艦隊これくしょん - variety of story - 作:ベトナム帽子
現在もE-5攻略中なのです。燃料が切れてしまった。
今回は菊月の話。
菊月は空を見上げる。
「降ってきたな」
雪。北の海、特にアリューシャン列島が近いカムチャッカ半島東の海域では珍しくないことだ。菊月は帽子を目深に被り直す。
菊月は母艦である輸送駆逐艦『隼』北洋漁業の船団護衛として来ていた。他にも三日月、文月、長波が護衛に参加してる。
西太平洋の制海権が人類側にあると言っても、北太平洋の制海権は完全に人類側にはない。掌握しているのは、せいぜいロシアのアレウツキー島までだ。
深海棲艦と出くわす少々の危険はあるものの、北方海域は非常に良い漁場だった。
しかし、艦娘にとっては嫌われている海域だった。
まず、天候が常に悪いこと。低気圧が集まる北太平洋はほぼ雨、雪が降り続ける。
次に漁の期間が長いこと。北欧漁業は短くて半月、長くて2ヶ月という長い期間かけて漁を行う。その間、娯楽などが少ない生活を送ることになる。
そして、寒いこと。これが嫌われる一番の理由だった。砲身が凍結することがあるほど、冬の北方海域は温度が下がる。風は艦娘の障壁により防ぐことができるが、気温は対処が難しい。艤装には体温維持装置のような機能もあるが、寒いものは寒く、艦娘はセーラー服などの上に防寒着を着込むなどの対策に努めるほか対処のしようがない。
菊月にとってはこの護衛任務はあまり嫌いではなかった。
菊月は太平洋戦争ではツラギ諸島で沈没し、今も艦体を残している。この世界に生まれ変わるまでの記憶がある菊月はツラギの熱帯気候の海とは違う、北方の寒帯気候を新鮮に思っていた。
この護衛任務で一番の楽しみは風呂だった。ありがたいことに母艦の駆逐艦『隼』では艦娘の交代を見計らって風呂が沸かしてくれている。
菊月と三日月は船団護衛を文月、長波と交代すると、すぐに風呂に入った。
浴槽の大きさは2人が向き合って足が伸ばせるくらいの大きさで、熱い湯がたっぷりと入っている。
2人は適当にかけ湯をして、肩まで湯につかる。
「極楽だな」
「極楽ですねぇ」
寒さでこわばった体の筋肉がほぐれていくような気持ちの良い感覚を存分に味わう。風呂は命の洗濯とはよく言ったもので、体と共に心まで安らかになっていくようだ。
「本当、極楽です」
三日月は顔の線をすべて曲線にして、足の指を動かし始めた。
「足のしもやけ、大丈夫か?」
菊月が尋ねる。三日月は足の指がしもやけになっているのだ。
三日月が足を引っ込めた。
「ごめんなさい。気になりましたか?」
「いや、かまわないが」
三日月は足を曲げて、手で足の指を揉み始めた。患部を暖めながら揉むのが良い治療法なのだ。
「私達が人間と同じ病気になるなんて、変な話ですよね」
三日月は自分のしもやけになった足の指を見つめながら言った。
「まあ……、そうだな」
菊月も自分の足先を見る。菊月はしもやけにはなっていない。
艦娘は元々、鉄の塊である艦船だ。艦娘として生まれ変わって、人の体を得たら混乱することばかりだ。
菊月は自分がツラギに擱座して風化していったことを思い出す。自分の艦体が長い年月をかけて削られていく感覚。あれと似たようなものだろうか。艦娘になって風邪すら引いたことがない菊月にはいまいち分からない。
「菊月姉さんは……艦娘として生まれ変わって良かったと思いますか?」
三日月は顔を上げて聞いた。
「生まれ変わって良かったことか……いろいろあるな」
人間の食べ物を直接食べることもできれば、遊ぶことだってできる。会話だってできる。風呂にだって、こうして入ることができる。
菊月は両手で湯をすくって、揺れる湯面に映る自分の顔を見た。
人間の女の子。
タオルで髪をまとめた、いつもと変わらない自分が映っている。
違和感が走った。
いつもと変わらない自分?
この白髪の少女が? 自分?
