アルンの裏路地にある扉を潜り、長い長い階段を降りていく。ここはキリト達が見つけた秘密の通路らしい。
「うわぁ…いったい何段あるの、これ」
「んー、アインクラッドの迷宮区タワーまるまる一個分くらいはあったかなー」
アスナの言葉を聞いたリズ、クライン、シリカは同時にうへぇという顔をする。俺はというと、その迷宮区タワーを知らないのでリアクションが取れなかった。その三人の顔を見たキリトが不服そうな顔で言う。
「あのなぁ、通常ルートならヨツンヘイムまで最速で二時間掛かるとこ、ここを降りれば五分だぞ。文句を言わずに、一段一段感謝の念を込めながら降りたまえ、諸君」
「あんたが造ったわけじゃないでしょ」
シノンがクール極まる一言をボソッと呟く。そりゃそうだ、と思っていると。
「御指摘ありがとう」
キリトが、シノンの尻尾を掴んだ。
「フギャアっ!!」
尻尾を掴まれたシノンははもの凄い悲鳴ととともに飛び上がった。キッと振り向いたシノンは器用に後ろ走りでキリトの顔を引っ掻こうとしていが、キリトはそれをひょいひょい躱す。
「アンタ、次やったら鼻の穴に火矢ブッコムからね!」
フン!と勢いよく振り向いたシノン。一部始終を見ていた俺はというと。
「いや、そんなもんじゃ甘いよなぁ?」
前を走るキリトの肩を走りながら掴む。
「ヒッ」
キリトが小さく悲鳴を上げる。ギギギ、とゆっくりと振り向いたキリトの顔が俺の顔を見てみるみる青ざめる。
「人の女に目の前でセクハラかましやがるとはなぁ。随分度胸あるな、キリト?」
「い、いや、違うんだアルバ。つい出来心というか、悪戯心が働いたというか」
焦って弁明するキリト。俺はキリトの隣に移動し、肩を組む。
「いやいや、その度胸に免じて、今回は見逃してやるよ」
「ほ、本当か!?」
「ああ。だが…」
キリトの耳に顔を近づけ、ボソッと呟く。出来る限り低い声で。
「―――次は無い」
固まるキリトを離し、にこやかにキリトに聞く。
「わかったな?」
コクコクコク、と無言で高速に頷くキリトの顔には涙が浮かんでいた。そのやり取りを見ていたシノンは非常に満足そうに笑みを浮かべていた。
後にキリトは、あの時のアルバより怖いものは無かった、と語ったという。
◇
キリトの予想通り、五分足らずで階段トンネルを踏破した。地殻のその先を見ると、世界が一変した。
《ヨツンヘイム》。
アルヴヘイムの地下に広がる、もう一つの世界。遥か頭上に、岩の天井が覆い被さっている。空がない。その代わりに、天井のあちこちから世界樹の根が垂れ下がり、それが仄かな燐光を放って、凍てついた大地を青白く照らしていた。
寒い。仮想の体だと分かっていても、肌が粟立つほどの冷気。吐く息が、白く凍る。
地平線の彼方まで、雪と氷と岩しかない。真下を見ると、全てを飲み込むような底なしの大穴がある。《ボイド》というらしい。正面に視線を戻すと、世界の中央。天井から、巨大な逆さまのピラミッドが垂れ下がっていた。全体が氷で出来ているようだ。燐光を受けて、内側から淡く光っている。
「あれが、スリュムヘイム……」
シノンが、息を呑んだ。
「あの一番下に、エクスキャリバーが刺さってるんだ」
キリトの声には、どこか遠いものが混じっていた。アスナが、そっとその袖を握っている。何か、あの剣にまつわる記憶があるのだろう。俺は聞かなかった。
「で、あそこまでどうやって行くんだ?飛んでくのか?」
「ヨツンヘイムは飛行不可なのよ。翅が使えないの」
リズベットが答える。
俺達のその会話の最中、アスナが呪文を唱え、メンバ全員にバフを付与する。
「おっけー。全員に凍結耐性の支援魔法かけたよ」
その言葉を聞いたリーファが、一歩前に出た。指を口に当てて高く口笛を吹き鳴らす。
しばらくの沈黙。そして——遠くの空から、低く、長い鳴き声が返ってきた。
「トンキーさーん!」
アスナの肩にいるユイが声高らかに呼びかける。燐光の中を、巨大な影が滑ってくる。象のような長い鼻を持つ頭。その下に、クラゲを思わせる半透明の胴体と、何本も垂れ下がる触手。背には、薄く透き通った四枚の翼。家よりも大きな、どう見ても邪神と呼ぶべき生き物が、ふわりと俺たちの前に降り立った。
「トンキー!元気だった?」
リーファが駆け寄り、その長い鼻に抱きついた。巨体が嬉しそうにくるると喉を鳴らす。
「……こいつが、前にキリトとリーファが助けたっていう」
「ああ。仲間に襲われてたのを、俺たちが助けたんだ。それ以来、リーファにすっかり懐いてる」
