「ギリギリだったな」
総督府の端末でエントリーを終えて、俺は深く息を吐いた。
「まったく。心配させないでよね」
シノンが胸を撫で下ろした、という顔をしている。一安心、という感じで、空色のショートヘアが揺れる。
「いや予定ではもっと余裕のハズだったんだけどな。誰かさんがムキになるから」
俺はやれやれと大げさに首を振った。
「あ、あんたが煽ってくるからでしょ!」
シノンがそう言って、そっぽを向いた。頬がほんの少しだけ赤い。
その仕草に俺は先程のことを思い出す。
なぜ心臓が跳ねたのか。なぜ綺麗だと思ったのか。考えても、答えは出なかった。出ないまま、何度も思い出してしまう。それが、自分でもよく分からなかった。
「ちょっと、アルバ?」
ハッとすると、シノンが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。距離が、近い。
「どうしたのよ?大丈夫?」
俺は、その顔をじっと見つめた後、目線をそらす。
「問題ねぇ。少し考え事をしてただけだ」
「そ、ならいいけど」
ホッとしたようなシノンの顔を見て、変な心配をかけたな、と反省する。
そこへキリトが近付いてきた。俺は思考を変えるようにキリトに声をかけた。
「終わったか?」
「ああ。本当にありがとう、二人とも」
シノンが質問をしてくる。
「二人とも、ブロックはどこだったの?」
俺が答える。
「俺はFの十二番」
キリトも続いた。
「ええっと……Fの三十七番」
シノンがそれを聞いてトーナメント表を見る。
「同ブロックか……。ええっと……よかった。二人が当たるとしたら決勝ね」
「お、潰し合わなくて済んだなキリト」
「どういうことだ?」
「同ブロックから本戦に進めるのは決勝に行った二人なんだよ。俺らは別の山だから決勝でしか当たらない」
「なるほど……」
納得するキリトをよそに、俺は時計を見た。一回戦開始まで、まだ少し時間がある。
「さっさと会場に行くか。シノン、どこだっけ?」
シノンに向き直って言う。
「あそこのエレベーターよ。行きましょ」
シノンが先導する。俺とキリトはその後を付いていった。
◇
総督府の地下二十階。参加者専用の更衣室に俺達はいた。シノンとは別の更衣室で別れ、俺とキリトの二人だけだ。
キリトがふー、と息を吐く。
「すごい威圧感だったな……」
この更衣室に来るまでにすれ違ったプレイヤーたちのこと言っているのだろう。俺は思っていることをそのまま口にする。
「ありゃ全員予選落ちだな」
「あ、あの人達が?!」
「得物を戦う前から見せびらかすアホがいるかよ」
「あ、ああ……なるほど……」
そんな会話をしながら、俺たちは手早く着替えを済ませた。実際、俺の経験則では、本物の強豪ほど目立たない。逆に、自分の装備や強さを誇示するタイプは、本番で脆い。
更衣室の中央のベンチで装備のチェックをしながら、キリトが小声で聞いてきた。
「なあアルバ、あの中に《死銃》がいると思うか?」
俺は肩をすくめた。
「さてね。そもそも本当に出場してくるかも怪しいだろ」
「それは、そうだけど……」
「ま、なんにせよ予選のうちは何も起こらないと思うぜ」
「どうしてそう思うんだ?」
「この予選、対戦相手は完全にランダムだからな。ターゲットにしている奴と当たる可能性はほぼない。狙うのは、本戦出場者が決まってからだろうからな」
「そうか……それもそうだな」
キリトが頷いた。
「確かに、無差別ではなくターゲットを絞っているなら、この予選ではほぼ不可能か……」
「そういうこと。とりあえず俺とお前は明日の本戦に出ることだけ考えておこうぜ」
「ああ、そうだな」
——本当のところを言えば、俺の中ではもう一つ別の警戒があった。
死銃が予選で尻尾を出さないとしても、出場者を観察する必要がある。シノンが、あるいは俺自身が、既に観察対象になっている可能性は——ある。
ただ、その不安をキリトに共有する必要はなかった。共有したとして、対策は不可能だ。
考えながらキリトと共に更衣室から出ると、シノンが待っていた。
「ずいぶんのんびりしてたのね?何してたの?」
「お話だよ、お話」
「何の?」
