帰還者と狙撃手   作:きょうりゅう

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遅くなりました…


本戦前

 

十二月十四日。

皆月暁は、ゆっくりと目を開けた。

ソファから起き上がり、辺りを見回す。殆ど物が置かれていない見慣れた自室とは違う景色。

 

(……そういや、立川のマンションに泊まったんだった)

 

昨日のGGOでのBoB予選を終えた後、帰るのが面倒だったので、ダイブしていた立川のマンションに泊まらせてもらったのだった。

窓の外を見る。まだ外は暗い。時刻を見ると、午前六時前。

 

(早く起きすぎたな)

 

予選最終戦の余韻が、まだ体のどこかに残っていた。キリトとの剣の打ち合い、最後の「引き金を引けるか」という問い、そして自分の即答。あれらの場面が、夢の中でも何度か繰り返されていた気がする。

することも無かったので、パーカーを着てベランダに出てみる。

 

「……寒っ」

 

十二月の朝はかなり寒い。上着を着てよかった。

 

「……眺め良っ」

 

立川のマンションは東上野にあり、賃貸だが築浅で、十五階建ての十四階の2LDKという、一人暮らしの男が住むには十分以上の部屋だった。家賃を聞いた時はとんでもなかった。流石に一流PMCの職員だなと思った。実際、俺の月々の生活費も高校生の一人暮らしには十二分以上の額を貰っている。使い道も無いので殆ど貯めているが。

 

「暁、起きてたのか」

 

ボーッと外を眺めていると、立川がベランダに出てきた。寝起きらしい、緩い私服姿。コーヒーのマグカップを二つ持っている。一つを俺に渡してくれた。

 

「何してるんだ?」

 

立川が俺の隣に来る。

 

「別に何も。外見てた」

 

そう返すと、自慢げに笑う立川。

 

「いい眺めだろ。景色が気に入ってここにしたんだ。明るくなるともっと良いぞ」

 

「ふーん…」

 

気のない返事を返す。コーヒーを一口飲む。インスタントだ。立川はいつもインスタント。

そのまま二人して、無言で外を眺める。

街の灯りが、ぽつぽつと暗闇に散らばっている。早朝の東京。誰かが既に起きて、誰かがまだ眠っている。その境界の時間。

俺は、コーヒーのカップを両手で握りながら、唐突に口を開いた。

 

「なあ、立川」

 

「なんだ?」

 

「アンタはさ、自分が生きている意味って考えたことあるか?」

 

立川が、コーヒーを飲む手を止めた。

 

「意味、か」

 

俺は街の灯りを見つめたまま、続けた。

 

「俺は、今まで多くの命を奪った。自分が生き残る為に。母さんとの約束を守る為に」

 

立川は何も言わずに俺の言葉を聞いている。

 

「でもな、ふと思うんだよ。そうまでして、俺は生きるべきだったのか?って。多くの命を奪ってまで、生き残る価値が俺にはあったのか?って」

 

「……」

 

「俺の生きている意味は、一体何なんだろうな」

 

これは、誰にも言ったことのない言葉だった。内戦が終わり、生き残ったあの日からずっと、心の底にあった疑問。立川にだけは、いつか、聞ける気がしていた。たぶん、昨日のキリトの問いと自分の答えが、その栓を緩めたのだろう。

立川が、軽く笑った。

 

「……まったく。お前はガキのくせに色々考えすぎだな」

 

「あ?」

 

その言葉に、俺は立川の方を向いた。

 

「なあ暁。正直なところ、俺も生きている意味なんて、本当に理解はしてないんだよ」

 

「……そうかよ」

 

「俺が自衛隊を辞めてPMCに入ったのは、海外派遣されてた時に、戦争に巻き込まれて命を落とす民間人を見たからでな。そういう人達を助けたいと思った。それで、自衛隊を辞めて前々からスカウトを受けていたPMCに入り、民間救助専門の部隊を志願した」

 

立川が、自分のコーヒーを一口飲んでから、続ける。

 

「そして戦場に出て、戦場になった街に取り残された民間人の救助をしたりしていた。当然、敵兵と戦闘になって、殺したことも多くあった。お前と同じように、生き残る為にな。そして、人を殺したという、その事実に押し潰されそうになったこともあった」

 

「……だろうな。それが、戦争だ」

 

「でもな、暁。それだけじゃないんだよ」

 

「何が?」

 

