帰還者と狙撃手   作:きょうりゅう

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また…遅くなってしまった…。6月が、終わってしまう…。


彼の過去

 

まだ燃え盛る炎の中、ボロマント——《死銃》は、立っていた。

爆発の余熱が、メインストリートの廃墟を炙っている。歪んだ鉄骨。砕けたアスファルト。ひっくり返ったトラックから立ち上る黒煙が、夜の空に溶けていく。その炎の光に照らされて、ボロマントの影だけが、揺らめきもせず、ただ静かにそこにあった。

そこに、近付いてくる影が、一つ。

 

「逃がしたか?」

 

砂を踏む足音とともに、リカルドが現れた。彼の装甲には、あちこちに焦げた跡がある。グレネードと煙幕を浴びた名残。だが、その表情には、焦りも怒りもなかった。むしろ、どこか面白がるような余裕すら、滲んでいた。

 

「……何を、していた?《白狼》が、来たぞ」

 

軋むような声で、《死銃》が問う。

リカルドは、肩をすくめた。

 

「いやなに、少しばかり油断した。まさか、自分も巻き込まれる可能性があるのに、あんな無茶をするとは思わなくてね」

 

爆発に巻き込まれることも厭わず、仲間を助けるために逃げた。リカルドの知る《キョウ》は、もっと冷徹で、もっと合理的な兵士だった。生き残るためなら、何でも切り捨てられる子どもだった。

——変わったな。

その変化が、リカルドには、ひどく興味深かった。

 

「……時間、だ」

 

《死銃》は、リカルドの感慨など意に介さず、淡々と言った。

 

「先に、《ギャレット》を、やる。奴らを、追うのは、その後だ」

 

「了解」

 

次の標的へと、《死銃》が歩き出す。ボロマントが、炎の風にわずかにはためいた。

リカルドは、その背中を見ていた。

人を殺すたびに、あの男のフードの中の暗闇が、深くなっていくような気がする。GGOというゲームの中で、現実の死を産みながら、あの男は何かに——満たされていく。

 

「……《ソードアート・オンライン》が生み出した、人の命を奪うという快楽に蝕まれた亡霊か」

 

リカルドは、誰にともなく呟いた。

 

「人の死が当たり前ではない、この平和な国だからこそ生まれた怪物なのだろうな」

 

戦場では、こんな人間は生まれない。死が日常にある場所では、殺しは快楽になどなり得ない。ただの作業であり、ただの生存だ。生が当たり前であり死が特別だからこそ——それを奪うことに、歪んだ意味が宿る。

リカルドは、炎の向こうへ消えていく《死銃》の背中に、小さく笑った。

 

「理解できないな。殺し(それ)に、快楽を感じるなど」

 

そして、ふと、思い出すように呟いた。

 

「……お前も、そうだろう?キョウ」

 

炎の音だけが、応えた。

 

 

 

 

 

 

「ひとまず、ここならスキャンは回避できるか」

 

私とアルバとキリトは、砂漠エリアの洞窟にいた。

入り口から十数メートル。岩肌の隙間から差し込む夜の光は届かず、内部は薄暗い。アルバが灯したフィールドライトの淡い光が、ごつごつとした岩壁を照らしている。空気はひんやりとして、外の戦場の喧騒が嘘のように、静かだった。

 

「そういえば、洞窟に入ればスキャンには映らないって言ってたな」

 

キリトが思い出した風に言う。アルバが肯定の頷きの後、肩をすくめながら言う。

 

「ま、グレネードでもぶち込まれればみんな揃ってお陀仏だけどな」

 

軽口のように言いながらも、アルバの視線は入り口の方を、絶えず気にしていた。出入口が見えて、背中に岩壁がある位置。私はもう、彼のその癖を知っている。どこにいても、彼は退路と死角を確保する。それが、染みついた何かであることも、なんとなく分かっていた。

 

「そうか……。シノン、アイツは急に君の側に現れたよな。アイツには、透明化の能力があるのか?」

 

キリトの言葉に、私は頷く。

 

「……うん。メタマテリアル光歪曲迷彩(オプチカル・カモ)。あのマントが、その装備付きみたい」

 

「マジであるとはな。あん時、もうちょい探してみりゃよかったな?」

 

そう笑いながら言うアルバ。

あん時。三日かけて、二人で地下ダンジョンを潜った時のことだ。結局見つからなくて、汗だくになって、二人で「やっぱり噂は噂ね」と笑った。あの何でもない時間が、今は遠い昔のことのように感じる。

私は、力なく微笑みを返すしかできなかった。

 

「ま、ここなら足音も聞こえるし、足跡も残る。近づいてきたら分かるぜ」

 

「そうか。なら、耳を澄ませてないとな」

 

