「……クリスさん。《死銃》は私たちと同じ、《SAO生還者》だわ。それも、最悪と言われた殺人ギルド、《ラフィン・コフィン》の元メンバーよ」
「……本当かい。それは」
菊岡——クリスハイトの目が、レンズの奥で見開かれた。
《アルヴヘイム・オンライン》、世界樹の都の一角。ログハウス風の部屋の窓の外には、妖精の国の夜空が広がっている。二つの月の光が、テーブルの上に投影された映像ウィンドウを、青白く縁取っていた。
暖炉の火が、パチリと小さく爆ぜる。ユイがキリト君の状況を案じて、私の膝の上で身じろぎした。リズもリーファも、シリカもクラインも、誰も口を開かない。この部屋にあるのは、妖精の国の穏やかな夜と——そこにまるで似つかわしくない、重い沈黙だった。
キリト君が出場する《ガンゲイル・オンライン》の大会を、皆で観戦していたところ、不可解な出来事が起きた。あるプレイヤーが、別のプレイヤーに撃たれたそのすぐ後、回線落ちした。まるで、撃ったプレイヤーが意図的に引き起こしたかのように。そのプレイヤーは自らを《死銃》と名乗り、とある言葉を口にした。
「イッツ・ショウ・タイム」
——あの言葉を聞いた瞬間、私の背筋を、氷の指がなぞった。
忘れるはずがない。それはかつて、あの世界で数多の殺人を犯した男の決め台詞だった。殺人ギルド《ラフィン・コフィン》の、リーダーの。
浮遊城の記憶は、二年経った今でも、時折夢に出る。その中でも、あのギルドに関わる記憶だけは、色が違う。あれは、デスゲームというシステムの恐怖ではなく——人間そのものの、悪意の恐怖だったから。
キリト君がこの大会に出場した理由が、あのプレイヤーにあると悟った私たちは、キリト君に依頼をした人物を呼び出し、問いただすことにした。
そして、現在。
ユイからあらかたの事件の詳細を聞いた後、目の前の、キリト君の依頼人である菊岡誠二郎——クリスハイトに、彼の知らないであろう事実を告げたところだ。
「名前までは思い出せない。けれど、私とクラインは討伐戦に参加しているから。死銃は、ゲームの中で人を殺すのはこれが初めてじゃないのよ。これでもまだ、無関係だと言い張るつもり?」
「……だが、アスナ君。方法が分からないんだよ。それとも、SAO時代に身につけた超常的な力で殺人を犯しているとでも、言い張るつもりかい?」
「……それは……」
即座に頷くことが、できない。方法など、見当もつかない。
でも。
「……死銃がどうやって人を殺しているのか、私には見当もつかない。だからといって、キリト君が一人で過去の因縁と戦おうとしているのを、見ているわけにはいかないの」
私は、クリスハイトの目をまっすぐ見た。
「あなたなら、死銃の現実世界の名前や住所を、調べられるんじゃないの?」
私の言葉を聞いていたクリスハイトは、静かに首を振った。
「残念だが、それは不可能だよ。仮想課にあるSAOプレイヤー諸君のデータは、本名とキャラネーム、それに最終レベルだけなんだ。所属していたギルド名や、殺人回数などは一切分からない。だから、元《ラフィン・コフィン》という情報だけでは、現実の住所氏名までは突き止めることが出来ないんだ」
私は、悔しさから唇を噛んだ。
確かに、あのプレイヤーの喋り方や仕草には、覚えがある。喉の奥に引っかかった小骨のように、名前が、すぐそこまで出かかっている。なのに、どうしても思い出せない。思い出したくない、と心のどこかが拒んでいるのかもしれなかった。
「お兄ちゃんは、きっと、その名前を思い出すために、今あの戦場にいるんだと思います」
不意に、リーファがそう呟いた。
彼女は、膝の上で両手を握りしめて、映像ウィンドウを見つめていた。
