妖精の国
十二月十九日、金曜日。
《アルヴヘイム・オンライン》——シルフ領、首都スイルベーン。初期リスポーン地点。
視界が開けた瞬間、まず飛び込んできたのは——緑、だった。
翡翠色の、半透明な塔。ガラス細工のような建物が夕暮れの光を透かして、街全体が淡く発光している。石畳の通りを、背中に羽根を生やした住人たちが行き交い、頭上を、誰かが笑い声を上げながら飛んでいった。
風の匂いがした。草と、水と、遠くの花の匂い。
「へぇ……。本当に、ファンタジーな世界だな」
思わず声が漏れた。
GGOの世界は、荒野と廃墟と鉄の匂いで出来ていた。あれはあれで、俺には馴染み深い世界だった。だが、ここは違う。徹頭徹尾、遊ぶために作られた世界。争いの気配より先に、楽しむ気配の方が満ちている。
(……こういう世界も、あるんだな)
近くにガラス張りの店があったので、そちらまで歩く。鏡代わりに、映る自分の姿を確認すると。
「……なんか、GGOと変わらねぇな。髪も白いし、瞳も銀だし」
ガンゲイル・オンラインの《アルバ》と、ほぼ変わらぬ容姿がそこにあった。シルフの髪色は緑っぽくなる、というのはどこに行ったのか。ランダム生成に押し付けられたはずのこの色も、いつの間にか、"もう一人の俺"の顔として馴染んでしまっている。
まあ、混乱しなくていいか——と思っていると。
「あのー……。アルバさん、ですか?」
声をかけられたので振り向くと、緑がかった金髪をポニーテールにした少女が、少し緊張した面持ちで立っていた。
「ああ。そうだ」
「よかったー。私です!直葉です!こっちでは、リーファっていいます」
つい昨日、現実世界で知り合ったばかりの少女……桐ヶ谷直葉。そのキャラクターであるリーファが、ほっと胸を撫で下ろした。昨日握手した時、その手には竹刀の剣士の節があった。兄は仮想の剣士で、妹は現実の剣士か、と妙に感心したのを覚えている。
「アルバだ。無事に会えてよかった。わざわざ迎えに来てくれたのか?」
「はい!その、シノンさんが、絶対ウロウロするから先に捕まえたほうがいいって言ってたので、迎えに来ました!」
「……あのやろ……」
事実、少し街中を見て回るか、と思っていたところだった。図星なのが、余計に腹立つ。
「とりあえず、イグドラシルシティにあるリズさんのお店まで行きましょう!皆待ってるはずですから」
「オーケー。転移手段はあるのか?このゲーム」
「向こうに転移門がありますよ!」
そう言って歩き出すリーファの後ろを、ついていく。
——なぜ、このALOにログインしているのか。それは、昨日に遡る。
◇
「ALO?」
「ああ。二人もどうかなって思ってさ」
木曜日の放課後。『Closed』の札の下がったダイシー・カフェにて、俺と詩乃は和人達と会っていた。常連貸切の店内には、エギルの淹れたコーヒーの香りが満ちている。
詩乃と明日奈はあの後も連絡を取り合っていて、仲間達に紹介したいからと、今日ここに集まったのだった。和人の妹の桐ヶ谷直葉、そしてSAO時代からの仲間だという綾野珪子を紹介された。もう一人、壷井遼太郎、クラインという人物がいるらしいが、社会人らしく忙しいようなので、今日この場にはいなかった。また一緒にクエストにでも行く機会があるだろうからそこで紹介するとのこと。自己紹介を終えて、しばらく歓談していたところで——和人から、冒頭の提案があった。彼らがメインで遊んでいる《アルヴヘイム・オンライン》を、俺と詩乃もどうか、というものだ。
「詩乃のんも皆月君も、一緒に遊べたらとっても嬉しいな!」
明日奈が言う。詩乃のんって、詩乃のことか。そこまで仲良くなったのか、と隣に座る詩乃の方を見ると、なんか、むず痒そうな顔をしている。あんまり人と関わってこなかったヤツだから、渾名で呼ばれることに慣れていないのだろう。
「どうする?詩乃のん」
からかうようにそう呼ぶと、ジロッと睨まれ、横腹を肘で突かれた。
「づあっ」
「からかわないで。……暁は、どうするの?」
横腹をさすりながら、答える。
「詩乃がやるんなら、やる」
即答だった。理由なんて、それで十分だ。
