俺とキリトは、Fブロックの予選を順調に勝ち上がっていた。
俺は予選の間、相手に一発も撃たせることなく試合を終えていた。一対一の遭遇戦で、現実の戦場を生きてきた俺が遅れを取るはずが無かった。相手に見つかる前に身を隠し、索敵しながら進む。先に相手を見つけ、奇襲。中距離からの《ヴァナルガンド》による銃撃か、音もなく近寄りナイフによるキル。決勝までの全てを、その勝ち方で終えた。
キリトは自暴自棄とも見れる特攻で勝ち続けていた。アバターの末端に当たる弾丸は全て無視し、致命的な弾丸のみを光剣で防ぎ、そのまま相手を銃ごと叩き斬る。その繰り返しだった。
その姿は、まさしく修羅。
だが、その無謀と言える戦い方で、彼は決勝戦まで駒を進めた。
そして——Fブロック決勝戦が始まる。
◇
転送を経て瞼を開けると、どこまでも一直線に伸びる高架道と、世界を血に染める夕日が眼に飛び込んだ。
《大陸間高速道》。広さは一キロ四方だが、中央を東西に貫く幅百メートルのハイウェイから降りることはできないので、ただ細長いだけの単純なマップだ。路上には無数の乗用車や輸送車、墜落したヘリコプターなどが遺棄され遮蔽物として存在しているので、端から端までを見通せない。
俺は背中側を振り向き、自分がマップ最東端にいることを確認すると、ゆっくりと歩き出した。そして、障害物も何もない開けた場所まで来ると——ただじっと、待っていた。
目を瞑る。
キリトのことを考えていた。
一回戦が終わった後の、あの蒼白な顔。震えていた手。掠れた声。
俺はそれを見て、《ソードアート・オンライン》の話を初めて聞いた時のことを思い出していた。
HPがゼロになれば、現実での死を迎える。
ああ、それは——まさしく、戦場ではないか、と。
自分が六年間生きた、死と隣り合わせのあの場所ではないか、と。
故にキリトのあの様子には、覚えがあった。戦場において何度も見た、《死》を恐怖している人間の姿。
それは、自分が死ぬ恐怖だけではない。殺す恐怖、殺した恐怖も含まれる。
——あの様子だと、おそらく彼も、きっと。
そこまで考えたところで、足音が聞こえた。
目を開ける。
黒いシルエットが、夕日の中に浮かび上がっていた。
長い黒髪が揺れ、華奢な体に、ベルトから下がる光剣の柄。間違いなくキリトだ。
彼は、ただゆっくりと歩いていた。前を見ず、隠れようともせず、ただゆっくりと。試合中とは思えない、何とも無防備極まりない姿。どうぞ殺して下さい、と言わんばかりだった。
その姿を、俺はただじっと見つめていた。
銃を構えるでもなく、ただじっと。
そして、俯きながら歩いていたキリトが、五メートルほどのところでようやく顔を上げた。
その目は、なぜ?と問うているようだった。なぜ撃たない?と。
「……どういうつもりだ? お前」
俺のその問いに、キリトが視線を落とした。感情の籠もっていない声を発する。
「……俺の目的は、明日の本戦に出ることだけだ。もうこれ以上戦う理由はない」
予想した答え、そのものだった。
俺は、それに静かに言葉を返す。
「だから、わざと殺されに来たって?」
沈黙のみが、返ってくる。
それに俺は、僅かに——本当に僅かに、怒りを抱いた。
「——ふざけんなよ、テメェ」
俺のその声に、キリトが驚いたように顔を上げた。そのキリトの目をまっすぐ見て、俺は続ける。
「お前の過去に何があったのかなんか知らねぇ。それについて、俺がどうこう言う資格もねぇしな」
「だがな——」
俺は、一拍置いてから、続けた。
