帰還者と狙撃手   作:きょうりゅう

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過去編終了です。


追憶:終戦

 

その日の朝、空は白かった。

日の出直前の、まだ光が散らばる前の空。夜明けの時間。アルバ、の時間。俺はその白い空を、基地の隅にある給水塔の陰から見ていた。

数日前から、基地の空気はおかしかった。大人たちの口数がさらに減り、夜中に幹部同士の怒鳴り合いが聞こえることが増えた。補給が止まっていた。新しい弾薬が届かない。食糧も日に日に減っていた。

そして昨日、ついに決定的な情報が入ってきた。政府軍の大規模攻勢。こちらの主要拠点の位置が、向こうに筒抜けになっている。情報が漏れている。つまり——内通者がいる、ということ。

幹部たちは、その内通者を炙り出す時間がなかった。既に包囲されかけていた。

 

「全部隊、出撃準備」

 

命令が降りたのは、空がまだ白い頃だった。俺たち子ども兵も、例外ではなかった。

 

「キョウ」

 

ルカが俺の隣に来た。顔は、いつも通り笑っていた。だが、目の奥が少しだけ硬かった。

 

「行くぞ」

 

「ああ」

 

それだけの会話で、俺たちはトラックの荷台に乗った。十四歳になっていた俺たちは、もう子どもじゃなかった。少なくとも、この場所では。

 

 

 

 

 

 

戦場は、今までで一番広かった。

乾いた平原。崩れた建物。遠くに見える丘陵。そこに、反政府軍の全戦力が投入されていた。向こう側には政府軍の大部隊。装甲車、迫撃砲、そして——空には、これまで見たことのない航空機の影。

 

「……やべぇな」

 

ルカが小さく呟いた。

 

「ああ」

 

俺も短く返した。これは、今までの戦闘とは規模が違う。これは——最終決戦だ。勝つか、負けるか。負ければ、反政府軍は終わる。そして、俺たちも終わる。

戦闘開始の号令がかかった。

 

 

 

 

 

 

最初の一時間は、混沌そのものだった。

迫撃砲の音が絶えず響いた。土が跳ね、建物が崩れ、煙が視界を覆った。銃声は、もう一発一発を聞き分けることができない。連続した騒音の壁が、戦場全体を包んでいた。

俺は、ルカと組んで動いていた。二人一組。お互いの背中を守り合う。この数年で染みついた呼吸で、俺たちは遮蔽物から遮蔽物へと移動した。

 

「右、二時方向、二人!」

 

「見えてる!」

 

ルカが撃つ。一発。二発目で当てた。敵が倒れる。

 

「キョウ、左!」

 

俺は振り向きざまに撃った。構え、頬付け、呼吸、引き金。もう考えない。全部、体が動く。相手が倒れる。次の敵が出てくる。また撃つ。

時間の感覚が溶けていた。

どれくらい経ったか分からないが、気づけば俺たちの部隊はじりじりと後退していた。味方が倒れていく。子ども兵の何人かが、もう立ち上がらなくなった。大人の兵士も、次々に減っていく。

そして——俺は、違和感に気づいた。

政府軍の動きが、あまりにも正確すぎる。こちらの伏兵の位置を、最初から知っているかのような挙動。遮蔽物の配置を、最初から把握しているかのような射線。

情報が、完全に漏れている。

誰だ。誰が漏らした。

その疑問に答えが出たのは、戦闘開始から三時間ほど経った頃だった。

 

 

 

 

 

 

無線が、ほんの一瞬だけ混線した。

反政府軍の周波数に、一瞬だけ別の声が紛れ込んだ。雑音混じりの、短い会話。聞き取れたのは、たった数秒。

 

『——最終ポイントも押さえた。あとは——』

 

俺は、その声を知っていた。

リカルドの声だった。

時間が止まった。頭の中で、ここ数日のリカルドの行動が全部繋がった。最近、幹部会議に頻繁に出入りしていたこと。補給ルートの情報を聞きたがっていたこと。「どの船に乗るかだ」という、あの独り言。

 

——裏切りだ。

 

リカルドは、政府軍側に情報を流していた。いつからかは分からない。でも、今この戦況の異常さは、全部奴のせいだ。

 

「ルカ」

 

俺は声を絞り出した。

 

「なんだ」

 

「リカルドだ。あいつが、売った」

 

ルカは、一瞬だけ目を見開いた。そして——笑った。

 

「だよな」

 

それだけ言った。驚きは、なかった。ルカはずっと、リカルドを警戒していた。その警戒が、最悪の形で正しかっただけのこと。

 

