次の日の朝、アリスはカナリアイエローのリボンでいつもより強めにポニーテールを結いあげた。自分の長所は切り替えの早さだ。パンケーキをいつもより一枚多く食べたらもっと元気が出るはず。朝食の時間、食卓の上のジャムを探していると隣のライアンが瓶を開けて渡してくれた。
「あぁ、ありがとう」
「いや……ほら、ベーコン」
おまけとばかりに分厚いベーコンをわざわざ一口サイズに切り分けて皿に盛ってくれる。これまでにない"世話焼き"に、きっと昨日から心配してくれているのかもしれないと察した。それが少し恥ずかしくって、早く忘れて欲しい……。
視線を上げると斜めに座っているフレッドとジョージと目が合う。彼らは、一瞬気まずそうに顔をこわばらせた後、何でもないように騒がしく食事に戻った。冷戦状態である。お互い振り上げたこぶしを下せなくってストレスだった。
勉強の合間に息抜きでアリスはスケッチに出かけた。折角あたたかくなってきたのだから城の外で陽射しを浴びたい。玄関ホールに向かう途中、セドリックの友人のハッフルパフ生にバッタリ会う。「アリスも気晴らしに日光浴?」ゴージャスなカーリーヘアを涼しげに一つに束ねたジルが気さくに声をかけてくれる。
「うん、絵を描きにいくの」
「素敵ね。湖をおすすめするわ。日が傾いてきたけれど……光が差し込んでいて綺麗なの」
「課題は苦労してない?」ジルの背後から顔覗かしたアダムが、リムレス眼鏡を押し上げて尋ねる。
「うーんちょっと……?」
ここで弱音を吐いたら兄の耳にも入ってしまいそうなのと、少しの虚勢で言葉を濁す。
「俺も一年の今頃は課題の量に目を回していたよ」
「アダムは今もね」ジルの口出しにアダムは苦笑した。「まぁ何かあったら声かけてよ、君には頼りがいのある兄上もいるだろう?」
「そうね。もうすぐセドが戻ってくるはずよ。箒を置きに行ったから」ジルが後ろを指差す。
「アー 私、友達と約束しているから急がないと。湖に行ってみるよジル。アダムもまたね」
適当にはぐらかしてアリスはその場を離れる。挨拶くらいはあれど、彼らと世間話するのはほぼ機会はなかった。けれどお互い長けた社交性のおかげで気まずい雰囲気にならずに済んだ。
湖は、空色が映り込んでいて気持ちのいい景色だった。芝生も柔らかくなっていて、座り心地が良い。筆が乗ってきたので、鞄の底から絵の具も取り出して着彩にも取りかかる。爽やかな風が頬を撫でて、アリス一人分の影も揺らした。
「お兄ちゃんもこんな空の中、飛んでいて最高だったろうな」
ブルーで塗り広げられた手元の空に、アリスは小さく人影を描きこんでみた。箒にのっている”兄”。
「……さみしい」
そう思わず呟いてみたら何だか本当に寂しく思えてきた。いや、寂しかったのかもしれない。セドリックが三年前、家から出て行ったあの頃よりも。一緒にホグワーツに通う今の方がそう思える。だって今までは私が一番兄を理解していたのに。きっと皆の方がセドリックのこと詳しくなってしまった。そんな自分が寂しい。
一回目、二回目……家に帰ってくるたびにお兄ちゃんが知らない人になっていった。私の知らない場所で出会った、私の知らない人について話すセドリックは私のお兄ちゃんじゃなくなってしまったみたいで。不安で寂しくてちょっと憎い。その感情は、次第にセドリックへの反抗心に変わっていった。兄が優しく声をかけてきても、つい突っぱねてしまう。本当は寂しいだけなのに。
日が西へ傾いて、広大な湖に映る光がオレンジ色に変わっていきどこか切なさを誘う。アリスの目は、湖の表面で揺れる光を追っていた。沢山の人に囲まれているセドリックはもう私だけの遊び相手じゃなくなった。今の兄は何が好きなのかも知らない。まだナッツブリトルが好きなのかな?
