シュミットの、仕事用ではない方の携帯が鳴る。
『シュミット』
ヨレンタだった。珍しく、感情を含んだ言い方にシュミットの胸が騒つく。
『あの子が、ドゥラカさんが帰ってこないの』
今まで、遊びに出る時は一度帰って行き先を伝えていたと言うのに、今日は門限を過ぎても帰宅していない。
シュミットは背後の重装備を一瞥してから、携帯に声をかける。
「すぐ向かう」
『……でも、今から』
ヨレンタの弱々しい声など、これまで聞いたことがなかった。
「家族が優先だ」
そう言うと、一際大きい声で、言い放つ。
「作戦を中止する」
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ドゥラカは暗がりの中、目を覚ます。
ここは、どこ。
冷たい鉄の床。壁が微かに波打っている。
静かに響く地響きのような音に、ここがエンジンのかかったトラックの荷台であることに思い当たる。
ドゥラカの周りには、先ほどの図工セットが積まれていた。
トラックにかけられたホロの隙間から、わずかに見える景色は見知ったものだ。
まだ、学校にいる。
しかしエンジンのかかったトラックはいつ出発するか分からない。急いで逃げなければ、連れていかれてしまう。
身じろぎをするも、両手が背中で縛られ、ご丁寧に口には猿ぐつわがされていた。
モゾモゾとしか動けない状況でドゥラカの中に浮かんだのは、家族の姿。
ヨレンタさん、心配してるかな。
そう思うと、急に不安が押し寄せた。
泣きそうになりながら体を動かしていると、にわかに外が賑やかになった。
教員たちが、ドゥラカを呼ぶ声がする。
探してくれてる!
何とか声を出そうともがく。しかし声は言葉にならず、くぐもった声だけがトラック内に響いた。
そして、無情にもトラックが動き出した。
まずい、このままでは連れて行かれる。
焦った瞬間、トラックにブレーキがかかる。
「子どもが行方不明でして。中を確認させてほしい」
ボルコの声。
「しかし、急いでまして」
「すぐ終わりますから」
しかし、そう言った彼の声を遮る声がかかった。
「ボルコ先生、業者さんに迷惑をかけないでください。さあ、どうぞ」
教頭だ。
教頭の発進許可に、トラックが再び動き出す。
こ、このやろう。
教頭への怒りに思わず罵倒が飛び出しそうになる。
しかし、再び急ブレーキがかかり、ドゥラカの体が転がり、図工セットにぶつかった。バラバラと中身が散らばる。
「娘が行方不明でね。中を見させてほしい」
シュミットの声だ。
「備品だけですよ。傷がついては困るので」
「しかし先ほど、荷台から音がしていましたよ」
低い声で、シュミットが言った。
「あ、ちょっとお母さん!」
ホロが広げられ、暗い荷台の中に光が差す。
「ドゥラカさん!」
ヨレンタが飛び込んでくる。
口につけられた布を外し、手足の拘束を解きにかかる。
「……ヨレンタさん、すみませ」
言葉は最後まで出されることなく、ヨレンタに包まれる。抱きしめられたと気づいたのは、ひと呼吸遅れてからだった。
「……怖かったでしょう」
トラックの外では、シュミットが低く、業者に詰め寄る声がする。
「どう言うことですかな?」
「……くっくそ!」
やけくそになった業者の男が、アクセルを思い切り踏み込む。トラックは荷物を崩して乱暴に進む。
中にいたドゥラカとヨレンタも振り回されて転倒した。
その瞬間。
一斉にライトが点灯。
バラバラと重厚な足音がトラックを囲む。トラックが強制的に止められた。
「国家保安警察だ」
シュミットのよく通る声が響いた。
「確保!」
たった数秒の応戦。
数分後、ヨレンタがドゥラカと共にトラックから出てくる頃には、全てが終わっていた。
教師陣は目を丸くして、目の前で起こった出来事を見つめている。
「教頭先生」
ヨレンタが冷たい声で言い放つ。
「お話、聞かせていただけるかしら」
教頭がずれた眼鏡を直しもせず、肩を落とした。
目を丸くするドゥラカと教師陣の前で、粛々と物事が進んでいく。
業者の男と教頭は警察の車両に乗せられ、校長はそれをワタワタと見送っている。
背後でフベルトやボルコ達が警察から事情説明を受けていた。
