漏瑚よかったね。まともな対戦相手だよ。
特級呪霊・漏瑚。
頭部が火山になっているその単眼の化け物と、僕は森の奥で対峙していた。
「産み落ちて――『蛟』」
僕の影から、莫大な水量が噴き出す。
水に関する六体の百鬼を掛け合わせた融合体。
水流が渦を巻き、鱗を持つ巨大な水龍の形を成す。
滝のように生成された水が周囲に広がり、燃え盛っていた木々の炎を鎮火させていく。
範囲は直径百メートル、高さ三メートルほどに留める。これ以上広げると、葵や後輩たちに被害が及ぶ可能性があるからだ。
五条先生から聞いた情報によれば、こいつの手札は「音と爆発を使う虫」「高火力の呪力放出」そして「領域展開」。先ほどの熱線も厄介だ。気をつけるべきは領域と虫の爆発だな。
「……考え事は済んだか?」
背後から声。
速い!
振り向くより早く、背中に重い蹴りが入る。呪力で耐え、水飛沫を激しく立てながら数メートルほど後退するにとどめる。速い相手との戦闘経験はある。だがこいつの動きにはまだ慣れていない。しかも一撃入れたらすぐに距離を取るヒット&アウェイ戦法だ。
「本当に厄介だね。なぜ追撃しない? チャンスだったろ」
打撃自体は呪力ガードを抜くほど重くはない。だが、これをもらい続けるのは良くない。
「反転術式をアウトプットできるのは知っとる。儂の目的はあくまで足止めだ」
知ってる……か。本当は『白狐』を重ねないと他人へのアウトプットは無理なのだが、勘違いしているなら黙っておくのが吉だ。僕もこいつを皆のところへ行かせたくない。足止めは好都合だ。祓うのが最善だが、まずは情報を引き出すのが先だ。
「誰から聞いた? 僕の反転術式のアウトプットなんて、あまり人に見せていないんだけど」
「答える義理はない。それより、よそ見して良いのか?」
左右の木に突如として二つの火山の噴火口が生え、そこから極太の熱線が放たれた。
「蛟」
僕の思考に応じ、周囲の水が壁となって熱線を受け止める。
凄まじい熱量で水壁が蒸発していくが、蛟が新たな水を無限に生成し続けることで相殺する。
蛟は水圧も操れる。ならばあれも再現できるはずだ。
「穿血って知ってる?」
水の圧力を限界まで高め、解放する。
超高圧のウォーターカッターが、無数の線となって漏瑚に殺到する。
初速は速いが、軌道を曲げることはできない。だが、これはただの誘導だ。本命は――。
「重ねて――『迅雷鬼』」
接近戦だ。
雷の速度を身に宿し、水流を躱した漏瑚の死角に潜り込む。
呪力を乗せた重い拳を、漏瑚の脇腹に叩き込む。
「がっ!?」
漏瑚の体が「く」の字に折れ曲がり、遠くへ吹き飛ぶ。
腕でガードされたが、その腕ごとへし折った。
……なるほど、耐久力はそれほど高くない。これはいい情報だ。
今のは不意打ちだから通った。隙を見つけて、頭の火山に僕の拳を叩き込めれば勝てる。
それより、場所を移したい。
吹き飛ばした呪霊を追いかける。僕の背後から蛟に命じ、津波を起こしながら龍の形をとった巨大な水流を幾筋も放ち、上空に下りている『帳』の縁へと追い詰めていく。
「小僧がぁ!」
漏瑚の掌から、再び熱線が放たれる。
「安直だよ!」
熱線を掻い潜り、一気に距離を詰める。
踏み込んで、鉄山靠をブチ込もうとした、その時。
目の端で、頭部から奇妙な音を立てる羽虫が視界に入った。
僕の突撃ルート上に、あらかじめ配置していたのか……!
「っ!!」
咄嗟に背後の水龍を漏瑚と羽虫へ向け、僕自身は全力でバックステップを踏む。
凄まじい連鎖爆発。水蒸気爆発も相まって、視界が白く染まる。
一旦仕切り直しだ。
皆からは十分に距離を離した。もう全力で暴れられる。
それはあちらも同じだ。
領域展開される可能性が高い。
「『大百足』紡いで『沼御前』」
密かに大百足を地中深くへ潜らせる。僕は領域を展開する気はない。領域の押し合いで勝つことはできる。だが、東堂たちが相手にしているもう一体の特級呪霊もこちらの情報を共有している可能性がある。もしここで領域を展開し、術式が焼き切れた状態で不意打ちされれば最悪死ぬ。だから、大百足を想定できる領域の“範囲外”へ潜伏させておく。
「簡易領域」
カウンター用、かつ領域対策の構えを取る。
手札は存分にある。のんびり行こうか。
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儂の速さを捉えられるとはな。それに、並の術師より遥かに多い呪力量から繰り出される重い打撃。何度も食らうのはまずい。それにあの式神が厄介だ。生成される全ての水に呪力が込められとる。陀艮と同等の生成速度と見ても良いな。
儂の攻撃は決してぬるくない。だが、深手を負わせるのは厳しい。火礫蟲での爆撃も傷は負わせただろうが反転術式で即座に治される。夏油め『足止めが優先だけど、殺すならその体は後々使うから、なるべく傷をつけずに綺麗に殺してね』などと注文をつけおって。五条悟ほどではないがこの小僧も規格外だ。手加減して殺せる相手ではない。
奴の手札はまだあると見ていいだろう。……簡易領域の構え!
