あと、過去編もう少し続きます。
タイトルも変更しました。
最初の一発から、世界の速度が変わった。
最初の一ヶ月は、毎晩夢を見た。撃った男の膝が折れる瞬間。あの乾いた音。自分の肩が跳ねた感触。思い出したくないのに、眠ると勝手に再生される。朝起きると喉がカラカラで、歯を食いしばりすぎて顎が痛かった。
二ヶ月目、夢を見る回数が減った。
三ヶ月目、ほとんど見なくなった。
それが"慣れ"というやつなのだと気づいた時、俺は少しだけ安心して、同じくらい、ぞっとした。
戦闘は次々にやってくる。偵察。襲撃。守備。待ち伏せ。大人たちは俺たち子ども兵を便利な駒として、いろんな任務に投入した。小回りが利く。夜目が利く。死んでも惜しまれない。そういう使われ方だった。
俺は、その中で上達した。
理由は単純だ。生き残るためだ。遅い奴から死んでいく。判断が鈍い奴から死んでいく。集中が切れた奴から死んでいく。周りで毎日、子どもが死んでいった。昨日隣で飯を食っていた奴が、今日は冷たくなって土の下にいる。それを見るたび、俺は自分の中で小さなネジを締め直した。
速く。正確に。冷たく。
銃の構えに迷いがなくなった。走る時の体の重心が低くなった。遮蔽物を選ぶ目が自然に動くようになった。撃つ前に、自分が撃たれる角度を先に潰す癖がついた。
(母さんに約束したから)
その言葉だけが、俺の背中を押していた。生きる理由とも、言えなかった。ただ——約束は、守らなければいけないもの。それだけだった。
◇
ルカは、相変わらずルカだった。
同じだけ人を殺しているはずなのに、表面だけは、ずっと笑っていた。飯が不味いと文句を言い、訓練官の物真似をして俺を笑わせ、俺にイタリア語を教えては発音を直した。
「キョウ、今の発音ひどいぜ」
「お前が変な言葉ばっかり教えるからだろ」
「いいじゃん、使えるワード覚えといて損はねぇ」
「罵倒語ばっかじゃねぇか」
「生き残るのに必要だろ?」
そう言って笑うルカ。だが、俺は知っていた。
夜、寝る時に、ルカも時々震えている。声は出さない。ただ、肩だけが小さく揺れている。俺は気づかないフリをしていた。ルカも、俺が夜中に歯を食いしばっているのに気づかないフリをしていた。
お互いに、見ないでくれている。それが一番の優しさだと、二人とも分かっていた。
「キョウ、日本語でさ、"生きろ"って何て言うんだ?」
ある夜、ルカが聞いてきた。
「"生きろ"。そのまんまだよ」
「イキロ。……なんか、命令っぽいな」
「命令だからな、それ」
「ああ、そうか。命令か」
ルカは笑って、少し考えてから言った。
「イタリア語だと、
「ヴィーヴィ」
「そうそう。俺、この言葉好きなんだよな」
「なんで」
「祈りっぽくて」
祈り。その言葉に、俺は一瞬だけ黙った。
母さんの最後の言葉が、耳の奥で鳴った。あれも、祈りだった。祈りで、命令で、呪いだった。俺はルカの言う"祈り"の方の意味で、その言葉を受け取りたかったのかもしれない。本当はずっと、呪いとして背負っているのに。
「……覚えとくよ」
「おう。いつか使うこともあるだろ」
使う日が来るとは、その時は思っていなかった。
◇
リカルドと初めて会ったのは、俺が十一歳になった頃だ。
その日、基地に新しい傭兵が入ってきた。大人たちは、以前から時々やってくる"金で雇われた兵士"の一人だと言った。反政府軍はマフィアから装備だけでなく人員も雇っていた。特に、現場経験の豊富な元軍人は高値で取引される。
その中の一人が、リカルドだった。
背は高く、肩幅は広い。年齢は三十前後に見えた。黒い髪を短く刈っていて、目は灰色がかった緑。イタリア語とアラビア語、英語を器用に使い分けていた。
最初の印象は、"静かな男"、だった。