「お前には関係ねぇよ」
「何よそれ」
そんな会話をしながら、俺たちはボックス席に座った。コの字型のソファに、俺、シノン、キリトの順に各辺に一人ずつ。中央のメインホールには、巨大なカウントダウンの表示が浮いている。残り十五分。
「んじゃ予選のルールを説明するぞ。……シノンさん、お願いします」
「なんで私なのよ?」
シノンが眉を上げた。だが、すぐに諦めたように口を開いた。
「まあいいけど……。中央にカウントダウンがあるでしょ?あのカウントダウンがゼロになったら、ここにいるエントリー者は全員、どこかにいる予選一回戦の相手と二人だけのバトルフィールドに自動転送される」
「ふんふん」
「フィールドは一キロ四方の正方形、地形タイプや天候、時間はランダム。最低五百メートル離れた場所からスタートして、決着したら勝者はこの待機エリアに、敗者は一階ホールに転送される。勝ったとして、その時点で、次の対戦者の試合が終わってればすぐに二回戦がスタート。終わってなければ、それまで待機。あなたとアルバのFブロックは六十四人だから、五回勝てば決勝進出で本大会の出場権が得られるわね」
「なるほど……五回も勝たないと行けないのか。結構厳しいな」
「お前ならいけるだろ」
俺はそう言いながら、キリトに笑みを向ける。
「……決勝に上がってこいよ? あの件もあるし……なにより、お前と戦ってみたいからな」
ニヤリと笑ってみせると、キリトは少しだけ緊張した笑みを返してきた。
「ああ、楽しみにしてるよ」
その会話を聞いていたシノンが、俺の袖をくいくいと引っ張った。
そちらを向くと、シノンがムスッとした表情で俺を見ていた。
「ちょっと……私にはないの?」
「お前が予選落ちなんかするわけないだろ」
「そうだとしても、なにかないわけ?」
「ないだろ、特に」
その言葉にさらにむくれるシノン。ふんっとそっぽを向いた。
俺は訝しんだ。シノンが俺に対してこの距離感を要求してくる時、俺はどう反応していいか分からなくなる。何か、こっちが察するべきポイントがあるのは分かる。でも、それが何なのかが、いつも掴めない。
ふと隣のキリトを見ると、ニヤニヤしているのが目に入った。
「なんだよ」
「いや、別に」
そんなやり取りの後――
「やあ、シノン、アルバ。遅かったね」
そんな声が、横から響いた。
振り向くと、銀髪のアバターのプレイヤーが立っていた。
シュピーゲル。シノンの友人で、俺もリアルで少しだけ親交のある数少ない人物だ。
「こんにちは、シュピーゲル」
シノンが挨拶を返す。
「……あれ、あなたは今回出場しないんじゃなかった?」
「うん、二人の応援にね。ここなら大画面で見えるし」
シュピーゲルはにこやかに答えた。それから、軽く首を傾げて聞いてきた。
「それにしても、何かあったの?なんか急いで来たみたいだけど」
俺が答える。
「ちょっと野暮用でな」
「野暮用?」
「ああ。コイツの案内をな」
そう言いながら、俺は正面のキリトに目線を向けた。シュピーゲルも合わせて目線を向ける。
「どーも、コイツです」
女声で喋るキリト。
「は、はじめまして。……ええっと、アルバの知り合い?」
シュピーゲルが、少し動揺した顔で、シノンに気まずそうな視線を向けた。
その視線に気づいたシノンが、即座に答えた。
「騙されないで。男よソイツ」
「ええっ!?」
「キリトといいます。男です」
困惑している様子のシュピーゲル。そりゃそうだ。どっからどう見ても美少女だからな今のキリト。
「俺の知り合いでな。今日コンバートしてきて初日なんだよ」
俺は説明した。シュピーゲルは「ふぅん」と小さく頷いた。表情はまだ少し戸惑っている。
「初日で、いきなりBoBか。すごいなぁ」
「まあ、ちょっと事情があってね」
キリトが曖昧に答えた。シュピーゲルは深追いしなかった。
そして、その時。
荒々しいファンファーレが響き渡った。
『大変長らくお待たせしました。ただ今より、第三回バレット・オブ・バレッツ予選トーナメントを開始いたします』
「お、始まるな」
俺は立ち上がった。
立ち上がったその瞬間、シノンから声をかけられた。
「アルバ」
「あん?」
