親友と過ごす夏休みも幾日か経ち、今日は新学期の準備をするためにダイアゴン横丁へ来ていた。
「新学期前とはいえ凄い人だね」
先行くセドリックがはぐれないように気遣ってこちらを振り返る。
「本当だね。特に魔女ばっかり。何かあるのかな」
周りはホグワーツの生徒や保護者以外に、浮足立った様子の妙齢の魔女たちでひしめいていてアリスは目を丸くさせた。
「見ろよ。サイン会だって」 ライアンは自分の──マグルのものだと思われる──バンドTシャツについた煙突飛行粉を払いながら書店のポスターを指さす。
「ギルテロイ・ロックハートだ。また冒険記を出したのかなぁ」
「有名? 今年のDADAに使う教科書の筆者だな」
「面白い本ばっかり書くよ! 週間魔女によく取り上げられていて魔女に人気だね」
彼がいくつか出している冒険記は、思わず引き込まれてしまう展開と文章、その甘いマスクに多くの魔女が虜になっていると評判だ。ファンという訳ではないが、アリスの家にも人気作が一冊ある。
「人が多いし教科書は後にして、先に別の店に回ろう。父さんたちもちょうど銀行から帰ってくると思うし」
「ねぇ、ちょっとだけ見てきていい?」 セドリックの提案にアリスは書店を指さす。
「じゃあ僕も一緒に行くよ」
「ライアンがいるから大丈夫。すぐ切り上げるから、いいでしょう?」
好奇心に駆られたアリスと、拒否権なくお供にされたライアンをセドリックは伺った。
「分かったよ。二人、離れないようにね。三軒先の文房具店に僕はいるから」
アリスは嬉しそうに頷き、ライアンを連れて書店の喧騒の中に飛び込んでいくのをセドリックは後ろ髪を引かれる思いで見ていた。夏休みに入ってから、今までの気まずい空気は消え、本来の素直さを取り戻したアリスだが、より自由な子になったみたいだ。今までだったら文句をたれながらもセドリックの言うことを聞いてついてきただろう。セドリックは妹の成長に嬉しさと……少し寂しさを感じた。
人込みを縫って書店の中を進むと、見知った顔ぶれに出会う。
「アリス、ライアン 君たちも教科書を買いに?」
「ハァイ ロン、ハリー」
ハーマイオニーにも挨拶したがこちらには目もくれずギルテロイ・ロックハートに夢中だった。男の子たちは辟易している。
「彼女、あんな感じさ」
「本より人間に関心を持つなんて僕らもビックリ」
ギルテロイ・ロックハートは生で見るとよりキラキラしていた。眩しすぎるくらいだ。ゴージャスな金髪は華やかにヘアセットされていて、帽子の被り方も小粋に計算された角度。ブルーのローブも彼が大きく身振り手振りすると過剰に空間を踊りまくるのが見ていて楽しく、ニヤニヤしているアリスにライアンは眉を顰めた。
「好きか?」
「え?」
「ああいうの」 顎でロックハートを指し示す。
「好きだね!あんなに目立つ人面白いよ」
「……」
意味ありげに沈黙する親友と、周囲の黄色い歓声をあげる魔女たちにアリスは考えたあと、 「別にファンじゃないけど」 と異論を唱えるがライアンは肩をすくめる。
「
派手な金髪のライアンを肘で小突くと、ふっと呆れたようにようやく笑ってくれたので、アリスはククッと喉奥で笑いを噛みころした。
ハリーはやっぱり有名人で、ロックハートに名指しで指名をもらいツーショットの撮影会に巻き込まれることになった。アリスの隣にいる赤毛の少女──きっとロンの妹──がウットリ眺めていたので、ロックハートの吸引力は凄まじい。
「僕らもさっさと教科書を調達しないと」 ロンが先陣切って客の中をかき分けていく。
「『グールお化けとのクールな散策』は買わなくっていいや。家にあるし」
「アリスもロックハート先生のファンなの!?」 ハーマイオニーがようやくアリスの顔を見た。
「ファンってほどじゃ。大叔父さんがくれただけ」
「私は全部読んだわ! ホグワーツで『泣き妖怪バンシーとのナウな休日』を読んでから彼の作品の魅力を知ったの。『グールお化けとのクールな散策』も最高よね、私好きな章があって……」
尋常じゃない勢いにアリスは助けてほしそうに周囲を見渡した。ロンが 「アッ」 と声を漏らす。 「なんだ、君か」
ロンは不快そうにドラコ・マルフォイを見た。黒いシャツとセンタープレスが綺麗に入ったスラックス姿だ。あまり頭を働かせなくっても事態は把握できる。いつものようにマルフォイはハリーをからかっていたところだった。
「ウィーズリー、そんなにたくさん買い込んで、君の両親はこれから一ヵ月は飲まず食わずだろうね」
ロンは顔を紅潮させてマルフォイにかかって行こうとしたが、ハリーとハーマイオニーがそれを止めた。時と場所構わずこの二人はいつだって一触即発で、嫌味に精が出るマルフォイは夏休み中も元気だったみたいだ。
「ロン!」 声をかける細身の男性は恐らくロンのお父さんで、フレッドとジョージも連れてこちらに来る。
「何してるんだ? ここはひどいもんだ。早く外に出よう──おや、君たちは──」
ウィーズリー氏は、眼鏡をかけ直してアリスとライアンを交互に見比べた。しかしその言葉は途中で割り込まれた冷たい声に遮られる。
「これは、これは、これは──アーサー・ウィーズリー」
マルフォイの父親だ。説明がなくたってわかる。息子は父親に似たんだろう。もう九月が近いとはいえ、夏に重たそうなローブに身を包んでいて薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「役所が満足に給料も支払わないのでは、わざわざ魔法使いの面汚しになる甲斐がないですねぇ?」
