「……あれが帝都か。随分早く着いたのー」
「紆余曲折、襲撃者だらけの長旅だったのですが……。時間感覚が狂うほど嫌ですか」
目的地である巨大都市を目前にして、シラユキは死んだ目で馬車に揺られていた。
本来、姫君の嫁入りなど、どちらの国でも絢爛豪華なパレードがあって然るべきなのだが、そんな目立つ真似をしたら公衆の面前で襲撃されて全てがパーになりかねないので、姫にあるまじき隠れ潜みながらの過酷な旅。
普通の姫ならストレスと屈辱でおかしくなる旅ですら、彼女にとっては、あっという間に過ぎ去った、束の間の休息に過ぎない。
「見よ、ハナー。帝都って滅茶苦茶デカいのー。ウチの
「……国土面積が違いますからね。大帝国は平野も多いですし」
「建物の形も本当に全然違うのー。着る服も考え方もまるで違うのだから不思議なものじゃー」
シラユキの声には一切の抑揚がなかった。完全な棒読みだった。
何か別のことを考え続けて、この後に控えるイベントから必死に目を背けているのだ。
鬼と呼ばれた側近の心にも、さすがにお労しやという気持ちが芽生える。
「東国アサヒのシラユキ姫! ご到着!」
そして、ついに訪れる審判の時。
辿り着いたのは華やかな貴族街の端。
政治の中枢である帝城からは少し距離があり、かと言って完全に疎外されてもいない絶妙な距離にある離宮。
シラユキは全てを諦め、悟りを開いたような微笑みの表情で馬車から降りた。
未だ慣れない西方のドレスで静々と歩き、離宮で待つという結婚相手のもとへ。
「ようこそ、シラユキ姫」
そこには彼女と全く同じ、全てを諦めたような死んだ目をした美丈夫が待っていた。
戦場で見たものとは違う、華美な礼服に身を包んだ怜悧な美貌の皇子様。
シラユキはもう完全に思考を停止させたまま、短期詰め込み教育で覚え込まされた動きを機械的に出力する。
「またお会いできて光栄です、シュバルト皇子。あなたのような素晴らしいお方と、これからは味方として、妻として支え合っていけることを、大変嬉しく思います」
誰だお前!? ……失礼。
東方訛りの修正ついでに、徹底的に詰め込まれた姫としての作法。
元々武将として生きていても、どうしても避けられない女としての役割もあり、土台だけはできていたので、どうにか形にはなっていた。
「ああ、こちらこそ。決して手に入らぬと思っていた、戦場に咲いた一輪の華。それを手折る資格を得られた幸運を、神に感謝している」
シュバルトがシラユキの手を取り、跪いて手の甲へと口づけを送る。
それは大変絵になる光景だった。
見目(だけは)麗しい皇子と姫君が、(お互いの原稿担当が必死に考えた)愛の言葉を口づさんで微笑み合う。
思わず、その場に立ち会った詳しい事情を知らぬ者達が「ほぅ……」と感嘆の息を漏らすほど。
「では、どうぞ姫君。我が離宮へお入りください」
「はい」
シュバルトは自然な流れで早急にシラユキを離宮へと入れ、入り口を閉じて衆目をシャットアウトした。
そこから一拍置いて、シラユキは口を開く。
「シュバルト様、もう大丈夫ですの?」
「ああ。ここの使用人は最小限、かつ口の固い忠義者を選んだ。壁も分厚い。騒ぎが外へ漏れることはないだろう」
「そうですか。それなら……」
すぅぅぅ〜と、シラユキは深く息を吸い──爆発した。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
戦場に咲いた一輪の華は、凄い声を上げて右手の手袋を引きちぎり、床に叩きつける。
「ハナ!! ハナァ!! 右手が汚染された!! 消毒してくれぇ!!」
「耐えてください。手の甲くらいで騒いでいては、結婚式で唇にされた時、死にますよ」
「嫌じゃぁぁぁああああああ!?」
「……わかってはいたが、失礼極まりない女だな」
半ば発狂しかけたシラユキを、シュバルトは冷ややかに睨みつけた。
「泣きたいのはこちらの方だ。私はその唇を一足先に汚染されたのだぞ……オロロロロロロ」
「「「殿下ぁ!?」」」
シュバルトは吐いた。公の場では絶対出せないものをゲロゲロとスパーキングした。
「爺や……! 口を濯ぐ……! 消毒液を持ってこい……!」
「はいはい。ただいま」
年嵩の従者が迅速に消毒液と掃除用具を手配し、徹底的なお口の洗浄と共に、死神皇子の腹の内も処理されて綺麗な床が戻ってきた。
「ううう……! とんだ悪夢じゃ……! なんで、よりにもよって、貴様なんぞとぉ……!」
「こちらの台詞だ……! 貴様と寝所を共にするなど、考えただけで怖気が走る……!」
「やめろぉ!? 必死に考えんようにしとったのに!?」
もう一周回って仲良いんじゃないかと思うほど、同レベルのテンションで嘆き悲しむ宿敵達。
こうして、史上屈指の難題に塗れた夫婦の物語が幕を開けた。