呪術師やってればあると思うんですよ。
2年生の春も深まり、初夏の気配が漂い始めた頃。
僕は五条先生に呼び出された。
「やっほー欠意。簡単な任務だよ」
先生はいつもの軽い調子で、封筒をひらひらと振った。
「特級呪物の回収。回収するだけでいいから楽でしょ? 終わったら観光でもしてきなよ」
……もう慣れた。この人の「楽」は信用してはいけない。
「場所はどこですか?」
「伊地知に聞いてぇ。それじゃ、任せたよん」
言うだけ言って、先生は瞬きする間に姿を消した。
はぁ。仕方ない、さっさと行くか。
校舎裏に停められた黒塗りの車に向かうと、補助監督の伊地知さんが待っていた。
「あ、轟鬼くん。お疲れ様です……」
「伊地知さん、顔色悪いですよ。大丈夫ですか?」
「はは……五条さんの無茶振りには慣れていますから……」
そのクマの濃さは慣れている人のそれではない。今回の案件も、きっと五条先生が面倒くさがって押し付けたものだろう。
車内で詳細を聞く。
目的は、とある地方の古い聖堂に保管されている特級呪物。封印が経年劣化で緩んでいるため、回収して高専で再封印するとのことだ。
問題なのは、その聖堂が孤児院に併設されている点だ。
「……孤児院、ですか」
「はい。子供たちが寝静まった夜間に潜入し、速やかに回収してください」
懐かしい響きだ。
車の窓から流れる夜景を見つめながら、僕は小さく息を吐いた。
現地に到着したのは深夜だった。
森の中にひっそりと佇む石造りの聖堂。その奥には、子供たちが眠る木造の宿舎が見える。
静寂に包まれたその場所は、かつて僕が育った場所とどこか似ていた。
さっさと終わらせよう。帰りに駅でお土産でも買って、金次と綺羅羅、後輩に渡そう。
軋む扉を開け、聖堂へ入る。
祭壇の奥、埃を被った木箱の中に、それはあった。
何重もの御札でぐるぐる巻きにされた、赤黒い干物のような物体。
――指だ。
禍々しい呪力が肌を刺す。特級呪物『宿儺の指』。
その時、天井から殺気が降ってきた。
指の呪力に引き寄せられた呪霊だ。等級は2級程度か。
「……子供たちが起きるだろ。静かにしてくれ」
僕は指をポケットに仕舞い、音もなく召喚する。
「お出で――『
影から現れたのは、黒い翼を持つ鼻の高い山伏姿の妖怪と、青い肌に筋骨隆々の肉体を持つ鬼。
さらに、自身の魂に拡張術式を重ねる。
「重ねて――『
空狐の特性は「呪力放出」。指先に集めた呪力を、消音拳銃のように弾丸として撃ち出すことができる。
呪霊が奇声を上げようとした瞬間、天狗が団扇を振るい、突風で声をかき消しながら動きを封じる。
そこへ羅刹が音もなく肉薄し、鋭い爪で呪霊の核を引き裂いた。
残った破片が再生しようとするのを、僕が指先から放った呪力弾で撃ち抜く。
シュッ、という風切り音と共に、呪霊は灰となって崩れ落ちた。
よし、被害ゼロ。騒音ゼロ。
長居は無用だ。帰ろう。
そう思って出口の扉に手をかけた、その時だった。
扉が外側から爆破された。
「ッ……!?」
爆風に煽られ、後方へ飛び退く。
煙の向こうから、一人の男が土足で聖堂に入ってきた。
呪詛師だ。
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、その手には――パジャマ姿の少女が掴まれていた。
「おいガキ。それ、こっちに渡しな」
男は僕のポケットの膨らみを見て、舌なめずりをした。
「あと、その式神を戻せ。逆らったら、こいつと隣の孤児院を爆破するぞ」
……爆破。さっきの術式か。
ハッタリではない。男の手には呪力が溜まっており、少女の首に触れている。
僕は天狗と羅刹の召喚を解いた。
実質的な人質。しかも、隣には数十人の子供たちが眠っている。
「……誰ですか。目的は?」
「どうでもいいだろ。それを欲しがってる収集家がいてな、報酬が良いんだよ」
男は少女の髪を乱暴に掴み上げる。
「さっさと渡せ。渡したら見逃してやるよ」
「爆破はやめると約束できますか?」
「あぁ? 約束するする。俺は優しいからな」
嘘だ。
そのニヤけた目を見れば分かる。僕が指を渡した瞬間、口封じに僕も、この子も、施設ごと爆破する気だ。
その時、気絶していた少女が目を覚ました。
「っ!? 誰、なの! 離して! ねぇ、離してよぉ!」
少女が泣き叫び、暴れる。
「黙れクソガキ! 殺すぞ!」
男が苛立ち、掌を少女の顔に向ける。術式発動の予備動作。
――どうする。
どうするどうするどうする。
助けるには、殺すしかない。
時間はない。コンマ数秒で決めないと、この子は死ぬ。隣の子供たちも死ぬ。
僕の望みは、理不尽な死のない『平穏』だ。
だが、理不尽を撒き散らす人間がいるのなら?