「……本当は昔みたいに話したいのかもしれない」
アリスはぎゅっと拳を握り、湖に向かって自分の胸の内を声に出したのだった。
湖から帰ってきて、談話室で今日一日描いたスケッチブックを眺める。自分ひとりの時間を過ごしたあとは少し、センチメンタルな気持ちに襲われる。
「どうしたんだよ、そんな顔して?」
声をかけてきたロンにアリスは顔を上げ、少し驚いたような表情を見せた。
「なんでもないよ」
「嘘つけよ。それ、妹がよくする顔だ」
ロンはアリスの隣にどっかりと座りこむ。
「さすがだね。たくさん兄弟がいると、妹の顔の違いまでわかるんだ?」アリスは苦笑いを浮かべた。「……ロンは兄弟と比較されること多い?」
アリスの質問にロンは肩をすくめる。
「ビルやパーシーは監督生だし、チャーリーはクィディッチのキャプテン。そんな僕は"普通のウィーズリー"扱いさ」
「……」
自分だったら、「そんなことないよ」という慰めの言葉に情けなさを感じる。ロンもそうだろうと察してアリスは静かに口を開く。
「いじけるのは楽しくない……でもなかなか素直になれないの。皆、 『優秀なセドリックに頼れ』 ─っていうけれど」
「無理な話だよ!兄貴に 『お願いします』 って頼めって?」
アリスはふふ、と笑みがこぼれる。簡単に聞こえるかもしれないが末っ子なりの複雑なプライドが邪魔をしているのだった。
「でも私、意地を張っちゃうのはもうやめたい……大人になりたい」ちょっと照れるけれど思い切ってロンに告白する。「いいね」ロンが相槌をうつ。
「じゃあさ、双子とも仲直りする気はある?」彼の切り込んだ質問にアリスは言い淀む。
「……あるよ」
「ならセドリックよりも簡単さ」
ロンが顎をしゃくった方を振り向くと、フレッドとジョージが階段から顔を覗かしていた。「……やぁ」
二人は同時に言葉を発した。
「悪かったよ」
「アリスより二個大人な俺たちがここは謝るべきだよなって」
ロンが「エヘン」と咳払いするとジョージが気まずそうに口を開く。「俺ら……良い仲間ができたと思ったのに、ちょっと「いやかなりだ」──気に食わないセドリックの妹だって知って、つまらなかったんだ」
途中で口を挟んだフレッドがそのまま言葉を続ける。
「……アリスがセドリックに似てないのは俺らからしたら気分いいくらいなんだよ」
フレッドがチラリとアリスの顔色を伺うので「まぁ……私も大人ですからね」と、ちょっとませたように言葉尻を濁すが双子に歩み寄る。
「私たち、仲直りってことでいい?」
「勿論」
緊張は一瞬でなくなり、アリスは双子はハグをねだると彼らは笑顔で背中に腕を回してくれた。
「こんなに簡単に元通りになれただなんて。早くこうすればよかった」
「調子いいやつだな。でも俺も同感」
フレッドがアリスの頭をこねくり混ぜるのでアリスは無邪気に笑った。
「じゃあ次の応援旗はウィーズリー兄弟をメインで描いてくれよ」
「どうかな、ディーンと相談しないと……でもいいね」
「グリフィンドールのお抱え画伯に期待だ」
自室に先行く双子と軽口を叩きあいながら、アリスは振り返ってロンを見つめる。
「ねぇ、またロンに悩み事聞いてもらいたいな」
腕を頭の後ろに組んで、ほっつき歩いているロンは何の気なしに承諾した。
「ウン、僕らは”悩める末っ子”だからね」
「頼れるよ」
アリスの嬉しそうな笑顔にロンは鼻の下をこする。
「アリスにはコッソリ教えるけどさ……」
近づいて耳打ちをする。 「ハグリッドがドラゴンを飼ってるんだ」
「ドラゴン?」
ロンは大袈裟に肩が跳ねらせ、そのまま彼女の口を両手で塞いだ。
「大きい声出すなよ!双子はもう部屋に戻ったみたいだけどさ……」
「ドラゴンはスケッチしたことないなぁ」
「君もドラゴンが庭にいるような友達だと思ってるわけ?」
アリスは冗談を止めて、途端に声を潜めた。
「今すぐやめるべきだよ。危険すぎる」
世間知らずなアリスだがこれには自信を持って言えた。ドラゴンがやっかいなのは危険な点だけではなく、その存在感はマグルの世界にも影響を及ぼすことがあるからだ。魔法省の魔法生物規制管理部の誤報室に勤めているエイモスはしょっちゅう、「今度はチャイニーズ種のドラゴンが向こうで見つかった!またマグルの首相に言い訳だ!」と忙しそうに愚痴っている。
「梟の世話とは訳が違う。フクロウフーズなら簡単なのに奴さん、ネズミを箱いっぱい食うんだ」
「"初心者用のためのドラゴン飼育方法"がペットショップに置いてあるわけないしね!」
「よせよ。まいっちゃうなぁ」
