「追いつかなかったね。……まさか、どこかで追い抜いちゃったとか……」
「いや、それはないよ。走りながらずっと水中をチェックしてたから」
私とキリトは、都市廃墟の南側にいた。共に行動することになってしまった剣士と会話をしながら、時間をチェックする。
「もうすぐ九時よ。サテライトスキャンで、ヤツがいるのかチェックしましょう」
キリトが頷く。
物陰に身を隠しながら、私は先程の出来事を考えていた。
《ダイン》を狙撃しようとして、背後から迫っていたキリトに制止されたこと。《ペイルライダー》が《ダイン》を倒した直後、電磁スタン弾により狙撃されたこと。その後現れたマスクの男——《死銃》——に拳銃で撃たれたあと、《ペイルライダー》が回線落ちしたこと。
そして、キリトが言った……現実世界で、本当に殺された、ということ。
その話は、到底信じられるものではなかった。
それでも、キリトはアルバの知り合いで、この大会に参加する為にわざわざコンバートをしてまで《GGO》に来た。それはつまり、アルバも《死銃》の事を知っているということだった。二度目のサテライトスキャンで、アルバの周りには死亡したプレイヤーがいた。おそらく、彼は大会での勝利を目指すと同時に、《死銃》を調査しているのだろうと思う。彼の、優勝を狙うという言葉に嘘はないと思うから。
ならば、私も。
そう思い、キリトとの共闘を決めた。
半信半疑なのもあった。VRMMOの中に、本物の悪意や殺意は存在しない。あってしまえば、それはもう仮想世界ではないではないか。詩乃が怖れ、眼を背け続ける、現実世界の暗闇そのものではないか、と。
それとは別に、大会進行の邪魔をする《死銃》を排除する。ひとまず、話はそれからだ。
「シノン」
キリトが、声を落として言った。
「もし俺が、ペイルライダーと同じようにスタン弾に撃たれて麻痺しても、慌てずその場で狙撃体勢に入ってくれ。死銃は必ず出てきて、あの黒い拳銃で止めを刺そうとするはずだ。そこを撃つんだ」
その言葉に、ある疑問が浮かぶ。
「それは、もちろん。でも、何でそんなに私を信じられるの?私があんたを背中から撃つかもしれないのに……」
するとキリトのほうも意外そうに眉を持ち上げ、次いでごく小さく微笑んだ。
「だって、君は彼の……アルバの相棒だろ?」
「……」
「まだ彼とは出会って間もないけれど、彼は信頼できる人だと俺は思う。その彼が、君の事を心から信頼している。なら、俺が君を信じない理由がないからさ」
その言葉に、少しの驚きと——隠しきれない嬉しさが、胸に滲んだ。
彼が、私を、信頼している。それが、第三者の目からも見えるほどに。
「そ、そう。それなら、いいわ。背中は任せて」
「ああ、頼むよ」
その会話のあと、時計の針が九時を指した。
「キリト、あんたは北からチェックして!」
都市廃墟に表示される点を、一つ一つタッチしていく。探しているのは《ペイルライダー》以外の初出場の選手たち。《銃士X》、《スティーブン》、《ソルダート》。
その内ペイルライダーは、死銃に撃たれ、このフィールドから
「「……いた!」」
北と南からチェックしていた私達の指は、同時に止まった。都市の中心にあるスタジアム、そこに《銃士X》がいた。
「今この街にいるのは、コイツだけみたいね」
「ああ。《スティーブン》と《ソルダート》はいないな。つまり《銃士X》が死銃だ。狙っているのは、多分……コイツだ」
キリトが、動き続ける光点に触る。《リココ》という名前が表示された。確かに、位置取りを見れば、リココを狙っているのだろう。
私はそれとは別に、もう一つの名前を探していた。
「アルバは……田園地帯か。遠いわね。誰かと戦ってるみたい」
私の言葉に、キリトが光点をチェックする。
「本当だ。これは……《ソルダート》?初出場の一人だ」
もしかしたら、キリトのように、彼も初出場の一人を追いかけていたのかもしれない。
