番外編、第二弾でございます。
「なんでだめなのよ?」
「いやいや、考えてみろ。俺らまだ高校生だぞ?」
「いいじゃない、別に。恋人なんだし」
「そういう問題じゃねぇよ」
十二月二十一日、日曜日。夕方。
俺と詩乃は、東上野のマンションで、言い合っていた。
死銃事件から、一週間。犯人の一人はまだ捕まっていない。恐らく詩乃や俺を狙う理由はもう無いとはいえ、住所の割れたアパートはまだ危険だ、という立川の進言により、俺と詩乃は立川のこのマンションで寝泊まりしている。
立川の策略により晴れて恋人となった俺達だが——ある一つの問題を抱えていた。
それは……寝室問題である。
「俺が立川のベッドで寝たらいいだろ。この一週間、そうしてたし」
「立川さんがここに帰ってきた時、どうするのよ?寝る場所がないじゃない」
「そうなったら俺がソファで寝るわ。それか、アパートに帰る」
「それはダメ。危ないじゃない」
「……んじゃ、やっぱリビングで寝る」
「それもダメ。風邪引いちゃうわ」
「んじゃ、どうしろって?」
「私と一緒のベッドで寝ればいいの」
「それが一番ダメだわ!」
もう、ずっとこの言い合いである。
事の発端を説明しておく。
詩乃がこの部屋で暮らすにあたって、立川の仕事部屋だった六畳間を、詩乃の寝室として使うことになった。そこまではいい。問題は、立川の世話焼き気質が発揮されて、『金は出すから家具も好きに揃えろ』というメッセージが飛んできたことだ。
遠慮する詩乃を、俺は説き伏せた。あいつは金の使い道がなくて困ってる男だ、使ってやるのが恩返しみたいなもんだ、と。詩乃は渋々頷き、昨日の土曜、二人で家具店へ行った。
そして——ベッド売り場で、詩乃はとんでもない事を言い出した。
『暁は背が高いから、ダブルベッドでも大きめのやつがいいかもね』
『ダブル?シングルでいいだろ。てか、なんで俺の身長が関係あるんだよ?』
『二人で寝るのにシングルじゃ狭いでしょ』
『え?』
『え?』
売り場の真ん中で、俺たちは数秒、見つめ合った。
詩乃の中では、あの部屋は——俺と詩乃の、"二人の部屋"になっていた。
完全に、目からウロコである。というか、ウロコごと目が落ちた。
店員の前で揉めるわけにもいかず、その場は詩乃の押し切りで配送を手配し、届いたのが今日の昼。組み立てを終えた配送業者が去った後——六畳間の約半分を堂々と占領するダブルベッドを前に、第一ラウンドが始まった、というわけだ。
◇
「いいか、詩乃。俺は常識ってやつがよく分かってねぇ自覚はある。だが、これがダメな部類だってことくらいは分かる」
「あら。世間体を気にするあんた、初めて見たわ」
「……うるせぇよ」
痛いところを突かれた。実際、世間がどう思うかなんて、俺はこれまで気にしたことがない。気にしているのは——もっと別のことだ。だが、それを口にするのは、なんとなく、気が進まなかった。
「大体、立川の信頼ってもんがあるだろ。あいつは俺らを預かってんだ。その部屋で——」
「立川さんは、私に言ったわよ?」
「あ?」
「『大きめにしとけ』って」
「……は?」
嫌な予感がして、俺はスマホを取り出した。立川に、メッセージを送る。
『おい。お前、詩乃になんか吹き込んだろ』
既読は、一瞬でついた。返信も、一瞬だった。ただ一言。
『仲良くしろよ?』
「あのオッサン……!」
スマホを握り締める俺を、詩乃が勝ち誇った顔で見ている。保護者が、敵に回った。いや——最初から向こう側だったのか。あの「愛の巣にしちまえよ」は、冗談じゃなかったらしい。
「ほら。立川さん公認よ」
「公認とかそういう話じゃねぇんだよ……」
「じゃあ、何の話?」
「……」
俺は、答えに詰まった。
詩乃は、ベッドの縁に腰掛けて、こちらを見上げている。新しいマットレスの上で、足をぶらぶらさせながら。その顔は、いつもの勝気な色と——少しだけ、別の何かが混ざっていた。
第二ラウンドも、俺の劣勢だった。
◇
「ソファで寝る」
「風邪引く」
「床で寝る。寝袋なら慣れてる」
「もっと風邪引く」
「玄関で寝る。番犬みたいで安全だろ」
「あんたを番犬にするために、ここに来たんじゃないわよ」
「……アパートに——」
「ダメ」
即答だった。
第三ラウンド。俺の手札は、尽きかけていた。
窓の外は、もう暗い。カーテンの隙間から、街灯りが細く差し込んでいる。六畳間には、ダブルベッドと、その脇に寄せられた小さな机と、俺たちの言い合いだけがあった。