「キョウ」

 

「あん?」

 

「今、あいつを探す余裕はねぇ。目の前の戦闘を、生き抜くことだけ考えろ」

 

「……わかってる」

 

わかっていた。リカルドへの怒りは、生きて戻った後に考えるべきことだ。今は、生き残ることだけ。

でも、俺の中で何かがずっと燻り続けていた。俺が信じた——信じかけた大人が、また、俺を裏切った。母さんを殺した連中のように、俺の世界をまた一つ、壊した。

 

 

 

 

 

 

戦況は、悪化する一方だった。

夕方には、反政府軍の主力部隊はほぼ壊滅していた。残っているのは散発的な小部隊だけ。俺とルカが所属する部隊も、最初は十五人いたのが、もう五人しか残っていなかった。

 

「撤退だ!」

 

隊長が叫んだ。だが、撤退路はもう塞がれていた。政府軍が回り込んでいる。俺たちは、狭い谷間のような場所に追い詰められていた。

 

「キョウ、ルカ、お前らは左の崖沿いを行け。俺たちが時間を稼ぐ」

 

隊長が言った。大人の兵士三人が、俺たちを逃がすために残ると決めた。

 

「でも——」

 

「いいから行け! お前ら、まだ生きろ!」

 

ルカが俺の腕を引いた。

 

「行くぞ、キョウ!」

 

俺たちは走った。背後で、銃声が響いた。隊長たちが敵を引きつけている音。それが、聞こえなくなるまで走った。

崖沿いの小道を、息を切らしながら移動した。敵の目を避けるために、岩陰を縫うように。

 

「……ここまで来れば、少しは」

 

ルカが息を整えながら言った。

その時——

ヒュン、という音。

俺は反射で地面に伏せた。ルカも、半拍遅れて伏せる。

狙撃だった。

岩の向こう、高台の位置。距離は三百メートルほど。射手は一人。正確な射撃。即席の狙撃手じゃない。訓練された人間の射線だった。

 

「ルカ、動くな」

 

「ああ」

 

俺たちは岩陰で息を潜めた。狙撃手は、こちらの位置を把握している。少しでも動けば、次の弾が来る。

 

(落ち着け。相手の位置は分かった。こっちの射線は確保できている。タイミングを見て、一発で仕留める)

 

俺は呼吸を整えて、岩陰からわずかに銃を出した。スコープ越しに、高台の影を捉える。射手の頭の位置。風。距離。弾道。計算する。

引き金に指をかけた。

 

「キョウ!」

 

ルカの叫び声。

——背後だった。

俺は振り返る前に、体が動いていた。だが、ルカの方が早かった。ルカが、俺の前に飛び出して——

パン、と、音がした。

乾いた、近い音。

ルカの体が、宙で一度揺れて、そのまま地面に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

時間が、止まった。

最初、何が起きたか理解できなかった。ルカが、地面に倒れている。ルカの胸から、赤い色が広がっている。

 

(え)

 

(なんで)

 

(ちょっと待て)

 

思考がバラバラに散らばる。

俺は反射で、背後に向かって撃った。何発か。何発撃ったか、覚えていない。ただ、引き金を引いた。引いた。引いた。

背後にいた男が、倒れた。

狙撃手の方は——撃ってこなかった。いつの間にか、姿を消していた。

戦場の音が、ふっと遠くなった。遠くで、まだ戦闘の音はしている。銃声、爆発、叫び声。でも、それが全部、水の向こうみたいに聞こえる。

 

「ルカ」

 

俺はルカに駆け寄った。

 

「ルカ、おい、ルカ」

 

ルカは、目を開けていた。俺を見ていた。息をしていた。まだ、生きている。

 

「キョウ……」

 

「喋るな。止血する」

 

俺は震える手で、ルカの上着をめくった。傷は——胸の中央近く。血が、止まらない。どう見ても、致命傷だった。それでも、俺は手を動かした。手当てするしかなかった。止血布。圧迫。手が震える。止まらない。

 

「キョウ、もういい」

 

ルカが、小さく笑った。

 

「もういいって、何言ってんだよ」

 

「死ぬよ、俺。わかる」

 

「黙れ。喋んな。血が止まんねぇだろ」

 

ルカは、少しだけ笑った。それから、咳をした。口の端から、赤いものが流れた。

 

「キョウ」

 

「……なんだよ」

 

「泣いてる」

 

言われて初めて、気づいた。俺の頬に、何かが流れていた。泣き方を忘れたと思っていたのに、涙は、勝手に流れていた。何年ぶりかも、分からなかった。

 

