十二月十三日。第三回BoB予選当日。
午前十二時過ぎ、俺は立川のマンションのリビングにいた。
文京区の俺のアパートから車で五分程度。立川がここに住んでいるのは、後見人として近くにいたいから、という理由だ。本人はそれを口にしないが、まあ、見え透いている。
リビングは広い。男一人で住むには広すぎる。何故か2LDK。理由を聞いたら、寝室と仕事部屋を分けたいとのことだった。流石に無駄に金持ってる独身は違う。ソファ、テレビ、本棚にはミリタリー関連の書籍と防衛大時代の教本らしきものが並んでいる。窓からは曇った冬の空が見える。
「立川。これマジで杞憂じゃねえの?」
俺はソファに深く腰を下ろしながら、テーブルの上に置かれたアミュスフィアを指差した。
「万が一の可能性を潰しておくに越したことはないだろ?」
立川がキッチンからインスタントコーヒーを二杯持ってきた。
「もしもダイブ中のお前の体に異変があれば、これならすぐに気付けるしな」
「ま、いいけどよ」
俺は受け取ったコーヒーをすすった。
実際、菊岡から提示された条件は、ダイブ中の物理的な安全保障だった。アミュスフィアの出力を常時モニターし、異常があれば即時切断。ただし、それは菊岡が手配した病院の部屋でやる前提だった。桐ヶ谷と同じようにモニターしたかったらしいが、俺はそれを蹴って、立川の家からダイブすることにした。理由は単純。知らない部屋より、知ってる部屋の方が落ち着く。なにより、あの胡散臭い官僚の用意した部屋はなんとなく嫌だったし、立川が近くにいるならそれ以上のボディーガードはいない。
それに立川も自分の家でダイブしてくれた方がいいと言っていた。
口にはしないが、立川は俺がこの依頼を受けるのに反対だったようだ。直接的に止められることはしなかったが、何となくそう感じた。この依頼を介して過去のフラッシュバックを起こすかもしれない、と思っているようだ。実際、戦場から離れた一年目、俺は何度かそういう発作を起こしている。だが、最近は引き起こされることは無くなった。俺の中である種の割り切りができるようになったかもしれない。
立川は俺の向かいに座って、コーヒーをすすった。
「で、お前はどう思う」
「あ?」
「死銃のことだ。本当に、ゲーム内から人が殺せると思うか?」
俺はカップを置いて、少し考えてから答えた。
「ねぇな」
「根拠は」
「俺が最初にフルダイブした時に思ったから。これは確かに現実に近い。だが、決して現実ではないってな」
立川は黙って続きを待っていた。
「確かに、よく出来てる。銃の反動やらなんやらな。だがな、立川。GGOで初めてプレイヤーをキルした時に思った」
俺は、目をつぶり、もう一度目を開けて立川の目を見て答える。
「人を殺すことが、あんな軽いもんであってたまるかよ」
立川が、コーヒーを飲む手を止めた。
部屋が、ほんの少しだけ静かになった。立川は、ゆっくりカップを置いて、俺の目を見た。
「……そうか」
それだけ言った。
立川の目が、何かを言いたそうに揺れていた。でも、口にはしなかった。立川は、俺が戦場で何をしてきたかを、ほぼ知っている。たぶん、立川自身も似たような経験を、別の戦場でしている。だから、この一言を共有できる。
以前なら、俺はこんな会話自体を避けていた。話したくなかった。でも今は、立川相手なら言える。それくらいには、俺もこの男に慣れた。そして、この平穏にも慣れてきていた。だからこそ、口にできる。それは紛れもない事実だった。
「……だから、ゲームで死んだら現実で死ぬ、っていう話は信じられねぇ。かの《ソードアート・オンライン》じゃあるまいしな。少なくとも、ゲーム側の処理だけで人が死ぬとは思えない。もし本当に偶然ではなく誰かの仕業なら何か別のトリックがある。リアル側でな」
「俺もそう思う」
立川は短く同意した。
「だが、色々と障害があり過ぎるな」
「ああ。だからこそ、あのお役人様は俺と桐ヶ谷に依頼したんだろ」
俺は窓の外を見た。曇った空。十二月の重い色。あの戦場のあった国の空とは、違う。日本の空には、空白が多い。
「……まあ、面倒な話だ」
「面倒なら、断ってもよかったんだぞ」
「ま、俺も《死銃》の噂は気になってたからな。丁度良かったんだよ」
立川は、何かを言いかけて、やめた。
代わりに、コーヒーを一口飲んでから、別の話を切り出した。
「詩乃ちゃんには、伝えたのか?」
俺は咳き込みかけた。
「……はあ?なんでアイツに言わなきゃなんねーんだよ」
「心配するんじゃないのか?」
「なんで?」
「…お前、案外ニブいんだな」
「はあ??」
立川がため息をついた。それから少し微笑んだ。
「まったく、ガキらしいところもあるな。お前」
「なんか知らねえけどムカつくな」
