帰還者と狙撃手   作:きょうりゅう

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マジでただの自己満足です。


プロローグ
帰還


 

引き金を引く夢を、何度見ただろう。

 

爆音はない。

 

血の匂いもない。

 

ただ、確かに"終わった"という感触だけが、指先に残る。

 

その少年は、夢の中でも無表情だった。

 

 

 

2025年7月中旬。

成田空港の到着ロビーに、ひとり浮いた存在がいた。

皆月暁(みなつききょう)。16歳。年齢に似つかわしくない鋭い目つきと、必要以上に無駄のない動き。背負っているのは年季の入ったバックパック一つだけ。それだけで、ここに観光で来た人間ではないことがわかる。

 

「……クソ暑い。日本ってこんな蒸し風呂だったかよ」

 

吐き捨てるように呟き、首元を軽く緩める。英語、中国語、日本語が入り混じる喧騒の中で、暁の感覚は異様なほど研ぎ澄まされていた。視界の端、数メートル先、動線、死角。全部、無意識に処理してしまう。

 

――染みついちまったな。

 

暁は内心で舌打ちする。銃声も爆音もない、平和な空港でさえ、身体が勝手に戦場の作法をなぞる。銃を持つことも、撃つことも許されないこの場所で、人々は当たり前のように笑い、怒り、明日の話をしている。それがどれほど脆い均衡の上に成り立っているかを、誰も知らない。

 

――いや。

 

知らなくていいのだ。暁は、その"知らなくていい側"に戻ってきた。成田空港の床を踏みしめた瞬間、胸の奥に薄い違和感が走る。軽すぎる空気。敵意のない視線。背中を警戒する必要のない人混み。

子どもが親の手を引いている。老夫婦が出口を探してゆっくり歩いている。スーツ姿の男が電話を耳に当てながら早足で通り過ぎる。誰もが、誰かが自分を狙っているなどと微塵も考えていない顔をしている。当たり前の光景だ。普通の光景だ。なのに、暁には何かひどく遠い場所の話のように見えた。

 

「……クソみてぇだ」

 

小さく吐き捨てた言葉は、誰にも届かずに消えた。ロビーから空港の外に出る。七月の熱気が皮膚を押してくる。湿気を孕んだ重い空気。それすらも、感覚が「脅威ではない」と判断して流していく。

 

「おーい、暁。こっちだ」

 

低く、落ち着いた声。振り向くと、スーツ姿の大柄な男性が片手を上げていた。

立川晋也(たちかわしんや)

民間軍事会社に所属している元自衛官。

あの地獄(せんじょう)で出会い、拾い上げてくれた恩人。

 

「……遅ぇよ、立川」

 

「到着が予定より早いんだ。文句言うな」

 

軽口を叩き合うが、互いの距離感は独特だった。友人でもない。親でもない。それでも、暁が唯一「信用している大人」と言っていい存在。内戦が終わり、瓦礫の山と死体の匂いの残る街で残党兵に囲まれていたこの男を助けたのは、別に義侠心からじゃない。ただ、同じ日本語を喋っていたから。それだけだった。なのにこの男は、そのまま自分を連れ帰ると言って、一切曲げなかった。お人好しにも程がある。

 

「改めて、おかえり。日本だ」

 

「……ああ」

 

6年ぶりの日本。

もう帰ることはないと思っていた故郷。

あの地獄のような戦場を生き抜いて、戻った場所。

 

「…生き残っちまったな」

 

立川は苦笑し、暁の肩を軽く叩いた。

 

「お前はもう、戦場に戻る必要はない」

 

「…」

 

「よく生きて戻った。それだけで十分だ」

 

「ただ、生きてるだけだ」

 

「今はそれで十分だ。これからだよ、お前は」

 

さ、行くぞという立川の背中を見ながら、暁は思う。

 

(これから、か。…想像できねぇな)

 