「……うるせぇ」

 

「いいんだよ、泣いて」

 

ルカは、俺の手を握った。力は弱かった。 

 

「キョウ。——約束、覚えてるか」

 

「……約束」

 

「日本に行くって。一緒に」

 

俺は、声が出なかった。代わりに、頷いた。

 

「それさ、無理っぽいわ」

 

ルカは笑った。笑いながら、また咳をした。

 

「だからさ、——俺の分まで、日本見てきてくれよ」

 

「……ルカ」

 

「腹いっぱい日本食食って、温泉とか行って、さ」

 

「学校ってやつも行って、…恋人とか、作ってさ」

 

ルカの声が、段々小さくなっていく。

 

「そんで、——Vivi(ヴィーヴィ)

 

その言葉で、俺の息が止まった。

 

「生きろよ、キョウ。——俺の分まで、生きろ」

 

ルカの目が、俺を見ている。まっすぐ、見ている。

 

「命令、守れよな」

 

最後の言葉は、イタリア語と日本語が混ざっていた。ルカが、いつも俺に教えてくれた言葉たち。

ルカの手が、俺の手から滑り落ちた。

目を、開けたまま。

俺を、見たまま。

 

——ルカが、死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、どれくらいそこにいたか分からない。

気づいた時には、辺りは静かになっていた。戦場の音が、遠くなっていた。戦闘は終わったのか、それともどこか別の場所に移ったのか。分からなかった。

俺は、ルカの目を閉じた。

指で、そっと瞼を降ろした。ルカの頬に、血が一筋残っていた。俺はそれを、袖で拭った。

 

「……連れてってやるよ」

 

誰にともなく、呟いた。

 

「日本。絶対、連れてってやる」

 

答える声は、もうなかった。

 

 

 

 

 

 

俺は立ち上がった。

ルカの体を、その場に置いていくことしかできなかった。連れて動けるような状況じゃなかった。戦場では、死者は置いていくしかない。それはこの六年で、嫌というほど学んだことだった。

でも、その"当たり前"が、今日は体に突き刺さった。

俺は、銃を握り直した。手が震えていた。でも、震えたまま、動いた。

反政府軍は崩壊した。俺が所属していた部隊は、もう存在しない。大人たちも、ほとんどが死んだか、逃げたか、捕まった。俺は——生き残りの一人になった。

散発的な戦闘が、まだ続いていた。政府軍は、逃げ延びた反政府軍の残党を狩るために、あちこちに小部隊を派遣していた。俺は、それらを避けながら、廃墟となった街を歩いた。

どこへ行くのか、分からなかった。

生き延びることだけが、頭にあった。母さんとの約束。ルカとの約束。二つの約束が、俺を動かしていた。

 

 

 

 

 

 

何時間経ったか分からない頃、俺は銃声を聞いた。

近かった。

いつもなら、避ける方向を選ぶ。だが、その時の俺は、なぜかその音の方に向かった。なぜかは、今でも分からない。

廃ビルの陰から覗くと、そこには奇妙な光景があった。

五人の男が、三人の男を追い詰めていた。追い詰めている五人は、反政府軍の残党兵。目がイっていた。残党兵特有の、絶望と憎悪と開き直りが混ざった目。

追い詰められている三人は——違った。

装備が違う。制服も違う。民間軍事会社の、プロの兵士。多国籍の部隊に見える。その中の一人が、アジア系だった。

その男の顔を見た瞬間、何かが俺の中で動いた。

日本人だった。

遠目でも分かった。顔立ち、体つき、雰囲気。日本人がこの戦場にいるのは、異常事態だ。普通なら、内戦地に日本人の兵士なんていない。恐らく、民間軍事会社に所属している珍しい例だろう。

三人は、崩れかけた建物に追い詰められていた。弾切れが近いのか、射撃の頻度が落ちていた。一方、残党兵たちは、まだ弾を持っていた。

——このままじゃ、死ぬ。

その事実を見た瞬間、俺の体が勝手に動いていた。

なぜ動いたか、今でも説明がつかない。関係ない他人だった。助ける義理もなかった。それでも、あの日本人の顔を見た瞬間、俺は——。

俺は、銃を構えた。

残党兵たちの背後から、射線が抜けている。距離は百メートル弱。体勢は悪くない。

呼吸を整えた。引き金に指をかけた。

パン。

一発目で、一番手前の男が倒れた。

残党兵たちが振り返る。俺は、すでに次の位置に移動していた。二発目。三発目。それぞれ、一発で仕留めた。

残党兵たちは、反撃する間もなく倒れた。五人全員。数十秒の出来事だった。

俺は、銃を下ろして、ゆっくりと廃ビルに近づいた。

三人の兵士が、警戒した顔で俺を見ていた。銃口を、こちらに向けている。敵と判断しかねている。当然だ。

俺は、両手を上げた。銃を地面に置いた。そして、久しぶりに、日本語を使った。

 

