アツコ、パチンカスになる 作:熱は熱いうちに
「……ここは?」
アツコは、ネオンが激しく明滅する店の前に立っていた。
サオリたちがそれぞれ慣れないアルバイトに精を出す中、彼女は「自分にも何か手伝えることはないか」と、あてもなくキヴォトスの街を歩いていた最中、彼女の五感に腹の底に響く重低音と、無数の鉄球が弾け合う暴力的なまでの騒音が届いた。そして、その音の出処を辿ってみると、この店に辿り着いたのである。
普通の少女なら眉をひそめるような喧騒。しかし、銃弾と爆音が日常だったアリウスの地で育った彼女にとって、それは決して不快なものではなかった。むしろ──硝煙の匂いなき戦場のような、奇妙な懐かしさすら覚える響きだ。
そして彼女は、まるで吸い込まれるかのように自動ドアの向こう側へと足を踏み入れた。
店内は、店外で感じるよりもさらなる暴力的な爆音に満ちていた。
スピーカーから流れるハイテンポなアニソン、台が吐き出す電子的な絶叫、そして何より、数千、数万の銀玉がプラスチックの筐体を叩く乾いた衝突音。
「……すごい。まるで、絶え間ない一斉掃射みたい」
そんな事を呟きながらしばらくの間、導かれるように店内を徘徊していた彼女は、ある一台の台の前で足を止める。
それは、他のどの台よりも毒々しく、そして神々しい後光を放っている様に感じた。
「……なんでだろう。なにか、すごく惹かれるものがある……ここに、お金を入れるのかな」
マスクの奥で、アツコは小さく呟く。
その手に握られているのは、サオリから「これでみんなの夕食を」と託された、しわの寄った数枚のお札。本来ならコンビニで値引き弁当を選び、慎ましく持ち帰るべき大切な生活費。
だが、彼女はその軍資金を──一切の迷いなく、『CR・大決戦〜ビナー編〜』と書かれた台の貸玉ユニットへと滑り込ませた。
「……花に水をあげるのと、同じ。優しく、丁寧に……」
初めて握るハンドル。しかし、彼女の指先は驚くほど繊細だった。
放たれた球は、まるで意志を持っているかのように釘の森を抜け、吸い込まれるように中央の命釘へと飛び込んでいく。
そして液晶の中では、砂塵を巻き上げて巨大な「ビナー」が現れた。
「これは……」
アツコが小首をかしげた瞬間、店内の空気が一変する。
キュインキュインキュイン──!!
鼓膜を突き破らんばかりの咆哮。筐体上部から、巨大なビナーの役物が地響きを立ててせり上がり、虹色のレーザーが店内の煙った空気を切り裂く。
『WARNING! WARNING! DECISIVE BATTLE START!!』
意味の分からない流暢な英語ボイスが響き、画面内ではカイザーの兵士たちが必死にビナーへと銃火器を向けている。アツコはそれを、まるでコンクリートに咲く小さな花でも見るかのような、慈愛に満ちた目で見つめていた。
しかし、無情にも最後のボタン演出でカットインは弱く、画面には「MISSION FAILED」の文字。
周囲の客が「チッ、外れか」と視線を逸らした、その時。
──ドクン。
心臓の鼓動のような重低音。
画面を、真っ赤な「カイザーの紋章」が叩き割るように出現し、画面が砂嵐に包まれ静寂が訪れる。
一秒。二秒。
暗転した液晶に、アツコの姿がぼんやりと映り込む。
そして……
「……あ」
ドン!
左の図柄に、燃え盛る「7」が突き刺さる。
ドドン!!