急かす立川の声で我に返った暁は思考を振り払い、歩き始めた。

 

 

空港から車で数十分。アパートは東京都内、文京区湯島。少し古いが手入れの行き届いた建物だった。二階。角部屋。廊下の突き当たり、202号室。鍵を受け取りながら、暁は何となく隣の扉を一瞥した。201号室。表札はない。郵便受けに薄く名前が書かれた紙が差し込まれているが、遠目では読めなかった。ただそれだけのことで、特に気に留めることもなく自室に入った。

 

「学校の近くで探してたら、丁度いいとこが見つかってな」

 

「そうか。どうでもいいな」

 

玄関の電子錠を解除し、中に入る。キッチン、ユニットバス、その奥に6畳のワンルーム。1人で暮らすには十分だろう。クローゼットを開けると、制服が掛かっていた。

 

「二学期からの編入だ。編入試験、相当よかったらしいぞ?」

 

「誰かさんの教えがよかったんじゃねえの?」

 

「そうか?照れるな」

 

「キモいぞ」

 

暁が編入するのは、東京でも上の方に入る進学校らしい。戦場で死にかけていたところを立川に救われてから、彼の所属する会社の仕事を手伝いながら、社会復帰のための準備として、勉強もさせられた。

この男は防衛大学に入学できるほど勉強をやってきたらしく、暁が受けていない中学レベルの義務教育をみっちり教えられた。そのおかげか、暁の生来の地頭の良さか、編入するにあたっての選択肢が多く持てるくらいにはなった。事実、編入試験とやらはそれなりに解けた。

 

「まあ、お前は基本的に頭が良いからどうにかなるだろ。勉強にもついて行けると思うぞ?」

 

「勉強、ね」

 

生き延びる方法ではない。敵兵を殺すための銃の撃ち方じゃない。昔の歴史を覚えることや、数字の羅列やらを解くこと。

そんなもの―――

 

「生きるためには必要がねえことだろ」

 

「必要さ。この日本で普通に生きていくために。お前はもう、戦場を生きる兵士じゃねえ」

 

「普通、ね」

 

暁は窓の外を見た。

夕方の空。子どもの笑い声。自転車に乗る学生。買い物袋を提げた女性。かけ離れている。自分が今までいた場所から。自分だけが、世界に否定されているような感覚。自分だけが、異分子。

 

「制服、着てみたか?」

 

「……なんで?」

 

「いや、高校生らしいお前を見てみたいと思ってな」

 

「見物料払うなら考えてやるよ」

 

そう返すと立川が苦笑する。暁はクローゼットの扉を閉めた。白いシャツ。黒のスラックス。それがひどく場違いなもののように見えた。いや、正確には逆だ。自分が、その制服に対して場違いなのだ。

 

「……立川」

 

「なんだ」

 

「俺、ここでちゃんと生きられると思うか?」

 

一瞬の沈黙。

立川は暁を見て、はっきりと言った。

 

「正直、分からん。だがな」

 

暁の目を見る。 

 

「お前が掴み取って、選んだ道だ。その選択は誰にも否定する権利は無い。この先どうなろうが、俺は近くで見ててやる」

 

その言葉に、俺はわずかに目を見開く。この男は、本当に人が好すぎる。そのまっすぐに見てくる立川の目を見れず、俺は視線を逸らしながら答えた。

 

「甘いな。ほんと」

 

だが、その声は少しだけ柔らいでいた。

 

「…そうだ」

 

唐突に立川が思い出したように車に戻っていく。暁が訝しげに見ていると、一つの箱を持ってきた。

 

「暁、プレゼントをやる。暇つぶしとリハビリ代わりだ」

 

《アミュスフィア》と書かれた箱と、もう一つ。ゲームソフトのパッケージだった。タイトルに見覚えはなかった。《ガンゲイル・オンライン》。砂漠色の迷彩と、無骨な銃のイラストが描かれている。

 

「VRゲームか」

 

