後日。
演劇場で怪我人が出た。
そのニュースに、ドゥラカは息を呑む。
老朽化した舞台の屋台から、裏方の一人が落下。骨折したという。
劇場は、当面閉められることとなった。
ドゥラカは、その足で演劇場へ向かった。
商店街を抜け、角を曲がり、あの色褪せたポスターの貼られた建物の前に立つ。
――閉まってる。
乱雑に置かれた荷物はそのままで、窓には板が被せてある。
分かっていたはずだったが、焦りだけが胸の中を渦巻いていく。
正面扉に手をかけ、動かしてみる。
冷たい取っ手はびくともしない。
窓の隙間から中を覗くが、照明は落ち、人影はない。
裏口に回った時、タバコの匂いがした。
「……アンナさん」
座り込んだ人物が顔を挙げた。
「……ドゥラカちゃん」
「私……何かしたい。フライの場所を守りたい」
「やめて」
アンナは一瞬、感情的に言ってしまったことに後悔した顔を見せ、力無く微笑んだ。以前のような華のある笑顔は影を潜めていた。
「……ありがとう」
しかし、アンナは目線を逸らした。
タバコの火を消す。
「でも、これは大人の問題。あなたが背負うものは無い。……もう来ない方が良い。あなたも、あの子も」
ドゥラカを残し、裏口から中に入っていった。
後には、風に剥がれかけたポスターが、かさりと乾いた音を立てるだけだった。
その日から、ドゥラカは放課後になると外を歩いた。
商店街の中を歩き回り、長くここにいそうな人に話しかけた。
「事故? ああ、聞いたよ。古かったからね、なあ」
肉屋のおじいさんが頷く。
「若い子がやってる劇団でしょ。前の団長が逃げちゃって、苦労したみたいね」
奥さんが頰に手を当ててため息を漏らす。
「今、どこに行けば会えますか」
「さあねえ。前はよく顔を出してくれてたけど」
「再開は、いつ頃になるとか」
おじいさんが首を横に振る。
「俺は生まれてからずっとこの町で住んでるけど、物心ついた頃にはあの劇場があったんだ。かなりガタがきてる。また怪我人が出ないように直すしかないんじゃないか」
借金の話は、ここいらでは有名な話のようだった。
しかし、再開時期について知っている者はいなかった。
尋ねるたびに、首を傾げられる。
時には鼻で笑われることもあった。
「そんなこと調べて、どうするの?」
家に帰ると、携帯でSNSを開く。
あの演劇場の情報を少しでも集めたかった。
何日も夜更かしして、目をこすりながら画面を追う。
気づけば夜も更け、制服のまま机に突っ伏していた日もあった。
かつてあの演劇場を訪れた人の感想がいくつも寄せられた。
『良い役者が揃っていた』
『初めて演劇を見た場所です』
画面を更新しても、出てくる言葉は昨日と同じだった。
新しい情報は一つもないのに、時間だけが確実に減っていく。
「……っ」
苛立ちを押し殺すように、机に額をつける。
集めた情報を文章におとしこんでいく。何度書き直しても、薄っぺらく見える。
――誰のために書いているんだろう。
丸めた紙が床に落ちるたび、何かを失っていく気がする。
空が白んでも、ドゥラカの部屋の電気はついたままだった。
その姿を、ヨレンタとシュミットは、何も言わずに見ていた。
事故から二週間が過ぎた頃。
ドゥラカは、久しぶりに教会の扉を押した。
ひんやりとした空気。
蝋の匂い。
オクジーが箒とバケツを手に、顔を上げる。
「……どうしたの?」
ドゥラカは一歩前に出て、深く息を吸った。
「オクジーさん。……力を、貸してください」
集めたメモを差し出す。
「私……」
走り書きの紙、画面を写したスクリーンショット、噂話。
「フライの居場所がなくなるのを、見てるだけでは、嫌で」
ドゥラカは声が震えるのも構わず、思いを口に出した。
「事実を、ちゃんと伝えたい。少しでも多くの人に届けたい。……オクジーさんの文章の力、貸してください」
オクジーは、しばらく黙ってメモを見ていた。
それから、ふうと息を吐き、ゆっくりと頷く。
優しい笑みが浮かんでいた。
「……分かった」
二人は机を挟み、向かい合った。
静かな教会の中に、ペンを走らせる音だけが響いた。
暗くなるまで、何度も何度も書き直した。
後日。
朝刊を開いた瞬間、ドゥラカは息を止めた。
……あった。
オクジーと何度も書き直した文章が、紙面の中に印刷されている。
これは本当に、正しいことだったのだろうか。
今更になってよぎる不安を、頭を振って掻き消す。
指先が震え、紙を持つ力が抜ける。
——載った。
最近、事故のあった演劇場についての、投稿文。
借金を抱えながらも公演を続けていたこと。
役者たちを大切にしていたこと。
多くの人に愛されていたこと。
そして――このままでは、劇場が閉じてしまうこと。
記事の反響は、ドゥラカが思っていたよりも大きかった。
問い合わせが入り、支援の声が上がる。
有志によって資金が集まり始めたと、新聞社から連絡が入った。
劇場再開の目処は、まだ立っていない。
それでも。
かすかな希望の灯りがともったのを、ドゥラカは感じた。
学校終わりの放課後。
試験前の教会の中は、いつもの穏やかさの中にほんの少しの緊張が混じる。
他愛無いお喋りと軽口。
ラファウがノートの上にシャープペンシルを転がす。
「ドゥラカさん、おしゃれしたんだって?」
「……何で知ってんの」
「クラスの女の子が話してるのを聞いてね。見たかったなぁ」
「えー撮ってないし。バデーニさんの私服ならあるよ」
「うおっかっけー!」
「え。何でそんな写真持ってるんですか」
ドゥラカの携帯を覗き込んだ面々が口々に好きなことを言う。
「ドゥラカさんの写真はないの?」
「無い」
「えー普段とは違う格好、見たーい」
「ラファウ先輩、ドゥラカ先輩のこと好きすぎでしょ」
「うん。大好き」
「はいはい。ありがとー」
アルベルトが複雑な顔でラファウを睨みつける。
「フベルト先生はいいのかよ」
「フベルト先生は好きとかじゃ無い。愛してる」
「感情重すぎ」
「怖えよ」
ドゥラカの隣の席が、静かに引かれる。
「よう」
レヴァンドロフスキはいつもの軽い調子で手を挙げる。
フライは顔だけで応じて、席に着く。
ラファウはお喋りを止めない。
アルベルトがチラリと視線を向けた。
課題を取り出し、ノートを開きながら、フライは独り言のように声を出した。
「……あの記事さ」
「ん?」
フライは一瞬だけ、言葉を探すように視線を泳がせた。
「……何でもない」
そう言って、課題に集中し出した。
ドゥラカも自分のノートに視線を戻す。
ノートの下から覗く進路希望調査書の紙を、指先で押さえる。
しばらく、そのまま動かずに。
やがて、紙をきちんと揃えて、ノートの下に戻した。
おしまい