――舞鶴海軍工廠――ツラギ――
湯面に覚えのある光景が浮かんでは消え、浮かんでは消える。潮と砂の香りがする。艦内の風呂場なのに。
――TBDデバステーター――敷設艦沖島――コバルトブルーの海――森艦長――夕月――水底――米兵――砂浜――現地人――トーキョーベイ――錆び――夜空――崩壊していく艦体――日本人――――そして菊月。
睦月型駆逐艦の――艦娘ではない菊月。
私は誰だ?
潮と砂の香りが強くなる。椰子の葉が揺れる音がする。
私は本当に――――えさん? 菊月姉さん!?」
「――っ!?」
「大丈夫ですか? 菊月姉さん?」
三日月が肩を揺さぶっていた。どうも意識が飛んでいたらしい。両手ですくっていた湯は全部こぼれて、なくなっている。
「ん……ああ。大丈夫だ……」
「本当ですか? のぼせたんですか?」
菊月は頭に手を当てる。あの違和感は消え失せている。澱みのない、クリアな頭だ。その代わり、胸の方にわだかまりのようなものができている。
「大丈夫なんですか?」
三日月が菊月の顔をのぞき込むように伺う。戦場で誰かが損傷を負ったときに三日月が見せる心配そうな顔だ。
「心配性だな、三日月は」
菊月はもう一度、両手で湯をすくって、顔を洗った。
風呂から上がって、菊月はベットの中で考えていた。
自分が何者であるかなんて、生まれ変わってから一度も考えたことはなかった。
自分は睦月型駆逐艦9番艦「菊月」である。そういう確証が、人の体を持って、この世界に生まれ変わったときには確かにあった。
自分は外見こそ、人間の女の子だが、自分は帝国海軍の駆逐艦「菊月」なのだと。
それが、今では揺らいでいる。
自分が舞鶴海軍工廠で第三十一号駆逐艦として竣工した1926年からこの世界に生まれ変わる2013年までの87年間の記憶は確かにある。
第三十一号駆逐艦から菊月に名前が変わったこと。
航空戦隊に所属していた日々。
夕月、卯月と第二十三駆逐隊を組んだこと。
ツラギでデバステーターに雷撃され、沈んだこと。
米軍に引き揚げられ徹底的に調査されたこと。
戦後、自分が観光名所になったこと。
風化により、艦橋構造物はなくなり、もうすぐ自分の全てが消えてなくなること。
このまま朽ち果てるのが運命なのだと受け入れたこと。
すべて、すべて覚えているのに、私は「菊月」であることに自信が持ていない。
さらにあの感じた潮と砂の香りはツラギのものだ。私は今もあの場所にいるのか?
艦娘としての睦月型駆逐艦9番艦「菊月」は本当に、睦月型駆逐艦9番艦「菊月」なのだろうか?
次の日の朝。
菊月は『隼』の艦尾である艦娘発進デッキにいた。
『隼』を初めとする雲雀型輸送駆逐艦の艦尾は海面に向けて傾斜が付けられており、その斜面に艦娘発進用のカタパルトが装備されている。
菊月はあくびをする。昨夜はあまり眠れなかった。
自分が何者なのか、問い続けた。答えは出ないまま、朝が来た。
菊月はもう一度あくびをする。だらしないとは思うが、生理現象だから仕方がない。
生理現象だから、というのも変だと思う。いや、人間だったのならばおかしくはないのだろうか?