「ある時、俺が助けた人達に言われたんだ。『ありがとう。貴方がいなければ、私は今生きていなかった』ってな」

 

「……」

 

「その言葉を聞いて思ったんだ。ああ、俺が生きているのはこの人達を助けるためだったんだ。俺が多くの命を奪ってでも生き残ったのは、この先の未来で、まだ出会ったことの無い誰かを助けるためなんだってな」

 

「……誰かを……助ける……」

 

「ああ。そう考えると、気持ちが楽になった」

 

立川の声には、強がりじゃない、本物の落ち着きがあった。

 

「だからといって、人の命を奪った事実が消える訳じゃない。だが、そう考えることで、その事実を受け止めることができた。向き合うことができたんだ」

 

「だから俺は、これからも名も知らない誰かを助けるために生きる」

 

誰かを救うために、生きる。それはなんて、素晴らしく、立派な生き方だろう。

俺は街の灯りを見たまま、呟いた。

 

「……俺には、出来ねえな」

 

その言葉に、立川はキョトンとした。

 

「何言ってやがる」

 

立川が、俺の方を向いた。

 

「お前が助けた命が、目の前にあるだろうが」

 

立川が、自分を指さして言う。

俺の手が、止まった。

 

「俺達が出会ったあの日あの瞬間、俺は死を覚悟していた。でもお前が現れて俺達を助けてくれた。あの日お前は、俺達を救ったんだ」

 

固まる俺を他所に、立川は続ける。

 

「改めてありがとう、暁。お前がいなければ、俺は今、生きていなかった」

 

——胸の奥が、ざわっとした。

 

「——」

 

声が、出なかった。

二年と少し前の、あの瓦礫の街。残党兵に囲まれて立っていた、見知らぬ日本人の大人。あの時の俺は、ただ"なんとなく"その男を助けた。義侠心でもなければ、使命感でもない。同じ日本語を喋っていたから、それだけだった。

なのに——

 

「俺にとってお前は、生きるべき人間だよ」

 

立川がそう言った瞬間、俺の中の何かが、小さく音を立てた。

 

「そう、なのかな」

 

俺は、自分の声がほんの少しだけ揺れたのを感じた。

 

「そうだよ」

 

立川は迷いなく頷いた。

 

「俺だけじゃない。お前の両親や、友達……ルカも、きっとそうだ」

 

ルカの名前を、立川は知っている。一度だけ、夜眠れない時に、俺が話したことがあった。立川はそれを、覚えていた。

 

「……」

 

俺は、コーヒーのカップを握りしめていた。冷めかけたコーヒーの熱が、指の関節にじんわり伝わる。

立川が、軽く息を吐いてから、続けた。

 

「まだそれでも、生きる意味が分からないなら、そうだな……」

 

少し考えるような間。

 

「お前がこの先、守りたいと思った大切な人の為に生きろ。人生の先輩からのアドバイスだ」

 

「……んだよそれ」

 

俺は、視線を逸らした。

なぜ視線を逸らしたかは、自分でも分からなかった。立川の言葉に、何かが反応したような気がした。"守りたいと思った大切な人"——その言葉に、誰かの顔が、ほんの一瞬、頭の中に浮かんだ気がした。

考えるのを、やめた。

 

「ま、心の隅に置いとけ」

 

立川が、コーヒーを飲み干した。

 

「……暁、おまえはまだ十六歳のガキだ。まだまだこれからなんだよ。だから今は、今まで楽しめなかった分、精一杯楽しめ」

 

「まあ、努力はする」

 

俺は短く答えた。それから、口の中で言葉を転がしてから、もう一度、口を開いた。

 

「……立川」

 

「ん?」

 

「ありがとう」

 

立川が、目を見開いた。それから——少し、照れたように笑った。

 

「俺は何もしてねえよ」

 

「は、そーだな」

 

俺も笑った。なんでもないような会話。でも、何かが、確かに緩んだ気がした。

夜が明ける。空の端が、紫から橙に変わっていく。朝日が、東上野のビル群の向こうから、ゆっくりと昇ってくる。

その光を見ながら、俺は思った。

まだ、心の底から生きたいとは思えない。

でも——もしかしたら、いつか。

彼の夜明けはきっと、すぐそこに。

 

 

 

 

 

 

時刻は午後三時前。

朝田詩乃は、友人である新川恭二からの呼び出しを受けて、アパートからほど近い児童公園にいた。

ベンチに二人。空気は冬の乾いた冷たさ。公園の遊具は誰もいなくて、静かだった。

 