そいつを排除しなければ、平穏なんて訪れない。
入学の日、僕は秤に言ったはずだ。
『僕の命も、魂も、全てチップとして賭けられます』
その言葉に嘘をつきたくない。呪術師をやっている以上、いずれこの日は来ると分かっていた。
二度と、手の届く範囲の人間を死なせない。
だから、お前を殺す。
僕の誓いを守るために、人を――この化け物を殺す。
覚悟が決まると、視界が恐ろしいほどクリアになった。
僕はゆっくりと、まるで家族に向けるような優しい笑みを浮かべた。
「……大丈夫だよ。お兄ちゃんと『だるまさんが転んだ』をしよう」
少女の目を見る。
「少しだけ目を閉じてて。すぐに終わるから」
僕の声色に、少女が震えながらもギュッと目を閉じる。
僕はポケットから『宿儺の指』を取り出した。
男の視線が、指に釘付けになる。欲望で隙ができる瞬間。
僕は指を、わざと男の頭上高くへ放り投げた。
「あ?」
男の視線が上を向く。
――今だ。
詠唱破棄。召喚速度最優先。
僕の影から、不可視の刃が疾走する。
「『
風が吹いたような、微かな音だけが響いた。
男の首が、胴体からずれた。
同時に、少女に向けられていた手が、手首から先を失って落下する。
爆破の術式を発動する暇すら与えない。
鮮血が噴き出すより早く、僕は少女を抱き寄せ、自分のマントで包み込んだ。
何も見えないように。何も聞こえないように。
肉塊が崩れ落ちる重い音が、静寂な聖堂に響いた。
少女の耳を塞ぎながら、僕は床に落ちた『宿儺の指』を拾い上げる。
指先が微かに震えていた。
これが、人を殺した感触か。
……意外と、あっけないものだ。
少女を保護し、警察と施設の人に引き渡した後、僕は伊地知さんの車に戻った。
窓をノックすると、伊地知さんが慌ててロックを解除する。
「お疲れ様です。……あの、何かあったんですか? 顔色が……」
僕は助手席に乗り込み、努めて事務的に報告した。
「呪物の回収は完了しました。それと……呪詛師が人質を取り、襲ってきたので、殺しました」
「え……」
「死体は聖堂にあります。処理をお願いします」
早口だったかもしれない。喉が渇いて上手く喋れない。
伊地知さんは目を見開き、そして静かにアクセルを踏んだ。
「……分かりました。手配しておきます」
車が走り出す。流れる街灯が、網膜に残る鮮血の色と混ざる。
「轟鬼くん。……気に病むことはありません。あなたは、正しいことをしました」
優しい言葉だった。
けれど今の僕には、その優しさが鋭利な刃物のように痛かった。
正しいこと。分かっている。あそこで殺さなければ、あの子は死んでいた。
それでも、手の感触は消えない。
帰りの駅で、約束通り金次と綺羅羅、後輩へのお土産を買った。
地元の銘菓。甘いお菓子だ。
パッケージを見つめながら、思う。
……今日は、何も食べられそうにないな。
僕はシートに深く体を沈め、高専までの長い道のりを、ただ目を閉じて過ごした。
鎌鼬は風の斬撃がメインではなく隠密による一撃がメイン。
まだまだ任務あるよ。重めのね
新しい百鬼
天狗:風を操る。斬撃や突風を起こしたり嵐も起こせる。
羅刹:再生阻害の斬撃ができる。反転術式が効きづらい傷をつける。
空狐:呪力を弾として放つことができる。