アツコ、パチンカスになる   作:熱は熱いうちに

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私が。無くした

その日のアツコは、これまでの勝ちで得た余裕をすべて使い果たし、崖っぷちに立っていた。

彼女が対峙しているのはキヴォトスでも屈指の爆発力と理不尽さで知られる、あの悪名高き『CR テイルズ・サガ・クロニクル』。

かつてないほどの激しい光と音が、アツコの思考をじわじわと削り取ってゆく。

 

「……おかしい。さっきから、一番熱い演出を何度も外している」

 

投資はすでに、スクワッドの数ヶ月分に相当する額に達していた。

サオリやミサキが血の滲むような思いで稼いできた資金も、ヒヨリが大切に貯めていた雑誌の予約資金(へそくり)も、その全てがこの底なし沼(クソゲー)へと沈んでいった。

 

液晶の中では勇者たちが魔王に敗北し「GAME OVER」の文字が無機質に点滅している。

 

ガスマスクの奥で、アツコの瞳から光が消える。

一玉、また一玉。ハンドルを握る指先が震え、貸玉ボタンを押す感覚すらも失われていく。

サオリやミサキの信頼、ヒヨリのささやかな楽しみ。

それら全てを天秤にかけてなお、彼女は止まることが出来なかった。

 

「と、取り返さないと……まだ、まだ終わってない」

 

下皿の隅に引っかかった、たった数粒の銀色。それが今の彼女に残された全財産であり、自分達の未来そのもの。

 

「大丈夫。大丈夫。遊タイムまであと少し。ここで引けば、全部、元通りになるから……」

 

震える指でハンドルを固定し、最後の一玉を打ち出す。

その軌道は、彼女がアリウスの廃墟で見てきたどんな光景よりも残酷で、そして儚い。

 

液晶画面が激しくフラッシュし、派手な警告音が鳴り響く。

しかし、それは当たりの予兆などではなく、無情な玉切れを知らせる機械音であった。

 

「……あ。……あぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静まり返る手元。

狂ったように点滅を繰り返す「GAME OVER」の文字が、マスクのレンズに虚しく反射する。

彼女が守りたかったはずの「日常」は、今、テイルズ・サガ・クロニクルと言う名の深淵へと完全に飲み込まれた。

 

「……これが、虚無? 」

 

アツコの視界が、パチンコ台の放つ毒々しいネオンで塗りつぶされていく。

頭の中では、かつてアリウスの冷たい廊下で唱えた「Vanitas vanitatum, et omnia vanita」の言葉が、パチンコ玉が跳ねる音と混ざり合って響いていた。

 

すべては空虚。すべては無。すべては、虚しい 。

サオリやミサキが血の滲む思いで稼いだ資金も、ヒヨリが大切にしていた雑誌の予約代(へそくり)も、すべてはこの台へと消えてしまった。

 

「……いえ。たとえすべてが虚しいことだとしても、それはこの台を生かしておく理由にはならない」

 

マスクの奥で、アツコの瞳に冷徹な兵士の光が宿る。

すべてが空虚なら、目の前で嘲笑うように輝くこの機械を壊すことに、何の罪があるだろうか。いや、ない。

アツコは静かに、しかし流麗な動きで右手を固く握りしめた。

重火器すら持たずとも敵を沈めるために鍛え上げられたその拳に、スクワッド全員の絶望を乗せて。

 

「……私の信じた期待値を、返して」

 

――ドゴォォォォン!!

店内に、銃声よりも重い衝撃音が轟いた。

精密機器である筐体は、彼女の全力の一撃に耐えられるようには作られていない。

液晶画面は蜘蛛の巣状にひび割れ、台の目玉である聖剣の役物が、無惨にも根元からへし折れてぶら下がる。

アツコは無表情のまま、店員の「お客様お客様!!困ります!!あーっ!!!お客様!!困ります!!」などといった悲鳴も無視して、破壊の輪舞を続ける。

 

「これは、サッちゃんのバイト代の分」

 

――ドガァッ!!

二撃目が筐体のプラスチックを粉砕する。

店員の悲鳴が更に大きくなる。

 

「これは、ミサキのバイト代の分」

 

――ゴンッ!!

三発目が内部基盤を直撃し、火花と共にスピーカーが悲鳴を上げる。

店員の胃も悲鳴を上げる。

 

「そして、ヒヨリの雑誌の予約代の分」

 

――バキィッ!!

四発目で貸玉ユニットがひしゃげ、銀色の鉄球が床へ一斉に溢れ出す。

店員は涙を溢れさせた。

店内の全員が騒然とする中、アツコは最後の一撃のために、大きく拳を振りかぶる。

失われたすべてを取り戻そうとするその姿は、見るものが見れば、かの聖女バルバラを想起させただろう。

 

「最後にこれは……あなたによってすべてを奪われた、私の怒り!!」

 

――ドォォォォォォン!!!