リーファの頬に、長い鼻がすりすりと擦り寄っていた。完全に飼い主と大型犬の図だ。見た目はどう見ても、地獄の番犬の方だが。
「八人も乗れんのか?」
「大丈夫!トンキー、力持ちだから!」
「で、でもよぉ」
まだトンキーの迫力にビビっているクラインさんが抗議の声を上げる。
「オレ、アメ車と空飛ぶ象には乗るなっつうのが爺ちゃんの遺言でよぉ…」
「そんなアホみたいな遺言があるんすか?」
「こないだダイシーカフェで爺ちゃんの手作りっつって干し柿くれただろ!うまかったからまた下さい!」
渋るクラインさんをキリトが背中を押して無理矢理乗り込ませていた。俺もサクッと巨体の背中に跳び乗る。続けてシノンが乗り込んできて隣に来る。ひんやりと、柔らかい。表面に淡い模様が浮かんで、呼吸に合わせてゆっくりと明滅している。全員が乗り込んだのを確認するとリーファが叫ぶ。
「よぉーし、トンキー、ダンジョンの入り口までお願い!」
その直後トンキーが、翼を広げた。
ふわり、と巨体が浮き上がる。冷たい風が、正面から吹きつけてくる。眼下を、凍った大地が滑っていく。
「……!」
隣で、シノンが小さく息を呑む気配がした。そちらを向くと、猫耳を風にはためかせて、眼下の景色に見入っていた。
「すごい……」
「ああ」
地下の、閉ざされた世界。空のない、凍てついた世界。なのに、不思議と閉塞感はなかった。燐光に照らされた氷原は、恐ろしいくらいに美しかった。
しかし、ふと下を見るととてつもない高さだ。全員が薄々思っているであろうことをリズベットが言う。
「ねえ、これ……落っこちたらどうなるのかなぁ?」
リズベットの問いに答えたのは、彼女の隣にいるアスナだった。
「そのうち、そこにいる、昔アインクラッドの外周の柱から次の層に行こうとして、落っこちた人が試してくれるよ」
アスナは笑みを浮かべて、後ろにいるキリトの方を見ながら言う。そんなアホなことしたのかコイツ。
「高いとこから落ちるなら、ネコ科動物のほうが向いてんじゃないか」
キリトは、苦笑いしながらそう答えた。これには、猫妖精であるシノンとシリカは真顔でブンブンと首を振った。
その間にもトンキーは羽をゆっくりはばたかせ、ヨツンヘイムの上空をゆっくり進んでいく。このまま安全運転で向かうだろうと思っていたが、トンキーは全ての羽鋭角に畳み、突如急降下を始めた。
『うわあああああっ!!』
と男三名の絶叫。
『きゃああああああっ!!』
と女性陣の高い悲鳴。
「やっほーーーーーーう!」
とただ一人楽しそうに声を上げるリーファ。
高度が五十メートル辺りまで到達したところで、緩やかな水平巡航に入った。しかし、先ほどの垂直ダイブのせいで、リーファ以外のメンバーはトンキーの背中にぐったりして倒れていた。
中でも回復が早かった俺は立ち上がり、下の様子を確認した。そして、その眼前の光景に違和感を覚える。
「……おい、お前ら。下見てみろ」
俺は、トンキーの背の縁から眼下を指差した。
そこには、三十人を超える異種族混合の大型レイドパーティーが人型邪神と協力し、羽化する前のトンキーと同じ姿をした動物型邪神を攻撃している光景があった。
「あれは……どうなってるの?あの人型邪神を、誰かがテイムしたの?」
アスナが喘ぐように囁き、シリカが首を激しく振って答えた。
「そんな、あり得ません!邪神級モンスターのテイム成功率は、ケットシーのマスターテイマーが専用装備でフルブーストしても、ゼロパーセントです!」
クラインさんが、逆立った髪をかき混ぜて唸った。
「ってことはつまり、あれは……なんつぅか……《便乗》しているってわけか?四本腕の巨人が象クラゲを攻撃しているところに乗っかって、追い打ちをかけてるってみてェな……」
「でも、そんなに都合良くヘイトを管理できるものかしら」
シノンが顔をきつくしかめながら言う。それはそうだろう。あれだけ接近していれば、たとえ攻撃をしなくともタゲが向く可能性もある。
そうしているうちに、象水母が断末魔とともにその体をポリゴン片へと四散させた。
くおうぅぅぅ…とトンキーが、低く、長く、鳴いた。
さっきまでの嬉しそうな鳴き声とは、まるで違う。喉の奥から絞り出すような、悲しい音だった。
いたたまれない気持ちになりながら、状況把握のために先程の邪神とパーティを見ると、信じがたい光景があった。彼らはひとしきり喜んだあと、共に次のターゲットを探して連れ立った。
