ヨレンタは、ひとつ、ため息をついた。
指は無意識に左手の薬指にはめられた指輪をいじる。
最近ついてしまったクセだ。
この指輪も、あの家も、任務のための「装置」として、きちんと機能している。
そして、あの子供も。
年に似合わぬ大人びた少女は、彼女のような年頃へのプレゼントというには幼いぬいぐるみを抱え、笑った。
シュミットは、何を考えているのか。
この「関係」は、任務のためにあつらえたもので、任務の終了は同時にこの関係の終了を意味する。
あの子に情が移るようなことはしない方がお互いのためだ、と強く思う。
たった数日の家族ごっこ。
偽りの時間は、ヨレンタの中に良い知れぬ罪悪感と、甘い痛みを植え付けていく。
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「遅えぞ。ラファウ」
放課後の教室で、レヴァンドロフスキが吐き捨てる。
しかしラファウは悪びれた様子もなく、先頭を歩き出す。
「学級日誌の提出があってね。さあ、行こうか」
「仕切んな!」
潰れた通学カバンを振り回し、ラファウを追いかける。後ろをフライとドゥラカがついて行く。
「バカバカし。バレたら即指導案件じゃない」
鍵の持ち出し。不法侵入。
当然、子供といえど、悪いことをしたら叱られる。
「保護者の呼び出し、ですかね。ドゥラカさんはそれ、まずいのでは?」
「……」
あの夫婦には要らぬ心配や迷惑をかけたくない。
ドゥラカの起こした行動によって、もし呼び出しを受けたら、あの人たちはどんな顔をするのだろう。
フライの目は、抜けるなら今だと語っている。
「……ま、ここまで来ちゃったし。最後まで付き合うよ」
前を歩く二人に追いつこうと、小走りに歩き出す。
小さなため息が、背中で聞こえた。
周りに人の目がないことを確認し、倉庫の扉の前で四人が集まる。
「……じゃあ、改めて」
「勿体ぶんなよ」
ソワソワと全員の目がラファウの手元に注目する。
カチャリ
少し硬い手触りの鍵が回ると、扉が開く。
そこには。
何も、無かった。
「は?」
昼休みにあったはずの大量の算数セットが、一つ残らず消えていた。
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放課後の職員室に、教頭の声が響き渡った。
「本日より、下校後の見回りを徹底せよとのお達しです」
職員室の前方で資料に目を通しながら、淡々と話す。
「近隣の学校で盗難事件があったそうです。学校の備品が多数。うちの学校に被害は出ていませんが、念のため」
一拍、間をおいて指を湿らせ、資料を捲る。
「怪しい人物や、校内に子供たちが残っていないかの確認をお願いします」
ずれた眼鏡を戻す。照明に反射して鋭く光った。
「特に」
教頭の視線が資料から職員室内に流れる。
「ボルコ先生のクラスにはやんちゃ者が多いですからな」
ボルコの肩がぴくりと動く。
含みのある言い方に職員室の空気が一段下がる。
「うちのクラスの子はやんちゃですが、悪事を働くような子はいません」
努めて穏やかな声で、ボルコは言った。
教頭がフンと鼻を鳴らした。
「可能性の話です。何も起きなければそれで。では、業務連絡を終わります」
教頭が職員室を出て行くと、誰ともなく小さく息を吐いた。張り詰めた緊張が緩んでいく。
はあ。
どうしてこんなに、胃が痛むのだろう。
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薄暗い倉庫の中。
シュミットは、作業服姿で目の前に積まれた品を見渡した。
どこにでもいる配送業者のような姿。
手に取ったのは、算数セット。一つ手に取り、中身を取り出してから、振る。
カラカラ。
乾いた音がする。
「……空じゃないな」
シュミットは無言で箱の底を叩く。
コツ。コツ。コツ。コン。
感触が違う。
二重底か。
裏側から叩いて薄い板を外すと、そこに銀色の包みが収まっていた。
完全に密閉されている。
シュミットはそれを取り出し、迷いなく外皮を裂いた。
さらり、と白い粉末が床に零れる。