「ゆうべ帰ってきた時、お兄ちゃん、すごい怖い顔してた。多分、昨日の予選の時に気付いたんです。GGOに、《ラフィン・コフィン》に入っていた人がいること。そしてその人が、どうやってか、本当に人を殺しているかもしれないこと。……だからきっと、決着をつけに行ったんです。昔の名前を突き止めて、PKをやめさせるために」
リーファの推測は、正しいのだろう。
私たちの知るキリト君なら。あの人は、いつもそうだ。誰にも言わず、全部を一人で背負って、一人で終わらせようとする。それが彼の強さで——彼の、一番危ういところでもある。
私たちそれぞれが、キリト君の心中を思っていたところに、不意に、クリスハイトが呟いた。
「……なるほど。やはり、彼にも協力を依頼したのは、正解だったようだ」
「……彼?」
言葉の意味がわからず、つい聞き返す。
「ああ。万が一の可能性を考え、キリト君の他にもう一人、あるプレイヤーにキリト君の協力を依頼したんだ。プレイヤーネームは、確か……《アルバ》」
まるで、聞き覚えの無い名前だった。
だが、リーファだけは違ったようで、ハッとしたように話しだした。
「あ、それって……!昨日の予選で、お兄ちゃんに勝った人だ」
「それに、さっき映ってた人だよね。凄いスピードで走りながら、ビームみたいな銃で何人も倒してた、あの白い髪の」
リズが、そう補足する。
私が現実世界に戻って菊岡を呼び出している間に、そんなことがあったのか。
それに——キリト君が、負けた?
確かに、銃の世界なのだから、当然と言えば当然か、とも思う。でも、あのキリト君が負けたなんて、にわかには信じられない自分もいた。アインクラッドで、最強と呼ばれた黒の剣士。私が、誰よりも近くで見てきた、あの強さが。
クリスハイトが、ひとしきり話を聞いたあと、続けた。
「彼とは、リアルで知り合いでね。もしも……この事件が本当に殺人なのだとしたら、彼の協力が必要だと思って、キリト君と引き合わせた。彼以上の適任は、いないだろうからね」
「……何者なの?その人」
私の言葉に、クリスハイトは、笑みを浮かべて答えた。
「高校生だよ。少しばかり、特殊な経歴だがね。君たち《SAO生還者》と同様……。いや、それ以上かもしれない。血生臭さといった点ではね」
——血生臭さ。
その言葉に、私たちは一抹の不安を覚えた。それに気づいたのか、クリスハイトは慌てて首を振る。
「安心してくれ。信頼できる人物だよ」
「お兄ちゃんも、言ってました」
リーファが、補足するように続けた。
「今朝、予選のことを話してた時、その人のことを知っている風に話していたから、どんな人なのって聞いたんです。そしたらお兄ちゃん、笑いながら言ったんです。『とても、真っ直ぐな人だと思う』って。すごい信頼してるみたいでした」
——真っ直ぐな人。
キリト君が、出会って数日の相手を、そんな風に言うなんて。あの人は、人を見る目だけは、誰よりも確かだ。二年間、命がけの世界で、信じていい人間とそうでない人間を見分け続けてきた目だから。
その彼が、信頼している。
リーファの言葉に、私はモニターを見た。生存者のリストの中に、その名の文字を探す。すぐに、見つかった。《Alba》。
「彼とキリト君なら、きっとこの事件を解決してくれるはずだ」
クリスハイトの言葉に、私はもう一度、モニターを見た。
プレイヤー達が、次々とDEAD表示に変わっている。その中で、《Kirito》と《Alba》の文字は、まだALIVEのままだ。
私は、顔も知らないその人物に、祈りを捧げるように、体の正面で手を握った。
(お願い……。キリト君を、守って)
窓の外で、妖精の国の月が、静かに輝いていた。
◇
俺とアルバは、サテライトスキャンを待つために、洞窟の外に出ていた。
砂漠の夜は、冷えていた。昼間の熱を失った砂丘が、暗い波のように地平線まで続いている。風が、細かい砂を巻き上げては、足元に落としていく。
「もう、すっかり夜だな」
アルバが、空を見上げながら呟いた。