遠目でそれを見つめていたドゥラカは、肩に置かれたヨレンタの手の微かな震えに気づいて目線をあげる。
彼女の目は、いつもの柔らかな微笑みを消していた。
数人の警官がヨレンタ達の前にやって来て、報告を行う。ヨレンタはそれを聞いて短い指示を出していく。
部下達が去っていくと、ヨレンタの視線はドゥラカに注がれた。
「……ヨレンタさん」
「……私たちは、国から命じられた任務の為に動いていた」
ドゥラカを見つめる目は優しい。しかし、言葉を発するごとに、揺れ動いているのが見て分かった。
「私とシュミットは本当の夫婦ではありません。あなたを養子に迎えたのも、作戦のうちで――この任務が終われば」
息を呑む。
「この役割は終了する。全て、元に戻す」
それは。
家族を無かったことにする、ということか。
ドゥラカは回らぬ頭で考えた。
「……ごめんなさい、騙すようなことをして。貴方にとって最も酷いことをした自覚はある。恨んでくれてかまわない」
「ヨレンタさん」
シュミットだった。
「作戦は成功した。証拠品は全て押収。発信機によって敵組織の本拠地も判明した。この任務は間も無く終了します」
その口調は淡々としていて、いつもの父親然とした態度ではなかった。
そうか、終わるのか。
現実味の無い話だったが、そもそもこの数日自体が現実味の無いものだったのだ。元通りになるのなら、夢を見ていたのだと思えばすぐ忘れるだろう。
そう思ったのに。
目からはポロ、と温かいものが落ちていた。
シュミットがドゥラカの様子を見て、目を閉じた。
「この任務は偽りの家族を作り、関係者として潜入する必要があった。
だが、偽りを本当にする方法がある」
フワ、とコートを靡かせて、シュミットが跪く。
ヨレンタが目を見開く。
「ヨレンタさん、私と結婚してほしい。任務ではなく、貴方と本物の家族になりたい」
シュミットがヨレンタの左手を取った。
ヨレンタの薬指に嵌められていた指輪を外すと、ポケットから指輪の入ったケースを取り出す。
ケースを手の中に置き、開く。
「シュミット……」
ヨレンタがあっけに取られている。
シュミットは我慢強くヨレンタの言葉を待っていたが、やがて痺れを切らして目を泳がせる。
手に冷や汗をかいている。
「……柄にもなく、緊張しているのです。返事を、聞かせてください」
その言葉にハッとして、それから微笑んだ。いつもの優しい笑みだった。
「……はい」
シュミットの手の上の指輪に、自身の手を重ねた。
ほう、とため息が漏れる。
シュミットは立ち上がりヨレンタの手を握った。
「そして、ドゥラカ君」
目の前の出来事をぼーっと見つめていたドゥラカは、急に名前を呼ばれて意識を引き戻される。
「改めて、私たちと家族になってくれないか?もちろん君さえ良ければ」
「……いいんですか?」
「もちろん。というより、君のおかげで決心がついた。君がいなければこの家族は始まらない」
ヨレンタが微笑み、手を伸ばす。
「……そんなこと言われたら、断れないじゃ無いですか」
ドゥラカはそう言って、二人に歩み寄った。
参観日。
名前を呼ばれ、ドゥラカは静かに席を立った。
教壇に立つと、クラスメイトの顔がよく見えた。後ろに並んでいる大人達の中に二人の姿を見つけ、少しだけ照れ笑いを浮かべる。
作文を取り出すと、凛とした声で読み上げる。
「……私の家族。
私の両親は、サンタのような仕事をしています。
ほしいものを配るのではなく、悪いことに、終わりを届ける仕事です」
周囲の大人がざわついた。
小さな咳払いが聞こえた。
「詳しい仕事の内容は言えませんが、かっこいい、子供の味方です」
教室は静かで、皆がドゥラカの作文に聞き入っている。
「お母さんは、自分の気持ちを隠すのが上手で、でも、誰よりも人を大事にします。
お父さんは、外堀から埋めていくタイプで、頼り甲斐があります」
ドゥラカが一度だけ作文用紙から目線を上げた。
ヨレンタの手がシュミットの腕を握ったのが見えた。
「……まだ、始まったばかりですが、私は、二人の家族になれたことを、本当に幸せだと思います」
控えめな拍手が起きる。次第に広がり、教室を満たしていく。
ドゥラカは一礼し、自分の席に戻る。
背中に優しい拍手を感じながら。
おしまい