《SBCグロッケン》の夜は、いつ来ても乾いてる。
ネオンの看板が街の闇をぼやかしていて、金属と砂の匂いが混ざる。この世界の中央都市たる規模の建物がそびえ立つ。銃器屋の呼び込みと、酒場の笑い声が聞こえてくる。この世界は、現実みたいに湿ってない。だから呼吸が楽だ。
俺は街の端、メインストリートから一つ外れた路地の奥にあるカフェにいた。
人通りは少なく、ここがこの《ガンゲイル・オンライン》の中央都市だとは思えないほどの静けさがあった。ここは、俺―アルバがよく使うカフェだ。人混みを嫌う自分にとって、この静かすぎず、騒がしすぎない店はお気に入りの場所だ。席はいつも通り、壁際。出入口が見えて、背中に壁がある位置。動線を常に確保しておく、身に付いてしまった嫌な癖。いつも頼むジンジャーエールのグラスに口をつけながら、アルバは人を待っていた。
まだ約束の時間まで、十分程ある。少し早く来すぎたか、などと思ったが、遅れるよりはいいかと思う。ソロで常に動く自分はこの世界で人と関わることなど殆どないが、今日だけは事情が違う。あまりにも偶然が重なりすぎた結果だ。そう思っていると、今日起きた出来事が、頭の中で勝手に再生される。
編入してから数日後の学校からの帰り、少し遠回りして歩いていた。特に理由はなく、本当になんとなく、この辺りの道を知っておくか、とか思っただけだ。そうして辺りをなんとなくグルッと回り、いつもより少しだけ遅い時間に自分のアパートに続く道を歩いていた。しばらくすると、背中に気配を感じた。一定の距離を保ったまま自分の後ろを歩いている気配。肩越しに相手にバレないよう視線を向けると、見覚えのある女子がいた。数日前に転入したクラスの、隣の席の女子――朝田詩乃。学校からつけられた?とか考えたが、途中までそんな気配は感じていなかった為、その考えを否定する。それでも、なんかずっとついてくるなと思った。自分のアパートの前まで来てしまったのでさすがに止まって確認した。
『つけてきた、わけじゃねぇよな?』
『そ、そんなわけないでしょ!』
帰り道が一緒だっただけだそうだ。ならいいや、と思ってアパートに入ったら、なんかついてきた。まさかと思いつつ、もう一回聞いた。
『……やっぱ、着けてきたわけじゃねぇよな?』
『違うって言ってるでしょ!』
そして、部屋の前まで行くと、自分の後ろを通り過ぎ、隣の部屋の前で立ち止まる朝田。まさかのだった。同じクラスで隣の席で、同じアパートで、隣の部屋。どんな確率だよ、と思った。朝田も困惑した様子だった。そこから、少しだけ話をした。どうやら、朝田は俺より数ヶ月早くこのアパートの住人だったようだ。うるさくしないで、と言われたので、部屋にいるときはゲームしかしてねえから静かだ、と返したら予想外に食いついてきた。少し意外で、どんなゲームと聞かれたので、そのまま答えた。少しの間があったので、そこまで興味ねえか、と話を切り上げようとしたら、朝田が呟いた。
『……アルバ』
本当に驚いた。どっかで漏らしたか、と思ったがこれまで朝田とはそんなに会話をした事がなかったので、それはない。なんで知っているか聞くと、朝田は笑いながら答えた。この間はどうも。あなたに負けた女だと。最近戦ったプレイヤーで、見逃した、ただでさえ少ない女プレイヤー。そんなの、1人しかいなかった。
『お前、シノン?』
『そうよ。よろしく、白狼さん?』
多分、俺はすごい顔をしていた。そんな俺を見てあいつは笑った。その笑顔が、とても印象に残ってしまった。
『今日、21時にGGOで会わない? 場所はそちらの指定でいいから』
その後、混乱してる俺をよそに、朝田は平然と言った。
普段なら断っていた。面倒だから。関わる理由もないから。でもあの時は、頭がぐちゃぐちゃで、反射で承諾してしまった。そして、このカフェを指定していた。
朝田は頷いて、
『じゃあ、また後で』
そう言って部屋に入っていった。
――で、現在。