「合流できたらよかったけど、難しそうだ。今は死銃を止めないと」
キリトの言葉にうなずき、行動を開始する。スタジアムの前まで行き、視力強化スキルを全開にして注視する。看板の陰に、人影が見えた。
「いた、あそこ」
それを伝えると、軽くうなずいてからキリトは言った。
「どうやら、まだ《リココ》が出てくるのを待ってるみたいだな。……よし、今のうちに後ろからアタックする。シノンは、通りを挟んだ向かいのビルから狙撃体勢に入ってくれ」
「……了解」
キリトが前衛で、私がフォロー。私にとっては、アルバとの戦闘で慣れっこな、いつも通りのものだった。それが最善だと、私は知っている。
キリトは頷くと、腕時計を一瞥して続けた。
「俺は、君と別れてから三十秒後に戦闘開始する。その時間で足りるか?」
「充分よ」
「よし。じゃあ、頼む」
そう言うと、キリトは音をほとんど立てずに走っていった。
その背中が小さくなるにつれ、私に、ある感情が生まれた。
これは緊張?いや、これは……そう、心細いんだ。人を殺せるような能力を持った人がこの優しい世界にいて、自分一人だけがここに取り残されている、この現状が。
頭を振って、《氷の狙撃手》には似つかわしくない考えを振り落とし、目標のビルへと向かった。
スタジアムから、広い環状路を挟んで南西に面するビル。壁面が大きく崩れている。あそこから入って三階まで登れば、スタジアムの外壁通路を見通せるはずだ。距離が近すぎるので、気づかれる可能性もあるが、さしもの死銃も、キリトとの戦闘中に周囲を見回す余裕はあるまい。
そう、《白狼》ではあるまいし。
——直後、背中に寒気を感じた。
振り向こうとしたが、それすらもできずに、路面に倒れた後。
(——何……どうして……!?)
いったい何が起きたのか、すぐには解らなかった。視界の左のほうで何かが光って、反射的に左手を持ち上げたら、その腕の外側に激しい衝撃があった。
撃たれた。
そう理解して、建物の陰まで動こうとしたが、体が言うことを聞かない。どうにか動かせるのは、両眼だけだ。投げ出された左腕を懸命に見下ろすと、銀色の針のようなものが刺さっていた。
その物体に、私は見覚えがあった。ペイルライダーの動きを止めた——電磁スタン弾。
(《死銃》に、撃たれた……?)
でも、方向がおかしい。奴は北側にいるはず。だが、私が撃たれたのは、南からだった。そちらに、プレイヤーはいなかったはず。
なぜ——誰が——どうやって。
その答えは、すぐに分かった。
明らかにそれまで何も存在しなかった場所に、何者かが、突然出現したのだ。
それは、一部のボスにしか許されない能力。
メタマテリアル
装甲表面で光を滑らせ、不可視化する、究極の迷彩能力。
——本当に、存在した。
私とアルバも、三日ほどかけて探してみたことがあった。結局、見つからなかった。あの時は、二人で「やっぱりガセだったわね」と笑って終わった。その笑い話が——今、最悪の形で、目の前にある。
そして、その装備の持ち主は、先程、ペイルライダーの命を奪ったかもしれない、あのボロマント……《死銃》だった。
私とキリトは、見当違いをしていたようだ。《銃士X》は、《死銃》ではなかった。
(——キリト、違う。《死銃》は、ここにいる)
その呼びかけは、声に出せないので、届くはずもない。
《死銃》が、私にゆっくりと近づいてくる。
そして、軋むような囁きが、聞こえた。
「……キリト。お前が、本物か、偽物か、これで、はっきりする」
それは、目の前にいる私ではない。スタジアムにいるキリトに語りかけるようだった。
「あの時、猛り狂ったお前の姿を、憶えているぞ。この女を……仲間を殺されて、同じように狂えば、お前は、本物だ、キリト。見せてみろ、お前の怒りを、殺意を、狂気の剣を、もう一度」
その言葉の中で、私が理解できたのは一つだけ。
——殺す? 私を?
