帰還者と狙撃手   作:きょうりゅう

38 / 38
大変長らくお待たせしました。
番外編、第二弾でございます。


寝室

 

「なんでだめなのよ?」

 

「いやいや、考えてみろ。俺らまだ高校生だぞ?」

 

「いいじゃない、別に。恋人なんだし」

 

「そういう問題じゃねぇよ」

 

十二月二十一日、日曜日。夕方。

俺と詩乃は、東上野のマンションで、言い合っていた。

死銃事件から、一週間。犯人の一人はまだ捕まっていない。恐らく詩乃や俺を狙う理由はもう無いとはいえ、住所の割れたアパートはまだ危険だ、という立川の進言により、俺と詩乃は立川のこのマンションで寝泊まりしている。

立川の策略により晴れて恋人となった俺達だが——ある一つの問題を抱えていた。

それは……寝室問題である。

 

「俺が立川のベッドで寝たらいいだろ。この一週間、そうしてたし」

 

「立川さんがここに帰ってきた時、どうするのよ?寝る場所がないじゃない」

 

「そうなったら俺がソファで寝るわ。それか、アパートに帰る」

 

「それはダメ。危ないじゃない」

 

「……んじゃ、やっぱリビングで寝る」

 

「それもダメ。風邪引いちゃうわ」

 

「んじゃ、どうしろって?」

 

「私と一緒のベッドで寝ればいいの」

 

「それが一番ダメだわ!」

 

もう、ずっとこの言い合いである。

事の発端を説明しておく。

詩乃がこの部屋で暮らすにあたって、立川の仕事部屋だった六畳間を、詩乃の寝室として使うことになった。そこまではいい。問題は、立川の世話焼き気質が発揮されて、『金は出すから家具も好きに揃えろ』というメッセージが飛んできたことだ。

遠慮する詩乃を、俺は説き伏せた。あいつは金の使い道がなくて困ってる男だ、使ってやるのが恩返しみたいなもんだ、と。詩乃は渋々頷き、昨日の土曜、二人で家具店へ行った。

そして——ベッド売り場で、詩乃はとんでもない事を言い出した。

 

『暁は背が高いから、ダブルベッドでも大きめのやつがいいかもね』

 

『ダブル?シングルでいいだろ。てか、なんで俺の身長が関係あるんだよ?』

 

『二人で寝るのにシングルじゃ狭いでしょ』

 

『え?』

 

『え?』

 

売り場の真ん中で、俺たちは数秒、見つめ合った。

詩乃の中では、あの部屋は——俺と詩乃の、"二人の部屋"になっていた。

完全に、目からウロコである。というか、ウロコごと目が落ちた。

店員の前で揉めるわけにもいかず、その場は詩乃の押し切りで配送を手配し、届いたのが今日の昼。組み立てを終えた配送業者が去った後——六畳間の約半分を堂々と占領するダブルベッドを前に、第一ラウンドが始まった、というわけだ。

 

 

 

 

 

 

「いいか、詩乃。俺は常識ってやつがよく分かってねぇ自覚はある。だが、これがダメな部類だってことくらいは分かる」

 

「あら。世間体を気にするあんた、初めて見たわ」

 

「……うるせぇよ」

 

痛いところを突かれた。実際、世間がどう思うかなんて、俺はこれまで気にしたことがない。気にしているのは——もっと別のことだ。だが、それを口にするのは、なんとなく、気が進まなかった。

 

「大体、立川の信頼ってもんがあるだろ。あいつは俺らを預かってんだ。その部屋で——」

 

「立川さんは、私に言ったわよ?」

 

「あ?」

 

「『大きめにしとけ』って」

 

「……は?」

 

嫌な予感がして、俺はスマホを取り出した。立川に、メッセージを送る。

 

『おい。お前、詩乃になんか吹き込んだろ』

 

既読は、一瞬でついた。返信も、一瞬だった。ただ一言。

 

『仲良くしろよ?』

 

「あのオッサン……!」

 

スマホを握り締める俺を、詩乃が勝ち誇った顔で見ている。保護者が、敵に回った。いや——最初から向こう側だったのか。あの「愛の巣にしちまえよ」は、冗談じゃなかったらしい。

 

「ほら。立川さん公認よ」

 

「公認とかそういう話じゃねぇんだよ……」

 

「じゃあ、何の話?」

 

「……」

 

俺は、答えに詰まった。

詩乃は、ベッドの縁に腰掛けて、こちらを見上げている。新しいマットレスの上で、足をぶらぶらさせながら。その顔は、いつもの勝気な色と——少しだけ、別の何かが混ざっていた。