そうして、キリトとアルバは揃って救急キットを使い始めた。

アルバの装甲に散っていた赤いダメージエフェクトが、少しずつ薄れていく。さっきまで、彼は全身ボロボロだった。私を守るために、他のプレイヤーと戦闘になりながら、全力で。

私はその横顔を見ながら——ポツリと呟いた。

 

「……アイツ、さっきの爆発で死んだってことは、ない?」

 

「いや、直前に馬から飛び降りてた」

 

アルバが即答する。

 

「無傷じゃねえだろうが、死んではねぇな」

 

「……そう」

 

少しの安堵と、それ以上の絶望が、胸の中で混ざった。まだ、アイツはいる。まだ、あの銃を持って、どこかにいる。

続けて、私はアルバに質問した。

 

「ねぇ、どうして私を助けにこれたの?あなた、九時の時点で田園エリアで戦闘中だったはずよね?」

 

私の前に現れた時の口ぶりからして、彼は私が《死銃》に狙われているのが分かって、助けに来たようだった。なぜそれを知っていたのか。なぜ、間に合ったのか。

私の質問に、アルバは思い出したように言う。

 

「俺が戦ってたのは、《ソルダート》っていう初出場のやつだったんだけど……ま、色々あってな」

 

色々、という言葉に、何かを濁す響きがあった。でも、今はそれを追及する余裕は、私にはなかった。

 

「お前がヤバいって分かったから、アイツをグレネードと煙幕で撒いて、最後のスキャンのお前の位置だったあの街まで全力ダッシュ。ギリギリ間に合って良かったわ」

 

途中、色んなやつに絡まれたけど。と付け加えるアルバ。

 

「おかげで《ヴァナルガンド》は弾切れになっちまった。…んで、お前を抱えてどうやって逃げようか考えてたら、キリトがスタジアムの外周から降りてくるのが見えたから、時間稼ぎでダラダラ話をしてた。あのスモーク、助かったぜ、キリト」

 

キリトの方を見ながら、礼を言うアルバ。キリトが苦笑いしながら言う。

 

「たまたま《銃士X》さんが持ってたからな。拝借しといて良かったよ」

 

その会話を聞いて——私は、自責の念に苛まれた。

二人が、私を助けるために、必死に動いてくれた。アルバは複数のプレイヤーと戦闘になりながら、傷だらけで走ってきた。キリトは死銃と渡り合いながら、スモークで時間を稼いでくれた。

それなのに、私は——。

 

「私が、アイツに気づけていれば……」

 

「バーカ」

 

アルバが、短く言った。

 

「あんな光迷彩なんてもん、気付けるかよ。俺でも気付けねぇし。だから、自分を責めんなよ?シノン」

 

その優しい言葉に、涙が出そうになる。

彼に、私の全てを委ねてしまいそうになる。この弱さも、この恐怖も、全部預けて、彼の腕の中で泣いてしまいそうになる。

でも——ダメだ。

そうしてしまえば、きっと私の半身——氷の狙撃手たるシノンは、消えてしまう。私が、過去を乗り越えるために必死に作り上げてきた、もう一人の私が。

 

「それよりお前、大丈夫かよ?発作が出てただろ。まだ震えてるぞ」

 

アルバが、気遣うような視線を向けてくる。

私は、自分の指先を見た。確かに、まだ、小刻みに震えていた。

 

「うん……。今は、少しマシになった。ありがとう」

 

「そりゃいいが……。何がトリガーだ?この世界なら大丈夫だっただろ」

 

アルバの質問に、私は目を伏せた。

この世界なら、銃を握っても発作は出ない。それが、私がこの世界に縋っていた理由だった。なのに、さっきは——出た。GGOで、初めて。

 

「アイツが……死銃が持ってる銃が、《あの銃》だったの……」

 

「……何?」

 

「私が撃った銃……《黒星》。それを向けられた時、死銃が……あの男に見えた。それで……」

 

言葉が、続かなかった。あの瞬間の感覚が、喉の奥に蘇る。十一歳の私が、母を守るために握った、あの冷たい鉄の感触。引き金を引いた、あの軽い手応え。崩れ落ちる、男の体。

 

「……そうか」

 

アルバは、静かに相槌を返すだけだった。

責めもしない。慰めもしない。ただ、私の言葉を、そのまま受け止めてくれた。その沈黙が、かえって私の中の何かを、決壊させた。

私は、溢れ出る感情のままに、話し続けた。

 

「私、さっき、すごく怖かった。死ぬのが、恐ろしかった」

 

声が、震える。

 

「前の私よりも弱くなって、情けなく悲鳴を上げて……。私は結局、強くなんかなれていなかった!ずっとずっと、弱い私のままだった!」

 