これから護衛任務に就くというのに、頭は「菊月」についてとらわれ続けている。
「昨日、よく眠れなかったの~?」
文月が尋ねた。今朝の僚艦は文月だ。
「まあ、そうだな。あまり眠れなかった」
「眠れないときは、羊を数えるといいんだよ~。武田さんが言ってたの~。いち、にい、さん、しいって」
文月は目をつむって数え続ける。ちなみに武田さんとは『隼』の艦娘艤装整備員の一人だ。
菊月にとって文月という姉はあまり好きではなかった。語尾を伸ばす独特のしゃべり方といい、ほんわかとした柔らかな雰囲気といい、なんだか調子が狂うのだ。でも決して嫌いというわけではない。
「今度、寝られないときは数えてみよう」
何かにとらわれるならば、別のことに意識を集中する。これは今の自分にも言えることだ。
菊月は両手で両頬を叩いた。
今は目の前の任務に集中しよう。
菊月と文月が、三日月と長波の2人と護衛を交代するために発進したすぐ後、『隼』の艦橋にある報告が上がってきた。
所属不明の艦艇3隻が西から接近中。
「エコーじゃないのか?」
『隼』艦長はレーダー技官に尋ねた。大量生産のために質を下げられたレーダーにはたまに幽霊が映る。
この海域には艦船は北洋漁業の船団以外いないはず。レーダーに映りにくい深海棲艦はノイズと処理されて見えない。そうなるとエコーと疑うのは当然だった。
「エコーとは思えません。3隻、確実に近づいてきます。艦規模は巡視船クラスです」
「警戒気球のカメラは捉えたか?」
『隼』にはレーダーに映りにくい深海棲艦の早期発見のために、警戒気球が装備されていた。警戒気球には高倍率カメラや赤外線カメラが装備されている。
「今捉えました。巡視船クラス3隻です」
警戒気球カメラの画面を覗く。確かに巡視船と思われる艦の姿が映っている。国籍はまだ分からないが、日本艦船のシルエットではない。
「向こうから通信は?」
「まだありません――いえ、今来ました」
「ロシア海軍の国境警備隊か……」
菊月は呟く。ロシアが何の用だ? そう思わざる得ない。
『隼』からのリレーされた通信内容を要約すると「この海域はロシアの支配海域だから出て行け」ということらしい。
経済水域でもなく、禁漁区でもない、正式な公海で漁をしているのに何を言うか。
ただ単に、ロシアの海軍力を見せつけたいだけなのかもしれない。
『菊月はロシア巡視船に並走して、相手の動きを探れ。文月は離れた位置に待機』
「了解」
菊月は船団から離れ、ロシアの巡視船に進路を向ける。
ロシアの巡視船はかなり大型の巡視船だった。排水量は2000トンはあるだろう。武装に艦橋前に76㎜クラスの自動速射砲、両舷にボフォース40㎜機関砲を4基搭載している。対深海棲艦に特化した武装だ。艦娘である菊月でもこの3隻と同時にやり合ったら勝てるかどうか分からない。
そして巡視船の前方の海に立つ人影が3つ。ロシアの艦娘だ。
艦娘はおそらく重巡1隻と駆逐艦2隻の3隻。
重巡洋艦娘は白の帽子に黒の服。長い金髪で聡明そうな顔立ちをしている。艤装は20㎝よりも一回り小さい口径の3連装砲が2基。10㎝級の単装砲が4基。魚雷は53.3㎝級の3連装発射管2基。重巡なのに爆雷まで積んでいる。
駆逐艦娘は金髪をツインテールにした艦娘と茶色の髪を短く切りそろえた艦娘の2人。おそらく2隻とも同じ型で、セーラー服の下に紺と白の縞模様のシャツを着ている。艤装は12.7㎝級単装砲と76㎜級高角砲が上下で組み合わさった銃型艤装を持っている。魚雷は重巡の方と同じ53.3㎝級の3連装発射管が太ももに2基。背中には多くの駆逐艦娘と同じく機関と煙突が合体した艤装を背負っている。
『北北東に深海棲艦3隻! 距離9000!』
ロシアの編成を報告したすぐ後に『隼』が無線で知らせてきた。この船団護衛をしていて初めての深海棲艦だ。
菊月は双眼鏡で敵影を捜す。
――見つけた。波しぶきの様子から3隻と分かるが、艦種は遠すぎて分からない。
『文月、菊月は迎撃に向かえ!』