「今のお前のその行為だけは、自ら命を捨てる様な真似だけは、許せねぇ」
キリトは、黙って聞いていた。まっすぐ、俺の目を見ている。
「お前はあのデスゲームにいたんだろうが。死と隣り合わせの世界に」
俺は続ける。
「なら、お前は知っているはずだ。見てきたはずだ。生きたいと願う命を。生きたいと願い、それでも生きられなかった命を。そして——誰かに、お前に生きて欲しいと願った命を」
声が、少しだけ震えた。
ルカの最後の目が、頭の中で一瞬、浮かんで消えた。
「今のお前のその行為は、たとえゲームの中だろうと——それら全ての命に対する、冒涜だ」
その言葉に、キリトの目が見開かれた。
しばらく、キリトは動かなかった。やがて、ゆっくり目を瞑って、もう一度開く。
そして——俺に、頭を下げた。
「…………済まない。俺が間違っていた」
そして顔を上げ、俺を見てくる。先程よりも少し、意志の宿った瞳だった。
その表情に、俺は少しバツが悪くなりキリトに謝罪する。
「……悪かった。変なことを言った」
それにキリトが首を振る。
「いや、ありがとう。大切なことを思い出したよ」
そして、俺を見て言う。
「……アルバ、いや皆月さん……君は一体……」
キリトが何を言いたいかは、何となく分かった。だが、それに答えるつもりは今はなかった俺は、沈黙を返した。
「……」
「……いや、今は関係ないな。忘れてくれ」
「……ああ」
「アルバ、今から俺と勝負してくれないか」
仕切り直しといった風に、キリトが言う。俺は呆れたように言葉を返した。
「もとよりそのつもりだよ。てか、そういうヤツだろ今は」
それにキリトが苦笑いしながら言う。
「そうだったな。どうするかな……。じゃあ、俺が二十メートルぐらい離れるから……」
キリトの言葉を、俺は遮った。
「いや、お前の得意分野でやろうぜ」
そう言いながら、俺は腰の装備を外し、構えた。
ブン、と——キリトが持っている《カゲミツG4》と同タイプの光剣、《オニマルK2》の白いエネルギー状の刃が伸びる。
それを見て、キリトは驚いた様子だった。俺はニヤッと笑い、答える。
「誰も、俺が剣を使わないとは言ってねぇぞ?」
その言葉に、キリトも笑う。
「そうだったな」
言いながら《カゲミツG4》を構え、紫色の刃を伸ばすキリト。
俺は言った。
「行くぜ、《黒の剣士》」
キリトも答えた。
「来い、《白狼》」
数秒後、お互いが走り出し——
光の刃が、交差した。
◇
それは、このGGOでありえない光景だった。
銃弾が飛び交うこの世界で、二人の剣士が刃を交える。
その異常な光景に、観戦エリアでモニターを見つめていたプレイヤーたちは——シノンも含めて——バカにするでもなく、ただ息を呑んで観戦していた。
それは、その二人のプレイヤーの戦いが、素人目に見てもあまりにも凄まじかったからだ。
互いの恐るべき反射神経。それだけでも、その二人が強者であることが分かる。だが、それだけじゃない。一撃ごとに、剣の重さが違う。足の運びが違う。間合いの取り方が違う。
シノンは一人呟いた。
「……めちゃくちゃね」
そして先程の二人の様子を思い出す。会話はこちらまでは聞こえないが、モニターに映し出された二人は何かを喋っていた。その喋っていたアルバは、少しだけ——怒っていた。
アルバ――皆月は基本的には分かりにくいが、ずっとコンビを組んできた私だけが分かるものがあった。学校の昼休み、非常階段で見せる微妙な表情の変化。GGOでの戦闘中の声色のわずかな揺れ。それらの蓄積が、シノンに彼の感情を読ませる。
(何を怒っていたの……?)