他の傭兵は、傭兵特有の粗暴さがあった。酒を飲み、子ども兵を雑に扱い、金と女の話ばかりしていた。だがリカルドは違った。飯は一人で食う。無駄口を叩かない。訓練中も、じっと子ども兵の動きを観察していた。
そのリカルドが、ある日、訓練中の俺に声をかけた。
「お前、日本人か?」
英語だった。発音は悪くない。
「……そうだけど」
「ふぅん」
リカルドは少し腰を落として、俺の目線に合わせた。大人がそういう動きをするのは珍しかった。
「何年やってる?」
「……一年くらい」
「一年でその動きか」
リカルドは小さく笑った。笑うと、目尻に薄い皺が寄る。悪い笑い方じゃなかった。でも、なぜか背筋がひやりとした。
「面白いな、お前」
それだけ言って、リカルドは立ち去った。
俺はしばらく、自分がなぜ"面白い"と言われたのか分からなかった。後で分かったことだが、リカルドは子ども兵の中で"伸びる奴"を見分けるのが得意だったらしい。そして、伸びる奴に目をかける癖があった。
それ以降、リカルドは訓練中、ちょくちょく俺に絡むようになった。
「おい、日本人。撃ち方の癖が悪い。肩が泳いでる」
「そっちじゃない。右足を半歩引け。射線が抜けるぞ」
「ナイフの握り方、それじゃ刃が甘い。貸してみろ」
教え方は雑だったが、言うことは的確だった。訓練官が教えない細かいコツを、リカルドは平然と投げてきた。元イタリア陸軍だったらしい。どうしてそんな男が傭兵になって、こんな国にいるのか。俺は聞かなかった。聞いていい空気じゃなかった。
ルカは、リカルドを嫌っていた。
「あいつ、ヤバい感じがする」
ある夜、ルカが小声で言った。
「なんで」
「目だよ、目。あいつ、人を"見てる"んじゃなくて"測ってる"んだよ。使えるか、使えねぇかで」
俺は何も言えなかった。ルカの言うことは、多分正しかった。俺に絡んでくるリカルドの目は、時々、冷たくなる瞬間があった。
「キョウ、あんまり近づくな。あいつに気に入られるのは、良いことじゃねぇと思う」
「……分かった」
そう答えたが、リカルドの絡みは止まらなかった。そして俺の方も、最初は警戒していたくせに、教えられることが役に立つと分かると、素直に受け取るようになっていた。生き残るためには、使えるものは何でも使う。それが、この一年で体に染みついた原則だった。
ルカはそんな俺を見て、何も言わなかった。
ただ、時々、少し寂しそうな顔をしていた。
◇
戦況は、泥沼に沈んでいた。
一年経っても、二年経っても、戦争は終わらなかった。政府軍が押す日もあれば、反政府軍が押し返す日もあった。どちらも決定打を持たず、ただ兵士と金と時間を消費していった。
国際社会は、ほとんど見向きもしなかった。アフリカの小さな国の内戦など、ニュースのベルトで流れて終わりだった。介入してくる国はない。仲裁してくれる機関もない。戦争は、自分たちの意志とは別のところで、続いていった。
俺たち子ども兵は、その長い時間の中で、削れていった。
最初に一緒に来た子どもたちは、ほとんどが死んだ。撃たれて死ぬ奴。病気で死ぬ奴。事故で死ぬ奴。逃げようとして殺される奴。死因は様々だったが、結果は同じだった。
二年目、新しい子ども兵が連れてこられた。俺たちより小さい子たちだった。泣いているのを見て、俺は何も感じなかった。ルカは、最初のうちは彼らに優しくしていたが、新入りが一週間で死ぬのを何度か見ると、距離を取るようになった。
「覚えるのやめたわ、名前」
ある夜、ルカがぽつりと言った。
「覚えると、辛いな」
「……だな」
それが、俺たちの優しさの限界だった。
◇
俺は、十三歳になった頃、部隊の中で一定の地位を得ていた。
"戦果を上げる子ども兵"として、大人たちから一目置かれるようになっていた。偵察任務。要人警護。狙撃手の護衛。危険だが、技術が必要な任務が振られるようになった。
