れない少女がいる。
肩口で切りそろえた茶髪。つり気味の大きな目に、芯の強さを感じさせる表情。すらりとした体格に、釘と金槌を腰に下げている。
華やかさと気の強さを同時に感じさせる少女だ。最後の1年生か。
何やら2年生が1年生を追い回している。いじめ? ……いや、鍛錬か。
僕は明るい表情を作り、声をかけた。
「お疲れ、君たち。一体何の集まり?」
「あ、欠意か。」
真希が長い棍を担いで振り返る。
「交流会に1年も出すからな。しごいてんだよ」
「しゃけ」
「おかえり轟鬼。お土産は?」
「はい、これだよ」
パンダに南部せんべいの箱とリンゴの袋を渡す。
「交流会か。……ちょっと準備早くない?」
まだ時期尚早な気がする。彼らは心身ともに傷ついているはずだ。
「いや、こいつらが『強くなりたい』って言うからな」
真希が顎で1年生をしゃくる。
恵と、その少女。二人の目には、悲しみよりも強い「悔しさ」と「渇望」が宿っていた。
……そうか。立ち止まっている暇はないってことか。
「……そっか。僕も手伝おうか?」
「いじめるなよ?」
パンダが茶化す。
「なんでそうなるかなぁ。僕は優しい先輩だよ」
1年生の二人がこちらに来る。
少女がジロジロと僕を見た。
「ねぇ、あれが3年の先輩?」
「そう」
恵が答える。
「……真夏にあんな暑苦しい制服着てんの? バカなの?」
失礼だな。
「知らねぇよ。本人に聞け」
「初めましてかな? 3年の轟鬼欠意です。よろしくね、釘崎野薔薇さん」
僕は南部せんべいとリンゴが入った袋を差し出した。
「お、リンゴじゃん! 気の利く先輩でよかったわー」
野薔薇ちゃんは遠慮なくひったくっていく。うん、元気でよろしい。
「先輩。……鍛錬、手伝ってください」
恵が真っ直ぐな瞳で言った。
「いいよ。せっかくなら二人で掛かっておいで」
僕の提案に、二人は顔を見合わせ、少しムッとした表情になった。舐められたと思ったか。
彼らは2年生と何かコソコソ話してから、配置についた。
「しゃけ!!」
棘の合図と同時に、二人が動く。
恵が速い。以前より動きに迷いがない。
低い体勢からの足払い。僕はステップで躱すが、恵は止まらない。
その手には、黒い刀身の呪具が握られていた。
鋭い突きが喉元へ迫る。
……あのね、刃物は危ないよ。
僕は半身になり、片手で刀の峰を掴んで止める。
その死角から、野薔薇が飛び出してきた。
手には本物の金槌。
脳天狙いのフルスイング。
殺す気か!
僕は恵の刀を掴んだまま、もう片方の手で野薔薇ちゃんの手首を掴む。
二人の力が交差する点を見極め、合気の要領で力を流す。
「はい、ごっつんこ」
野薔薇を恵の方へ軽く投げると、二人はバランスを崩して重なるように倒れ込んだ。
一旦終わりだね。
「……ちょっと?何言われたの君たち?」
いくらなんでも殺意が高すぎる。
二人は息を切らしながら、恨めしそうに2年生の方を見た。
「『殺す気で行け』って言われました」
「手加減したらシメるって言われたのよ!」
視線を向けると、真希とパンダは明後日の方向を見て口笛を吹いている。
……なるほどね。
「後で2年もやろうね」
僕が笑うと、真希たちの肩がビクリと跳ねた。
「それで、いつからやってるの?」
「朝ぐらいから」
「やりすぎだ。オーバーワークは怪我の元だよ。今は休みなさい」
不満そうな二人をなだめ、休憩させる。
その後、教育的指導として2年生全員を投げ飛ばし、今日の鍛錬は終わった。
空を見上げる。
悠仁のことは悲しいが前を向いていこう。
先輩としての威厳?
そんなものはその辺の蝿頭が持っていっちゃった。