「そ。私も他のタイトルも経験してみたいし、やってみようかな」
二人で頷き合って決定し、和人達の方を向くと——
なんか、ニヤニヤしてる。
「……なんだよ、お前ら?」
「いや〜?つい二日前まで、『皆月』『朝田』、って呼んでたのになぁって思ってさ」
「あ……」
詩乃が、顔を赤らめた。
「いやいや、遅かれ早かれそうなるだろうな〜とは思ってたけどさ」
「二人とも、仲良しさんだもんね」
なんか、里香と明日奈に生暖かい目で見られてる。恥ずい。まあ——隠すつもりも、ないが。
「あー、うん。ま、そういうことなんで」
「ああ、お幸せに。……シノンも、念願叶って良かったな?」
和人の一言に、詩乃の顔が一層赤くなり——机の下から、キリトの脛が蹴られた。
「いってぇ!」
「余計なこと言わないで!」
「あんた、本当にデリカシーないわねぇ?」
里香が呆れた目で和人を見る。その会話を聞いた俺は、詩乃にからかうように聞いた。
「……へぇ?そんなに念願だったのか?」
「……!知らない!」
そっぽを向く詩乃。その動作を、つい可愛いと思ってしまう。あんまりからかうと逆襲が怖いので、気を取り直して、正面の和人に言った。
「ま、俺も詩乃も世話になるわ。レクチャー頼むぜ」
「ああ。GGOでは二人に助けられたからな。任せてくれ。……じゃあ、今日ソフトを買いに行くのか?」
「ああ。ま、明日二人揃ってログインするわ」
「オーケー」
——放課後に、喫茶店で、友達とゲームの約束をする。
十歳で止まった俺の時間には、丸ごと抜け落ちていた種類の時間だった。
その後、詩乃と共にソフトを買いに行き、種族やシステムを調べ、和人達にも聞きながら決定した。俺は敏捷値に補正のあるシルフ。詩乃はALOの種族一の視力を持つケットシー。狙撃手らしい選択だと笑ったら、あんたも大概速さ極振りでしょ、と返された。
そして、約束の時間にログインし——現在に至る、というわけだ。
◇
「リーファは、このゲーム長いのか?」
転移門を抜け、世界樹の枝上の都市——イグドラシルシティを歩きながら聞く。
「はい!殆どサービス開始と同時に始めたので、古参ですよ!」
「へぇ。なら、色々と教えてくれな。右も左も分かんねぇから」
「もちろんです!……あ、見えてきました!あそこです」
リーファが指をさす先には、【リズベット武具店】という看板の店があった。
「こんばんはー!アルバさんを連れてきました!」
リーファに続いて中に入ると、壁一面に剣や槍、杖の並ぶ店内に、つい感嘆の声が出た。
「おお……。すげぇな」
「よう、アルバ。無事にログインできたみたいで良かったよ」
振り向くと、全身黒ずくめの、どこか雰囲気に覚えのある少年。
「キリトか?」
「ああ。……なんだか、アルバはあんまりGGOと変わらないな」
「ほんとにな。ま、混乱しなくていいだろ?……お前はこっちだと、ちゃんと男っぽい見た目なんだな」
「GGOのアレはイレギュラーだよ」
そんな会話をしていると、くいくい、と袖を引かれた。
そちらを向くと——見覚えのある、空色の髪の少女。
「アルバ」
「シノンか」
「そ。……あなた、GGOとあんまり変わらないのね?」
「まあな。そっちは……」
まじまじと、こちらでのシノンの姿を見る。基本はGGOに限りなく近い。空色の髪、同じ色の瞳。だが——決定的な違いが、頭の上で、ぴこ、と動いた。
猫耳。そして、臀部から伸びて、ゆらりと揺れる尻尾。
「ほんとに猫耳と尻尾、ついてんだな」
「ええ。現実に無いものがついてるから、妙な感じがするわ」
「へぇー……」
改めて、その山猫を思わせる美貌を見る。妙に、目が離せない。普段見慣れない姿だからか。それとも——俺自身が、こいつへの気持ちを自覚しちまったからか。
「なによ?」
「いや……可愛いな、と思いまして」
「……!」
言ってから、気づいた。自覚した途端、口まで正直になりやがった。照れからか、つい敬語になる。シノンの顔が一気に赤くなり、耳が、ぺたんと伏せられた。……その動きも、正直破壊力がある。
「……ありがと」
「……おう」
少し甘くなった二人の空気を、咳払いが破った。