「改めてBoB本戦出場おめでとう、朝田さん」

 

「うん、ありがとう」

 

「やっぱり朝田さん、シノンはすごいなぁ。結局予選で狙撃は一発も外さずにブロック優勝なんて」

 

恭二が自分のことのように嬉しそうに話している。

 

「あんなの外してたら、本戦で優勝なんて出来ないからね」

 

「シノンならきっと優勝できるよ! 応援してるからね」

 

「う、うん。ありがとう」

 

詩乃は恭二と話している間も、話にあまり集中できないでいた。

頭の中で、昨日のFブロックの予選決勝が、何度も繰り返されている。

相棒である《アルバ》と、彼の知り合いだと言う《キリト》というプレイヤーの戦い。それはGGOではおよそありえない、光剣と呼ばれる剣での戦闘だった。互いのありえない反射神経と、恐らく経験による予測が混ざりあった凄まじい戦闘。

その結末は意外にも、アルバが愛銃を抜いての決着だった。

その後、しばらく二人は何かの会話をしていた。映像のみの中継なので会話は聞こえなかったが、二人の表情から大事な会話だとは分かった。

そして——アルバがキリトを撃ち抜く少し前のアルバの表情が、脳裏に焼き付いていた。

現実世界でも、彼が時折見せる、あの遠い目。

空っぽで、何も見ていないようで、何かを見ている遠い目。

何を話していたのか、結局彼はそのままログアウトしてしまったので聞けなかった。今日も、隣の部屋のインターホンを押してみても反応が無かったので、留守のようだった。

 

(……皆月)

 

心の中で、彼の名前を呼ぶ。

とてつもない偶然の巡り合せで出会った人。いつしか、隣にいるのが当たり前になってしまった人。そして——詩乃の心を、掴んで離してくれない、あの人。

 

「朝田さん?」

 

その声に顔を上げると、静かな詩乃を心配するような目で見ている恭二がいた。

 

「大丈夫? 具合悪い?」

 

詩乃は慌てて首を振る。

 

「う、ううん。大丈夫。考え事してただけだから、気にしないで」

 

スマホをポケットから取り出し、時刻を確認する。本戦開始まで、まだ少し時間はある。それでも、精神統一や、準備などに時間をかけたい。そろそろ帰る頃合いだった。

 

「あ、ごめん、新川くん。私、そろそろ帰るね」

 

帰ろうとブランコから立ち上がった所で――

 

「朝田さん、ちょっと待って」

 

恭二から呼び止められた。恭二の方を見ると、真剣な目をして立っていた。

 

「どうしたの……?」

 

「朝田さん、僕、朝田さんのことが好きなんだ。僕と、付き合って欲しい」

 

「え……」

 

発せられた言葉は、予想だにしないものだった。

新川くんが、私のことを……?

新川恭二は大切な友人だ。GGOの事を教えてくれて、遠藤たちに絡まれた時も時折助けてくれた。詩乃の過去を知っているであろうに、普通に接してくれる数少ない人。

 

「朝田さんて、いつもクールで……超然としててさ、何にも動じないで……僕と同じ目に遭ってるのに、僕みたいに学校から逃げたりしないしさ……強いんだよ、すっごく。朝田さんのそういうとこ、ずっと、憧れてたんだ。僕の……理想なんだ、朝田さんは」

 

真剣な目をして、言葉を紡ぐ恭二。

その気持ちはとても嬉しくはある。でも、それでも。

私の心は、もう、あの人でいっぱいで。彼の入る余地は無い。それに…。

——憧れてた。理想。

その言葉に、ほんの一瞬だけ、違和感が走った。憧れ。理想。それは、私自身じゃない。私の"強さ"を、彼は見ている。私という人間ではなくて。

でも、それを言葉にするほど、私も恭二との関係に向き合えていなかった。今、その違和感を整理する余裕は、私の中になかった。

私はギュッと唇を結んで、彼の目を真っ直ぐ見て、答えた。

 

「ごめん。新川くん」

 

「……」

 

「私は……皆月のことが、好き。彼のことが、大好き。だから、君とは付き合えない」

 

それが、私の答えだった。

口にした瞬間、自分でも驚いた。

——好き。

その言葉を、私は今まで、自分の中でしか転がしていなかった。誰にも言ったことがなかった。彼自身にも、もちろん。なのに、人生で初めて口にした"好き"が、よりにもよって、こんな——拒絶の言葉として、出てきてしまった。