ロンは難儀そうにぼやくがアリスはドラゴンの赤ちゃんの世話がちょっとだけ羨ましく思えた。そんな様子が彼にも伝わったのだろう。
「アリスも見に来る?僕らの友達ならハグリッドも見せてくれると思う」
アリスは笑顔で首を何度も縦に振ると、ロンは”お兄ちゃん”のように 「じゃあ今夜、消灯時間過ぎたら集合だ」 と約束を交わした。
夜、アリスはルームメイトの寝息を確認するとベッドから飛び降り、パジャマの上にローブを羽織って、スニーカーに足を突っ込む。
「アリスどこ行くの?」
ハーマイオニーがひそひそ声で呼びとめるので、「ロンの手伝いをしに森小屋へ」と答えると彼女は合点がいったようだった。ドラゴンの件は広めるべきではないが、餌やりは四人でやっても手が足りず、マンパワー不足だった。それにアリスはああ見えて手抜かりがなく、信用できる友達だったので最適な人選というのがハーマイオニーの見解だ。
「そう、ロンから話は聞いたみたいね。くれぐれもバレないように気を付けて。それに春とはいえど夜は冷えるから靴下を履いて」彼女はサッとベッド横のデスクからウールの分厚い靴下を貸してくれた。
「ありがとうハーマイオニー」
靴下をはいて談話室に向かうとロンの姿はまだ見えない。暖炉の火がチョロチョロ小さく燃えている。
「アリス、ここだよ」
「わ……!」
何もない空間から突如ロンの声が現れたので思わず叫んでしまいそうな口を塞ぐ。ロンの生首だけが宙に浮いていた。
「これ……透明マント? 本物の?」
「ハリーが貸してくれたんだ。これでハグリッドのところに向かおう」
「なんでハリーが透明マントを持ってるの?」
興味が沸いたがロンに腕を引かれマントの中に入れられたので口をつぐんだ。暖炉の小さな火種が消える。二人は肖像画裏の穴をよじ登り、夜の森へと急いだ。
「ハグリッド、ノーバードの手伝いに来たよ」ロンが森小屋の戸を叩くとハグリッドが顔を覗かした。
「悪いな、入ってくれや」
この小さな小屋の中によく収まっていると感嘆するくらい、ドラゴンの赤ん坊はでかい。鼻からは熱い煙を吹き出し続けているので、前髪が熱気で散らかった。透明マントを脱ぐとロンは「今晩はアリスが手伝いに来てくれたんだ」と紹介をする。
「アリス・ディゴリーだよ。こんばんはハグリッド」
「ディゴリー!」
訝しんでいたハグリッドはピンときたようで、アリスの顔を暫し観察した。
「俺が知っちょるマリアのまんまだ!坊ちゃんの方は何年前かに入学しとったはずだよな?孫娘もホグワーツに来てくれて俺は嬉しいぞ」
挨拶一つ交わしただけだが、ハグリッドはすっかりアリスを気に入ったようで親しげに接してくる。そんな彼の態度をアリスも好ましく感じ、懐っこい笑顔を浮かべた。
「マリア?おばあちゃんの名前だ。知り合いなの?」
「俺が新入生だった頃はうんと世話になった。マリアはグリフィンドールの監督生だったからな。よぉく見れば見るほどお前さんはマリアとまんまそっくりだ」
「話を聞く限りマリアってハグリッドより年上だったのに、一年生のアリスとまんまな訳あるか?」
物心つく前に亡くなった祖母の話にアリスは興味深そうに相槌を打っていたところ、ロンが横槍を入れたので、「ハグリッドって一年生の頃から大きかったんじゃない」と適当なアリスの返事にロンも曖昧に頷いた。話もそこそこに三人はノーバードの餌やりに取り掛かる。
木箱からネズミをつまむと狙いを定めて口の中に放ってやる。
「可愛いだろう。ノーバードっちゅうんだ。一気に餌はやらんでくれよ、消化に悪いからな」
ハグリッドの目を見て「そうだね」と言い返す余裕はなかった。ネズミを放る軌道がずれちゃこの小屋は半壊しそうだ。その時だった。「ウワー!」とロンの悲痛な叫びに顔をあげると、右手をノーバードに齧られていて皆パニックになった。
「ノーバードやめろ!悪い子だ!」
「ロン!」
引き離されたおかげでロンはしりもちをついた。傷跡見るとまだノーバードの歯が小さいためか悲惨なおぞましい傷跡ではなかった……アリスは一先ず止血しようとローブの中に入っていたハンカチを巻き付ける。
「今すぐ医務室へ行こう!」
「寮を抜け出したことがバレる!」
「でも、これ、ただの傷じゃないかもよ……」
ロンはふらつきながら立ち上がる。 「明日行くよ……」
「ハグリッド今日はもう帰るね!」
「すまねぇ……わざとやったんじゃねぇ……アリス、ロンをマダム・ポンフリー先生のところに連れてってくれるよう頼めるか……」
アリスはハグリッドの謝罪を背に、ロンと自分の頭に透明マントを被せて小屋を出た。
翌朝、「アリス……」と虫の息のような声音でロンが助けを求めてきた。手が二倍くらいに膨れている。ハンカチを解くとおぞましい緑色になっていた。
