修羅姫様と死神皇子   作:カゲムチャ(虎馬チキン)

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 十数年前。

 皇帝に捧げられた美しき女達の城、蜜月宮。

 その片隅に彼はいた。

 

「うっ、うぅ……」

 

 第四皇子シュバルト・ナイトフォール。

 いや、当時は皇族として認められてすらいない、ただのシュバルト。

 母に抱きついて泣くことしかできなかった無力な幼子。

 

「こわいよ、ははうえ……!」

「……ごめんね、シュバルト」

 

 彼は気弱な子供だった。

 生まれた時から周囲は敵だらけ。事故に見せかけて殺されかけたことが何度もある。

 味方のはずの護衛やメイドも、何人かを除けば余所余所しくて信じ切れない。

 こんな環境で健全な精神など育めるはずがなかった。

 

「うーん。やっぱり、あの男とくっついたのは失敗だったなぁ。でもなぁ。逆らえる立場でもなかったんだよなぁ」

「……わるいの、ちちうえ?」

「そうよ。酷い男だったんだから」

 

 ……いくら個室内とはいえ、世界最大の国の王を堂々と批判する母は、今思えば凄まじく勇ましい女性だったのだろう。

 

「いっつもムスッとした顔して、ストレスの捌け口を探してるクズ。私を愛人にしたのだって顔と身体が好みだったから。初めての時なんて、そりゃもう最悪だったわね」

 

 プリプリと怒りながら、とんでもない発言をしていた母。

 地味にシラユキと属性が被っていて、思い返す度に嫌な顔がチラついて、シュバルトは不機嫌になる。

 

「でも、この私の魅力に墜ちてからは中々可愛かったわね。寂しがりのワンちゃんみたいで。それを癒して立派な王様にしてあげるのは悪くない気分。だから私自身は結構幸せなの」

 

 快活に笑ってシュバルトの頭を撫でてくれた母は、笑顔の似合う強い女性だった。

 きっと自分はこの人にではなく、クズの父に似たのだろうと、ずっと思っている。

 母のようになれていたら、少しは良い人生が送れたのだろうかと考えることもあった。

 

「だけど、シュバルトに辛い思いをさせるのはダメよねぇ。あいつ、皇帝の力で守ってやるって言ってたのに全然ダメダメだし。使えないんだから全くもう」

 

 「はぁ……」と母はため息をつく。

 皇帝の権力は強いが、ここに愛人達を送り込んできた高位貴族を丸々敵に回してふんぞり返っていられるほどではない。

 当時はまだ思慮の浅い若者(クソガキ)だった皇帝は、そのあたりを読み違えたのだ。

 

「あの、アカネ様……。あまり陛下を悪しざまに言われるのは、その……」

「わかってるわよ、爺や。公の場では絶対言うなでしょ」

「いえ、使用人の前でも相当マズいのですが……」

「大丈夫。相手を見てやってるから」

 

 困り顔の爺やに向けてウィンクを一つ。

 母がこの人なら大丈夫と思っていたのも、シュバルトが爺やに気を許した大きな理由の一つなのだろう。

 

「それより、私の食事に毒入れやがった不届き者は見つかった?」

「……はい。やはり身内の犯行でした。脅されていたようで」

「そっか。ヤバイわね。どんどん手口が露骨になってきてる」

 

 普段は互いに敵意剥き出しの愛人軍団が、彼女を相手にする時だけは結託する。

 その力は皇帝すら迂闊に手出しできないほどで、どうせ報復できないだろうという傲慢さが、悪意のブレーキを外し始めていた。

 

「逃がしてすらくれないとか、貴族社会と女の嫉妬は怖いわぁ」

 

 皇帝の血と愛が、本人の意志とは逆に呪いのように絡みついて、この地獄から逃れることを許さない。

 いつ崩れるとも知れない薄氷の上の生活。

 必死にすがりついた母の温もり。

 足下から透けて見える、悍ましい人間達の悪意への恐怖。

 それがシュバルトの幼少期を構築した全て。

 そして──

 

「ははうえ!? ははうえッッ!!」

「アカネ様ッッ!!」

 

 崩壊の時はすぐに訪れた。

 絶大な力には抗えず、爺や達の守りを嘲笑うように、母はピンポイントに自分達の生活区画で巻き起こった火事に飲まれた。

 不運な事故だなんて誰も思わない。

 でも、表向きにはそう処理されてしまう事件。

 

「あー、こりゃ無理だ……。足潰れてるし挟まってる。動けないや」

「ぐぉおおおお……! 私がもう少し若ければぁ……!」

「いや、これを退かせたら、もう英雄だよ」

 

 必死に瓦礫を退かそうとする爺やに、母は苦笑していた。

 崩れ落ちた天井に半身を潰されても、彼女は狼狽えなかった。

 覚悟していたとばかりに、最後の時間を泣き喚く息子のために使った。

 

「ごめんね、シュバルト。怖い思いばっかりさせて。私達は良い親じゃなかった」

「……!」

 

 必死に首を横に振った。そんなことないと言いたかったから。

 

「でも、大丈夫。私の親も大概ロクでもなかったけど──なんだかんだ、私は幸せになれたから」

 

 手を伸ばして、最後の力で頭を撫でてくれた。

 それがシュバルトの感じた最後の温もり。

 その言葉が、この先の人生をなんとか支えてくれた希望。

 

「どんだけ親がクソでも、環境がクソでも、幸せになれないなんて決まってない。……ごめんね、シュバルト。でも、きっと大丈夫。あなたもいつか絶対幸せになれるから」

 

 そうして母は──トンッと、シュバルトを押し出して、突き放した。

 燃える自分と共に逝かせてはくれず、この生き地獄の中へと送り出した。

 爺やに抱えられて、燃え盛る離宮の中を逃げて、逃げて、逃げて。

 

「あら、子供の方は生き残ったのね」

「なんて生き汚い。これだから平民の血は」

 

 忘れない。なんとか燃える離宮から脱出した時、向けられた悪意を、その眼を、シュバルトは決して忘れない。

 

「……すまない。もう、これ以上は」

「……ごめんなさい。守り切れないわ」

 

 忘れない。爺やと同じくらい信じていた者達が離れていったのを。

 

「シュバルト、君を帝都第四騎士団の騎士見習いに任ずる。……すまない」

 

 忘れない。結局最後まで助けてくれなかった父を。

 忘れない、忘れない、忘れない。

 

 胸に空いた大きな大きな喪失の穴に、悪意と不信と嫌悪が流れ込んで、真っ黒なカサブタになった。

 

 こうして無力な幼少期が終わり、歪みの少年時代へと続いてゆく。

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