轟鬼くんは昼だとほぼ無力です。体術しかできない男になる。
術式のお披露目もとい実技授業が終わった直後のことだ。
「あ、明日は3人で任務ね」
唐突に五条先生が言った。報連相という言葉は、大人の常識以前にこの人の辞書にはないらしい。
「「「はぁ?」」」
「それじゃよろしく~」
三人の抗議も聞かず、先生はどこかへ行ってしまった。
翌日。
僕たちは任務場所へと向かっていた。先生は来ないそうだ。「たかが3級の呪霊を祓うのに、僕が出るまでもないでしょ?」と言っていたらしい。
補助監督の方が運転する車に揺られ、到着したのは立川と八王子の境目にある、既に営業を終えた複合娯楽施設だった。剥がれた看板にはかろうじて『BOWLING』と残っていて、その下に薄汚れたゲームセンターの文字が見える。
「じゃあ、ここで待機していてください」
補助監督の方に礼を言って車を降りる。
僕は右手を掲げ、空を見上げた。
「――闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」
昼間の空がドロリと塗りつぶされ、不可視の『帳』が施設を覆う。
「だいぶ古いね。早く終わらそ」
綺羅羅が気味悪そうに廃墟を見上げる。
「そうですね。まずは偵察してみます」
影から『一反木綿』を召喚し、視覚を共有して内部へと潜り込ませる。
視界が切り替わる。
足元の腐ったカーペット。クレーンゲームの筐体が並び、色褪せたぬいぐるみがガラス越しに虚ろな目でこちらを見ている。一台だけ残った蛍光灯が、チカチカと空っぽの機内を照らしていた。
奥の音楽ゲームは画面が砂嵐のように揺れ、途切れたリズムだけが小さく鳴っている。天井からは水滴が滴り落ち、誰もいないはずの空間に、かつての喧騒の死骸だけが横たわっていた。
ゲーセンエリアを抜けた先に、広大なボウリング場が広がっていた。
薄暗いレーンの先。白いピンが並ぶ、その手前に――“それ”は立っていた。
細長い胴体。歪んだ顔。何本もの腕に、黒ずんだボウリングボールを抱えた影。
スコア表示の消えたモニターが、一瞬だけ明滅する。×、×、-……意味のない記号が並んでは消えた。呪霊の手から、ボールがゆっくりとレーンに落ちる。ピンが揺れる。
その奥で、呪霊の口が裂けるように開いた――。
「――っ!」
視界がブラックアウトした。
「おい、どうした?」
隣で秤が声をかける。
「……一反木綿が破壊されました。何かが飛んできた瞬間に消滅です。視認できない速度でした」
額に嫌な汗が滲む。
「多分これ、ただの3級呪霊じゃない。特級とまではいきませんが、術式を持っている可能性があります」
その言葉に、秤がニヤリと笑った。
「いいじゃねぇか、ノッてきた。行くぞオメェら」
忠告などどこ吹く風。秤がズカズカと正面入口へ進んでいく。
「……はぁ。全く」
綺羅羅と共にその後を追う。
「お出で――『
綺羅羅の護衛として、風の獣と、岩のように黒くゴツゴツした巨躯を持つ蜘蛛の妖怪を呼び寄せる。廃墟の中へ足を踏み入れる。
ボウリング場へ向かおうとしたその時、クレーンゲームの筐体の影から小型の呪霊が飛びかかってきた。秤は既に、正面の敵に応戦している。
こちらも早めに始末しよう。僕は半歩で呪霊との間合いを潰すと、そのまま背中をぶつけるように踏み込んだ。全体重と呪力を乗せた一撃に、小型の呪霊が弾け飛んで消滅する。
「欠意、なんか習ってたの?」
背後で見ていた綺羅羅が目を丸くしている。
「はい、中学校の頃までやってました」
「……ふーん、やるじゃん」
前を見ると、秤の周りの雑魚は既に全滅していた。
「金次、先に行きすぎ!」
「わぁったよ。……チッ、この呪霊ども、奥にいるやつの分体か?」
「恐らく。奥に行けば本体がいるはずです。……さっさと行きましょう。秤が前衛、僕と綺羅羅でサポートします」
綺羅羅が秤の背中に触れる。
僕も右手を差し出して、星のマーキングを受けられるようにする。
綺羅羅の手のひらが僕の手に触れた。
「ん、ありがと」
これで準備完了だ。
ボウリング場のレーンの先。
ピンの手前に立つその影は、偵察で見た時と同じ位置にいた。
――いや、同じ“形”ではない。偵察で見た時よりも、二回りは大きい。
腕の数も増えている。抱えているボールは黒く濁り、表面が心臓のように脈打っていた。
視線が合う。