検査キットを取り出し、手慣れた動作で液を垂らす。
息を呑む。
反応あり。
「……黒だな」
端末を起動し、簡潔に打ち込む。
すぐに返答があった。
銀の包みの代わりに発信機を仕込むと、算数セットを元に戻す。
振り返らずに、足早に倉庫を後にした。
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「ねえ、知ってる?隣の学校で盗難事件があったこと」
給食の入れられた食缶を手に持ち、ラファウが小声で話しかけた。
フライが首を横に振り、パンの入った袋を抱え直す。
レヴァンドロフスキが興味を示す。彼のエプロンにはドラゴンが描かれ、火を吹いている。
「んだそれ?」
レヴァンドロフスキの反応に気を良くしたラファウが目を輝かせる。
「なんと、盗まれたのは算数セットなんだって」
「それって」
「しかも、今日の朝、元あった場所に全て戻ってたらしいよ」
「それって、盗難って言うの?」
ドゥラカの横槍に、ラファウが首を傾げる。
「どうかな。でも、昨日僕らが見たものと関係あると思わないかい?」
確かに。
偶然というには出来すぎている。
「誰が何のために、そんな手の込んだことするんだ?」
ガラリ。
目の前の扉が開いた。
教頭だ。
眼鏡の奥の目をギョロリとさせて、子供たちを見つめる。
「口を閉じて、係りの仕事をしなさい」
「はーい」
パタパタと小走りで去って行くドゥラカたちの後ろ姿を、眼鏡の奥がずっと見ていた。
「ドゥラカさん、作文どう?」
ボルコからの質問に、ドゥラカは口をつぐんだ。
放課後呼び出された職員室で、ドゥラカは先日の授業の課題「私の家族」の作文の進捗状況を聞かれていた。
鞄の中には、真っ白なままの作文用紙が入ったまま。
「……」
「君の生い立ちのことは理解しているつもりだから。もし、辛いことがあるなら無理はしなくていいからね」
今週の参観日では、作文の発表をする予定だ。
ドゥラカは唇を噛む。
何を書いていいのか、分からないのだ。まだ、家族との距離を測りかねている。
お為ごかして書くことは賢いドゥラカには容易いことだったが、何となく、偽りの言葉でこの家族のことを書くことが出来なかった。
「……あと少しなんです。参観日までには、間に合わせます。私のことを考えてくれてありがとう、ボルコ先生」
ボルコの配慮に、ドゥラカは頭を下げる。
「さようなら」
「はい、さようなら。気をつけて帰るんだよ」
「はい」
通学鞄を背負い直し、門へ向かう。
レヴァンドロフスキ達はもう帰ってしまったのだろうか。
今日は秘密基地を作るとか、言っていた。今世を謳歌しているというか、何と言うか。
フライもなんだかんだ、彼のそばに居る。前世の因縁なんかに全く拘らない彼の姿勢が、居心地良いのかもしれない。
ドゥラカもそうである。
女子たちのプロフィール帳の好きな食べ物の欄にお茶漬けと書いてから、何となく彼女らとは距離が開いてしまった。
廊下に足音が響く。
下校後、人のいなくなった校舎内は別の場所のようで、落ち着かない。
ふと、校舎の隅の一角が目に入って、足を止める。
倉庫、開いてる。
ラファウの言っていた、消えた算数セットの謎が頭を掠め、好奇心が湧き起こる。
まさか、闇の組織が子供達の学校用品を使って犯罪を起こそうとしている、なんてそんなアニメやドラマみたいなことはないだろうが。
そんなことを思いながら、倉庫の中を覗き見て、眉を顰めた。
中には、真新しい図工セットが並んでいた。
こんな時期に?
引っ掛かりを感じる。
また消えてしまう前に、中身を確かめておく必要がある、と思った。
ドゥラカはひとつ、セットを手に取って中を開いてみる。中には、はさみやのり、折り紙といった学用品が入っているのみ。
何の変哲もない、ただの図工セット。
「……?」
ドゥラカの野生の勘が働く。持った感触が不自然だ。中身を全て取り出す。
箱の底に、わずかな歪み。
二重底になってる?
歪みの部分を押すと、底板がパコリと外れた。
中から出てきたのは、銀の包み紙。
「……なに、これ」
そう呟いた瞬間、ドゥラカの目の前を黒い布が覆う。