めんどくせぇ。ほんとに、めんどくせぇ。バックれてやろうかとかも思った。でも。隣の部屋で、学校でも隣で。バックれたら面倒な事になるのは目に見えている。
面倒を増やすのは嫌いだ。俺はジンジャーエールのカップを指で回しながら、入口を見続けた。
……ほんとに来るのかよ。
別に来なくても良いんだけどなとか思っていたその時、ドアが開いた。この血生臭い世界には珍しい、女性プレイヤー。空色の髪に、同じ色の澄んだ瞳。山猫を思わせる美貌をした女が辺りを見回し自分を見つけると、まっすぐ歩いてくる。そして、俺の座っている席の前まで来ると、こちらをまっすぐ見据えて口を開いた。
「ごめんなさい、待たせたかしら?」
俺は椅子にもたれ、わざとだるそうに言った。
「……マジで来たのかよ」
そう言うと、その女性―シノンは、顔を少ししかめながら答えた。
「約束したでしょ。リアルで」
「律儀だな。お前」
「あなたが言う?」
そう言いながら、俺の前の席に腰をかける。店員のNPCが来て、飲み物を頼む彼女を傍らに俺は目を細めて、尋ねた。
「……ほんとに朝田か?お前」
そう言うと、シノンが肩を竦めながら答える。
「そうよ。さっきも言ったでしょ?」
「疑わしい…」
「こっちの台詞よ。あなたこそ、本当に皆月?」
そう問われて、俺も肩をすくめて答える。
「お前が俺の正体を見抜いた張本人だろうが」
そう言うと、シノンが笑う。
「そうだったわね」
その満足そうな笑顔を見ながら、俺は尋ねる。
「…なんで俺がアルバだって分かったんだ?」
シノンは少しキョトンとした後、微笑みながら答える。
「勘」
「…なんだよそれ」
勘でプレイヤーの中身が分かるなら、全員分かってるだろ。そんな事を思いながら訝しげな表情をシノンに向ける。
「なんとなく、雰囲気が似てたから。もしかして、って思ったの」
「雰囲気ねぇ…」
「そ、雰囲気」
そんなやり取りの後、NPCがシノンが頼んだ飲み物を持って来る。それに口をつけるシノン。それを眺めながら、再びシノンに質問を投げかける。
「お前、いつからこのゲームやってんの?」
グラスを置きながら、シノンが答える。
「6月ごろから。友人に勧められて」
「へぇ。結構やってるんだな」
「そういうあんたは?」
「俺は7月の中頃からだから…約2ヶ月ってとこか。お前の方が先輩だな」
そう言うと、シノンが驚いた表情を浮かべる。
「それで、あの強さなの…?」
「褒めても何も出ねぇぜ?」
そう返すと、シノンがムッとした表情を浮かべる。
「…なんか、ムカつくわね」
「そりゃどうも」
そう返すと、シノンはジトッとした視線を向けてくる。俺は気にする素振りもなく、グラスを掴み口をつける。
その後、俺は話を終わらせる方向に切り替える。ここで長話する気はない。
「で。呼び出しの本題は?」
俺がそう言うと、シノンは飲み物を口にする。グラスを置いて、少しだけ姿勢を正した後、俺をまっすぐ見据えて言った。
「ねぇアルバ。提案があるの」
嫌な予感がした。大抵この手の“提案”は、面倒の上塗りだ。
「……何だよ」
そう聞き返すと、シノンはひと呼吸置いた後、その提案を口にした。
「私と、コンビを組んでほしい」
俺は瞬きした。予想外すぎて、反射が遅れた。
「は?」
シノンの瞳がまっすぐにこちらを見据える。
「あなたの動きを近くで見せて。癖も、判断も、距離感も。近くで見て、学びたい」
そう言うシノンに、俺は疑問をぶつける。
「なんで、そんな事をする必要があるんだよ?」
それは率直な疑問だろう。たかがゲームに、なぜそこまでして。それに、シノンは尚もまっすぐな目で答えた。
「あなたを倒すため」
「……は?」
今度は笑いそうになった。なんだその理由、と。そんな俺を余所にシノンは平然と続ける。
「今の私だと、あなたを倒すことなんか出来ない。この間、完膚無き迄に負けて、そう実感した。…だから、あなたの動きを見て学ぶ。そしていつか、あなたを撃ち抜く。そのための提案」
そう言い放ち、再び飲み物に口をつけるシノン。そんなシノンを見て、俺は思考を巡らせていた。
―――なんか、あるのか?