渾身の正拳突きが筐体の中心を完全に貫き、液晶が沈黙する。

折れた聖剣が床に転がり、真っ暗になった画面。

そこに映る自身の姿を、アツコは静かに見つめていた。

店員は白目を剥いていた。

 

「……あ」

 

アツコが貫いた筐体の中心から、パチパチと力ない火花が散り、やがて完全に沈黙した。

店内に響き渡る警報音そして騒然とする客たち。

その中心で、アツコは折れた聖剣の役物をまるで討ち取った敵将の首のように静かに拾い上げ、頭上へと掲げる。

 

「……正義は勝つ」

「なわけあるかぁぁぁ!!!」

 

血相を変えて飛んできた店長が、涙目でそう叫んだ。

その数十分後、シャーレから叩き起こされるようにして駆けつけた先生は、現場の惨状を見て、開いた口が塞がらなかったと後に語る。

 

「先生、遅かったね。……ほら、これ。今日の戦利品」

 

アツコが誇らしげに差し出したのは、無残にひしゃげ、配線が垂れ下がったプラスチック製の聖剣。

 

「アツコ……これは戦利品じゃなくて、証拠品だよ……」

 

先生は震える手で、店長から提示された見積書を受け取る。

 

・ 筐体液晶ユニット交換:〇〇万クレジット

・ メイン基盤・ギミック修繕費:〇〇万クレジット

・ 他、数日間の営業補償等々……

 

「……あの、店長さん。これ、一括は無理なんですけど、シャーレの予算から月々払いで……」

「ダメです! 永久出禁! あと損害賠償、きっちり耳を揃えて払ってもらいますからね!!あの筐体、ミレニアム製の最新作でクッソ高かったんですよ!?」

 

平謝りする先生の横で、アツコは壊れた台からこぼれ落ちた玉を拾い上げ、不思議そうに眺めていた。

彼女の「……期待値は、どこへ行ったんだろう」などという呟きは、先生の嘆きにかき消され、消えてゆくのであった。

 


 

「アツコ……どうして、こんな事をしたの?」

 

地下駐車場の片隅、遠くでパトカーの赤色灯が虚しく夜を回る中、先生は力なく問いかける。

その手には、先ほど店長から突きつけられた、目も眩むような桁数の修理見積書が握られていた。

液晶ユニットの交換、メイン基盤の修繕……あまりにも重すぎる戦いの代償である。

アツコはゆっくりとマスクを外し、冷たい夜風に吹かれながらどこか遠くを見つめ、答える。

 

「反省はしてる。でも、後悔はしていない」

「……どういうこと?」

「パチンコ台を壊したのは、確かに公共のルールに反する行為だった。それは、私の至らなさ。だから、反省してる」

 

アツコは静かに、しかし確固たる意志を込めて続ける。その瞳には、かつてアリウスの地で培われた冷徹な光が宿っていた。

 

「でも、あの台は私たちの希望を奪い、サッちゃんたちの血の滲むような努力を、ヒヨリが大切に貯めていた楽しみ(へそくり)を、ただの虚無へと変えた。あれは、生かしておいていい『悪』ではなかった。だから、あれを討つという選択に、後悔はない」

 

「アツコ……それは正義じゃなくて、ただの八つ当たりだよ。……そもそも、ほぼほぼ自業自得……」

 

先生の言葉に、アツコはふっと、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。

彼女の足元には、先ほどまで戦利品として大事に抱えていた、ひしゃげたミレニアム製のプラスチックパーツが転がっていた。

最新鋭の技術で作られたその聖剣の役物は、今や見る影もなく無残に歪んでいる。

 

「先生。……期待値は、あの中にあった。でも、それは単なる数字じゃなくて、私たちの執念だったんだよ」

「その執念のせいで、シャーレの予算が半年分は吹き飛んだんだけどね……これ、ユウカになんて説明すればいいんだろう。アオイにも……胃が痛い……それと、『私たち』で括らないであげて……サオリ達が不憫だよ……」

 

先生が絶望に天を仰ぐ横で、アツコは壊れた筐体から持ち出した玉を、静かに月にかざす。

その小さな球体は月明かりに照らされ、鈍く輝いていた。

 

「……先生。次に私が打つべき台は、もう決まってる。『総力戦シリーズ』次はそれに決まり」

「二度と行かせないよ!? 全店出禁だからね!?」

「? それは、楽園の系列店だけでしょ? あそこに行けなくなるのは痛いけど、変わりはまだまだある」

「アツコ、本当にお願いだから、パチンコはもう辞めよう? いやほんとマジで辞めよう? ね? 本当に、マジで。物理的にパチンコと引き離さないと行けなくなるから、本当」

 

先生の訴えは悲痛だった。

アリウス・スクワッドの数ヶ月分の生活費や、ヒヨリが大切にしていたへそくりまで全てが消え、シャーレの予算も吹き飛んだ。

そしてその果てに残ったのが、ひしゃげたプラスチックの聖剣という名の証拠品(ガラクタ)だけなのだから、さもありなんといったところであろう。

 

「無理だよ。生きることはギャンブルだから」

 

アツコは玉をそっと指先で転がしながら答える。

 

「Vanitas vanitatum……全ては虚しいけれど、だからこそ、その虚無の中に賭ける一瞬の期待値……『熱』に意味があるの。先生が教えてくれた『選択』だって、一種の賭けだよね?」

「いや、一緒にされるのは極めて遺憾なんだけど……というかそんな哲学、パチンコ屋で発揮しないで欲しかったなぁっ……!!」

 

先生は、これからの返済計画とユウカやアオイへの釈明を思い、ひどい頭痛と胃痛に襲われている。一方のアツコは、失われた聖剣の役物の感触を右手に残したまま、すでに次の総力戦の舞台を脳内でシミュレートし始めているのだった。




特殊タグはこちらの作品よりお借りしました
https://syosetu.org/novel/374761/
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