「あー……疲れた」
「終わった、わね」
「二人とも、助かったよ。ありがとう」
夜の砂漠に、三人が集まっていた。
風はもう、殺気を運んでこない。月光の下、砂丘はただ静かに波打っているだけだ。ほんの十数分前まで、ここが命懸けの戦場だったことが、嘘みたいだった。
「一応、お前の護衛って名目だしな。任務完了ってわけだ」
「最高の護衛だったよ」
そう言って笑うキリト。満身創痍のアバターで、髪はボサボサ、全身赤いダメージエフェクトに包まれている。それでも笑うと、マジでこうしてみると美少女にしか見えない。中身を知っていても、だ。恐ろしい世界である。
「ひとまず、これでこの大会における危機は去ったはずだ。シノンを狙う共犯者も、何もできない筈だしな」
キリトが言う。
あの拳銃で撃たれない限り、現実では手を出せない。それが奴らのルールだ。その拳銃の持ち主は、もういない。
「ま、一応警察に連絡した方がいいと思うぜ。あのメガネに頼めよ、キリト。どうせコネあんだろ」
「ああ、そうするか」
「あのメガネって、貴方達の依頼主って人?」
「そう。胡散臭いメガネだ」
言いながら、俺の頭の隅では、別の思考が回っていた。
——菊岡誠二郎。
アイツには、聞きたいことがある。直接的にリカルドと菊岡に関係はないだろうが、奴が日本に来て何を調査していたのか。その何かに菊岡が絡んでいることは、恐らく間違いではないだろう。
「アルバ? どうしたの?」
シノンの声に、思考を打ち切った。
「いや、何でもねぇよ。とりあえず、俺もログアウトしたらすぐお前の家まで行くわ。……つっても、自分の部屋に帰るのと変わんねぇけど」
「隣、だものね」
「へぇ、二人は家も隣なのか」
「まあな。……そういや、キリトには伝えとかないとな。いいか?シノン」
「ええ、構わないわ」
シノンは、少しだけ姿勢を正して、名乗った。
「私の名前は、朝田詩乃」
「俺と朝田の住所は、文京区湯島の——ってアパートの、201と202だ」
現実の名前と、現実の住所。この仮想世界ではそれを名乗る事はマナー違反に当たる。それを渡すということは、命を預けるということだ。この一晩を共に戦った男になら、それをして構わないと、俺もシノンも判断していた。
「……驚いたな。俺は御茶ノ水からダイブしてるんだ。すぐそこだ」
「ちっか。すげぇ偶然だな」
「ああ。…俺は桐ヶ谷和人。家は埼玉県川越市だ」
「キリガヤカズト…。それで、キリトって訳ね」
「ああ、安直だろ?」
そう言い笑うキリト。
「お前も人のこと言えねぇぞシノン」
「う・る・さ・い」
「はい、スイマセン」
「…アルバは?どういう意味があるんだ?」
俺の名前の由来を聞いてくるキリト。
「まぁ、俺も単純なんだけどな。皆月暁。下の名前はあかつきって字を書く。暁ってのは用は夜明けだ。で、イタリア語で夜明けは《Alba》。…あれ?俺が一番ヤバくね?本名そのまんまじゃん」
「ほら、人の事言えないじゃない!」
「いやいや、捻ってる分お前らよりはマシだ!そのはずだ!」
言い合う俺達を見ていたキリトが仕切り直すように、話し始める。
「さて……大会にも決着をつけないとな。どうする?」
「どうする、つってもなぁ。もうあんまやる気ねぇよ、俺。俺とキリトが自殺してシノンの優勝でいいんじゃね?」
そう言いながらナイフを抜く。
「そんなので優勝しても嬉しくないわよ。自慢にもならない」
顔をしかめるシノン。
「いやいや、見ろよキリトのボロボロさ。もう多分HP1ドットしかねぇレベルだぞ?ナイフで小突いたら死ぬんじゃね?」
言いながら、ナイフを適当にブンブン振る。もちろん当てるつもりは無かった。
だが——予想外に疲れていたのか、汗の感覚まで再現するこの世界の仕様のせいか、手からナイフが、スッポ抜け——。
夜空に、くるくると回転する銀色の軌跡。
三人の視線が、それを追う。
サクッ。
キリトの右腕に、突き刺さった。
「あ」
「……ぐふっ」
本当に1ドットしか残っていなかったようだ。
そのままキリトは、糸の切れた人形みたいに地面に倒れ伏し、アバターの上にはDEAD表記が、無情に灯った。
「……」
「……」
シノンと、顔を見合わせる。
気まずい沈黙。夜風が、砂を運ぶ音だけがする。
やがて、シノンが言った。
「……ナイスキル」
「いや、わざとじゃねえからな!?キリトー!!すまねぇー!!」
「あはははは!」
キリトの死体に向かって全力で謝る俺と、それを見て腹を抱えて笑うシノン。
死銃だの殺人だの、あれだけ重いものを潜り抜けてきた夜の終わりが、これだ。でも——だからこそ、笑えるこの空気が、たまらなく貴重だった。シノンの笑い声が、砂漠の夜に、綺麗に響いていた。
「はー……。さて。もうそろそろ、終わらせましょう?」
「後で謝っとこ……。で、結局どうするんだ?」
「アルバ、手出して」
「ん」
深く考えず、俺は手を差し出した。
「前に言ったでしょ?第一回BoBでは、二人同時優勝だったって」
「ああ……確か、お土産グレネードに引っ掛かっ……て……」
言いながら、掌に乗せられた物体に視線を落とす。
丸い。金属質。表面に、起動を示すランプが——点滅している。
「て、おい、まさか」
「そのまさか」
ニコッと笑いながら、シノンが手渡してきたのは、プラズマグレネード。もう起爆寸前だ。
「うおっ!?」
反射で手を離そうとした俺に——シノンが、俺の背中に手を回して、抱き着いてきた。