右の図柄にも、狂ったように回転する「7」が吸い込まれるように停止した。
リーチ演出。台全体が赤く染まり、スピーカーからは心臓を直接叩くような重低音が響き渡る。画面中央、威圧的に立ちはだかるビナーが、突如として真っ二つに両断された。そしてその亀裂から、溢れ出す光と共に最後の数字が飛び出す。
「……揃った」
投資、わずか1000クレジット。
画面には「VICTORY」の黄金文字が躍り、鼓膜を震わせる爆音のBGMと共に、筐体上部から強烈なフラッシュがアツコのマスクを白く染め上げる。
「……すごい。球が、どんどん増えてく。これなら、皆に美味しいものを食べさせてあげられるかな?」
これが、悲劇の始まりだった。
「ビナーRUSH」に突入した彼女の台は止まらない。
ハンドルから伝わる微かな振動。揃い続ける「7」。10連、20連。積み上がるドル箱。
彼女の脳内には、かつて経験したことのないほど濃密なドーパミンが分泌され、アリウスの教えを塗り潰していく。
アリウスで「虚無」を説かれてきた彼女にとって、この「実体のある
マスクの奥で、アツコの瞳はかつてないほど爛々と輝いていた。
一玉、一玉が落ちる音が、彼女には祝福の鐘のように聞こえているのだろう。
「……サッちゃん、ミサキ、ヒヨリ。それに、先生……もう、何も心配いらない。私……『真理』を見つけたよ」
こうして、アリウスの姫は、一人の「パチンカス」へと美しく、残酷に羽化を遂げたのである。
それから数週間後〜廃墟の一角にて〜
「……姫、そこにいるのか?」
サオリが、冷たい風が吹き抜ける廃墟の一角に声をかけた。かつてなら、そこには花を愛でる少女の、儚くも神聖な空気が漂っていたはずだった。しかし、今のそこに漂っているのは、言いようのない「生活感」と「執念」が入り混じった、どろりとした気配。
「……あ、サッちゃん。おかえり」
暗がりに浮かび上がったのは、何かに取り憑かれたようなアツコの姿だった。
白かったはずのアリウスの制服は、タバコの煙とホールの熱気に晒され、心なしか煤けて見える。彼女の膝の上にあるのは、いつもの花瓶ではない。付箋が大量に貼られた、
「……次は、回る気がする。……ボーダーは超えてた。……
「ひ、姫……? その手に持っているものは何だ? それに……その、右手の親指の付け根にある、赤く硬くなった……それは、貸玉ボタンを連打しすぎたタコか!?」
サオリの声が震える。
かつて自分たちが命をかけて守り抜こうとしたアツコの清らかな手は、今やパチンコ台のユニットを叩き続ける「
サオリの絶叫に近い問いかけに、アツコはゆっくりと振り返った。
ガスマスクのレンズ越しに見えるその瞳は、かつてないほど爛々と、力強く輝いている。
「……サッちゃん。世の中は、虚無なんかじゃなかった。虚しくなんて、なかった」
「何を……言っている?」
「……回せば、当たる。当たらなければ、当たるまで回せばいい。そうすれば、全てが『万発』に繋がる。そう、アリウスに足りなかったのは、『パチンコ』だったの」
アツコは、煤けたカバンからジャラジャラと音を立てて、
「……これで、今夜は高級な缶詰を買って。……ミサキやヒヨリにも、美味しいものを。……大丈夫、明日の『抽選』に勝つための軍資金は、ちゃんと残しておいたから」
「アツコ……お前、あんなに純真無垢だったお前が、どうしてこんな……! ギャンブルの鉄火場など、お前が最も遠くにいるべき場所だったはずだ!」
サオリが膝をつき、嘆きの声を上げる。
しかし、アツコは慈愛に満ちた、しかしどこか焦点の合わない表情でスマホの画面を見つめる。
「……人は、変わるんだよ。サッちゃん。……さあ、明日は『7の日』。並びが激しくなるね」
サオリの慟哭をBGMに、アツコは手際よく「近隣店舗の爆サイ掲示板」をチェックし始める。
アリウスの姫は今、銀色の鉄球が描く「放物線」の中に、自分たちの失われた楽園を見出しているのだった
数日後、シャーレの先生のもとに、ヒヨリからの号泣電話が入った。
「先生ぇ! 姫ちゃんが……姫ちゃんが『遊タイムまであと100回転だから帰れない』って言って、パチ屋から出てこないんですぅ!!」
先生は深くため息をつき、アリウスの姫を「期待値のある台」ではなく、「光の当たる場所」へ戻すために走り出すのであった。