「……日本人、だよな」

 

日本人の兵士が、目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

その男は、立川晋也と名乗った。

元自衛官。現在はアメリカの民間軍事会社に所属。この内戦終結後の混乱の中で、民間人の救出任務に従事していた。今日は、別の部隊から逸れて、残党兵に捕まりかけていたらしい。

 

「……君が、助けてくれたのか」

 

俺は頷いた。

立川は、俺の装備を見て、俺の顔を見て、短く息を吐いた。

 

「少年兵か」

 

「……そうだ」

 

「日本人?」

 

「そうだ」

 

立川は、しばらく沈黙した。何を考えていたのかは、分からない。やがて、立川は口を開いた。

 

「名前は?」

 

「……暁」

 

「皆月暁、か」

 

俺は、苗字まで名乗った覚えはなかった。でも、立川はそう言った。あとから、俺の顔立ちや年齢から、過去のニュースを思い出したと聞いた。日本人駐在員の家族が、内戦に巻き込まれた事件。何年も前のニュース。

 

「そうか」

 

立川は、それだけ言った。それ以上、何も聞かなかった。

 

 

 

 

 

 

その後のことは、正直、あまり覚えていない。

立川の部隊は、俺を連れて、安全地帯まで撤退した。俺は、そのまま米国に連れて行かれ彼らの保護下に置かれた。民間軍事会社の上層部は、最初は俺をどう扱うか迷っていたらしい。だが立川は、俺を日本に連れて帰ると、一人で決めた。お人好しにも程があった。

後で立川が言った言葉を、俺は今でも覚えている。

 

「同じ日本語を喋っていたんだ。それだけだよ」

 

それだけ、と言えるのが、この男の不思議さだった。

 

 

 

 

 

 

内戦終結後、一年かけて、俺は社会復帰の準備をした。

立川が日本政府に連絡を取り、交渉の末出された条件がそれだった。

立川の会社の一室を与えられ、勉強をした。俺が受けられなかった中学レベルの義務教育を、立川が教えてくれた。この男、防衛大学に入れるくらい勉強していたらしい。教え方も悪くなかった。

夜、眠れない日が多かった。銃声の幻聴で目が覚めた。夢の中でルカが倒れ、母さんが倒れ、撃った男が倒れた。何度も、何度も。

立川は、その事情を深く聞かなかった。ただ、夜中に俺が起きている時、時々、隣の部屋から「寝れねぇなら飯でも食うか」と声をかけてくれた。それだけだった。

 

 

 

 

 

 

そうして、一年が過ぎた。

俺は十六歳になっていた。日本語は、元々母国語だから問題なかった。英語も、戦場で使っていたから問題なかった。勉強は、物覚えの良さで何とかなった。

帰国の数日前、立川が言った。

 

「暁。日本で、新しく始めようぜ」

 

「……新しくって?」

 

「普通の生活。学校に行って、友達作って、飯食って、寝る。そういうやつだ」

 

「……想像つかねぇよ」

 

「俺もだ。でも、やるしかねぇだろ」

 

立川は笑った。俺も、少しだけ笑った。何年ぶりに笑ったのか、分からなかった。

帰国の日、飛行機が離陸した。

俺は、目を閉じた。

 

(ルカ)

 

心の中で、呼んだ。

 

(日本に、行くからな)

 

(お前の分まで、見てくるから)

 

(そんで——)

 

返事は、なかった。当たり前だ。

でも、ほんの少しだけ、風の音がした。乾いた、あの国の風の音に似ていた。

俺は、一筋だけ涙を流して、それから眠った。

夢は、見なかった。

 

 

 

 

 

 

——そして、数ヶ月後。

俺は成田空港の到着ロビーに立っていた。

六年ぶりの、日本。

もう戻らないと思っていた、故郷。

背負うものは、二つの約束だけだった。母さんの「生き延びて」。ルカの「俺の分まで生きろ」。

どちらも、命令で、祈りで、——呪いだった。

俺は、その全部を背負ったまま——日本の夏の空気に、足を踏み出した。

 

夜明けは、まだ遠い。

 




これで過去編は終了です。
蛇足的になってしまったかもですがご了承下さい。
いよいよ原作に突入、の前に1話だけ挟みます。
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