第二ラウンドも、俺の劣勢だった。

 

 

 

 

 

 

「ソファで寝る」

 

「風邪引く」

 

「床で寝る。寝袋なら慣れてる」

 

「もっと風邪引く」

 

「玄関で寝る。番犬みたいで安全だろ」

 

「あんたを番犬にするために、ここに来たんじゃないわよ」

 

「……アパートに——」

 

「ダメ」

 

即答だった。

第三ラウンド。俺の手札は、尽きかけていた。

窓の外は、もう暗い。カーテンの隙間から、街灯りが細く差し込んでいる。六畳間には、ダブルベッドと、その脇に寄せられた小さな机と、俺たちの言い合いだけがあった。

俺はベッドの脇の床に、あぐらをかいて座り込んだ。詩乃は、変わらずベッドの縁に座っている。目線の高さが、詩乃の方が少し上になる。

詩乃は、黙って俺を見ていた。

急かさない。それが、こいつのずるいところだ。こいつは、俺が何かを飲み込んでいる時、それを吐き出すまで、黙って待っていられる。洞窟でも、そうだった。

 

「……俺、夢見るんだよ」

 

観念して、俺は言った。

 

「夢?」

 

「戦場の夢だ。……最近は減ったけどな。ゼロじゃねぇ」

 

詩乃の足の揺れが、止まった。

 

「見ると、大抵、飛び起きる。飛び起きた時、俺は——まだ向こうにいる。頭が切り替わるまで、数秒かかる。その数秒間、俺の体は"敵"を探してる」

 

床の木目を見ながら、続けた。

 

「アメリカにいた頃、一回、立川がそれで俺を起こそうとしてな。……気がついたら、俺は立川の腕を極めてた。あと少しで折ってた。あいつは笑って済ませたけど、それ以来、俺が寝てる時は、絶対に近づかねぇ。起こす時は、ドアの外から声をかける」

 

「……」

 

「分かるか?俺は、寝ぼけて、隣にいる人間に手を出すかもしれねぇ人間なんだよ。それがお前だったら——」

 

拳を、握った。

 

「俺は、俺を許せねぇ」

 

沈黙が、落ちた。

言ってしまってから、もう一つ、本音が喉の奥に残っているのに気づいた。それは、もっと情けない本音だった。

 

「……それに」

 

「それに?」

 

「そんな俺を、お前に見られたくねぇ。うなされて、汗だくで、誰もいねぇ暗闇に向かって構えてる俺を。……格好悪いだろ、そんなの」

 

詩乃は、しばらく何も言わなかった。

やがて、静かに口を開いた。

 

「……この一週間は?」

 

「あ?」

 

「この一週間、隣の部屋に私がいた一週間は。夢、見た?」

 

俺は、考えた。

 

「……そういや、見てねぇな」

 

一日も、見ていない。この一週間、俺は——妙によく眠れていた。壁一枚向こうで、あいつが寝返りを打つ音がする。それだけで、暗闇の質が違っていた。

 

「なら、隣の部屋より近ければ、もっと見ないかもね」

 

「……根拠が雑だな」

 

「そう?私は、正しいと思うけど」

 

詩乃が、少しだけ笑った。それから——その笑みを引っ込めて、言った。

 

「……私も、あまり眠れてないの」

 

「……お前が?」

 

「うん」

 

詩乃は、ベッドの縁で、両手を膝の上に重ねた。

 

「あの夜から、ずっと。夜中に、何度も目が覚めるの。起きて、ドアの鍵を確かめて、窓を確かめて、また横になって。……どうしても思い出すの。首の、ここに——冷たいのが、まだある気がして」

 

俺は、何も言えなかった。

一週間。同じ屋根の下にいて、俺は、気づいていなかった。あいつが朝、いつも通りの顔で卵焼きを焼いている間、その目の下にあったはずのものを、俺は見落としていた。

 

「隣の部屋じゃ、ダメだったの。壁は、壁だから。……あなたの寝息が聞こえる距離じゃないと、ダメみたい」

 

「……」

 

「情けないでしょ。あんな啖呵切っといて」

 

「情けなくねぇよ」

 

即答した。

 

「お前は、殺されかけたんだ。当たり前だ」

 

——あの夜、俺が詩乃に言った言葉だった。詩乃はそれを覚えていたらしく、小さく笑った。

 

「それに、ね」

 

詩乃が、俺の目を見た。

 