その瞬間、空気が鉛のように重く沈んだ。肌にまとわりつくような圧。肺に入り込んでくる呪力の濃度。立っているだけで、足場が一段沈んだような錯覚を覚える。
――やはり3級じゃない。準1級クラスはある。
呪霊が、ゆっくりとボールを持ち上げる。
その動作だけで、床板がミシミシと悲鳴を上げた。
「……ナンデ、タオレナイ……」
「……モウイッカイ……モウイッカイ……」
割れたレコードのような声が、場内にこびりつく。
風切り音すら置き去りにする速度で、ボールが秤に向かって放たれた。
「秤!」
秤が反応し、腕をクロスさせてガードする。
左腕の骨が砕ける音が響く。だが、それだけではなかった。
死角から飛んできたもう一つのボールが、秤の右足に直撃したのだ。
「ッ……!」
「秤、大丈夫か!?」
「心配ねぇよ。……左腕と右足がイカれただけだ」
秤が痛くもなさそうに立ち上がるが、腕と足はありえない方向に曲がっている。
休む間もなく、次々とボールが飛んでくる。あの速度、しかも呪力による強化済みだ。直撃すれば人体など容易く弾け飛ぶ。
「――領域展開『
秤が躊躇なく領域を展開した。
治すためか。なら、彼が大当たりを引くまでの時間、僕たちがヘイトを稼ぐ必要がある。
「土蜘蛛!」
僕の思考に呼応し、土蜘蛛が粘着質の糸を吐き出す。
呪霊の腕を絡め取り、動きを制限する。
「今のうちに! 綺羅羅!」
動けない隙に綺羅羅が接近し、呪霊の背中にマーキングを施す。
直後、呪霊のターゲットが綺羅羅に向いた。
至近距離からの投擲。
だが、放たれたボールは綺羅羅の目前で急激に軌道を曲げ、天井へと吸い込まれていった。
星間飛行の斥力が働いたのだ。
しかし、呪霊の目がギョロリと僕を捉える。
呪霊がボールを構える。だが、今度はボールにあのドス黒い呪力の光がない。
ただの質量攻撃。咄嗟にガードしたが、肩に重い衝撃が走る。
星の反発が働かない。ただの「物体」として認識されたボールが、僕の肉体を削る。
秤の領域内でリーチ演出の音楽が鳴り響く。まだか。まだ当たらないか。
「綺羅羅、あの呪霊は多分『星間飛行』のルールはまだわかってない。だけど呪力を使わなければこちらにも攻撃が当たることが知られた。球が投げられた瞬間に星をつけることはできる?」
「う〜ん無理!」
「わかった。秤の所まで下がってて。演出が来ているけどまだ当たるかはわからない。」
「お出で――『
影から小柄な鬼が現れる。顔つきはどこか歪み、ニヤリとした意地の悪い笑みを浮かべている。
呪霊が再びボールを構え、僕に向かって投擲した。
必殺の速度。
だが、ボールが僕に当たる直前、天邪鬼がクスクスと笑いボールに触れる。
――反転。
物理法則を無視し、ボールが巻戻し映像のように逆走した。
自分の投げたボールを顔面に受け、呪霊がよろめく。
天邪鬼の能力は『物体の運動ベクトルの反転』。呪力量の差で効果は落ちるが、時間稼ぎには十分だ。
その時。
軽快なファンファーレが鳴り響き、秤の領域が解除された。
全身から湯気のような呪力を立ち昇らせ、完全に再生した秤が立っている。
「……ミュージック、スタートぉ!」
脳内に流れるあの曲と共に、秤が地を蹴る。
呪霊がボールを投げるが、今の秤には止まって見えるのだろうか。最小限の動きで躱し、懐に潜り込む。
「しばらく見てたけどよぉ……テメェ、直線にしか投げられねぇだろ?」
秤の拳が呪霊の腹をえぐる。呪力特性による「ヤスリ」のような打撃。
呪霊が反撃しようと腕を振り上げるが、させない。
「鎌鼬!」
風の刃が呪霊の腕を切断する。
バランスを崩した呪霊の顔面に、秤の渾身の一撃が叩き込まれた。
呪霊の輪郭が、音もなく崩れ落ちる。
ひび割れるように黒い体がほどけ、細かい粒子となって消えていった。
「……はぁ、疲れたぁ」
秤が首を鳴らす。
「ですね。報告しましょうか。……お疲れ様、秤、綺羅羅」
「おう」
「二人とも無茶しすぎ……」
ゲーセンを出て、車で待機していた補助監督に報告を済ませる。
その後、綺羅羅の提案で近くの駅ビルへ寄り道することになった。
街を歩くと、すれ違う人々の視線を感じる。
予想はつく。ガラの悪いヤンキー、ピアスだらけの中性的な美少年、そして大正時代の書生みたいなマント男。
どう見ても堅気ではない。
「腹減った」
隣で秤がぼやく。