俺も、同じように空を見上げる。GGOの夜空には、現実よりも多くの星が瞬いていた。荒廃した世界の設定なのに、空だけは、皮肉なくらい綺麗だった。
「本当だ……。GGOはずっと黄昏なのかと思ってたけど、ちゃんと夜が来るんだな」
「一応、な。ま、現実世界はもう十時だからな。暗くて当然だな」
そんな会話をしていると、スキャンの時刻になった。
俺は端末を取り出し、パネルに触れる。全体マップが、淡い光とともに表示された。そのマップを見て、アルバが呟く。
「へぇ。周囲には敵がいねぇのか。都市廃墟に二人と、あとこれは……《闇風》か。流石にまだ生きてるか」
「本当だ。……あ、相打ちした」
都市廃墟の二つの光点が、ほぼ同時に、死亡を示す薄い光に変わった。
「だな。これで、残りは……」
プレイヤーの人数を数える、アルバの手が——止まった。
「……チッ。やっぱりか」
舌打ちが、夜の砂漠に落ちた。
「どうした?」
「……一人、足りない」
「え?」
「生存者、死亡者、そして、今スキャンに映っていないシノンと、光迷彩で姿を隠している《スティーブン》と《ソルダート》。合わせても……二十八人しかいない。《ペイルライダー》の分を差し引いても、一人足りない」
その言葉に、俺は自分でも数えてみた。
端末の光の中で、一つ一つ、名前を数える。指が、最後の光点をなぞって——止まった。
確かに、一人足りない。
「まさか……」
「そのまさか、だろうな。死銃にやられたんだろう」
「共犯者は、シノンの家から離れられないはずじゃ……」
「言ったろ。複数犯だって。共犯者が一人とは限らねぇんだよ。それでも、可能性は低いと考えてたが……」
苦い顔をするアルバ。
アルバは、半ばこの状況を予測していたようだった。予測していて、それでも外れてくれと願っていた——そんな顔だった。
俺の胸の中で、何かが冷たく固まっていく。
俺たちが洞窟で話をしていた間に、どこかの誰かが、一人。ゲームだと思って、大会だと思って、この夜を戦っていた誰かが。現実の部屋で、誰にも気づかれずに。
——止められなかった。
その事実の重さが、砂漠の冷気と一緒に、肩に降りてくる。
「……とりあえず、洞窟に戻ろう。シノンにも状況を伝えて、作戦を練らないと」
「……ああ」
◇
洞窟に戻ると、シノンが待ちかねたように聞いてきた。
「どうだった!?」
「残りは六人だ。俺達と、《闇風》、《ソルダート》、死銃。闇風は南西に六キロ。死銃とソルダートは、恐らくこの砂漠にいるだろう」
「……もう、終盤ね」
「それと……もしかしたらもう一人、死銃にやられたかもしれない」
アルバの言葉に、シノンが息を呑んだ。
「まさか……。だって、私を狙ってるんだから、私の家から離れられないはずじゃあ……」
「共犯者が、一人とは限らねぇんだよ。もう一人か二人いても、おかしくねぇ」
シノンは息を呑み、消え入りそうな声で呟いた。
「……こんな、恐ろしい犯罪に、三人以上も関わっているっていうの……?」
「元《ラフィン・コフィン》の生還者は、少なくとも十人以上いるんだ」
俺は、静かに答えた。
「全員、とまではいかないけど……何人かは関わっていても、おかしくない」
「……なんで、そこまでして……」
「壊れてんだろ」
アルバが、言った。
「人の命を奪い続けることが出来る人間ってのは、壊れてんだよ。倫理観やら、感情やらがな。だから、そういう奴らの事は、考えるだけ無駄だ」
皮肉めいた笑みを浮かべる彼は——まるで、自分自身のことを言っているかのようだった。
俺もシノンも、何も言えなかった。
彼の胸の内は、彼にしか分からない。さっき、自分の過去を明かしてくれたとはいえ、その言葉の一つ一つに、どれだけの重さが乗っているのか、俺たちには測りきれない。
それでも——シノンは、何か言いたげに、アルバをじっと見つめていた。
あんたは壊れてない。