ディスられてる気がする。何をかは分からんが。
「ま、何かあればお前がしっかり守ってやれよ」
「俺が守るほど、アイツ弱くねぇよ。むしろ時々怖いわ」
本当、アイツはGGOで強くなった。得意の狙撃だけじゃなく、軍隊格闘スキルも獲得して、俺が教えたこともあって近接もこなせるようになり隙が無くなった。油断してたら俺もやられるぐらいに。
「アッハッハ!そうかそうか。それはいいことだな」
立川は嬉しそうに笑った後、それ以上何も言わなかった。
時計を見ると、午後一時前。
俺はアミュスフィアを頭に装着し、立川のリビングのソファに横になった。立川は隣のテーブルでノートPCを開き、出力モニタリング用のソフトを立ち上げている。
「行ってくるわ」
「おう。気をつけろ」
俺は目を閉じて、呟いた。
「リンク・スタート」
◇
虹色の光に包まれて、視界が砂漠色に切り替わる。
《SBC グロッケン》、初期スポーン地点。アバター《アルバ》の体に、意識が同期する。白い髪と銀色の瞳。GGOのランダム生成が引き当てた、ふざけた色合いの体。最初は目立って嫌いだったが、最近はこれにも慣れた。今ではかなり気に入っている。
歩いていると、メッセージ受信の音が聞こえた。メニューを開くと、メッセージのアイコンが点灯していた。
差出人——シノン。
『あんた今どこ?』
俺はその場で立ち止まり、返信を打ち込む。
『知り合いの初心者案内するから初期リスあたり』
すぐに返信。
『BoBは?エントリーはどうするのよ?また忘れるわよ』
アイツは第2回のことをまだからかってくる。苦い顔をしながら返信する。
『うるせぇ。その知り合いもBoB出るからそいつと一緒にエントリーする。お前は先にエントリーしとけ』
しばらく待ったが、シノンからの返信はそれきり来なかった。たぶん、エントリーしに行ったのだろう。あるいは——少しだけ拗ねた、のかもしれない。最近のあいつは、こっちが思ってる以上に、感情の反応が読みにくい。
メニューを閉じて、俺は周囲を見渡す。
初期スポーン地点。なんたらドームの前の広場のような空間で、新規プレイヤーや戻ってきたプレイヤーがちらほら歩いている。その中で、明らかに浮いているシルエットが、ガラスに映る自分の姿を見て呆然としていた。
——女?
長い黒髪。整った顔立ち。線の細い体。あれは、女性プレイヤーのアバターに見える。だがなんとなく、直感的にあれが待ち合わせた人物だと思った。何故かは分からないが。
俺はそのプレイヤーの方向に歩いていった。近づくと、向こうも俺に気づいたらしく、振り向いた。
目が合う。どこからどう見ても女性プレイヤー。だが――
「…キリトか?」
そう声をかけると、パアッと顔が明るくなる。
「みなつ…アルバか!良かった…会えた」
やはり、この間銀座のお高いカフェで会った少年、桐ヶ谷和人こと、キリトだった。
俺は、しばらくそのアバターを上から下まで眺めた。
「……お前、ナニソレ?」
そう問わずにはいられなかった。
「……俺が聞きたい」
キリトはげんなりした顔で答えた。
「男でそのアバター…M9000番とか言うレアなアバターじゃね?それ」
噂で聞いた、いわゆる男の娘アバター。かなり高値で取引されるとか。
「そうらしい。コンバートの仕様で、過去のアバターのデータが反映されるらしくて……元のアバターが、こう、なんていうか」
「ネカマ?」
「違う、違う!コンバート前のプレイ時間とかが関係してるらしくて…」
そこで俺はある噂を思い出す。プレイ時間に比例してレアなアバターが出やすくなると。
「なるほど。《あのゲーム》にいたアンタなら納得だな」
俺は片眉を上げた。
SAO事件——あの、二年前に世界中を賑わせた、大規模仮想空間封鎖事件。茅場晶彦という一人の天才が引き起こした、犠牲者四千人を出した史上最悪のVR事件。そのゲームをクリアした英雄――《黒の剣士》。
俺は、その英雄の女顔のアバターを、じっと見つめた。
「……まあ、そうだな」
キリトが、少し気まずそうに視線を逸らした。俺がこのことを知っているのは、キリトの情報を事前に菊岡に貰っていたからだ。知っているからといって、踏み込みすぎてしまった。
「悪い。不躾だった」
「いや、いいんだ。事実だしな」
そう言って頬をかきながら笑うキリト。マジで美少女にしか見えねぇな。
「とりあえず装備から揃えるか。少し歩いたところに大型のショップがあるから、そこに行こうぜ」
「わかった。よろしく頼むよ、案内人」
俺たちは並んで歩き出した。
◇
メインストリートの大型ショップに入る。
GGOで一番大きな銃器・装備店。プレイヤー間取引が活発な高ランク品も置いている、初心者からベテランまで幅広く利用される店だ。GGOで戦闘をするなら、最低限の銃と防具を揃える必要があった。