普通のやつなら、たかがゲームで強い相手に負けてもそれまでだろう。あいつ強いな、とかで終わり。でも、コイツは違う。こんなこと、普通なら絶対にしないだろう。余程の負けず嫌いか、それともこのゲームに、何かを見ているのか。
……聞いたところで、だな。
それを聞いたところで俺にはどうしようもないだろう。それよりも、別のことを聞くべき。そう考えて、俺は質問を投げかける。
「俺になんのメリットがあるんだよ?動きを見られて、殺されるための協力をしろって?」
その言葉に、シノンは少し考える素振りをする。そして、口を開く。
「…あなたの暇つぶし、私も協力する。後衛がいればあなたの負担も減るし、稼ぎの効率も上がる。取り分は…7:3でどう?」
「どっちが7だよ」
「あなたに決まってるじゃない」
その提案に、グラスに口をつけながら考える。
―――どうすっかなぁ…。
正直、面倒だ。別に今までスコードロン狩りで困ったこともないし、負けたこともない。危ない場面はあったかもしれないが、乗り切ってきた。この女は腕がかなり立つ。彼女程のスナイパーが後衛としているのは確かにかなり楽にはなるかもしれない。稼ぎの当分も悪くない、むしろ好条件だろう。だが―――面倒くさい。その一点に尽きる。
―――よし、断るか。
受ける義理もない、と結論づけ、彼女に視線を向ける。そして、その顔に息を呑み込んだ。その瞳はまっすぐこちらを見据えている。だが、表情は不安そうで、何より―――縋っているように見えた。それを見て、俺は大きく息を吐いた。それを見るシノンは緊張した面持ちで答えを待っている。
「…わかった。いいよ。しばらくコンビを組む」
俺がそう言うと、シノンはホッとした表情をして、口を開いた。
「……飲んでくれるの?」
「ただし、条件付きだ」
「条件?」
俺は指を二本立てた。
「一つ。俺の狩りに口出すな。邪魔もするな。俺は俺のやり方でやる。俺の指示は必ず聞け」
その言葉にシノンは眉をひそめる。
「見せて、って言ってるんだから、邪魔なんかしないわよ」
「一応だよ、一応。そんで、二つ。背中を撃つな。――当たり前だけどな」
その言葉にシノンは少しだけ目を細めた。
「あなたが言うとなんだか重いわね」
「んだよそれ」
「…ふふ」
シノンは小さく笑った。その笑いは、挑発じゃなくて、ほんの少し安心したみたいな音だった。
「いいわ。条件、飲む」
「…いいのかよ」
「ええ。無茶なお願いだもの。飲んでくれるだけありがたいわ」
「無茶な自覚があって助かるよ」
「あなたも、その無茶なお願いを飲んでくれるなんて、お人好しね」
そう言い笑うシノン。…なんか腹立つ。
「うるせぇ。クソ。…めんどくせぇ事になったな」
「めんどくさいのに、来てくれたんだ?」
「来なかったら絶対になんか言うだろ、お前」
「そうね。明日隣の席でずっと恨み言を言うつもりだったかもね」
「……マジで勘弁してくれ」
ふふ、とシノンは機嫌が良さそうに笑っている。その顔を見て、俺は何も言えなくなる。
「……今日は一旦解散だ」
俺がそう言うと、シノンも頷く。
「そうね。時間も時間だものね」
時計を見ると、午後23時前。明日も学校があるので、お互いそろそろログアウトする時間だろう。シノンが席から立って、手を出す。
「明日からよろしく、白狼さん?」
俺はその手とシノンの顔を交互に見て、大きく息を吐いた。そして、出された手を握る。
「……よろしく、氷の狙撃手」
握った手は細く、だが力強かった。
「ふふ。じゃあ、また」
シノンは踵を返し、店のベルを鳴らして出ていった。背中が小さくなるまで見送ってから、俺は椅子に座り直す。店内の静けさがもとに戻る。
……何やってんだ、俺。
ログアウトして、視界がいつもの自分の部屋に戻る。アミュスフィアを外して机の上に置き、天井を見つめながら先程までの出来事を振り返る。
(……ちょっと強引だったかな)
約束を取り付けるみたいに押し切った。普段の私なら、絶対にあんなふうに踏み込まない。
でも――。
アルバの強さの理由を知りたかった。銃を持つ手の迷いのなさ。距離の詰め方。狙撃を避ける勘。そして、殺さずに見逃す余裕。あれは、ただのゲームの上手さじゃない。
“何かを知っている”動きだった。
それを知れば。
私も、近づけるかもしれない。
現実の私が、あの記憶に押し潰されそうになるたびに。あの音、あの匂い、あの瞬間に引きずり戻されるたびに。銃を見るたびに凍りつく体が。あの音と、あの重さと、終わってしまったという感触が。
あの記憶を――ねじ伏せる方法が、見つかるかもしれない。
あるいは、手がかりなんて見つからなくても。
ただ、強くなりたかった。それだけかもしれない。
理由なんて、うまく整理できない。整理できないまま、コンビを組むことになった。
私は枕に顔を埋めて、息を吐いた。明日から、アルバと、あの白い狼と組む。あり得ない偶然が重なって、あり得ない関係が始まる。私は目を閉じた。明日も学校がある。もう寝なくては。だが、眠気はすぐには来なかった。それでも、胸の奥のざわめきは、少しだけ形を持っていた。
なんか、このシノンさんあんまトゲトゲしてないな?