「銃が出てくるゲームだ。でも、本物じゃない。仮想空間の中の話だ。お前のリハビリになると思ってな」

 

「リハビリ?」

 

「銃を持つことも、撃つことも、全部。この先の生活の中でそれが重荷になる前に、仮想の中で慣らしておく方がいいと俺は思う。まあ、気が向いたら試してみてくれ」

 

「銃、か」

 

「本物じゃない。仮想だ」

 

暁は箱を受け取り、裏のパッケージ説明を無言で眺めた。立川がこれを選んだ真意は分かる。分かるが、素直に頷く気にもなれなかった。

 

「……好意は受け取っといてやる」

 

「それだけで十分だ」

 

立川はそう言って、部屋を出た。

 

「冷蔵庫に最低限のもの入れておいた。困ったら連絡しろ。車で10分だから、すぐ来る。…じゃあな」

 

そんな言葉を残して、靴音が遠ざかっていく。玄関の電子錠が閉まる音がした。

部屋に、静寂が戻ってくる。

 

その夜。

暁はベッドに横になり、天井を見つめていた。

――静かだ。

冷蔵庫の低い唸りと、外の遠い車の音だけが、部屋の生活を主張している。天井を見上げた。白い。汚れがない。穴もない。それが、気味悪い。目を閉じると、すぐに別の白が浮かぶ。

――砂埃の白。

太陽に焼かれた空の白。光で目が潰れそうな、あの白。音が戻ってくる。乾いた破裂音。叫び声。遠くで泣く子供の声。そこに、母の声が混じる。

 

『何としても生き延びて』

 

それは、祈りだった。その言葉を抱えて、俺は生きた。

……生き延びた。ただ1人、生き延びてしまった。

 

そう。1人だ。

 

――なんで、俺だけ生き残った?

 

閉じた瞼の裏に、顔が浮かぶ。

明るく笑う顔。拙い日本語で「教えてくれ、キョウ」と言いながら隣に座ってきた顔。ルカ。6年間、同じ泥の中を生きた。孤児で、マフィアに売り飛ばされて、それでも笑っていた馬鹿なイタリア人。銃の音が止んだ瞬間、血を流しながら俺に言った。

 

――俺の分まで生きろ。

 

その声が、耳の奥で鳴り止まない夜がある。

俺の分まで、と言われても。自分の分すら、どう生きればいいか分からない。

喉の奥が熱くなる。吐き気じゃない。泣きたいわけでもない。ただ、胸の内側に溜まるものが、出口を探して暴れる。

生き方は決めたはずだった。何が何でも生き残る。そう決めた。だが、それだけだ。そう決めて走り抜けた先に今がある。命はある。だが、それ以外のものは何も残らなかった。

何度も何度も自問した。

 

——俺は、何のために、生きている?

 

その答えは、ずっと出ない。

 

 

ベッドの枕元に置いてある物を見る。《アミュスフィア》。多目的VRデバイスなるもの。この現実ではない、仮想の現実へと誘う機械。そして、《ガンゲイル・オンライン》。

戦場を模した、銃と鋼鉄の世界。

 

『本物じゃない。仮想だ』

 

立川の声が頭に蘇る。

 

仮想空間の銃が、本物の銃の代わりになるとは思えない。だが。

 

「……暇つぶしには、なるか」

 

――もしそこが、俺の夜を少しでも黙らせてくれるなら。

 

アミュスフィアを手に取り、頭に装着する。

電源を入れ、スタンバイ完了を意味する電子音が流れる。そして、暁は呟く。

 

「リンク・スタート」

 

 

戦場から帰還した少年は、仮想の戦場に赴く。

 

それが、彼にとって何を意味するのか―――

 

今はまだ、誰も知らない。

 




はじめまして。自分が読みたい物語を書こうと思います。完全に自己満足ですが、それでも楽しんでいただけるように頑張って書きます。よろしくお願いします。
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