「逃がさないわよ?」
腕の中で、シノンが顔を上げる。月光の下の、満面の笑み。
「初デス、もーらった♪」
その笑顔に、俺は抵抗をする気が失せた。
「……ほんと、敵わねぇな」
静かに笑いながら、俺は抵抗をやめた。
腕の中の温度と、起爆音と。
強烈な光に、二人まとめて、飲まれた。
第三回バレット・オブ・バレッツ。
【Alba】&【Sinon】——同時優勝。
◇
目を開けると、アミュスフィア越しに、白い天井が目に入った。
見慣れたようで見慣れていない、立川のマンションのリビングの天井。ソファの背もたれ。カーテンの隙間から入る、街の灯り。仮想の砂漠から、現実の東上野へ。数秒かけて、意識の重心が、こちらの体に戻ってくる。
アミュスフィアを頭から外し、起き上がると、声をかけられた。
「よう、お疲れ。大変だったみたいだな?」
立川が、二人分のマグカップを手に笑っていた。
観戦していたのだろう。テーブルの上のノートPCには、大会の中継画面と、モニタリングソフトが並んでいる。この男は、五時間近くずっとここで俺の体と戦況を見守っていたのだ。
「ああ、クソ程な」
「結局、どうなった?」
差し出されたぬるめのコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がる。ダイブ明けの体は重い。だが、休んでいる場合じゃなかった。
「あんま時間ねぇから、手短に説明するわ」
「ほう?」
汗をかいていた服を着替えながら、手早く準備をする。並行して、立川にかいつまんで、先程までのいきさつを説明した。死銃の正体がSAOの殺人ギルドの生き残りだったこと。トリックが複数犯による現実側の殺人だったこと。シノンが狙われていたこと。リカルドが現れたこと。そして、三人で死銃を倒したこと。
準備の完了と、説明の完了は、ほぼ同時だった。
「……って訳だ。SAOの亡霊は、英雄に無事退治されたとさ」
「ふーむ……。やはり、現実で殺してたか……」
「俺等の予想は、あながち間違っちゃいなかった訳だ」
立川は、腕を組んで頷いた。それから、少し声を落として聞いてきた。
「……その、お前の昔の仲間の傭兵は?結局、何が目的だったんだ?」
「正直わからん。でも、菊岡の名前に反応してたから、あの官僚様には関連してんだろ。あのメガネ、胡散臭いしな」
「……一応、警告はしておくか」
「頼むわ。……さて、行くか。バイク貸してくれよ、立川」
「ハーレーには乗るなよ?Z250にしろ」
「アメリカじゃハーレー乗ってたのになぁ」
「十八歳になるまで我慢しろ」
キーを放って寄越しながら、立川はテーブルのタブレットに目を落とした。大会の名簿でも眺めているのだろう。俺がジャケットを羽織ったところで、立川が、ふと呟いた。
「……しかしまぁ、死銃とやらも、安直な名前だな」
「あ? 《スティーブン》がか?」
キョトンとする立川。数秒、俺の顔を見て——それから、合点がいったように言った。
「そうか、お前、ドイツ語はあんまりだったな」
「……ドイツ語?」
「ああ。これは《スティーブン》じゃない。ドイツ語の《ステルベン》。主に医療用語で使われるが……意味は、《死》だ」
「医療、用語……?」
——その瞬間。
頭の中で、何かが急速に回り出した。
医療用語。医療。病院。
薬品——立川と推理した、密室の死因。心不全を装える、何らかの薬品。素人が簡単に手に入るものじゃない。だが、病院関係者なら。
マスターキー——古いアパートの鍵を開けた手段。緊急時に開けるため、大きな病院ならマスターキーはあるはずだ。
そして——ある一人の人物の顔が、浮かんだ。
あの、気弱そうな少年の顔が。
病院の、息子。今日の夕方、俺を待っていたかのように立っていた。俺がどこからダイブするかを、聞きたがった。そして、あの呟き。
——残念だな。
何が、残念だった?俺も、ターゲットの一人だった?
そして、《黒星》。
死銃が選んだあの拳銃。よりにもよって、朝田詩乃の過去の事件と同じ銃。俺はあれを、悪趣味な偶然だと思っていた。
数ある銃の中で、何故あれを選んだ?もし…もしも、朝田詩乃の過去の事件の詳細を、使われた銃まで知っている人間が、その銃を選んだとしたら?朝田詩乃の傍にいて、彼女に執着している人間。
死銃は、複数犯。
ゲーム内の撃ち手——ステルベン。SAOの亡霊。
そして、現実の殺し手は——。
「ヤベェ!」
体が、跳ねるように走り出していた。
「おい、暁!?」
立川の制止の声も聞かず、俺は玄関を蹴破るように飛び出し、階段を駆け下りていた。エレベーターなんて待っていられない。十四階分の段差が、飛ぶように後ろへ流れていく。
——朝田の部屋の近くには、共犯者がいる。俺たちは、そう推理した。
あの拳銃で撃たれない限り、殺されることはない。俺は、そうシノンに言った。それが、奴らのルールだからと。
だが——もし、共犯者が、ルールなんかより、ずっと熱くてずっと歪んだ何かで動いていたら?
死銃が敗れた今、その何かが、箍を外したら?
朝田は今、たった一人で、自分の部屋で目を覚ます。優勝の余韻のまま、無防備に。
(間に合え……!!)
一階に飛び降りて、駐車場へ。Z250に跨がり、エンジンを叩き起こす。
夜の街の空気を、ヘッドライトが切り裂いた。
「今日は走ってばっかりだなぁ!」
叫びながら、俺はアクセルを限界まで開けた。