帰還者と狙撃手   作:きょうりゅう

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決着

 

アルバは、砂漠に立っていた。

月光に薄く照らされた砂丘の連なりの、そのただ中。遮蔽物は何もない。身を隠す岩も、廃墟もない。ただ、砂と、夜と、風だけがある場所。

キリトは南側に七百メートル離れた位置にて、死銃からの狙撃を待っている。シノンはそのさらに南の岩山で狙撃態勢に入っている。西から来るであろう《闇風》は、キリトをまず見つけるだろう。そして、射程に入った位置で止まる。その瞬間が、狙撃のただ一度のチャンスだろう。

 

(お前なら、分かってるよな)

 

心の中で相棒である狙撃手へと語りかけ、キリトの方を向く。

肉眼では豆粒ほどの黒い影。だが、その影の全神経が、周囲に張り詰めているのが、距離を越えて伝わってくる。

——瞬間。

剣士の体が、横に倒れた。

倒れながら、東側へと全速で走り出す。砂を蹴る足が、驚くほど速い。死銃からの狙撃を避けることに成功し、同時に射線から位置を割り出したのだろう。

そして、直後——微かに、ヘカートの銃声が夜気を裂いた。

キリトの西側で、アバターが吹き飛ぶのが見えた。宙を舞う細身のシルエット。《闇風》。前回大会準優勝の俊足が、たった一発で沈黙した。

シノンが、狙撃に成功した。

 

(……よく引いた)

 

胸の奥で、何かが熱くなった。あの震えていた指が、今、確かに引き金を引いた。闇風の急停止のその一瞬を、彼女は読み切って、撃った。それは紛れもなく、《氷の狙撃手》の仕事だった。

作戦の第一段階は、成功といったところだろう。後は、それぞれが、それぞれの役割を果たすのみだ。

 

「……つっても、メインの武器はこれしかねぇんだよな」

 

呟き、俺は腰に差した光剣——《オニマルK2》を手に取った。

元々、死銃を排除できて、かつキリトと相見える機会があれば、昨日の予選の再戦という形で剣での勝負をするつもりだったために持ってきていた物だ。コレの他には、残弾一発の《ヴァナルガンド》に、コンバットナイフのみ。とても歴戦の傭兵と戦える装備ではないが、どうにかするしかない。

そこで——ザッ、ザッと、砂を蹴る足音がした。

そちらを向くと、人影がこちらに向かって歩いてきていた。

隠れる気も、忍ぶ気もない、堂々とした歩み。俺と同じく、機能性のみを重視したような装備。《ソルダート》——リカルドだった。

 

「よう」

 

「……よう、クソ野郎」

 

「相変わらず、口が悪いな」

 

「あの場所に、お上品に喋るやつがいたか?」

 

「フッ、それはそうだ」

 

肩をすくめながら言うリカルド。そして、周囲を見回して言う。

 

「砂漠の真ん中に立つのは合理的だな。姿を隠した所で、これなら接近を感知できる」

 

「……正直、ノコノコ歩いてくるとは思わなかったけどな。狙撃でもしてくるかと思ったが」

 

「なに、昔の仲間と話し足りないと思ってね」

 

リカルドは、十メートルほどの距離で足を止めた。互いの間合いの、ぎりぎり外側。絶妙な距離感を体で知っている。

 

「あの戦場を、よく生き残ったな?最後の政府軍の攻勢で死んだものと思ったが」

 

「ああ。どっかの誰かが情報を流したせいで、死にかけたよ」

 

「ほう、知ってたのか。俺が情報を売ったこと」

 

リカルドの声には、悪びれる響きが、欠片もなかった。

 

「……どちらにせよ、反政府軍は負けていた。それを、少しばかり早めただけだ」

 

「……ああ、だろうな」

 

俺は、静かに答えた。

その通りだ。あの組織は、どのみち負けていた。物資は尽きかけ、兵は消耗し、指揮系統は腐っていた。リカルドの裏切りがなくても、遅かれ早かれ、あの結末は来ていた。

頭では、分かっている。

 

「だが——」

 

それでも、俺の声は、低くなった。

 

「あの日の攻勢で、ルカは死んだ」

 

リカルドの眉が、わずかに動いた。

 

「……ルカ。ああ、あのお喋りなガキか。お前とつるんでた」

 

「テメェが売った情報の分だけ、あの日の攻撃は正確だった。そしてあいつは、死んだ」

 