彼が怒ることなど、GGOでもリアルでも数えるほどもなかった。先程のキリトの様子も相まって気になったが、この二人の決闘を見届けるために、シノンは再度モニターを見た。
そして、呟いた。
この世界でただ一人、信頼するヒトの名を。
「……皆月」
◇
キリトの剣は、洗練されていた。
二年間、毎日のように剣を振り続けた人間の剣。一撃に無駄がない。軌道に迷いがない。距離の詰め方は、まるで自分の手足の延長を扱うように自然だった。剣の重さを感じさせない。《ソードアート・オンライン》という、電脳の戦場で磨き上げられた、生粋の剣士の動き。
対する俺の剣は、雑だ。
訓練もまともに受けていない。戦場で身につけたナイフ術の延長。純粋な剣技としては、キリトの方が遥かに美しく、洗練されていて強い。だが、俺は体術も組み合わせることによってキリトとの差を埋めていた。
キリトの一閃が、俺の左腕を狙ってくる。俺は半歩引いて躱しながら、その懐に踏み込んだ。剣だけで応じるなら、キリトに分があった。だから俺は、剣で応じない。
蹴りを、キリトの腹に叩き込んだ。
「——ぐっ」
キリトの体が一瞬浮く。だが、こいつは戦闘中の冷静さを失わない。即座に後ろに跳び、距離を取った。距離を作られたら、キリトの剣の間合いだ。俺は不利になる。
もう一度詰める。
今度はキリトが剣を振り上げる前に、左手で柄頭を掴んだ。剣の動きを止めて、その隙に頭突きを入れる。キリトが顔を仰け反らせる。仰け反ったところを逃さず剣を振るう。だが、キリトの超人的な反応速度でその剣を防がれる。
(まじか!!)
俺はその反応に驚きながらも、さらに連続で剣を振る。縦、横、斜め。だが、その全てを防がれる。そして、鍔迫り合いになる。
「さすが、俺の適当な剣とはモノがちげぇな!」
「そっちも、とんでもない動きだよ!」
その会話の後、お互い後ろに跳び、再度間合いを測る。
キリトは俺の動きに惑わされている様子だった。だが、流石というべきか。斬り合っていくうちに、徐々に俺の動きに対応し始めるキリト。俺も、戦うキリトの剣筋を真似ることでさらに対応する。
「ハァーッ!」
キリトが剣を薙ぐ。俺がそれを剣で受け止め、斬り結ぶ。何度も何度も。
夕日がハイウェイを赤く染めている。観戦者の声は届かない。聞こえるのは、自分の呼吸と、相手の呼吸と、刃が空気を切る音だけ。
——気持ちいい、と、思った。
戦場の作法が、戦場のルールで応えられる相手と戦う。命のやり取りじゃない。だが、互いの全部を出している。それだけで、十分だった。
キリトの息が、少しだけ上がってきた。連戦の疲労が出始めている。俺は——まだ余裕がある。少しずつ、こちらが押し始めていた。
その時。
キリトの空いている左手が、腰の後ろに伸びた。
(なんだ―?)
予想外の動作だった。キリトが装備しているのは、《カゲミツG4》と、サブのハンドガン一丁。腰の後ろには、何もないはずだった。
なのに、その手の動きは——明確に、何かを"抜こう"としていた。まるで、そこにもう一本剣があるかのように。
俺の意識が、一瞬、それに引っ張られた。
ありえない。キリトが持つ剣は、《カゲミツG4》のみだ。だが、その動きはあまりにも自然で、あまりにも本物だった。だからこそ、俺はその動きを警戒してしまった。生存本能が、警鐘を鳴らした。
その瞬間。
キリトが、踏み込んできた。
気づいた時には、紫色の刃が、俺の喉元に届きかけていた。
俺の体が、考えるより先に動いた。
戦場の生存本能。死を察知した時、思考を介さずに最適解を選ぶ、染みついた反射。
気づけば、抜くつもりのなかった《ヴァナルガンド》が、俺の左手に握られていた。
引き金を引いた。
白い稲妻。
至近距離での《ヴァナルガンド》の出力は、ハンドガンとは比較にならない。その白い光が、キリトの右腕——剣を握っていた腕——を、肘から先ごと吹き飛ばした。