「んんっ。お二人さん、そろそろいいかな?この世界の事を色々説明しようと思うんだけど」
「あ、ああ。すまん」
「ご、ごめんなさい」
二人して同じように謝り、皆に向き直る。向けられる生暖かい視線が、とてつもなく、恥ずかしかった。
◇
「おー。ほんとに空飛んでるよ、俺」
「こんな体験が出来るなら、このゲームが人気な理由も分かるわね」
夜のアルヴヘイムの空を、俺とシノンは並んで飛んでいた。
説明を受けた後、この世界特有の要素——飛行、それも随意飛行を試すことになった。最初は誰でも苦労するらしい。キリトでさえ、慣れるまで時間がかかったとか。だが、コツを聞いて飛んでみたところ、二人とも、一発で成功した。旋回、加速、ホバリング。少しのぎこちなさはあれど、一通りはもう体に入った。
風が、頬を撫でていく。眼下に、光の粒みたいな街。
(……空、か)
ずっと、空は見上げるものだった。警戒する方角だった。砲声とローターの音がする、遠い場所だった。地を這って生きる人間にとって、空はずっと、他人のものだった。
その空を今、俺は——笑いながら、飛んでいる。
隣を飛ぶシノンの空色の髪が、風に流れる。その横顔は、いつもと同じ顔で笑っていた。
——悪くない。仮想世界ってのは、本当に、悪くない。
二人で地上に降りる。
「面白いな」
「そうね」
「すごいな、二人とも……。そんなあっさりマスターするとは……」
「リーファの教え方が分かりやすい」
「ほんと、コツが掴みやすかったわ。ありがと」
「いえいえ。お二人とも、すごいセンスですよ」
「なんていうか……流石に他ゲーのトッププレイヤーなだけあるわよね」
「そうですね……」
リズベットとシリカが、半ば呆れたように言う。キリトが、そういえば、と聞いてきた。
「結局、二人は武器はどうするんだ?この世界に銃はないけど……」
「私は弓を使うわ。遠距離武器の方が性に合ってるし」
「だからケットシーにしたんだもんな」
「そ。一番視力がいいって聞いたからね」
「弓かぁ……。扱いが相当難しいけど、大丈夫?シノのん」
「とりあえず、やってみてから難しそうならまた考えるつもり」
「そっか」
「じゃ、とりあえず、私が作った一番いい弓を渡すわね」
「うん。ありがとう」
「んじゃ、試し撃ちといくか」
◇
初心者用フィールド。月明かりの草原に、シノンの放った矢が、立て続けに三本——遥か先のモンスターを射抜いた。
「……やっぱり、もうちょっと射程が欲しいわね……」
「これが限界なんじゃねぇの?流石にスナイパーライフルとはちげぇよ」
「そうだけど……なんか、物足りないというか」
「ま、二〇〇〇メートルどころか、五〇〇も射程がねえからな。そりゃ物足りないだろうよ。……ん?」
変な視線を感じて振り向くと、ポカンとした面々がいた。
「どうした、お前ら」
「いや……まさか、初見でそんなに簡単に命中させるとは。流石、GGO一のスナイパーだな」
「お褒めに預かり光栄ね」
「そんな難しいの?これ」
「あんたもやってみなさいよ」
「いやーなんかイマイチなぁ。燃えねぇっつうか」
「なによそれ」
しかめっ面になるシノン。それを華麗に無視して、俺は腰の剣を抜いた。リズベットが選んでくれた、細身の片手剣。
「さて、俺もやるか」
「結局、剣なのね」
「まあな。なんか、剣に慣れちまった」
適当に振って、感触を確かめる。重心は良好。刃筋も素直だ。
——草原の奥で、モンスターがリポップした。
体高一メートルほど、額に短い角を持つ狼型——《ホーンドウルフ》。それが、三体。月光の下、六つの眼が、一斉にこちらを捉えた。
「お、ちょうどいいな」
俺は剣を提げたまま、無造作に歩き出した。構えもしない獲物に、三体が牙を剥く。
先頭の一体が、地を蹴った。喉元めがけて、一直線。速い。だが——直線的だ。
俺は、動かない。ギリギリまで動かない。牙の先が首筋に届く、その寸前——半歩だけ、体を左に流した。狼の巨体が、俺のいた空間を素通りする。すれ違いざま、提げた剣を、下から掬い上げた。
一閃。