「そうか」

 

リカルドの返事は、それだけだった。

謝罪もない。言い訳もない。感慨すらない。戦場で人が死ぬのは天気の話と同じ——この男は、昔からそうだった。そして、俺もそれは同じだった。人の死は、常にそこにあるもの。そうだったはずだった。

 

「怒っているのか?キョウ」

 

「……さあな」

 

「戦場に、恨みを持ち込む奴は死ぬ。お前に、そう教えたのは俺だがな」

 

「ああ、よく覚えてるよ。テメェの教えは、全部な」

 

俺は、光剣の柄を握り直した。

 

「だから、これは恨みじゃねぇ。ケジメだ」

 

「ほう」

 

リカルドの口の端が、面白がるように、上がった

その時、南の方角で、鋭い音が響いた。

視線だけを動かすと——闇の中に、紫色の光跡が、幾筋も走っていた。キリトの《カゲミツG4》。それを迎え撃つように、細く鋭い銀色の閃きが交錯する。死銃の刺突剣。

始まっている。キリトと、死銃の戦いが。

リカルドが、そちらを見た。フードの下の目が、細められる。

 

「……始まったか」

 

その声には、隠しきれない興味が、滲んでいた。

 

「面白いものだな。《SAO生還者》というのは。二年間、命懸けの仮想世界を生き延びた人間。奴らのVR適性は、常人とは桁が違う。反射、判断、仮想の肉体の練度——軍用シミュレータで一年鍛えた兵士より、遥かに上だ」

 

「……テメェが死銃に近づいた理由は、それか」

 

「察しがいいな」

 

リカルドは、視線を戦いに向けたまま、答えた。

 

「殺人鬼の趣味に付き合う気はない。だが、《SAO生還者》同士が本気で殺し合う様は、データとして極上だ。ゲームの大会などより、よほどな」

 

七百メートル先で、紫と銀の光が、目まぐるしく交錯している。あの死銃も、SAOの生還者。そしてキリトも。二年間の死の世界が磨き上げた者同士の、殺し合い。

それを、この男は——観察している。標本でも見るように。

胸糞の悪さを飲み込んで、俺はもう一つの問いを投げた。

 

「なあ、リカルド。菊岡誠二郎——この名を、知ってるだろ?」

 

「……知らないな」

 

即答だった。

——速すぎる。

こいつは、知っている。

VRの軍事転用のデータ取り。それが表の理由なら、裏には別の何かがある。この男が、わざわざ日本まで来て追っている何かが。

 

「……そうかよ」

 

俺は、それ以上追わなかった。追っても、この男は吐かない。それも、よく知っている。

リカルドが、南の戦いから視線を戻した。

そして——肩にかけたアサルトライフルを、外した。

 

「あ?」

 

「あの少年との予選を見たぞ」

 

リカルドは、ライフルを無造作に砂の上へ放り捨てた。ハンドガンも。グレネードも。一つ、また一つと、装備が砂に沈んでいく。

 

「ただ殺し合うだけじゃ、つまらない。俺達も、彼らに習おうじゃないか」

 

最後に、リカルドの手に残ったのは——光剣の柄だった。

ヴン、と低い駆動音とともに、赤いエネルギーの刃が、夜に伸びた。

 

「……正気か?テメェ、剣なんて専門外だろ」

 

「お前もだろう。ナイフ使いのくせに、昨日は随分と楽しそうに振っていたじゃないか」

 

赤い刃が、月光と混ざって、リカルドの顔を下から照らす。

 

「それにな、キョウ。俺は昔から、お前の戦いが見たかった。全力の、殺す気のお前のな。あの戦場では、ついぞ機会がなかった」

 

「……そうかよ」

 

俺は、《オニマルK2》を起動した。

白い刃が、伸びる。

赤と、白。二つの光が、夜の砂漠に、向かい合った

——次の瞬間、砂が爆ぜた。

 

 

 

 

 

 

初撃は、互いの刃の、真正面からの激突だった。

白と赤のエネルギーが噛み合い、バチッと火花のような光が散る。柄を通して、腕に重い衝撃。膂力はほぼ互角——いや、向こうがわずかに上。

俺は押し合わず、刃を滑らせて受け流した。そのまま、体を沈めて足元を薙ぐ。リカルドは跳んで躱し、着地と同時に袈裟に振り下ろしてくる。横に転がって回避。砂が頬を叩く。転がりながら、砂を一掴み、リカルドの顔へ投げつけた。