俺はベッドの脇の床に、あぐらをかいて座り込んだ。詩乃は、変わらずベッドの縁に座っている。目線の高さが、詩乃の方が少し上になる。
詩乃は、黙って俺を見ていた。
急かさない。それが、こいつのずるいところだ。こいつは、俺が何かを飲み込んでいる時、それを吐き出すまで、黙って待っていられる。洞窟でも、そうだった。
「……俺、夢見るんだよ」
観念して、俺は言った。
「夢?」
「戦場の夢だ。……最近は減ったけどな。ゼロじゃねぇ」
詩乃の足の揺れが、止まった。
「見ると、大抵、飛び起きる。飛び起きた時、俺は——まだ向こうにいる。頭が切り替わるまで、数秒かかる。その数秒間、俺の体は"敵"を探してる」
床の木目を見ながら、続けた。
「アメリカにいた頃、一回、立川がそれで俺を起こそうとしてな。……気がついたら、俺は立川の腕を極めてた。あと少しで折ってた。あいつは笑って済ませたけど、それ以来、俺が寝てる時は、絶対に近づかねぇ。起こす時は、ドアの外から声をかける」
「……」
「分かるか?俺は、寝ぼけて、隣にいる人間に手を出すかもしれねぇ人間なんだよ。それがお前だったら——」
拳を、握った。
「俺は、俺を許せねぇ」
沈黙が、落ちた。
言ってしまってから、もう一つ、本音が喉の奥に残っているのに気づいた。それは、もっと情けない本音だった。
「……それに」
「それに?」
「そんな俺を、お前に見られたくねぇ。うなされて、汗だくで、誰もいねぇ暗闇に向かって構えてる俺を。……格好悪いだろ、そんなの」
詩乃は、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに口を開いた。
「……この一週間は?」
「あ?」
「この一週間、隣の部屋に私がいた一週間は。夢、見た?」
俺は、考えた。
「……そういや、見てねぇな」
一日も、見ていない。この一週間、俺は——妙によく眠れていた。壁一枚向こうで、あいつが寝返りを打つ音がする。それだけで、暗闇の質が違っていた。
「なら、隣の部屋より近ければ、もっと見ないかもね」
「……根拠が雑だな」
「そう?私は、正しいと思うけど」
詩乃が、少しだけ笑った。それから——その笑みを引っ込めて、言った。
「……私も、あまり眠れてないの」
「……お前が?」
「うん」
詩乃は、ベッドの縁で、両手を膝の上に重ねた。
「あの夜から、ずっと。夜中に、何度も目が覚めるの。起きて、ドアの鍵を確かめて、窓を確かめて、また横になって。……どうしても思い出すの。首の、ここに——冷たいのが、まだある気がして」
俺は、何も言えなかった。
一週間。同じ屋根の下にいて、俺は、気づいていなかった。あいつが朝、いつも通りの顔で卵焼きを焼いている間、その目の下にあったはずのものを、俺は見落としていた。
「隣の部屋じゃ、ダメだったの。壁は、壁だから。……あなたの寝息が聞こえる距離じゃないと、ダメみたい」
「……」
「情けないでしょ。あんな啖呵切っといて」
「情けなくねぇよ」
即答した。
「お前は、殺されかけたんだ。当たり前だ」
——あの夜、俺が詩乃に言った言葉だった。詩乃はそれを覚えていたらしく、小さく笑った。
「それに、ね」
詩乃が、俺の目を見た。
「あなたが夢を見た時、隣にいたいの。壁の向こうで、一人でうなされてるあなたを、聞きたくない」
「……だから、それで手を出しちまったら——」
「あなた、私が誰か忘れてない?」
詩乃が、少し得意げに、顎を上げた。
「私はあなたの相棒で、GGOであなたを初めて倒した女よ?寝ぼけたあなたくらい、殴り返してあげるわ」
「……お前な」
「それに、あなたは私に手を出さない。寝てても、起きてても。私、知ってるもの」
根拠のない、確信。だが——こいつの確信は、いつも、俺より俺のことを正しく言い当ててきた。
詩乃は、ベッドから降りて、俺の正面に、膝を抱えて座った。目線の高さが、同じになる。
「ねえ、暁。あなたが夢を見たら、私が起こす。私がうなされたら、あなたが起こして」
「……」
「一人で夜を越えるのは——もう、お互いやめましょう?」
——ずるい。
そう言われて、俺に何が言い返せる。
母さんが死んだ夜から、俺はずっと、夜を一人で越えてきた。戦場でも、基地のベッドでも、立川の家のソファでも。夜というのは、耐えるものだった。朝が来るまで、息を潜めて、やり過ごすものだった。