積み上げてきたものが、音を立てて崩れていく。シノンという仮面が、剥がれていく。残ったのは、あの日から一歩も進めていない、ただの朝田詩乃だった。

 

「こんなことなら……いっそ……」

 

「いっそ、なんだ?」

 

アルバの声が、低くなった。

 

「死んだほうがマシってか?」

 

その声には、僅かな怒気が含まれていた。

私は、自虐的な笑みを浮かべながら答える。

 

「そうね……。その方が、いいかも。怯えて生きていくのは、疲れた……」

 

口にした瞬間、自分の言葉の冷たさに、自分で驚いた。でも、止まらなかった。あの恐怖をもう一度味わうくらいなら、全部終わらせてしまった方が——そんな考えが、暗闇から這い上がってくる。

そう言って、私は立ち上がり、歩き出した。

入り口の方へ。あの男が待つ、外の戦場へ。

 

「一人で死銃と戦うつもりか?今のお前じゃ、自殺行為だぞ」

 

アルバの声が、背中に刺さる。

 

「そうね……。一人で戦って、一人で死ぬ。きっと、それが私の運命だったんだ……」

 

歩き出す私の手を——アルバが、取った。

強い力だった。振りほどけないくらい、強く。

 

「——ざけんな」

 

その声に、私は足を止めた。

 

「俺がどんな思いで助けたと思ってる。無駄死にさせる為じゃねえ」

 

私は、振り向かないまま答えた。

 

「助けてくれなんて、頼んでない。あんたが勝手に助けたんでしょ」

 

「……そうだな。その通りだ」

 

アルバの声は、一瞬、静かになった。

 

「なら、これも俺の勝手だ。お前は、死なせない」

 

「……離して」

 

「離さねぇ。一人で戦うなんて無茶は、許さない」

 

私の手を握る、彼の手の力は、緩まなかった。その温度が、震える指先から伝わってくる。それが、かえって——私の中の何かを、爆発させた。

 

「……なら」

 

私は、振り向いた。

そして、アルバの服を両手で掴んだ。激情のまま、叫んだ。

 

「なら!!あなたが一生私を守ってよ!!」

 

頬を、涙が伝う。止められなかった。

 

「これは私の、私だけの戦いなのよ!たとえ負けて、死んでも、誰にも私を責める権利なんかない!それに、こんな私じゃ……弱いままの私なんかじゃ……!」

 

 

 

——あなたの側に、いられない。

 

 

 

その言葉だけは、どうしても、声に出せなかった。

口にしてしまえば、本当に、終わってしまう気がしたから。私の中の、ようやく芽生えた小さな想いまで、この絶望に飲み込まれてしまう気がしたから。

 

「うっ……うっ……」

 

私は、アルバの胸に額を当て、俯いた。

彼の胸の装甲は硬くて、冷たいはずなのに、なぜか、温かかった。

私はただ、嗚咽を漏らしながら、泣くことしかできなかった。子どもみたいに。あの日から誰にも涙を見せなかった分を、全部ここで吐き出すみたいに。

アルバとキリトは、ただ静かに、その場に佇んでいた。

何も言わず。急かさず。私が泣き止むのを、ただ、待っていてくれた。

その沈黙が——優しかった。

 

 

 

 

 

 

「私ね……人を殺したの」

 

泣き疲れて、私はアルバの膝を借りて、寝転んでいた。

子どもみたいだと、自分でも思った。でも、アルバは何も言わず、黙って受け入れてくれた。彼の膝は、やっぱり硬くて、でも、不思議と安心できた。

私達のただならぬ様子に、ずっと黙っていたキリトに向けて、私はぽつぽつと話し始めた。

東北の小さな町の、郵便局。

強盗事件に、あったこと。

母を守る為に、その強盗の銃を奪い、強盗を撃ち殺したこと。

その時は、まだ十一歳だったこと。

それ以来、銃を見ると——写真でも、玩具でも——激しい動悸と吐き気に襲われるようになったこと。

それでも、この世界でなら、銃を握っても発作は起きなかったこと。

だから、過去を乗り越えるために、この世界で戦い続けてきたこと。

天井の岩肌を見つめながら、私は淡々と語った。何度も心の中で反芻してきた過去だから、もう涙は出なかった。ただ、言葉にすると、それが確かに自分の人生に起きたことなのだと、改めて思い知らされた。

私の話を一通り聞いたあと、キリトがポツリと呟いた。

 

「俺も……人を、殺した事がある」

 

「え……」

 

私は、身を起こしかけて——やめた。アルバの膝の上で、ただ、キリトの方に視線を向けた。

キリトの話す内容は、半ば予想していた通りだった。

キリトが、《SAO生還者》だったこと。そして、あの死銃も。

SAOには《ラフィン・コフィン》という殺人ギルドが存在していたこと。仮想空間で、現実の死を相手に押し付ける、狂った集団。

そのギルドの討伐隊が組まれ、キリトもそれに参加していたこと。

そして、アジトに行った所で乱戦となり……その最中、二人の命を奪ったこと。

 