ふざけるな。そんな、光迷彩なんていう隠れ蓑に頼るやつに、殺されてなんてやるものか。
かろうじて、右手だけはかすかに動く。隙を見て、グロックで反撃する。その機会を伺っていると——
死銃が、ペイルライダーを撃ったときと同じように十字を切りはじめた。その間に、ようやくグロックに手が届いた。後は、隙を見て撃つだけ。
十字を切り終わった死銃が、黒いハンドガンを取り出した。
それを見た瞬間——私の全身から、力が抜けた。
銃の側面に印された、刻印。
円の中に、星。
黒い、星。
忌まわしき——あの銃。
(なん、で。どうして。なんで、ここに)
カチリ、と、ハンマーが起こされる。死銃のボロマントの中の暗闇が、歪む。
血走った眼。かつて、母を守る為に、幼かった詩乃が無我夢中で飛びかかり、銃を奪い、引き金を引いて殺した——あの男の、目。
(——ここに、いたんだ)
(私に復讐する為に、この世界に、潜んでいたんだ)
全身の感覚が、失われていく。世界が、暗闇へと染められていく。私の目には、自分に向けられた銃口と、二つの眼しか見えない。
これから、シノンは——詩乃は、あの銃に撃ち抜かれる。あの時、幼い詩乃が男にそうしたように。これは、決して逃れることのできない、運命なのだ。
全てが、無駄だった。何もかも。過去を断ち切ろうと、みっともなく足搔いてきた。その全てが、無意味だった。
その諦念とともに、詩乃は、暗闇へと落ちていく。
——だが。
その暗闇の中に、僅かな光が、差していた。
白銀に、輝く光。
それは——彼を、思い起こさせるものだった。
白い髪。銀の瞳。憎まれ口。隣の席。非常階段。バギーの上の風。
彼との思い出が、駆け巡る。
(……そうだ。諦めたくない)
(だって、ようやくだ。ようやく、手に入りそうだったんだ)
(彼の……アルバのような、強さが。彼の隣にいるための、強さが)
でも、無理だ。今まさにその銃口は、詩乃の命を刈り取ろうとしている。
心の中で呟いた。
朝田詩乃が、初めて恋をした、男の子の名を。
(助けて……皆月)
——その瞬間。
轟音が、響いた。
視界を、白い稲妻が満たした。
死銃が後ろに跳ぶ。そのフードの中はもう、《あの眼》ではなく赤い光点に戻っていた。
それよりも——先程の光には、見覚えがあった。
あれは、彼の……。
直後、東側から白い影が私と死銃の間に滑り込むようにして現れた。
そして、いつものように軽く笑いながら口を開いた。
「よう、シノン。息災か?」
(アル、バ……?)
彼の名を呼ぼうとするが、うまく喋れない。その様子を見て、アルバは安堵している様子だった。
「電磁スタン弾か。死んではねぇな。なら上々。——ギリギリ、間に合ったか」
「邪魔を、するか。《白狼》」
死銃が、アルバに語りかける。アルバは死銃を真っ直ぐ見据えながら、答える。
「当たり前。テメェの好きにさせるかよ。《デス・ガン》」
「あの傭兵は、どうした。倒して、来たのか?」
「ハッ、どうだかな?」
「……使えない、男だ。足止めすら、出来ないとは」
「アイツを信用する方が間違ってるぜ。アイツ、クソ野郎だからな」
死銃と話すアルバを、私は見た。
全身が、赤いダメージエフェクトに覆われていた。かなりのダメージを負っている。いくら彼とはいえ、これ程のダメージを負ったままでは、まともに戦えないだろう。
「随分と、ボロボロだな。その女を、守りながら、戦うつもりか?」
「まさか。ここは、逃げの一手に決まってんだろ?」
「逃がすと、思うか?」
「お前こそ忘れてないか?ここにはまだもう一人、役者がいるんだぜ?」
パン、パンと、いくつかの銃声。死銃の体が、ぐらりと揺れた。
その直後、カランと音を立てて、何かがアルバと死銃の間に転がった。
そして、プシューと、白い煙幕が、周辺を覆った。
その瞬間、アルバは私を抱きかかえ、走り出した。
「アルバ、こっちだ!」
まだ霞む視界で、声の主を見る。長い黒髪に、美少女と見紛うアバター。キリトだ。
「助かるぜ、キリト……っと!」
アルバのすぐ側を、大口径弾が唸りを上げて通過した。
「ぶねぇ!追ってきてんな!」
「向こうにバギーがあった。ひとまず逃げよう!」
キリトの言葉に、アルバが頷く。少し走った先に、三人乗りのレンタルバギーと、ロボットホースが停まっていた。
キリトがバギーの運転席に駆け込み、アルバも私を抱えたまま、後部座席に跳び乗る。
「アルバ!あの馬を破壊できるか?」
キリトのその問いに、アルバが首を振る。
「俺の銃はさっきので弾切れだ!ここまで来るのに、戦闘になりすぎた!」
その言葉の後、アルバが私の方を向き、語りかけてくる。
「シノン、ヘカートであの馬を破壊できるか?」
その言葉に、私はしどろもどろに頷く。
「……わ、わかった、やってみる」
この距離なら、ヘカートは必中距離だ。まだ痺れの残る体を動かし、トリガーに指をかけ、馬の横腹に照準を合わせ、引き金を引こうとして——
引けなかった。
「え……」
何度も、引こうとする。でも、引けない。トリガーに、指が掛からない。
「引けない……なんでよ……トリガーが、引けない……!」
その掠れた声は、シノンのものではなく——現実世界の朝田詩乃が、泣き叫んでいるようだった。
「キリト、出せ!早く!奴が来てる!」
スタジアムの東側に残るスモークの中に、黒い人影が見えた。ボロマントに、巨大なライフルを携えた、《死銃》——もしくは、その姿を借りた、《あの男》。
アルバの言葉に、キリトがアクセルを回す。アルバが、私の体を抱えるようにして支える。その直後、衝撃とともにバギーが前輪を回転させ、道路に飛び出した。
メインストリートを疾走するバギーは、たちまちトップギアになり、距離を離していく。
(逃げ切れた……?)