その夜を、二人で越えようと、詩乃は言っている。
「……ずるいだろ、それは」
「知ってる」
詩乃は、笑った。勝った顔じゃなかった。もっと、柔らかい顔だった。
俺は、大きく息を吐いて、立ち上がった。
「……ちょっと待ってろ」
「え?」
俺は隣の部屋へ行き、押し入れから、この一週間詩乃が使っていた布団を引っ張り出して、六畳間に戻った。ダブルベッドの脇——辛うじて残っていた床のスペースに、それを敷く。
「……何してるの?」
「見りゃ分かるだろ。同じ部屋だ。これで譲歩しろ」
詩乃が、ベッドと布団を交互に見た。
「……ベッドで寝ればいいのに」
「これが最大限の許容範囲だ。ここから一ミリも動かねぇぞ」
俺は、布団の上にどっかりと座った。ここが、俺の陣地だ。ベッドの上が、詩乃の陣地。距離、五十センチ。壁一枚よりは、遥かに近い。
詩乃は、しばらく不服そうに唇を尖らせていたが——やがて、ふっと息を吐いて、言った。
「……今は、それでいいわ」
「今は、っておい」
「今は、よ」
その「今は」に、どれだけの含みがあるのかは、考えないことにした。
◇
午後十一時三十分。
灯りを消すと、寝室はほとんど完全な暗闇になった。カーテンの隙間の街灯りが、天井に細い線を一本、引いているだけだ。
俺は布団に仰向けになって、その線を見ていた。
頭上、五十センチのところに、ベッドがある。その上に、詩乃がいる。マットレスの軋む音。寝返り。布団を引き上げる衣擦れ。
——近い。
近すぎて、心臓が落ち着かない。眠れる気がしない。これは、逆に夢を見る暇もねぇんじゃないか。
「……暁」
暗闇の中から、小さな声。
「なんだ」
「うなされてたら、起こすからね」
「……ああ。お前も」
「うん」
しばらくの、沈黙。
それから——ベッドの縁から、何かが、するりと降りてきた。
詩乃の手だった。
暗闇の中で、その手が、布団の上を探るように動いて——俺の手を、見つけた。指が絡む。
「……手、繋いでていい?」
「……そんな端にいたら落っこちるぞ」
「落ちたら、あなたが受け止めて」
「俺も寝てるんですけど?」
「じゃあ、こっちに来て」
「頑張って受け止めます」
「ふふ」
微笑みとともに詩乃が指を俺に絡めてくる。冷たい指が、少しずつ俺の手の温度に馴染んでいく。
やがて、頭上の呼吸が、ゆっくりと、深くなっていった。眠りに落ちていく、規則正しい息の音。繋いだ手から、力が抜けて——でも、離れない。
俺は、天井の光の線を見ながら、その音を、聞いていた。
夜というのは、耐えるものだった。
朝が来るまで、息を潜めて、やり過ごすものだった。
でも、今夜の暗闇は——少し、違っていた。誰かの寝息が聞こえる暗闇。手の温度がある暗闇。それは、越えるものじゃなくて、ただ包まれるものだった。
(……眠れる、かもな)
そう思った、その時。
「……ベッドは……追々、ね……」
寝息の合間に、そんな寝言が、頭上から降ってきた。
「……」
聞かなかったことにした。一緒のベッドで寝ることを拒否したのはもう一つの理由があった。
(俺の理性、いつまで持つかね…)
特殊な経験をしているとはいえ、一応思春期の男だ。好きな女の子と一緒にベッドで、なんて、普通に考えて我慢できるわけがない。今でもかなり限界なのに。
(…ま、追々、か)
俺は考えるのをやめ、目を閉じて、絡んだ指にほんの少しだけ力を込めた。俺を呪いから救ってくれた少女。世界で一番大切な人間。詩乃の温度を感じながら、微睡みへと落ちる。
その夜——俺は、夢を見なかった。
大変お久しぶりです。きょうりゅうです。結構間が開いてしまいました。すいません。また週一での投稿をしていこうと思います。
この後の展開ですが、番外編をもういくつか書いたあと、オーディナルスケール編、アリシゼーション編へと続きます。
アリシゼーション編ですが、色々と考えた結果、やはりアルバはアスナと同タイミングでのアンダーワールドへのログインかなと思っております。またはアスナより少しだけ早いか。アリシゼーション編の前半は改変の余地が無いと個人的に思っていますので、そこは変えず、キリト君にアンダーワールドで頑張ってもらいます。
アリシゼーション編のオリジナル要素として、とある感想や、今再プレイしているキングダムハーツⅡをやっていて入れたい設定が出来てしまいましたので、それを組み込みつつ構成しています。今しばらくお待ち下さい。