そう言いたいのを、堪えているような目だった。言葉にすれば、きっと彼は軽く笑って流してしまう。だから、言葉ではない何かで伝えようとするみたいに、彼女はただ、まっすぐに彼を見ていた。
「さて、もう奴らは近づいてんだろ。どうするよ?」
そう仕切り直すアルバを、シノンは尚もジッと見つめた後——一度目を瞑り、力強く言った。
「闇風は、私が相手をする。いくら貴方達でも、瞬殺はできないだろうから。戦っているところを狙われたら、終わりよ」
その声には、さっきまでの震えはなかった。
洞窟に運び込まれた時の、あの蒼白な顔の少女と、同じ人物とは思えなかった。折れて、泣いて、それでも、立ち上がった。戦うと決めた顔だった。
「それが最善だろうな」
アルバが頷く。そして、続ける。
「ソルダート……あのクソ野郎は、俺の方に来るはずだ。アイツは、俺の足止めに徹するだろうから」
「……その人も、光迷彩を持ってるんでしょう?死銃と一緒にキリトを襲うってことは?」
シノンの質問は、尤もだった。それでも、アルバは首を振る。
「いや、ない」
「言い切れるの?」
「ああ。俺の足止めが、奴が受けた任務だからな。なら、それのみに徹する。そういうもんだよ、兵隊ってのは」
その言い切りには、六年分の重みがあった。兵士がどう動くかを、彼は知識ではなく、体で知っている。
アルバが、こちらを向いた。
「キリト、お前の戦いの邪魔はさせねぇようにする。何としても、勝つぞ」
「ああ、よろしく頼むよ」
俺は、頷いた。
——奴の凶行を、止める。それが、俺があの世界から持ち帰った責任だ。
夜の砂漠のどこかで、二つの殺意が、こちらへ近づいてきている。
◇
キリトがバギーで飛び出すのを見送り、俺もキリトとは逆方向へ出ようとした。
そこを、シノンに呼び止められた。
「アルバ、これ」
「あん?」
振り返ると、シノンが何かを差し出していた。受け取って、掌の上で確かめる。小型レイガンの、エネルギーパックだった。
「《ヴァナルガンド》、弾切れでしょ?使って」
「……お前、光学銃なんか持ってないよな?なんでこんなの持ってるんだ?」
俺の質問に、シノンは微笑みながら答える。
「お守りなのよ、それ」
「こんなもんが?」
「そ」
正直、意味が分からなかった。エネルギーパックがお守りって、なんだ。だが、それを語るシノンの横顔は、何か大切な記憶を撫でるみたいに、柔らかかった。何か、理由があるんだろう。ここで問い詰めるのも、野暮な気がした。
「……ま、ありがたく受け取るわ。つっても、これじゃ一発しか撃てねぇけどな」
ヴァナルガンドは、大型ブラスター用のエネルギーパックでようやく八発撃てるという代物だ。小型レイガン用のこれだと、恐らく一発でエネルギー切れだろう。
「一発あれば、あなたなら十分でしょ?」
「信頼が厚いね」
「だって、相棒だもの。信頼するのは当然、でしょ?」
「ま、そりゃそうか」
二人で、笑い合う。
これから死闘が待ち受けているというのに、穏やかな時間だった。洞窟のフィールドライトの淡い光の中で、この一瞬だけは、戦いも、死銃も、過去も、どこか遠くにあった。
——ふと、思う。
三ヶ月前、俺はこの世界で、ただ暴れていた。過去を薄めるために。空っぽの自分を誤魔化すために。
今は、違う。守るものがある。隣に立つ奴がいる。背中を預けられる奴がいる。
それが、どれだけのことか。
「さて、行くか」
「ええ。……勝ちましょう」
シノンが、拳を突き出してきた。
その小さな拳を、俺は一瞬だけ見て——それから、応えるように、自分の拳を合わせた。
コツ、と。仮想の装甲越しに、確かな感触が返ってくる。
「おう。勝つぞ、相棒」
そして、俺は振り返り、砂漠を駆けた。
夜の砂丘が、月光に薄く光っている。
俺達三人の、過去の因縁が絡み合った戦いが、始まる。
頑張って今月には完結させたい…