リカルドは、俺の成長を喜んでいるように見えた。
「お前、大人になったら怖い兵士になるぞ」
そう言って笑うリカルドに、俺は何も返さなかった。
"大人になったら"。
自分が大人になるまで生きている未来が、俺には想像できなかった。だが、それを口に出すことは、言霊として縁起が悪い気がしたので、黙っていた。
ルカは、相変わらずルカだった。
変わったことといえば、笑う回数がほんの少し減ったことと、夜に日本語を教えてくれと頼んでくる頻度が増えたことだった。
「キョウ。日本に帰ったらさ、お前の家に泊めてくれよ」
「家がまだあるかも分かんねぇよ」
「なかったら一緒に探そうぜ」
「何をだよ」
「新しい家」
ルカは笑って、そう言った。
俺は何も言えずに、少しだけ空を見た。この国の夜空は、日本とは違う星の並びが見える。もうこっちの星座の方が見慣れてしまった。日本の夜空がどんなだったか、思い出せなくなっていた。
(……帰れるのかな)
初めて、そう思った。
それまでは"生き延びる"ことだけが目的だった。帰る場所のことは、考えないようにしていた。考えると、足が止まりそうだったから。
でもルカは、帰る話をする。日本に行く話をする。腹いっぱい飯を食う話をする。その話をする時のルカの目は、ほんの少しだけ、この場所から離れているように見えた。
俺も、その目をしてみたかった。
でも、できなかった。母さんの約束と、引き金を引いた回数が、俺の足をこの場所に縫い付けていた。
◇
十四歳になる少し前、戦況が大きく動き始めた。
政府軍が、アメリカからさらに強力な支援を受けたという噂が流れた。新型の武器、衛星情報、軍事顧問。反政府軍は押され始めた。イタリアマフィアの支援もあったが、国家の後ろ盾には敵わなかった。
基地の空気が、変わった。
大人たちの口数が減った。苛立ちが増えた。子ども兵に当たる頻度が上がった。逃げようとした奴が、以前より多く殺されるようになった。反政府軍の内部で、崩壊の兆しが見え始めていた。
リカルドも、変わった。
表面上は変わらなかった。相変わらず俺に絡み、技術を教え、笑っていた。だが——目の奥が、冷たくなっていた。何かを計算している目。何かを測っている目。ルカが言っていた"使えるか使えないかで人を見る"目。
ある日、リカルドが俺に聞いた。
「キョウ。お前、この戦争、どうなると思う?」
俺は少し考えてから、正直に答えた。
「……負けるんじゃねぇの」
「へぇ。何でそう思う」
「装備の差が広がってる。兵士の士気も落ちてる。補給線もキツくなってきてる。俺でも分かるくらいだから、大人はもっと分かってるだろ」
リカルドは、ふっと笑った。
「お前、本当に頭が回るな」
笑う顔は、前と同じだった。だが、目の奥にあった冷たさが、少しだけ深くなった気がした。
「覚えておけ。戦争で大事なのは、強さじゃない。どの船に乗るかだ」
「……どういう意味だよ」
「いや、独り言だ」
リカルドはそれ以上は言わなかった。その時の俺は、その言葉の意味を深く考えなかった。戦場で生きるのに精一杯で、大人の独り言にまで気を回す余裕がなかった。
後になって、俺はこの時のリカルドの言葉を思い出すことになる。
でも、その時にはもう——全部、遅かった。
◇
夜、ルカが俺の横で言った。
「キョウ」
「あん?」
「もし、この戦争が終わったらさ」
「ああ」
「一緒に日本に行こうな」
俺は夜空を見上げたまま、少しだけ考えてから答えた。
「……連れてってやるよ」
ルカは、小さく息を吐いた。その息は、笑い声に似ていた。
「約束な」
「約束」
その夜の星空を、俺は今でも時々、夢で見る。
見るたびに——そして、俺はあの約束を守れなかったのだと、思い知らされる。
少しバタバタしてて遅くなりまして申し訳ないです。
あと、各話少しずつ修正と加筆をしました。