「これってまずいよな」
「言わんこっちゃない!」
午前の授業前に医務室へ駆け込むと案の定、マダム・ポンフリーが眉をつりあげて叱咤した。
「何の傷跡です!?」
「これは……」 事情を話そうとするアリスに、ロンは弱々しく首を横に振って止めた。
「あの、野犬に噛まれて……そのあとよくわからない薬草とかいじってて……こうなっちゃったんだと思います……あ、カラスにも手をつつかれたかも……」
「もう結構です!」 アリスは口を閉ざした。
「あなたは怪我はないのですね?なら教室にお戻りなさい。毒消し草を準備してくるのでウィーズリーは安静にしておくよう」
ピシャンと医務室の扉が閉まり、マダム・ポンフリーは小走りに温室へと急ぐ。その様子を物陰から伺っていたマルフォイがニヤリと笑みを浮かべて医務室に忍び込み、ロンのベッド脇に置かれた本を手に取った。
「何してるの?」
鋭い声にマルフォイが振り向く。
「……ディゴリーか」 マルフォイは余裕の笑みを浮かべたが、その目は意味ありげに光っていた。「別に。ただ、ウィーズリーが読んでいる本が気になっただけさ」
「返して」 アリスはマルフォイをじっと見据える。
「どうして?これはそんなに大事なものか?」
「そんなの関係ない。本を勝手に持ち出すなんて礼儀知らずね」
「君たちが何を隠しているのか、そろそろ教えてもらおうかと思っただけだ」 マルフォイは意地の悪い笑みを浮かべる。アリスは心臓が跳ねるのを感じたが、表情には出さなかった。彼女は一歩前に出て、マルフォイと向き合った。
「ロンがこの本を読んでいるのは、ただの興味。本当にそれ以上でも以下でもないの」 アリスは毅然と言い放った。
「その本が気になるならいくらでも持っていってくれよ」
閉め切ったカーテンの中からロンが叫んだ。ドラコは少し眉を上げたが、アリスの目をじっと見つめ返した。
「許可もとれたし僕はお暇するよ。ウィーズリーは原因不明の怪我の痛みで喘いでいるようだしね」 彼は本を持ち上げて見せびらかして言い逃げした。
「……本、渡しちゃって大丈夫だった?」
マルフォイが去って暫くしてアリスがロンに尋ねる。
「問題ないさ、あれはドラゴンの本じゃなくってハーマイオニーが試験のためによこしてきた薬草学の図鑑だからね」
ロンの言葉にようやく安堵できてアリスも医務室を後にした。しかしその本の中にチャーリーからの手紙を入れてあったことに気づいた一同は頭を抱えることになった。だが、もう作戦は引き返すことはできない……。
土曜日の晩、アリスは眠れぬ夜を過ごした。ノーバードが無事、チャーリーの元に届くよう、ベッドの中で祈っていた。時計の針が一時を回ったころ、女子寮の扉が静かに開いたので飛び起きる。月明かりに照らされたハーマイオニーの顔は真っ白だった。
「チャーリーはノーバードを連れていってくれたわ……でも……そのあと、先生方に見つかってしまったの……」
「えっ……透明マントは?」
ハーマイオニーは声を震わし、弱々しく謝った。
「馬鹿よ……気が抜けちゃったの……私たち、百五十点も減点されてしまったの!」 ワッと泣き出し、ハーマイオニーは床に崩れ落ちた。
「……ハーマイオニー……冷えるからベッドの中に戻ろう……」
なんて声をかけたらいいか分からず、アリスは彼女を労わることしかできなかった。
翌朝、グリフィンドールの大幅な減点とその理由に関して大騒ぎだった。特にハリーは目立っている分、他寮からも非難された。これは予想していなかったが、ネビルも夜中の校舎を歩き回っていたらしい。ネビルのパンパンに腫れた目元からは涙が止まらず、頬を永遠に濡らし続けている。談話室の寮の物陰で、膝を抱えて泣いている彼の隣に同じようにライアンも身を縮こませた。
「なんで夜に出歩いたりしたんだよ」 聞く人によっては、恐喝のような調子だったが彼を知るネビルは小さく言葉を漏らした。
「僕…僕……マルフォイがハリーを掴まえるって聞いて……知らせようと思ったんだ……でも……でも……」
「ゆっくりでいいよ」
「……助けるべきだって思ったんだ……君みたいに……でも僕はグズだから……」
学期末に番狂わせである。グリフィンドールは寮杯から最も遠くなってしまった。アリスも残念で仕方がなかったが、自分も夜中抜け出したので罪の意識があった。 「また授業で取り返していけばいいよ」 という慰めの言葉はハーマイオニーから 「今の私はそんなに楽観的になれないわ」 と一蹴されたがくじけずに、落ち込んでいるハーマイオニーの傍をくっついてまわった。