「『隼』! ロシア巡視船はどうする!?」
『放置せよ! 深海棲艦の迎撃を優先する!』
ロシア巡視船がどう動くかは分からないが、深海棲艦の方が船団にとっての脅威なのは確実だ。
「了解。文月行くぞ!」
菊月はロシア巡視船から離れ、文月と合流する。
再び双眼鏡で敵の進路を確認する。敵は一直線に船団に向かっている。このままだと、1分もせずに敵が砲撃を始めるだろう。
「こちらに注意を引く!」
菊月と文月の12㎝単装砲が火を噴く。2人が放った砲弾は深海棲艦の手前に着弾し、水柱を上げた。
深海棲艦3隻は2人に気づいたのか、進路を変え、菊月と文月の方に向かってくる。注意を引きつけることには成功した。
次は撃破するだけ。船団を戦闘に巻き込まないために、船団から離れる。船団に砲弾が飛ぶことは避けなければならない。
深海棲艦が一瞬光り、菊月の右前方に水柱が上がった。敵の砲撃だ。菊月達も負けじと撃ち返す。
双方、至近弾は与えるものの命中弾はない。じりじりと互いの距離が近づき、深海棲艦の姿がはっきり見えてきた。2隻は同じ種類のようだ。エメラルドに光る一つ目と上下に開く口。ハ級だ。もう1隻は――
「リ級! 敵の1隻は重巡だ!」
ヒト型で左右の腕に生物じみた艤装。間違いなくリ級だ。
「長波と三日月をよこしてくれ! 私と文月だけでは無理だ!」
相手は重巡。駆逐艦、特に艦隊型駆逐艦に比べれば性能の低い睦月型駆逐艦で相手するには手に余る相手だ。
『こちら「隼」。現在、長波と三日月は燃料補給中。完了次第そちらに向かわす。それまで耐えてくれ!』
「くっ、了解! 足止め程度にしか期待しないでくれ!」
菊月は最大の脅威であるリ級に集中して12㎝砲弾を浴びせる。何発か命中するが、さほどの損害にもなっていないようだ。
「これでも食らえ~!」
文月もリ級に向けて撃つが、命中しても悠然と砲撃してくる。
「文月! 雷撃戦、用意!」
砲撃が効かないのなら、駆逐艦の必殺兵器である魚雷だ。
菊月と文月は酸素魚雷ではなく、空気魚雷を搭載しているが、駆逐艦クラスに当たれば確実にばらばらにできる程度の威力はある。いくらリ級であろうと命中すれば、航行不能は免れない。
「魚雷、撃てーっ!」
「駆逐艦の本領発揮だよぉ~!」
両足の発射管から圧縮空気と共に61㎝魚雷、それぞれ6本、合計12本の魚雷が発射される。
魚雷は白い雷跡を残しつつ、ハ級、リ級に向かう。
命中。赤黒い水柱がいくつか上がった。
「やった~!」
文月が歓声を上げる。
「いや、待て!」
菊月は文月を制止する。水柱から1隻出てきた。
――リ級だ。魚雷を当てるべき敵に当てれなかったのだ。
リ級はすでに菊月に照準を合わせていた。避けられない。
閃光。リ級の8インチ砲弾が菊月の障壁に当たり炸裂。しかし、勢いを殺しきれなかった砲弾の破片が菊月の衣服を切り裂く。大型の破片が左足に当たり、菊月は激痛のあまり、その場に転倒する。
菊月は12㎝単装砲をリ級に向けようと右手を前に突き出す。しかし、右手には12㎝単装砲はない。爆風で吹き飛ばされたらしい。
「こっち向いて!」
文月がリ級の至近距離まで近づき、砲撃する。そんな三日月をうざったく思ったのか、右手で砲撃。文月がひるんだところを殴り飛ばす。
リ級は再び8インチ砲の照準を菊月に合わせる。損傷した上、転倒して隙のできた菊月を確実に沈める気だ。
『今、長波と三日月が発進した! 持ちこたえろ!』
波――風――リ級――文月――ありとあらゆるものがスローモーションになる。この状況を回避するために頭が高速回転しているのだろう。
自分が何者か。その問いが復活する。
自分はそれが分からないまま、北の冷たい海に沈むのか?
――嫌だ。
自分が何者なのか、何のために生まれてきたのか。何も知らずに沈むなんて――――
――そんなのは――嫌だ!
痛む足に力を入れる。砲弾を避けるために気力を振り絞る。
リ級左腕の砲口が丸い点になる。間に合わない!
――まだ死ぬわけにはいかない!
「菊月」を知るまでは!