「——ぐぁっ」
キリトが、よろめき膝をつく。
紫色の刃が、地面に転がる。エネルギー状の刃は、すぐに消えた。
俺は、《ヴァナルガンド》の銃口をキリトに向けたまま、立っていた。
「……銃を抜かない、とは言ってなかったもんな」
膝をついたキリトが俺を見上げながら言う。
右腕のないキリトは、抵抗する様子もない。膝をつき、左手で右肩の付け根を押さえている。HPは大きく削れているが、まだ瞬殺ラインじゃない。だが、武器を失った今、勝負はついていた。
俺は、苦い顔をして答える。
「……いや、抜くつもりはなかったよ。お前の動きが、剣が、凄まじかったからだろうな。生存本能ってやつが働いちまった」
「……」
「だから、剣での勝負はお前の勝ちだ。あのフェイントにかかった時点で俺は負けていた。試合に勝って、勝負に負けたってヤツだよ」
その言葉に、キリトは驚いた顔をした。それから——目を伏せた。
しばらくの沈黙の後、キリトは小さく息を吐いた。
「……そうか」
そして、顔を上げて、俺を見た。
「じゃあ、アルバ。勝負に勝った報酬として、一つ、質問していいか?」
「なんだ?」
キリトは、息を吐いた後、俺の目をまっすぐ見据えて喋り出した。
「もしも——」
声が、低い。
「君のその銃の弾丸が、現実世界のプレイヤーを殺すとしたら」
「……」
「そして、殺さなければ自分が、あるいは大切な人が殺されるとしたら——」
キリトの目は、震えていなかった。むしろ、覚悟を持って俺に向けられていた。
「その引き金を、君は引けるか?」
「……」
その質問の意図は、何となく分かったように思った。
キリトがあの世界で何をしたのか、俺には分からない。
だがこの質問は、彼が前に進むためのものかもしれない。
なら、俺にできることは、真摯に答えることのみだった。
俺は目を瞑った。
そして、今までの人生を振り返った。
内戦の始まり。母さんの祈りを守る為に、兵士となった。多くの命を奪った。多くの命を見捨てた。そしてその結果、ただ一人生き残った。
生きる意味は、未だに分からない。その資格があるのかどうかも。
だが——生きてくれと願った人達のために。
そして、俺がもう失いたくない人がいるなら、その誰かのために。
答えは、一つだった。
俺は目を開け、キリトの目を見据えて答えた。
「——引ける」
キリトは、俺から目をそらし、呟いた。
「……迷わないんだな」
俺は言う。
「ああ。それが——俺の生き方だから」
母と友の祈りの為に。今まで俺が奪った命を無駄にしない為に。この命が朽ち果てるその時まで、生きる。それが、皆月暁の、ただ一つの生き方だ。
キリトは驚き、俺の目を見て、その後、納得したように目を瞑って呟いた。
「……そうか」
二人を、夕日が照らす。
ハイウェイの赤い光。風の音。何もない空。
驚くほどの静寂が、辺りを包んでいた。
「……また、剣の勝負しようぜ、キリト。銃は置いていくわ」
「……ああ、またやろう」
キリトが剣を拾おうとする仕草をして、苦笑した。右腕がない。剣を握る手が、もうない。
そのキリトの額に、俺は《ヴァナルガンド》の銃口を、そっと当てた。
キリトは、抵抗しなかった。ただ、目を閉じた。
俺はゆっくりと《ヴァナルガンド》の引き金を引いた。
白い稲妻が、夕日を裂いた。
◇
試合時間。二十二分十四秒。
第三回バレット・オブ・バレッツ予選トーナメント、Fブロック決勝戦。
勝者——アルバ。
皆月暁―アルバは、自分はあの戦場で死ぬべきだったと思っています。しかし、生き残った。生きている意味も分からない。でも、自分に生きてくれと願い、死んでいった人達がいる。自分が死ねば、その人達の死が無意味になってしまう。だから、その死を無駄にしない為だけに生きている。そんな感じです。彼を救えるとすれば、その願いの本当の意味を理解させてくれる、ただひたすらに純粋で真っ直ぐな言葉でしょう。