青いポリゴンが弾ける——その光を突っ切って、二体目が横から跳んできた。草を蹴る音で、跳ぶ前から分かっていた。俺は跳躍の軌道の下へ、逆に潜り込む。頭上を過ぎる腹へ、返す刀を振り抜く。
二閃。
残る一体は、賢かった。跳びかからず、じりじりと円を描いて回り込んでくる。だから俺は——わざと背中を見せてやった。誘いだ。案の定、背後で草が爆ぜる。振り向きもせず、体を独楽のように回す。旋回の勢いを全て乗せた横薙ぎが、宙の狼を、正確に捉えた。
三閃。
最後の光の欠片が、夜風に混ざって消えていく。時間にして、十秒足らず。
「うん、悪くねぇな」
呟きながら、皆の所に戻る。
「流石だな、アルバ。……ていうか今、一度もソードスキル使ってなかったよな?」
「ソードスキル?あー、システム技か。使い方分かんねぇから」
「素で、あれか……」
「《白狼》が狼狩ってる……」
リズベットの呟きは、聞かなかったことにした。
「これ、いい剣だな。ありがとう、リズベット」
「リズでいいわよ。お眼鏡に適ったのなら良かったわ」
「それにしても……すごいね、アルバ君。剣の振りが、様になってたというか……」
アスナの言葉に、俺はキリトを指しながら答える。
「GGOで、この剣バカとやり合ったからな。ある程度はコイツの見様見真似だよ。そっからナイフ術と体術のアレンジを加えた、完全な我流剣術だ」
「アルバの剣は、なんていうか……読みにくいんだよな。全身を使ってくるから」
「剣だけじゃお前に勝てねぇからな。使えるもん全部使ってるだけだ」
剣を鞘に収めながら、呟く。
「さて、しばらくはALOにログインして、空中戦闘とかに慣れるか」
「ん?GGOはいいのか」
キリトのその言葉に、俺は、言葉に詰まった。
「……」
「ほとぼりが冷めるまで、向こうには行かないのよね?」
ニヤニヤしながら、シノンが言う。
「ほとぼり?何かあったのか?」
「……せいだ」
「ん?」
「お前のせいだ、キリト!」
そう叫びながら、抜き直した剣で斬りかかる。
「うおっ!あ、危ないじゃないか!」
「うるせぇ!テメェのせいで、昨日GGOに入った時、大変だったんだからな!」
「な、何のことだ?」
「あんた、覚えてないの?ほら……あの……洞窟で」
シノンが、微妙に恥ずかしいのか、言い淀んでいる。
「……洞窟?」
「テメェ、GGOでネカマしただろうが!あのシーンを観たプレイヤーに追われてんだよ!女を侍らすクソ野郎ってな!」
「あ、あー……。そういえば、両手に花、みたいな事をやったっけ……」
ポリポリと頬をかきながら、苦笑いするキリト。
「『女誑しクソ野郎』だの『ハーレム狼』だの、意味わかんねぇ渾名まで付けられてんだよ!インしたら速攻、妬んだ男どもに追いかけ回されるし!しばらくGGO入れねぇよ!どうしてくれんだ!」
「ま、まあまあ。しばらくはALOでスキル上げとかすればいいんじゃないか?」
「そうするつもりだけど、それはそれとしてムカつくから、一回ぶった斬らせろ!」
「な、なんでそうなる!」
斬りかかる俺を、キリトが空中に飛んで躱す。俺も反射で翼を展開し、追う。
「待ちやがれやぁぁ!」
「顔怖いよアルバ!」
「黙れネカマ!」
「初日で、もう空中戦してる……」
リーファの呆れた声が、下から聞こえた。
夜のアルヴヘイムの空を、白と黒の光跡が、ぐるぐると追いかけ回る。その眼下では——シノンが皆に、例の洞窟のシーンの録画を見せながら、事の顛末を説明していた。
「……ふぅん。キリトくんが、女の子のフリして、ねぇ……?」
アスナの笑顔が、笑顔のまま、静かに温度を失っていくのを、シノンは確かに見たという。
キリトは後で、アスナさんにこってり絞られたそうな。
——こうして、妖精の国での、俺たちの日々が始まった。
GGOに帰れる日は、当分、遠そうだけれど。
ALO初ログインのお話でした。アルバはSTR-AGI型という極端なステータスなのでそれに見合うならシルフかな、ということでシルフに決定しました。
しばらくはこんな感じでアリシゼーションまでの2025年12月から2026年6月のお話を書こうかなと思っています。あとはIF、もしものお話とかも。シノンさんとのイチャラブ同棲生活も当然書きます。