恭二は、目を見開き、俯いた。私の答えを、ある意味では予感していたのかもしれない。

 

「……そっか」

 

恭二が、ゆっくり顔を上げて、笑った。

 

「ありがとう、話、聞いてくれて」

 

「……うん」

 

「これからも、友達でいてくれる?」

 

「うん。勿論」

 

「ありがとう。急にごめんね? BoB、頑張ってね。振られちゃったけど、変わらず応援してるから」

 

そう笑いながら言う恭二を見て、私はなんとも言えない気持ちになった。

恭二の笑顔は——どこか、ぎこちなかった。

頬の動きが、少しだけ硬い。目の奥に、笑みが届いていない。

 

(……新川くん)

 

私は、それ以上は何も言えなかった。これ以上踏み込むのは、彼に対しても、自分に対しても、卑怯な気がした。

 

「……うん、ありがとう」

 

そう返して、私は彼の視線を背中に受けたまま、公園を後にした。

公園を出る時、私は振り返らなかった。

振り返らなかったから、その時の恭二の顔が、本当はどんな顔だったのかを——私は、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

アパートまで戻り、鍵を開けようとすると、隣の部屋の扉が開いた。

 

「お、よう」

 

詩乃の方を見てそう言う人物は、先程、告白を断る理由となった人物——皆月暁だった。

私は、心臓が小さく跳ねたのを感じた。

つい数十分前に「好き」と口にしたばかりの人。それが、当人の前にいる。当然のように。何も知らずに。

 

「……あんた、これからBoBなのにどこ行くのよ?」

 

なんとか、平常を装って質問する。

 

「あ、言ってなかったか。俺、昨日から立川の部屋からダイブしてんだよ」

 

「……なんで?」

 

「んー……野暮用?」

 

「なによそれ」

 

「まあ、いーじゃねーか。あんま気にすんな」

 

そう言って部屋を出て鍵をかける皆月。

私は、一つ思い当たることを口にした。

 

「昨日の、キリトと関係あるの?」

 

ぴくっと、皆月の肩が僅かに跳ねた。

これは、彼の隠し事を言い当てられた時の反応だ。三ヶ月、隣に座って、一緒に戦って、私だけが知っている彼の癖。

 

「そうなのね?あの人、一体何者?どういう知り合いなのよ?」

 

「あー……」

 

少し考えている皆月。

 

「うん。まあ、ひとまず今日のBoBに集中しようぜ。終わったら色々説明するわ」

 

そう言ってそそくさと逃げようとする皆月。

その背中を、私は呼び止めた。

 

「皆月!」

 

ピタッと止まり、振り返る皆月。

私はその目の前まで歩いていった。マフラーで顔の下半分を隠したまま、彼の顔を見上げる。

 

「今日、私は貴方を倒す為に戦う」

 

「……」

 

「もし、あなたを倒せたその時は…一つだけ、お願いを聞いて」

 

「お願い?何だよ?」

 

「まだ言わない。返事は?」

 

「まあ、いいけど」

 

その返事に満足した私は、もう一度部屋の前まで戻り、鍵を開ける。そして、訝しげな顔をしている皆月に向けて声を掛ける。

 

「じゃあ、また向こうでね」

 

「はいよ。ちゃんと鍵かけろよ」

 

「言われなくても。じゃあね」

 

バタンと、扉を閉めた。

ドアにもたれかかり、ふーと息を吐く。

息は、思ったより震えていた。

彼を倒したい。

最初それは、忌まわしき過去を乗り越えるためだった。

でもいつしか、もう一つ理由ができた。

この先もずっと、彼の隣にいたい。そのために、彼と並び立てる強さが欲しい。

彼にも、きっと、私の想像以上のつらい過去があると、なんとなく分かっている。そんな彼の隣にいるには、今の弱いままの、過去に囚われたままの詩乃じゃダメだ。シノンのような、歴戦の狙撃手のような強さを手に入れる。

その為に——

 

「貴方を倒すわ、アルバ」

 

私はもう一度、深く息を吐いてから、部屋の鍵をかけ直した。

——本戦まで、あと数時間。

私は、今日、彼に追いつくつもりだ。そして、追いついたその先に、お願いを一つ、口にする。

その「お願い」が何なのかは、まだ、私自身も完全には決まっていなかった。

ただ——彼の隣に居続けるための、何かであることだけは、確かだった。

 

 

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