「なっ!?何で人型邪神と戦闘にならないんだ!?」
キリトが掠れ声を漏らす。俺も疑問に持ちながらも、周囲を見回し、あることに気づく。
「おい。周り見てみろ」
「え…?」
周囲を見ると、他の場所でも大規模のレイドパーティーと人型邪神が一緒に動物型邪神を攻撃していた。
「こりゃァ…ここで、いったい何が起きてンだよ…」
呆然としたクラインさんの声。俺は今ある情報から、ある程度の推測を立てた。
「なるほどな。これが、例のクエストってやつか」
「クエスト?」
「あっ!……もしかして、さっき上でアスナが言ってた、ヨツンヘイムで新しく見つかったスローター系のクエストのことじゃないの? 人型邪神と協力して、動物型邪神を殲滅する……みたいな……」
「多分そうだろ。つーか、それ以外考えにくい」
それを聞いたこの場にいた全員が息を呑む。
だが、妙に引っかかることがある。《聖剣エクスキャリバー》があるのは、多数の人型邪神が守護しているあの空中ダンジョンだ。ならば、クエスト内容は『動物型邪神と協力して人型邪神を倒し、エクスキャリバーを手に入れる』というものになるはずだだろう。なら、どうして協力する邪神と敵対する邪神が逆になっているのか。
そこまで考えた時だった。背後に気配を感じ振り向くと、黄金の光が立ち昇っていた。光は形を成し、やがて——一人の女性の姿になった。
巨大な女性だった。巨人たちよりも、更に大きい。金色の長い髪が、光の粒をまとって揺れている。その瞳は、深い湖の底のような、静かな青だった。
「……妖精たちよ」
女性の声は荘重なエフェクトを帯びていた。
「我が名はウルズ。この地を統べる、湖の女王です」
一同が、息を呑む。ユイが、キリトの肩の上で、小さく呟いた。
「NPCのようです……!ですが、従来のNPCではなく、コアプログラムに近い言語エンジン・モジュールに接続しています」
「…つまり、AI化されている、ってことか?」
「そうです、パパ」
彼ら親子の会話の内容はあまり理解できなかったが、どうやらこの巨大な女性は特殊な存在らしかった。
ウルズは、悲しげに目を伏せて語り始めた。
かつて、このヨツンヘイムは、アルヴヘイムと同じように、光と緑に満ちた国だった。だが、霜の巨人の王スリュムが、世界樹の根を断つ聖剣エクスキャリバーを湖に投げ込み、この地を凍てつかせた。スリュムはヨツンヘイムを支配し、城を築き、今やその城で、アルヴヘイムにまで攻め上がろうとしている。
その野望を阻んでいるのは、ウルズの眷属——邪神と呼ばれる古き獣たち。彼らが生きている限り、ウルズの力は失われず、スリュムヘイムは地上へと浮上できない。
「我が眷属をなかなか滅ぼせぬことに苛立ったスリュムは、ついに、そなたたち妖精の力すらも利用し始めました。エクスキャリバーを報酬に与えると誘いかけ、眷属を狩り尽くさせようとしているのです」
ウルズの視線が、遠くで続く狩りの光景に向けられた。
「しかし、スリュムがかの剣を、余人に与えることなど有り得ません」
「……騙されてるってことか、あいつら」
俺は低く唸った。女神が続ける。
「恐らく、《偽剣カリバーン》を与えるつもりでしょう」
「ず、ずっるい…。王様がそんな事していいわけ?」
「その狡さこそ、スリュムの強力な武器なのです」
ウルズの手から光る何かが、ゆっくりと降りてきた。それは、リーファの手の中に収まった。金色の縁取りの、円いメダリオン。表面に、いくつもの宝石が嵌め込まれている。いくつかは、既に黒く濁っていた。
「そのメダリオンの石が、すべて暗黒に染まる時。我が眷属はすべて狩り尽くされ、我が力も完全に消滅します」
ウルズの声が、祈りのように響いた。
やがて女神は大きな腕を《スリュムヘイム》に差し伸べ言い放つ。
「妖精たちよ。スリュムヘイムに侵入し、エクスキャリバーを《要の台座》より、引き抜いてください」
直後、光がほどけていく。ウルズの姿が、湖面の輝きに溶けて消えていった。
後には、凍てついた静寂のみ。
「……ちょっと待って」
最初に口を開いたのは、シノンだった。
「ここまで大がかりなクエストを、運営が何の告知もなしにやるものなの?」
「確かに。地上に攻め上がる、つってたしな。下手すりゃALO中を巻き込んだ騒ぎになるぜ」
「それについては、私が説明します」
ユイが、キリトの肩から、ふわりと宙に浮かんだ。