 

「フッ——」

 

リカルドは、避けもせず、目を閉じただけで、俺の位置へ正確に突きを放ってきた。

 

(——見なくても分かる、ってか)

 

音と気配で戦う技術。俺も持っている。こいつに、教わったものの一つだ。

突きを紙一重で躱し、懐へ。剣の間合いの内側は、ナイフ使いの領分だ。肘を打ち込む。入った。だがリカルドは仰け反りながら膝を返してくる。腹に、重い一撃。息が詰まる。互いに、後ろへ跳んで、距離が開いた。

 

「いいぞ、キョウ。やはり、お前の体術は美しい」

 

「ハッ、気色わりぃこと言ってんじゃねぇよ」

 

呼吸を整えながら、俺は思考を回した。

——単純な剣の技術だけなら、こいつも俺も、大して変わらない。何でも扱える様に訓練は受けてきたが、それだけを学んだ者には敵わない。ただ軍隊格闘とナイフ術の延長で振っているに過ぎない。膂力、反応、経験。全部が、ほぼ互角。このまま打ち合えば、消耗戦。そして消耗戦になれば、体格で勝るこいつが、わずかに有利。

なら——素人の剣で、やらなければいい。

俺の瞼の裏に、昨日の光景が蘇る。

夕日のハイウェイ。紫の刃。英雄の剣。

体幹のブレがない。腕の振りに無駄がない。足の運びと剣の軌道が、寸分違わず連動する。あの、二年間毎日剣を振り続けた人間の、本物の剣。

俺は、あれを——誰よりも間近で、全身で浴びている。

刃を交え、受け、躱し、体で覚えた。あの重心の運び方を。あの、剣を体の延長にする感覚を。

 

(悪いな、キリト。ちょっと借りるぜ、お前の剣)

 

俺は、構えを変えた。

腰を落とし、刃を体の中心線に。ナイフ使いの構えでも、兵士の構えでもない。——剣士の、構え。

リカルドの目が、わずかに眇められた。

 

「……ほう?」

 

「二本目だ。行くぜ」

 

今度は、俺から仕掛けた。

踏み込みの一歩を、キリトの運びで。砂を蹴るのではなく、砂に乗る。体重を、剣の軌道に、全部乗せる。

白い刃が、走った。

リカルドが受ける。受けた瞬間、こいつの顔から、余裕が一枚、剥がれた。さっきまでの俺の斬撃と、重さが違う。軌道の読みやすさが、違う。

 

「——ッ」

 

二撃、三撃。俺は止まらない。斬り上げ、返し、突き。キリトの剣筋を、俺の体術で繋ぐ。剣と剣の合間に、肘が、膝が、割り込む。純粋な剣士の剣でもない。純粋な兵士の体術でもない。その両方を混ぜた、いま生まれたばかりの、俺だけの戦い方。

リカルドが、初めて下がった。

 

「素晴らしい……!一晩で、他人の技を盗むか!」

 

白い刃が、赤い刃を、上から叩き伏せる。

 

「命懸けで打ち合ったんだ。忘れるかよ、一合たりとも」

 

リカルドの体勢が、崩れた。

こいつは強い。傭兵として、兵士として、超一流だ。だが——こいつの剣は、今夜が初めてだ。俺の剣には、昨日、《黒の剣士》と魂で打ち合った二十二分がある。

その差が、今、開いた。

リカルドが強引に突きを放つ。読めていた。半身で外し、その腕の上を、俺の刃が滑る。赤い刃を握る右腕が、肘から先——宙を舞った。

 

「……見事」

 

赤い刃が、砂に落ちて、消えた。

俺は、白い刃をリカルドの首筋に添えた。

夜風が、砂を運んでいく。七百メートル南では、まだ紫と銀の光が交錯している。だが、ここの戦いは——終わった。

リカルドは、抵抗しなかった。膝をつくこともせず、立ったまま、俺の目を見ていた。

その目に、悔しさはなかった。むしろ、満足そうですらあった。

 

「……なあ、キョウ。最後に一つ、いいことを教えてやろう」

 

「命乞いなら聞かねぇぞ」

 

「まさか」

 

リカルドは、笑った。そして、俺にだけ聞こえる声で、囁いた。

 

「——《A.L.I.C.E.》」

 

「あ?」

 

「あの男は、食えないぞ?気をつけることだな」

 

あの男。菊岡か。

 