爆発、衝撃。
目の前のリ級だ。どこからか飛来した砲弾に左腕をもぎ取られていた。
リ級が残った右手を砲弾が飛来した方向へ向ける。しかし、リ級が発砲するよりもリ級の胴体に砲弾が命中する方が早かった。
上半身を失ったリ級は北の冷たい海に沈んでいく。
放心していた菊月に3隻の艦娘が近づいてきた。ロシアの艦娘達だ。
「旧式駆逐艦2隻で重巡クラスに立ち向かうとは、勇敢ですね」
ロシアの重巡洋艦娘が言った。そして菊月に手を差し出す。菊月はその手を取って立ち上がった。左足は痛むが虚勢を張った。
「ロシア海軍太平洋艦隊第5水上艦娘隊旗艦のマクシム・ゴーリキー級軽巡洋艦マクシム・ゴーリキーです」
ロシアの重巡洋艦娘は英語で自己紹介した。続いて、後ろの駆逐艦2人「ストーイキイ」と「スローヴイ」も紹介する。
「どうも――」
言葉が詰まる。自分は本当に「菊月」か。自分が分かりのしないのに「菊月」と名乗って良いものか。
「睦月型駆逐艦9番艦『菊月』ですよね」
マクシム・ゴーリキーが言った。菊月は目を見開く。
「なぜ名前を?」
「覚えさせられましたよ。仮想敵だからって」
「菊月ぃー!」
長波が12.7㎝連装砲を構えて、全速力で近づいてくる。それを見たストーイキイとスローヴイは13㎝単装砲を構えるが、マクシム・ゴーリキーが「やめなさい」と言って、下ろさせる。
撃ってこないのを不思議に思った長波も連装砲を下ろし、菊月のそばで止まった。
「どちらさん? あ、例のロシア艦娘?」
マクシム・ゴーリキーが再び自己紹介。長波は「こ、これまた御丁寧に」と礼をした。
長波は菊月の耳元に口を寄せる。
「助けられたってこと?」
菊月は頷く。たぶん、そうなるのだろう。菊月の目の前で炸裂した砲弾の威力は駆逐艦クラスのものではない。マクシム・ゴーリキーのもので間違いないだろう。
「助けていただいたこと、礼を言う。ありがとう」
菊月は手を差し出し、マクシム・ゴーリキーと握手する。
「しかし、なぜ私を助けた?」
素朴な疑問だった。今回、ロシアの巡視船が出てきたのがロシアの海軍力を見せつけるためであったとするならば、私が撃破された方がロシア側にとっては良かったことなのではないか?
「お互い艦娘です。あの世界で『どん底』にいたとしても、この世界は新しい世界なんです。新しい人生なんです。こんなところで沈没するなんて駄目なんです」
マクシム・ゴーリキーは強く、しかし優しい口調で言った。
菊月は松葉杖で体を支えながら、『隼』の前部最上甲板(艦首の方の甲板)で海を見ていた。
すでに船団は日本への帰路についている。
「『新しい人生なんです』か……」
マクシム・ゴーリキーの言葉を反復する。
私は過去にとらわれすぎていたのかもしれない。なまじ87年間の記憶がある分だけ、普通の艦であったころの睦月型駆逐艦9番艦「菊月」という過去に。
でも今は艦娘の睦月型駆逐艦9番艦「菊月」なのだ。白髪で赤い目の女の子。これが私、新しい「菊月」なのだ。
2年前に1つの人生が終わって、2つ目の人生が始まったのだ。
ただ、未だ謎は残る。なぜ生まれ変わったのか、という謎だ。
菊月は軽く笑った。
捜そうじゃないか。軍艦の姿ではなく、人の姿で生まれ変わった「菊月」の意味を。
この身が滅びるまで。
三日月は冬場にはしもやけになる。絶対。
今回、初めて海外艦娘を出しました。
マクシム・ゴーリキー級軽巡洋艦「マクシム・ゴーリキー」とストロジェヴォイ級駆逐艦「ストーイキイ」、「スローヴイ」です。
作中、菊月はマクシム・ゴーリキーを重巡と報告していますが、ソ連での類別は軽巡なのだそうです。自己紹介の所は誤植じゃありません。
マクシム・ゴーリキー級軽巡洋艦は18㎝砲を搭載しているので、ワシントン条約の規定に基づくと重巡洋艦ですけどね。