「……うわ、銃ってこんな種類あるんだな」
キリトが店内を見回しながら呟いた。
「アサルトライフルの棚だけで五十種類はあるな。ハンドガンも入れたら、もう数えきれねぇ」
「アルバ、こういうの詳しいのか?」
「まあな。このゲームやってる奴なら大抵詳しいだろ」
辺りを見回す。さて、どうするかと考えていると――
「アルバ」
背後から、低く、明らかに苛立ちを含んだ声がした。
俺は振り返る。
空色のショートヘアに、黒いラフな格好。そして、マフラー。シノンだった。
ただし——機嫌が、悪い。明らかに、悪い。
「……シノンか。なにしてんの? エントリーは?」
「もう済ませた」
「ふーん?で、何しに来たんだよ」
シノンは、俺の隣に立っているキリトを、じっと見ていた。
「……その子、誰?」
その声には、何かが滲んでいた。怒り、というには静か。悲しんでいる、というには硬い。説明が難しい温度。
「さっきメッセージ送ったろ?知り合いの初心者だよ」
「……そう」
シノンは短く返事した。
なんだ、こいつ。
俺は首を傾げた。
シノンは時々、こっちが理解できない感情の動きをする。最初は学校での疲れとか、現実のトラウマの再発とか、そういうのを警戒して接していた。でも、今のこれは、それとは違うように見える。
「どうしたんだよ?なんか変だぞ、お前」
「……あんたとその子、どういう関係なの?」
「は?」
俺は本気で意味が分からなかった。関係って何だ。さっきメッセージで「知り合いの初心者」って送っただろ。それ以上の説明が必要か?
——と、その時。
俺の隣のキリトが、ふっと笑ったのが分かった。
「はじめまして、キリトといいます」
キリ子状態のアバターから出てきたのは、低めではあるが柔らかい、女っぽい口調の声。
「アルバさんには色々とこれからお世話してもらう予定で〜」
——なんで語尾を伸ばす?
「…へぇ。そうなの」
シノンの声がさらに低くなる。なんか怖い。
俺は事態を全く理解していないまま、キリトに向き直って指摘した。
「いやお前マジでネカマにしか見えねぇからやめとけって。彼女に言うぞ」
「冗談だよ、冗談」
キリトは即座にいつもの口調に戻った。それから、はっと気づいた顔をして、真顔でこちらを向く。
「……待て、なんで俺に彼女がいるって知ってるんだ?」
「菊岡に聞いた」
「あの眼鏡め……」
俺たちのやり取りを、シノンは——
——固まったまま、聞いていた。
口が、半開きになっている。
「……ネカマ?」
シノンが、ゆっくり呟いた。
「……彼女?」
「……俺?」
俺は心の中で、"俺?"の主語が誰なのか一瞬考えてしまった。シノン本人が「俺」って言うわけがないので、たぶんキリトを指しているのだろう。
「さっきからなんだよお前」
俺は怪訝な顔でシノンに聞いた。
シノンは、自分の混乱を整理するように、ゆっくり俺たちを見回した。それから、震える声で、確認するように言った。
「……この人、女の子じゃないの?」
「男だけど?」
俺は即答した。
「……男だよな?」
念のため、隣のキリトに振った。
「そうだって。リアルでもあっただろ」
キリトが普段の口調で返した。
シノンの表情が、また少し変わった。今度は、別の動揺。
「そのアバターで?」
シノンが、信じられないものを見るような目でキリトを指差した。
「こんなアバターで」
キリトが、半ば諦めた顔で頷いた。
——その瞬間。
シノンの肩から、ふっ、と力が抜けたのが、はっきり見えた。
胸の前で握りしめていた拳が緩み、強張っていた頬の線が柔らかくなり、一瞬閉じた瞼の奥で、何かが安堵に変わった。それくらい、明確な変化だった。
「本当どうしたんだよお前」
俺は本気で困惑して聞いた。
シノンは、頬を少しだけ赤らめて、そっぽを向いた。
「……なんでもない」
「いや、なんでもないって感じじゃねぇだろ。何怒ってたんだよ」
「なんでもないったら、なんでもないの」
シノンの声には、さっきまでの硬さはなかった。むしろ、いつもより少し弾んだ調子に戻っていた。視線は逸らされたままだったが、口元は——
——少しだけ、嬉しそうに微笑んでいた。
俺は、本気で意味が分からないまま、肩をすくめた。
「ま、いいや。今からコイツの装備揃えるから、手伝ってくれよ」
「いいわよ。今度奢ってね」
シノンが、機嫌の良くなった声で笑いながら答えた。
俺は怪訝に思ったが、深く追求はしなかった。ただ、なんとなく、シノンが機嫌を直してくれたのは——よかったな、と思った。それくらいの、ぼんやりした感覚だった。
その様子を、キリトが面白そうに見ていたので、とりあえずムカついた俺は小突いておいた。
シノンからアルバへの感情はほぼ確定してます。