Ci vediamo, Kyo. Incontriamoci ancora.(じゃあな、キョウ。また会おう)

 

Non voglio mai più passare attraverso una cosa del genere.(二度とゴメンだね)

 

俺は、刃を振り抜いた。

白い光が、夜を、横一文字に裂いた。

リカルドの首が跳ぶ。アバターが、DEAD表記となり、砂に倒れた。

 

「……」

 

一瞬だけ、俺はその場に立ち尽くした。

あの戦場で俺に戦い方を教え、ルカの死のきっかけを作り、全てを壊した男。その男との決着。だが、胸に去来したのは、達成感でも、解放感でもなかった。

《A.L.I.C.E.》。

意味はわからない。まったくの謎めいたその言葉を今は思考の端においた。

決着の感慨を一秒で捨て、俺は南を向いた。

 

 

 

 

 

 

キリトが——押されていた。

七百メートルを全力で詰めながら、俺は戦況を読んだ。

紫の刃の動きが、鈍っている。対する死銃の刺突剣は、細く、鋭く、正確に、キリトのHPを削り続けている。あの灰色のマントの男は、強い。SAOの殺人鬼。人を殺した剣と、人を守ってきた剣。同じ世界で磨かれた二つの剣の、質の違いが、じわじわとキリトを追い詰めていた。

走りながら、俺は腰の《ヴァナルガンド》を抜いた。

残弾——一発。シノンがくれた、お守りの一発。

距離、四百。ヴァナルガンドの有効射程、ぎりぎり。だが、この乱戦に横から撃ち込めば、キリトに当たりかねない。

撃つべき一瞬を、待つしかない。

その時——岩山の方角から、赤い線が伸びた。

シノンだ。弾道予測線。予測線のみの攻撃。

だが、それだけで十分だった。そこに狙われているという事実がある以上反応せざるを得ない。

シノンの決死の攻撃は死銃の体勢を崩した。マントが翻り、輪郭が——揺らぎ始める。光迷彩。姿を消して、仕切り直す気だ。

消える。まずい。

——瞬間、キリトが動いた。

左手のハンドガンを連射する。半透明になりかけた死銃の胴体に、確かな着弾のエフェクト。

迷彩が、弾けた。

被弾の衝撃で光学系が乱れたのか、死銃の姿が、夜の中に、再び像を結ぶ。

だが——死銃は、怯まない。

姿を晒すことと引き換えに、一気に距離を潰していた。右手の刺突剣が、大きく引き絞られる。キリトの左手は撃ち終わり、右手の剣は防御の外。がら空きの胴へ、必殺の突きが迫る。

その瞬間、俺は引き金を引いた。

《ヴァナルガンド》が、咆えた。

白い稲妻が、四百メートルの夜を、一直線に貫いた。

その閃光は、キリトの喉元、貫かれる寸前——刺突剣の刀身を、真芯で捉えた。

甲高い音とともに、銀色の刃が、真っ二つに折れ飛んだ。

死銃の体が、初めて、硬直した。

折れた剣。空いた懐。その一瞬の静止を——《黒の剣士》が、見逃すはずがなかった。

 

「おおおおおっ——!」

 

紫色の閃光が、月を背に、弧を描いた。

袈裟懸けの一閃が、灰色のマントを、深々と切り裂いた。

死銃の巨躯が、ぐらりと傾ぎ——砂の上に、崩れ落ちた。HPバーが、音もなく削れていき、そして。

赤い残量が、ゼロを刻んだ。

DEAD——の表示が、ボロマントの上に灯った。

 

 

 

 

 

 

夜の砂漠に、静寂が戻った。

風の音だけが、砂丘を渡っていく。

俺は、空になったヴァナルガンドを下ろし、ゆっくりと立ち上がった。南の岩山の稜線に、小さな影が立ち上がるのが見えた。ヘカートを抱えたシノンだ。

キリトが、肩で息をしながら、こちらを振り向いた。

満身創痍のアバター。削れきる寸前のHP。それでも、その顔には、確かに——決着をつけた者の顔があった。

キリトは、俺と、岩山のシノンとを、順に見た。

それから、夜空を仰いで呟いた。

 

「……最高のコンビだよ、君達は」

 

その声は、風に乗って、静かな砂漠に溶けていった。

 




アルバとリカルドの戦いは、スターウォーズのような戦闘をイメージしてくだされば…。
死銃殿には強くなって貰って最後の反撃に出てもらいました。
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