領域を使う気がないと見た。ならば、こちらは最大の札を切る。
「領域展開――『
領域で死なない程度にいたぶり、弱った所にトドメを刺す!
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「いきなりかよ!」
世界が反転した。
地は灼けてひび割れ、赤い溶岩が静かに流れている。周囲は歪んだ鉄の山に囲まれ、空は重い蓋のように閉ざされている。逃げ場のない、熱と圧に満ちた棺の中のような空間。
蛟は領域の外へ弾き出されたようだ。僕の張った簡易領域の膜はまだ持っているが、この暑さはなんだ。息をするだけで気道が焼ける。術式による環境の副次的効果か。だが領域は出させた。あらかじめ潜ませておいた大百足と外にいる蛟に結界の外郭を探らせ場所を把握して脱出する。
「どうした! その程度か!」
「うるせぇなぁ!」
僕は懐から呪符を五枚取り出した。晴明との戦いであの呪符を見てから考えてはいたのだ。あれは僕にも作れるんじゃないかと。一枚を残し、四枚を自分の体に貼り付ける。効果は『簡易領域』の代用。残りの一枚は『破邪』。反転術式を込めた特製のお札だ。
「たいして保たぬだろう!」
漏瑚が腕を振るう。空から隕石と見間違うほどの巨大な岩塊が雨のように落ちてくる。必中効果は簡易領域で中和しているはずだが、これは純粋な質量攻撃か。
「……やばいかも」
その場を高速で離脱する。安全地帯は術者である呪霊の側だろう。
だが他にも攻撃があるはずだ。
「ヒェェア!!」
漏瑚の奇声と共に、床から溶岩が噴き出し、膨大な津波となって押し寄せてきた。
火傷は反転術式でどうにでもなる。そのまま突っ込め!
「がぁぁッ!」
溶岩の波を強引に突破する。皮膚が焼け焦げる激痛。
熱波を抜け、漏瑚の眼前へ到達する。拳を振りかぶる。周囲に落ちる岩の振動が空気を震わせ焼け焦げて灰となった左腕を崩す。右拳を突き出す。
「そう来るか! 轟鬼欠意!」
来た! 打撃に対するカウンター!
握っていた拳を開き、隠し持っていた『破邪』の呪符を、漏瑚の迎撃の腕にピタリと貼り付けた。
「なんだ? この呪符から何かが流れて……ッ!?」
正のエネルギーが、呪符を通じて漏瑚の肉体を侵食する。
「くそっ!」
漏瑚は躊躇なく、自らの腕を肩から切り落とした。反応が早いな。致命傷になり得ると即座に判断したか。だが、これで最後のチャンスは終わった。次からはもう、打撃戦に応じてもらえることはないだろう。
……ようやくか!
地中の大百足と外の蛟が、この領域の縁を見つけてくれた。
体に貼った簡易領域の呪符も、残り一枚まで焼き切れている。時間がない!
「なんだ……逃げる気か!」
漏瑚が僕の動きを察知し追撃してくる。結界をすり抜ける『ぬらりひょん』に拡張術式を変更するのが、ギリギリ間に合わない。僕は振り返り、残った右腕を胸の前へ持ち上げた。人差し指に、中指を巻きつけるように交差させる。あの最強の術師が領域を展開する際に行う掌印。
「領域!」
漏瑚の足がピタリと止まる。左腕を失った状態の僕が、片手だけで領域を展開しようとしたと警戒したのだ。ブラフが上手く刺さった。その一瞬の隙に、『ぬらりひょん』を重ねる。結界の壁をすり抜け、僕は領域から転げ落ちるように離脱した。外で待機していた蛟の巨体に受け止められ、地面に足をつく。全身火傷だらけだ。焼けこげた部分を崩し、左腕の焦げてる部分を切り落とす。
「お出で――『白狐』」
時間が惜しい。白狐の反転術式を浴びながら自分自身でも反転術式をフル回転させ呪霊が領域を解除して出てくるのを静かに待ち構えた。
漏瑚さん強いよね相手が悪すぎるだけで。
領域内だったら極の番『隕』を連発できると思います。
ぬらりひょんで脱出できたのは領域の縁を見つけたためです。
蛟と大百足が不器用なりに探してます。
【設定資料:特製呪符の作成方法】
晴明との死闘を経て、轟鬼が独自に編み出した「呪符」の作成手順。
彼自身は陰陽師のような符術の専門家ではないため、自力での作成は不可能であり、以下の手順と条件を踏む必要がある。
1. 極の番『山本五郎左衛門』の召喚と領域展開
まずは極の番『山本五郎左衛門』を召喚し、彼の領域展開『魔王山』を展開してもらう。この領域内でのみ、呪力や事象を「札に定着させる」ことが可能となる。
2. 素材への呪力・術式の付与
用意した札の素材に向け、轟鬼自身が「簡易領域」を展開して練り込んだり、別の百鬼を召喚して素材に直接力を行使させる(例:『白狐』を呼んで札に反転術式を流し込むなど)ことで、効果を封じ込める。
【作成における制約】
呪符を作成する際、極の番『山本五郎左衛門』を維持し続けなければならない。
そのため、山本五郎左衛門の構成素材として消費されている百鬼は呼び出すことができず、彼らの能力を込めた呪符は作ることができないという縛りがある。