そう思うと同時に、アルバに支えられている自分の体が、ガタガタと震えていることに気付いた。
情けない。そう思った直後、アルバが叫ぶ。
「クソッ!しつけぇなぁ!」
反射的に後ろを振り向くと、ロボットホースが飛び出てくるのが見えた。
「そんな……」
馬に乗るフードの男から、目が離せない。そのフードの奥の暗闇に、薄ら笑いを浮かべる《あの男》が見えた。そして、《黒星》をこちらに向け——放つ。
その弾丸は、私のすぐ横を、通過した。
「いやぁぁぁぁ!」
隣に座るアルバに、縋り付いた。
「いや……助けて……助けてよ……」
弱々しく、呟く。情けない。彼を倒すと言っておきながら、縋り付くことしかできないとは。
アルバが私に、落ち着いた声で語りかけてくる。
「シノン」
アルバの方を、見上げる。
「このままじゃあ、奴に追いつかれる。お前のヘカートで、狙撃するんだ」
「む……無理だよ。出来ない。私には……」
「なら、俺が撃つ。ヘカートを貸してくれ」
「え……」
彼なら確かに、難なく撃つことが出来るだろう。でも、それでも——ヘカートは、私の分身。私以外には、扱わせない。
その小さなプライドだけが、私を突き動かした。
バギーの後部のロールバーに銃身を乗せ、照準を合わせる。そして、引き金を引こうとし——引けなかった。
「……だめだよ……」
「引けないの。私はもう……戦えない」
「戦えない人間なんていない!戦うか、戦わないか、その選択があるだけだ!」
キリトが、運転しながら叫ぶ。
選択。なら、私はもう、戦わない。もう、こんなつらい思いはしたくない。
「……だめなの、引けない、私は……弱い……」
「いいや」
アルバが、優しい声で否定した。
それを聞いた私は、アルバの顔を見た。その顔は、私の中の何かを見ているようだった。
「お前は引けるよ。俺はそれを知っている。シノンの……朝田詩乃の強さを、俺は知っている」
言いながら、アルバの手が、私の右手を包んだ。
温かかった。仮想空間のはずなのに、その手の温度だけは、なぜか、本物みたいに伝わってきた。
「俺も一緒に撃つ。お前の背負う一部を、俺も背負ってやる。だから——戦おうぜ。相棒」
その言葉に、ほんの僅かに、震えが止まった気がした。
それでも、バギーは揺れている。この揺れでは、とても狙えない。
その私の表情から意図を汲んだのか、アルバが前方を一瞥して、叫んだ。
「五秒で揺れは止まる。頼むぞ、キリト!」
「OK!」
「五、四、三、二、一!」
——瞬間、バギーが、宙に浮いた。
キリトは、路面に突っ伏したスポーツカーに乗り上げて、バギーをジャンプさせたのだ。
――どうして?あなた達はこの状況で、どうしてそんなにも冷静でいられるの?
そう考えた所で、ようやく分かった気がした。
この人達は、ただただ全力なんだ。その瞬間、瞬間を、全力で戦うことを選び続けている。何かを背負いながらも、それを選び続けている。
それこそが――この人達の強さ。
揺れが、止まる。
照準が、合わさる。
私にできるだろうか?彼らと同じ様に。その答えは、分からない。けれど…私を信じてくれる、ただ
アルバの手の温もりを感じながら——引き金を、引いた。
轟音。
ヘカートの弾丸は、死銃には当たらなかった。その横のトラックに当たり、ガソリンタンクに引火したのか、大爆発を引き起こした。
その爆発に、死銃は、飲まれたように見えた。
それを見届けて——私は、最後の力を失ったかのように、アルバにもたれ掛かった。
今週中には次話を投稿したい…。
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