「ALOのシステムは、旧SAOの《カーディナル・システム》を流用しています。カーディナルには、世界中の伝承や物語を学習して、クエストを自動生成する機能があるんです」
彼女の話を聞いた俺は、一つの推測を口にする。
「なるほど。このクエストの告知が運営から特になかったのって、運営が用意したものじゃなく、カーディナルが自動生成したからってことになるのか?」
「先程のNPCの挙動からして、その可能性が高いです。だとすれば、ストーリーの展開次第では、行き着くところまで行ってしまうことが有り得ます」
「行き着くところ、というと、まさか本当に北欧神話通りになるんじゃないだろうな?」
「その可能性は高いです、アルバさん」
「マジかよ…」
「ちょっと、どういうことよ?」
俺とユイちゃんの会話を聞いたシノンが袖を引き聞いてくる。他の面々も説明を求めているようだ。
「北欧神話知らねぇのか?このALOの原型にもなってるヤツ」
「知らないわよ。逆に何で詳しいのよ?」
「…そーいや、GGOで《ヴァナルガンド》手に入れてから、気になって詳しく調べたんだったわ」
「そうなの?…それで、どういうこと?」
「んー…。ユイさん、お願いします」
説明が面倒くさくなった俺は、ユイちゃんに全て丸投げする。シノンの呆れた目が痛い。
「はい。私がアーカイブしているデータによれば、今のクエスト及び、ALOそのものの原形となっている北欧神話には、《最終戦争》というものも含まれているのです。ヨツンヘイムやニブルヘイムから霜の巨人族が侵攻してくるだけでなく、更にその下層にある《ムスペルヘイム》と言う灼熱の世界から炎の巨人族までもが現れ、世界樹を全て焼き尽くす……という……」
「神々の黄昏……ラグナロク……。まさか、いくらなんでも、ゲームシステムがマップを丸ごと崩壊させるようなことできるはずが……」
神話や伝説に詳しいらしいリーファが呟く。確かにそれは大いに最もな話だ。だが、ユイちゃんは左右に軽く首を振る。
「オリジナルのカーディナル・システムには、ワールドマップを全て破壊し尽くす権限があるのです。何故なら、旧カーディナルの最後の任務は、浮遊城アインクラッドの崩壊させることだったのですから」
「ユイちゃん。たとえ《ラグナロク》が本当に起きても、バックアップ・データからサーバーを巻き戻すことは可能じゃないのか?」
「確かに。こんなこと運営側にとっても都合が悪いから、絶対それくらいの対応はするハズよね」
俺の話を聞いて、シノンが続く。だが、ユイちゃんは頷かなかった。
「カーディナルの自動バックアップ機能を利用していた場合、巻き戻されるのはプレイヤーデータだけで、フィールドは含まれません」
打つ手なしかよと全員が黙り込んでいる中、クラインさんが「そうじゃん!」と叫び、ウインドウを開いた。しかし、すぐに「だめじゃん!」と頭を抱える。
「なんのコントよ……」
呆れながらリズベットが毒づくと、クラインさんは情けない顔で振り向いた。
「いやぁ、GMを呼んで この状況を知ってんのかを確認しようと思ったんだけどよォ。人力サポート時間外でやんの……」
「年末の、日曜の、午前中だからなぁ……」
「クソみてぇなタイミングだなほんと」
誰も、何も言わなかった。
リーファの手の中で、また一つ、メダリオンの石が、黒く濁った。遠くで、邪神の断末魔が響いた。
トンキーが低く鳴いた。リーファは、その長い鼻をぎゅっと抱きしめた。
「……行こう、お兄ちゃん」
その声は、震えていなかった。
「エクスキャリバーのためだけじゃない。トンキーの国を、取り戻しに」
その言葉にキリトが頷いた。
「ああ。……元々今日集まったのは、あの城に殴り込んでエクスキャリバーを手に入れるためだからな。やることは変わらない。ただ、負けられない理由が一つ、増えただけだ」
「上等だぜ!今年最後の大クエストだ!ばしーんとキメて、明日のМトモの一面載ったろうぜ!」
クラインが、刀の柄を叩いた。
アスナが、リズベットが、シリカが頷く。シノンが、弓を握り直す。
やがて、トンキーはピラミッドを横切り上部の入り口の前に横付けした。
最後に飛び降りたリーファがトンキーに近寄り言う。
「待っててねトンキー!あなたの国を取り戻してあげるからね!」
荘厳な扉の前に立つと、扉が開き始める。その氷の城に俺たちは駆け出した。
アルバに「俺の女」と言われて嬉しいシノンさん。ニッコニコです。ALOは七人パーティなので、戦闘はどうするかなぁと考えています。