「俺は、その時殺した二人と、そのずっと後に斬った一人を……現実世界に戻ってから、一度も思い出そうとしなかった」

 

キリトの声は、淡々としていた。でも、その淡々とした調子こそが、彼がどれだけその記憶を封じ込めてきたかを物語っていた。

 

「昨日、総督府であの死銃に会うまでは……」

 

「なら、死銃はその《ラフィン・コフィン》のメンバーか?」

 

アルバが、静かに問う。

 

「……ああ。もう少しで、ヤツの名前を、思い出せそうなのに……」

 

キリトが、こめかみを押さえた。思い出そうとして、思い出せない。あるいは、思い出すことを、心のどこかが拒んでいる。その葛藤が、彼の横顔に滲んでいた。

アルバは、キリトの話を聞き、じっと彼を見つめた後——上を見上げた。

洞窟の、ごつごつとした天井。その向こうにあるはずの、夜空を見透かすように。

そして、ボソッと呟いた。

 

「過去の因縁、か」

 

私は、アルバを見上げた。

彼は、あの——何処か遠くを見る目をしていた。

現実でも、時折見せる、あの目。空っぽで、何も見ていないようで、何かを見ている、遠い目。私が、ずっと気になっていた、あの目だった。

そして、アルバが、自虐的に笑いながら、口を開いた。

 

「……殺した相手の顔を覚えているだけ、お前らはマトモな人間だよ」

 

その言葉に、私もキリトも、真意がわからず、ただ彼の方を見るだけだった。

アルバが、続ける。

 

「俺は、誰一人として、殺した奴の顔を覚えていない。この手で奪った命の数も、知らない」

 

「え……」

 

私の口から、声が漏れた。

殺した数を、知らない。それは——一人や二人ではない、ということ。覚えていられないほど、数えていられないほど、多くの命を。

アルバが、私の方を見た。

その銀の瞳が、フィールドライトの淡い光を反射して、揺れていた。

 

「お前は、前に俺に聞いたよな?何処で何をしていたのか、って」

 

「え、ええ」

 

あの、路地裏の事件の後。私が、彼の過去に踏み込もうとして——でも、踏み込めなかった、あの時のこと。

 

「日本に来る直前は、アメリカにいた。でも、その前……十歳になる少し前からだから、だいたい五年か。別の場所にいたんだ」

 

アルバの声が、少しずつ、低くなっていく。

 

「——って国、知ってるか?」

 

彼が口にしたその国名は、ニュースでよく聞いた国名だった。

私が小学生、あの事件が起こる前ぐらいの時に、内戦が始まったと、ニュースで連日放送していた。アフリカの、小さな国。泥沼の内戦。そして、二年くらい前に、その内戦が終結したとも。

——まさか。

 

「……アルバ、あなた」

 

「ああ」

 

アルバが、頷いた。

 

「俺はその国にいた。血みどろの内戦が繰り広げられた、あの国に」

 

洞窟の中が、静まり返った。外の戦場の音も、ここまでは届かない。聞こえるのは、フィールドライトの微かな駆動音と、私たち三人の呼吸だけ。

アルバが、目を瞑った。

その横顔に、これまで見たことのない種類の——緊張が、走った。何かの、覚悟を決めるような。長い間、誰にも明かさず、自分一人で抱えてきた何かを、今、解き放とうとするような。

そして、ゆっくりと目を開いて、口を開いた。

 

「俺は——少年兵だった」

 

その言葉は、洞窟の岩壁に吸い込まれて、消えた。

私は、何も言えなかった。

少年兵。その言葉の意味を、頭が理解するのに、少しの時間がかかった。十歳の子どもが。銃を持って。戦場で。

彼が時折見せる、あの遠い目。足音の薄さ。視線の動かし方。距離の取り方。バレットサークルなしで弾を当てる技術。殺し、殺される覚悟。路地裏での、あの手慣れた動き。

——全部が、繋がった。

ずっと、知りたかった。彼の強さの理由を。彼の抱えているものの正体を。

そして今、それが、目の前にある。

想像していたよりも、ずっと、ずっと、重いものとして。

 

「……」

 

私は、アルバの膝の上で、彼の横顔を見上げたまま、動けなかった。

彼の銀の瞳は、洞窟の天井ではなく、その遥か向こう——もう戻れない、遠い戦場の空を、見ているようだった。

 




この洞窟のシーンは好きなシーンでかつ重要なシーンですので、なるべくじっくりいきたいのでもう一話続きます。
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