「あなたが夢を見た時、隣にいたいの。壁の向こうで、一人でうなされてるあなたを、聞きたくない」

 

「……だから、それで手を出しちまったら——」

 

「あなた、私が誰か忘れてない?」

 

詩乃が、少し得意げに、顎を上げた。

 

「私はあなたの相棒で、GGOであなたを初めて倒した女よ?寝ぼけたあなたくらい、殴り返してあげるわ」

 

「……お前な」

 

「それに、あなたは私に手を出さない。寝てても、起きてても。私、知ってるもの」

 

根拠のない、確信。だが——こいつの確信は、いつも、俺より俺のことを正しく言い当ててきた。

詩乃は、ベッドから降りて、俺の正面に、膝を抱えて座った。目線の高さが、同じになる。

 

「ねえ、暁。あなたが夢を見たら、私が起こす。私がうなされたら、あなたが起こして」

 

「……」

 

「一人で夜を越えるのは——もう、お互いやめましょう?」

 

——ずるい。

そう言われて、俺に何が言い返せる。

母さんが死んだ夜から、俺はずっと、夜を一人で越えてきた。戦場でも、基地のベッドでも、立川の家のソファでも。夜というのは、耐えるものだった。朝が来るまで、息を潜めて、やり過ごすものだった。

その夜を、二人で越えようと、詩乃は言っている。

 

「……ずるいだろ、それは」

 

「知ってる」

 

詩乃は、笑った。勝った顔じゃなかった。もっと、柔らかい顔だった。

俺は、大きく息を吐いて、立ち上がった。

 

「……ちょっと待ってろ」

 

「え?」

 

俺は隣の部屋へ行き、押し入れから、この一週間詩乃が使っていた布団を引っ張り出して、六畳間に戻った。ダブルベッドの脇——辛うじて残っていた床のスペースに、それを敷く。

 

「……何してるの?」

 

「見りゃ分かるだろ。同じ部屋だ。これで譲歩しろ」

 

詩乃が、ベッドと布団を交互に見た。

 

「……ベッドで寝ればいいのに」

 

「これが最大限の許容範囲だ。ここから一ミリも動かねぇぞ」

 

俺は、布団の上にどっかりと座った。ここが、俺の陣地だ。ベッドの上が、詩乃の陣地。距離、五十センチ。壁一枚よりは、遥かに近い。

詩乃は、しばらく不服そうに唇を尖らせていたが——やがて、ふっと息を吐いて、言った。

 

「……今は、それでいいわ」

 

「今は、っておい」

 

「今は、よ」

 

その「今は」に、どれだけの含みがあるのかは、考えないことにした。

 

 

 

 

 

 

午後十一時三十分。

灯りを消すと、寝室はほとんど完全な暗闇になった。カーテンの隙間の街灯りが、天井に細い線を一本、引いているだけだ。

俺は布団に仰向けになって、その線を見ていた。

頭上、五十センチのところに、ベッドがある。その上に、詩乃がいる。マットレスの軋む音。寝返り。布団を引き上げる衣擦れ。

——近い。

近すぎて、心臓が落ち着かない。眠れる気がしない。これは、逆に夢を見る暇もねぇんじゃないか。

 

「……暁」

 

暗闇の中から、小さな声。

 

「なんだ」

 

「うなされてたら、起こすからね」

 

「……ああ。お前も」

 

「うん」

 

しばらくの、沈黙。

それから——ベッドの縁から、何かが、するりと降りてきた。

詩乃の手だった。

暗闇の中で、その手が、布団の上を探るように動いて——俺の手を、見つけた。指が絡む。

 

「……手、繋いでていい?」

 

「……そんな端にいたら落っこちるぞ」

 

「落ちたら、あなたが受け止めて」

 

「俺も寝てるんですけど?」

 

「じゃあ、こっちに来て」

 

「頑張って受け止めます」

 

「ふふ」

 

微笑みとともに詩乃が指を俺に絡めてくる。冷たい指が、少しずつ俺の手の温度に馴染んでいく。

やがて、頭上の呼吸が、ゆっくりと、深くなっていった。眠りに落ちていく、規則正しい息の音。繋いだ手から、力が抜けて——でも、離れない。

俺は、天井の光の線を見ながら、その音を、聞いていた。

夜というのは、耐えるものだった。

朝が来るまで、息を潜めて、やり過ごすものだった。

でも、今夜の暗闇は——少し、違っていた。誰かの寝息が聞こえる暗闇。手の温度がある暗闇。それは、越えるものじゃなくて、ただ包まれるものだった。

 