シノンが、まっすぐ俺を見据えていた。さっきまでのむくれた顔は、もうない。代わりに、狙撃手の目があった。
「必ず——必ず、本戦まで上がってきなさい」
その目に、俺は引き寄せられた。
「あなたを最初に撃ち抜くのは、私よ」
その言葉に、俺は彼女とのコンビ結成のやり取りを思い出した。
『いつか、あなたを撃ち抜く』
たった三ヶ月前のことなのに、ずいぶん昔の事に感じる。あの時のシノンと、今のシノンは、同じ言葉を言っているはずなのに、温度が違う。三ヶ月で、俺たちはたぶん、何かを共有しすぎた。
俺はフッと笑みをこぼしてから、応えた。
「ああ、楽しみにしておくよ」
そのすぐ後に、俺の体が光に包まれた。
転送が始まる。
意識の最後の数秒、俺は隣のシュピーゲルの目が代わった気がした。俺の応援――というには、何か違う何かが、その目に混じっていた気がした。
◇
転送されたフィールドは《堕ちたイカロス》。
かつての探索艦だったイカロスという船が墜落後、廃船としてその場に残されているという設定のマップ。入り組んでいるところはないが、艦というだけあって縦に長い。その代わり遮蔽物も多く、上にも広くない。
身を隠すところもあるので、やりにくくはないマップだ。
「さて。やるか」
愛銃の《ヴァナルガンド》を装備し、俺は獰猛な狼そのものの様な笑みを浮かべた。
——一回戦の相手は、知らないプレイヤーだ。だが、BoB予選にエントリーしてくる時点で、それなりの腕はあるはず。
だが、それだけだ。
俺は静かに動き出した。
◇
(——どこだ?どこにいる?)
アルバの対戦相手の男は、艦の中段デッキで身を伏せていた。
一回戦開始から、もう十分が経過していた。フィールドの八割は探索済み。だが、敵の気配が、微塵も感じられない。
相手はあの《白狼》。ソロでスコードロンを潰して回っている男。今までのBoBには出ていなかったから、今回が彼のBoB初参戦になる。だが、噂は数えきれないほど聞いていた。会場で姿を見た時、プレイヤーたちが小声で話していたのも記憶に新しい。
——あいつが、今回の本命だ。
できれば決勝まで当たりたくはない、そう願っていたのに、一回戦で当たってしまった。最大限の警戒で、これまで身を隠しながら進んできた。だが、影も形もない。
(一体どこへ……)
そう思った瞬間。
カチャリ、と背後から音がした。
冷や汗を流しながら振り向くと——
白い狼が、自身の頭に銃口を突きつけていた。
「……いつの間に……」
「警戒はいいが、
そう聞こえた瞬間、引鉄が引かれた。白い稲妻が奔り、視界が吹き飛んだ。
◇
「まあ、こんなもんか」
俺は《ヴァナルガンド》のグリップに残った熱を一度確認してから、ホルスターに収めた。
正直、優勝以外はありえないと思っている自分にとって、予選は消化試合だった。この予選唯一の楽しみは決勝戦、《黒の剣士》との対戦のみだ。
転送の光に包まれて、俺は待機エリアに戻った。
「シノン……はまだ試合中か。キリトは……」
辺りを見回すと、キリトの姿があった。試合は既に終わったらしい。俺より早く終わらせるとは、流石に伊達じゃない。
そのキリトと——
灰色のマントの男が、何やら喋っていた。
「……?」
俺は、足を止めた。
灰色のマントの男。背は、キリトより少し高い。フードを目深に被っていて、顔ははっきり見えない。だが、佇まいが——
(……何だ、こいつ)
俺の戦場の癖が、警鐘を鳴らした。
普通のプレイヤーじゃない。それは確かだ。だが、それだけじゃない。立ち姿、相手との距離の取り方、気配を消そうとしている動作。熟練のプレイヤー、いや——もっと、何か別のもの。直感でそう感じた。
二人は何かを話し合っていた。距離は遠くて、声は聞こえない。だが、キリトの肩が、明らかに固まっていた。緊張、というより、恐怖に近い種類の硬直。SAOで死線を潜り抜けたあの男が、こんな顔をするのか。
会話が終わったらしい。マントの男は、キリトに何か最後の言葉を掛けて、そして——背を向けた。
その背中が、俺の方に近づいてきた。
距離が縮まる。
すれ違う寸前、男のフードの隙間から、声が聞こえた。
「…《白狼》、お前も、殺す」