「そうだね、どこかで食べていこうか」
その少し後ろで、綺羅羅は黙って街を見ている。
ショーウィンドウの光が目に映るたびに、わずかに視線が止まる。
ネオンの中に飾られた、派手なマネキン。
短いスカート、厚底の靴、揺れるアクセサリー。
一瞬だけ、綺羅羅の足が止まった。
「……入るか?」
秤が軽い調子で言う。
綺羅羅は一度だけこちらを見て、少し迷ったように視線を逸らす。
「……別に。見てくだけなら」
そっけなく言って、先に歩き出した。
自動ドアが開く。甘い香水と新しい布の匂いが混ざった空気が流れてくる。
店内は明るくて、さっきまでいた廃墟とはまるで別世界みたいだった。
綺羅羅が、レディースの派手なチョーカーを横目で見ている。
それに気づいた店員が近寄ってくるが、綺羅羅の姿を見て少し顔を引きつらせた。
「あ、あの……そちらレディースですので……」
言葉の端々に、「男のくせに」という嘲笑が含まれているのが分かった。
綺羅羅がビクッとして手を引っ込める。
「あ、いや、別に……」
「あ? なんだそのツラ。客が何見ようが勝手だろ」
秤が店員を睨みつける。店員はヒッと息を呑んで後ずさった。
僕は綺羅羅の隣に立ち、さっき彼が見ていたチョーカーを手に取った。
「さっき見ていたこれ、すごく素敵ですよ。綺羅羅にとても似合います」
「……揶揄ってんの? アタシ、男だし。変でしょ」
綺羅羅が自嘲気味に笑う。
僕は首を横に振った。
「どうして変なんですか? 僕のいた孤児院では、男の子がスカートを履くことも、女の子がヒーローになることもありました。性別なんて、魂の前ではただの枠組みに過ぎません」
綺羅羅の手を取り、チョーカーを握らせる。
「綺羅羅が一番輝ける姿なら、それが正解です。誰が何と言おうと、僕と秤は貴方を肯定します」
店員を追い払った秤も戻ってきて、頭をガシガシと掻いた。
「ま、轟鬼の言う通りだ。俺は細かいことは分からねぇが、ウジウジしてんのは嫌いだ。……似合ってるぜ、それ」
綺羅羅は目を見開いて二人を見る。
そして、小さく笑って涙を拭った。
「……ありがと。二人とも」
レジを済ませて店を出た後、綺羅羅が早速そのチョーカーを着ける。
「どう? ……似合うでしょ? アタシのセンスだし!」
夜風になびく髪と、首元の輝き。
その表情は、先ほどまでの迷いが嘘のように晴れやかだった。
「はい、とても」
「おう、最高にノッてるな」
綺羅羅が輝いて見える。
僕も、何か買おうかな。ピアスでも開けてみようか。
そんなことを思いながら、僕たちは夜の街を歩いた。
――それから数日後。
「おはよー! 欠意ちゃん、金ちゃん!」
教室の扉が開くと同時に、明るい声が響いた。
入ってきたのは、見慣れた同級生……のはずだった。
髪はまだ伸ばし途中だが、ヘアピンやアクセサリーで華やかにアレンジされている。耳元には以前よりも増えたピアスがジャラジャラと輝き、制服の下にはオフショルダーのトップス。
メイクもバッチリ決めて、完全にギャル……いや、自分らしさを爆発させた姿の星綺羅羅がそこにいた。
「お、おう……おはよう、綺羅羅」
あまりの変貌ぶりに僕が目を丸くしていると、綺羅羅がクルリと一回転してみせた。
「どう? 結構イケてない? これがアタシの正装!」
秤がニッと笑う。
「おう、いいんじゃねぇの。前の辛気臭ぇツラより百倍マシだ」
「でしょ? 欠意ちゃんも、ピアス開けるならアタシがやってあげるよ?」
「え、あ、はい。お願いします……痛くないやつで」
こうして僕たちの1年3人組は、少し騒がしく、けれど確かな結束を持って動き出したのだった。
この後、秤と一緒にピアスを開けた。
轟鬼は小さい頃から八極拳を学んでいました。孤児院の子達を不審者が来ても守れるようにと幼いながら考えてこうなった。
新規の百鬼
土蜘蛛(つちぐも): 「絡める」という概念を操る。物理的な糸による拘束だけでなく、空間座標を固定するような応用も可能。相手の呪力量や質量で拘束時間が上下する。
天邪鬼(あまのじゃく): 触れた物体の運動ベクトルを反転させる。強力な呪力が込められた攻撃や、生物そのものを反転させるには術者のリソースを大きく消費する。
解呪後の乙骨より呪力量が少し多いくらいですので大抵の術師には効きます。
瞬間的に出力を上げるのが苦手なので咄嗟の攻撃には弱め。