ブラックとラテのあいだで   作:霜月AT

16 / 20
優しい人か、選ぶ人か

彼女が大阪へ戻って一週間。

 

相沢とは、あの日の会議室以来、必要以上の会話はない。

 

気まずいわけではない。

 

ただ、余白がある。

 

その余白が、以前よりはっきりしている。

 

 

 

金曜の夜。

 

仕事帰り、なんとなく真っ直ぐ帰る気になれず、駅から少し離れた通りを歩いた。

 

路地の角に、小さなバーがある。

 

前から知ってはいたが、入ったことはない。

 

黒い扉。

 

控えめな灯り。

 

その日、なぜか足が止まった。

 

中は静かだった。

 

カウンターに三席、奥にテーブルが一つ。

 

客は誰もいない。

 

「いらっしゃい」

 

カウンターの向こうに、四十前後の女性が立っていた。

 

短い髪。落ち着いた目。

 

俺は少し迷ってから、カウンターに座る。

 

「何にします?」

 

「……ブラック」

 

思わず言ってから、少し可笑しくなる。

 

女性は小さく笑った。

 

「ここ、バーなんだけど」

 

「あ、すみません」

 

「冗談よ。あるわ」

 

コーヒーが出てくる。

 

湯気が立つ。

 

「会社帰り?」

 

「はい」

 

「顔に書いてある」

 

「何がですか」

 

「考えごと」

 

返す言葉が見つからない。

 

見透かされた気がする。

 

「恋愛?」

 

唐突だった。

 

俺は咳き込む。

 

「どうして」

 

「ブラック頼む男の人は、大体どっちか。仕事か恋愛」

 

「じゃあ半分当たりです」

 

女性はカウンターに肘をつく。

 

「揺れてる顔してる」

 

胸が一瞬、止まる。

 

「そんなに分かりますか」

 

「分かるわよ。私も昔、散々揺れたから」

 

その言い方は軽いが、奥に何かある。

 

「揺れるのは悪いことじゃない」

 

コーヒーを飲みながら言う。

 

「悪いのは、揺れたことを隠すこと」

 

その言葉に、相沢と彼女の顔が浮かぶ。

 

俺は、隠していない。

 

少なくとも、隠さないようにしている。

 

「選ぶって、格好いいことじゃないの」

 

女性は続ける。

 

「切るってことだから」

 

その言葉が、静かに刺さる。

 

「優しいままではいられないのよ」

 

店内は静かだ。

 

時計の針の音だけが響く。

 

俺はブラックを一口飲む。

 

「あなたは、どっち?」

 

女性が聞く。

 

「どっち?」

 

「優しい人か、選ぶ人か」

 

即答できない。

 

沈黙。

 

女性はそれ以上追わない。

 

「まあ、また来なさい」

 

それだけ言って、グラスを磨き始める。

 

 

 

店を出ると、夜風が少し冷たい。

 

優しい人か、選ぶ人か。

 

その問いが頭の中で反響する。

 

スマホが震える。

 

大阪からだ。

 

――「今日、少しだけ声聞きたいです」

 

俺は立ち止まる。

 

迷わない。

 

――「今から電話する」

 

送信。

 

ブラックの苦さが、少しだけ違って感じる。

 

揺れている。

 

でも、目は逸らしていない。

 

選ぶって、切ること。

 

その言葉が、ゆっくりと胸に沈んでいく。

 

バーの灯りが、背後で小さく揺れていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。