殺す。その言葉に俺の中の何かが騒ぐ。だが、今はその時ではない。俺はその何かを理性で強く抑えた。
男はそのまま俺の脇を抜けて、エリアの奥の暗闇に消えていった。
俺はしばらく、男が消えた方向を見つめていた。
俺は一つ息を吐き――それから、ゆっくりキリトの方を振り返った。
◇
キリトは、ボックスシートに力なく座り込んでいた。
俺は先程の様子から心配もあり、声をかけに行った。キリトは考え事をしているのか、近付く俺に気づかない。
よく見れば、全身が震えている。
「おい、キリト?」
その声に、ようやくこちらを向くキリト。
その顔は、蒼白だった。
まるで、深い恐怖を思い出したかのような顔。
「……ああ、アルバ……」
掠れた、震えた声で返事をするキリト。俺は聞いた。
「……さっきのプレイヤー。知り合いか?」
それにびくり、と肩を震わせるキリト。
「……いや、何でもないんだ……何でも……」
「その様子で何でもないは無理があるだろ」
俺はそう言いながら、キリトの正面に腰を下ろした。
恐怖に彩られたキリトの様子は、先程までの不敵なプレイヤーと同一だとは到底思えなかった。SAOで二年間、死の隣で戦い続けた男が、ここまで動揺している。それが何を意味するか、考えるまでもなかった。
キリトは、しばらく無言だった。震えだけが、断続的に伝わってくる。
俺は急かさなかった。しばらくして、キリトがゆっくり口を開く。
「……もしかしたら、アイツが、死銃かもしれない」
「なに?」
その言葉に、辺りを見回す俺。だが、もう男の姿は見えない。
キリトは言葉を続けた。
「それに、それにアイツは……もしかしたら……SAOの……」
「SAO時代の知り合いか?」
「……分からない……分からないんだ……」
キリトが顔に手を当てた。指の間から、押し殺された息が漏れる。それきり、キリトは顔を俯かせたまま、震えていた。
「ちょっと、どうしたの?」
一回戦を終えたシノンが、ただならぬ様子に気づいて、声をかけてきた。
俺もキリトも、返事をしない。キリトは顔を俯かせたまま、俺はそのキリトを見ている。
シノンが俺とキリトを交互に見て、もう一度声をかけようとしたところで——
キリトの体が、淡い光に包まれた。二回戦の転送だ。
光は数秒続いて、消えた。後に残ったのは、空のボックスシート。
俺は、キリトがいた場所をまだ見ていた。
「ちょっと、本当にどうしたのよ? あの人、只事じゃない様子だったけど……」
シノンが声をかけてきた。それにようやく応える俺。
「……どうやら、訳ありらしいぜ」
「訳あり?」
「ああ」
俺は頭の中で、さっきの灰色のマントの男を、もう一度思い出していた。
——あいつ、SAOの何かと関係あるのか。死銃と関係あるのか。あるいはその両方なのか。
俺自身は、SAOには直接の関わりはない。あの事件が起きた時、俺はまだ戦場にいた。だから、灰色のマントの男に対して、俺自身の警戒の根拠は薄い。だが、あのマントの男は、殺意を持っていた。いつかのチンピラなんか比にならない。本物の殺意。故に、俺はヤツを警戒対象とした。戦場で培った感覚が警鐘を鳴らしていた。
そこまで考えたところで、俺の体が淡い光に包まれた。二回戦の転送が始まったらしい。
「まあなんにせよ、サクッと予選抜けようぜ、シノン」
俺は短く言った。
「言われなくてもそうするわよ」
シノンが、いつもの調子で答えた。
その言葉に笑みをこぼしてから、俺は転送が完了するまでの数秒、シノンの顔を見ていた。
空色のショートヘア。狙撃手の目をした顔。先程の決意の顔。少し前まで、ムスッとしていた顔。バギーで風を受けて笑っていた顔。
(……お前を、巻き込むわけにはいかねぇな)
そう、思った。
《死銃》。マントの男。何か、嫌な動きが、もう始まっている。それに巻き込む訳にはいかない。
シノンは、朝田詩乃は、過去のトラウマに苦しみながらも、それを乗り越えようとしている。一歩ずつ。少しずつ。
そして、キリトも――
(——アイツもきっと、お前と同じ過去に囚われるべきじゃない人間だよ、朝田)
(俺とは違う、前に進むべき人間だ)
俺は心の中で、そう呟いた。
GWが終わってしまう…