(……眠れる、かもな)

 

そう思った、その時。

 

「……ベッドは……追々、ね……」

 

寝息の合間に、そんな寝言が、頭上から降ってきた。

 

「……」

 

聞かなかったことにした。一緒のベッドで寝ることを拒否したのはもう一つの理由があった。

 

(俺の理性、いつまで持つかね…)

 

特殊な経験をしているとはいえ、一応思春期の男だ。好きな女の子と一緒にベッドで、なんて、普通に考えて我慢できるわけがない。今でもかなり限界なのに。

 

(…ま、追々、か)

 

俺は考えるのをやめ、目を閉じて、絡んだ指にほんの少しだけ力を込めた。俺を呪いから救ってくれた少女。世界で一番大切な人間。詩乃の温度を感じながら、微睡みへと落ちる。

その夜——俺は、夢を見なかった。

 




大変お久しぶりです。きょうりゅうです。結構間が開いてしまいました。すいません。また週一での投稿をしていこうと思います。
この後の展開ですが、番外編をもういくつか書いたあと、オーディナルスケール編、アリシゼーション編へと続きます。
アリシゼーション編ですが、色々と考えた結果、やはりアルバはアスナと同タイミングでのアンダーワールドへのログインかなと思っております。またはアスナより少しだけ早いか。アリシゼーション編の前半は改変の余地が無いと個人的に思っていますので、そこは変えず、キリト君にアンダーワールドで頑張ってもらいます。
アリシゼーション編のオリジナル要素として、とある感想や、今再プレイしているキングダムハーツⅡをやっていて入れたい設定が出来てしまいましたので、それを組み込みつつ構成しています。今しばらくお待ち下さい。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

名前のない距離の隣で(作者:レゾリューション)(原作:ソードアート・オンライン)

GGOで銃集めにハマっている主人公とシノンの話▼


総合評価:3160/評価:8.58/連載:49話/更新日時:2026年08月19日(水) 17:24 小説情報

暗殺教室ー月は何を見るかー(作者:TKTK(2K2K))(原作:暗殺教室)

突如起こった月の7割が爆発し消失する事件▼暴力沙汰を起こし、エンドのE組へ堕ちた【月乃白利】の前に現れたのは月を爆破させたと言う謎の超生物だった▼目には見えぬ月の裏側には何があるのか▼月の爆発と共に始まった【暗殺教室】の果てに月は何を見る。


総合評価:864/評価:8.63/連載:42話/更新日時:2026年08月29日(土) 07:33 小説情報

暗殺教室 零の瞳に映るもの(作者:ディーエー)(原作:暗殺教室)

月を破壊した超生物が担任になり、生徒はその暗殺を任される——椚ヶ丘中学校3年E組。▼そんな異常な教室にいるのは落ちこぼれと呼ばれた生徒たち。▼そしてその中でもひときわ浮いた存在、周防零二。授業はサボる、暗殺はしない、問題ばかり起こして、いつしか椚ヶ丘史上最悪とまで言われるようになった厄介な生徒。▼クラスの誰とも深く関わろうとせず、どこか一歩引いた距離から教室…


総合評価:1037/評価:8.2/連載:25話/更新日時:2026年09月01日(火) 18:00 小説情報

なんでも一つ願いが叶うらしい(ただしその条件は鬼畜とする)(作者:イーサン・W)(原作:ソードアート・オンライン)

▼気づいたらSAOの世界に迷い込んでしまった主人公。▼目の前に浮かぶウインドウ。そこに書かれた内容は──▼ミッション▼ ▼ ▼・多くのプレイヤーの救済▼ ▼・主要キャラの死亡回避▼ ▼・ラスボスの討伐▼ ▼・ゲームクリアをすること▼どうやら主人公はこのミッションをSAO内でクリアすることで、なんでも願いが叶うらしい。▼だけど鬼畜みたいな難易度だ!▼元の世界に…


総合評価:7399/評価:8.64/連載:11話/更新日時:2026年08月21日(金) 19:00 小説情報

孤高の黒槍(作者:特性 Suisui)(原作:ONE PIECE)

ドレスローザ コリーダコロシアム▼「千勝すれば出してやる」▼この言葉を信じて、槍を掴んだ男の自由を得るまでの物語▼完結済みです。▼※ジェミニを利用して添削等を行ってます。▼AI使用を許せる人はお進みください。


総合評価:1724/評価:8.38/完結:30話/更新日時:2026年08月22日(土) 00:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>