ジーニーの中古の教科書を揶揄ったのだろう。ウィーズリー氏は、薄くなった赤毛のように顔を火照らせた。
「マルフォイ、魔法使いの面汚しがどういう意味かについて、私たちは意見が違うようだが」
マルフォイ氏の薄灰色の目が、心配そうになりゆきを見ている──きっとハーマイオニーの両親だ─マグルの夫婦に視線を移す。
「ウィーズリー、こんな連中とつき合ってるようでは……君の家族はもう落ちるところまで落ちたと思っていたんですがね」
ウィーズリー氏がマルフォイ氏に飛びかかり、その背中を本棚に叩きつけた。本の山と大鍋が音を立てて倒れる。ウィーズリー兄弟がヤジを飛ばして、夫人と店員は必死に止めにかかるが構わず父親たちはもみくちゃになって暴れている。アリスは昨年の試合でロンとドラコの取っ組み合いの喧嘩を思い出し、デジャブを感じた。
「おーいおーい、喧嘩はだめだ! 子どもたちも見てるし、ここはな、平和にいこう!」
「パパ!」
その混乱の空気のなかに、まるで天真爛漫な風を吹かせるように現れたのが、エイモス・ディゴリーだった。宥めるように二人の間に割って入って、困った笑顔を浮かべる。戦意を削がれたのかようやく二人は落ち着いた。アリスもホッとため息をつく。
「落ちましたよ!」
アリスは床に転がった黒い古本を乱れ髪のルシウス・マルフォイに手渡した。快活な愛嬌ある笑顔を浮かべるアリスを、マルフォイ氏は蛇のような目で逡巡するかのように暫く睨みつけていたが──。
「フン、」
息子そっくりに鼻を鳴らして古本をぶんどった。
「申し訳ない、彼ら血気盛んでね。おっと、魔法使いが全員あぁという訳ではないんですよ」
エイモスが呆然としているグレンジャー夫妻に声をかけた。後半、自分は平和主義だと主張する当たりちゃっかりしている。
「あぁライアン、セドリックと箒専門店に行くんだが一緒にどうだね? 息子から聞いたよ やっぱり腕がいいみたいじゃないか」
「あ……はい、」 ライアンも大人の喧嘩にドン引きしていたが、声をかけられてハッと意識を取り戻す。
本屋の集団はバラバラとそれぞれの方へと散っていった。男性たちは箒専門店に向かったので、アリスは銀行から戻ってきた母シェリルと合流してお茶休憩することにした。ダイアゴン横丁のにぎわいを抜けた通りで、午後の日差しを浴びて、白いアーチが並ぶ外観はどこか懐かしげだ。するとどうだろう──予想もしなかったことが起きた。
「あら、 ナルシッサ?」 驚くのはシェリルが声をかけた相手だった。
え? マルフォイのお母さん?
初めて見たがマルフォイ氏同様、確信を持って言えた。彼女のプラチナブロンドは見覚えがありすぎたし、傍らにいる豆鉄砲を食らったフクロウのように目を丸くしているマルフォイがいたからだ。ナルシッサは感情の読めない顔のまま、口元だけをわずかに持ち上げた。
「まぁ シェリルなのね。お変わりなくていらっしゃるかしら」
ゆったりとした動作で、シルクのショールを肩にかけながら静かに口を開く。 「卒業してから、もうずいぶんと経ちましたのにこうしてまたお会いできるだなんて」
「えぇ、年月が過ぎるのは早いものね」 シェリルはドラコに視線を移し、笑顔になった。 「顔立ちがお母様にそっくりだわ」
ナルシッサは初めて表情を和らげて、息子を自分の方に招いた。
「ドラコ、ご挨拶なさい。ディゴリー夫人です──ホグワーツの茶礼文化会でご一緒してたの」
ドラコは挨拶もそこそこに訝しげにシェリルを横目に見る。上背のあるすらっとした女性で、艶やかな手入れの行き届いた黒髪。淑女と銘打つべき品のあるいでたちの彼女から視線を横に滑らせると、その娘はボーっと宙を眺めていたので心の中で 「バカな顔だ」 と嘲笑った。
「娘のアリスよ」
シェリルに促されてアリスは前に出る。
「初めてご挨拶を差し上げます、アリスと申します」 サマーワンピースの裾を持ち上げて挨拶をするアリスをナルシッサは値踏みするような視線を向け、そして美しい微笑を浮かべた。
「立ち振る舞いもお母様譲りだこと」
アリスは人好きのする笑顔を浮かべた。背筋を伸ばしたその姿はセドリックと同じく、品行方正に見える。あのアリス・ディゴリーが礼儀よく無難に立ち振る舞うのをドラコは面白くなさそうに眉を吊り上げて見ている。淑女とは正反対のガサツで馬鹿な女なんです、と母に本性を知らせたかったが流石に向こうの母親の前では言いづらく、胸中呟くだけにした。
「それでは、今日のところはこれで──また新学期に」
「ええ、お話できてよかったわ」
ドラコは別れ際アリスを憎たらしそうに一睨みしていった。
「茶礼文化会って?」 シェリルと二人になったアリスは聞く。
「ホグワーツのクラブ活動よ。高学年になったら参加できるの。社交クラブのようなものね」
アフタヌーンティーを楽しみながらおしゃべりするようだ。多くは純血出身だったらしい。シェリルも純血ではあるがどことなく閉鎖的に感じられるクラブ活動に母親が参加していただなんて意外だ。
「マルフォイ夫人と立ち話するくらいの仲だなんて」
「私の作るお菓子は寮の垣根関係なく人気だったのよ」
ちょっと自慢気なシェリルの笑顔は、セドリックやアリスと同じく、人から好かれる親しみやすいものだった。